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天使が応えない朝

朝は訪れた。

だが、それは癒しではなく、死を照らす光だった。


血と沈黙の中で、チャールズは叫ぶ。

神も天使も応えない──ただ、絶望だけが答えだった。


 夜が明けた。

 灰色の朝。冷たく、静かで、生気のない光。


 それは癒しの光ではない。

 ──無理やり剥がされた傷の包帯のような、残酷な朝だった。


 チャールズはゆっくりと目を開けた。

 頭がずきんと痛み、口の中は乾ききって、鉄の味が残っていた。


 呼吸は浅く、喉の奥がひりつく。


 そして、思い出す。


 彼はまだ──ベッドの下にいた。


 ざらついた木の床が頬に触れ、空気の中には血の匂いが漂っていた。

 重く、鋭く、鼻を突くような生臭さ。


 彼は体を動かし、首をかしげて床とベッドの隙間を覗いた。


 そこで見たのは、


 垂れ下がった腕。

 ぴくりとも動かない、色のない指先。


 そして──


 ぽた。


 ぽた。


 ぽた。


 滴る、血の音。


 チャールズは凍りついた。


 しばらく動けずにいたが、やがて震える体でベッドの下から這い出した。


 手は震え、足には力が入らない。


 そして、ゆっくりと顔を上げたその瞬間──


 世界が、崩れた。



 ---


 マリアンヌは、まるで壊れた人形のようにベッドの上に横たわっていた。


 その目は見開いたまま、何も映していない空間を見つめている。

 赤いドレスは血に染まり、シーツの白は深紅に変わっていた。


 金色の髪は乱れ、床に垂れ下がり、まるで切り落とされた花のよう。

 冷たい。

 静かすぎる。


 あまりにも現実的すぎて、夢ではないと知ってしまう。


 チャールズは呆然と立ち尽くしていた。


 口を開いたが、声は出なかった。


「……ママ……?」


 一歩、また一歩。

 小さな足が進む。


 彼は母の指先に触れた。


 冷たい。

 まるで氷を皮膚の中に埋められたような冷たさ。


「ママ、起きてよ……」と囁く。


 肩が震え始める。

 涙が目に溜まり、今にも溢れそうだった。


 チャールズはベッドに這い上がり、母の腕を抱く。


「ママ、嘘つかないって言ったじゃん……置いてかないって、約束したじゃん……!」


 マリアンヌは応えなかった。


 こちらを見ない。

 抱きしめてくれない。

 もう、笑ってくれない。


 チャールズはその胸に顔を埋め、硬くなった体を必死に抱きしめた。

 涙がぽたぽたとドレスを濡らす。


「ぼく、ここにいるよ、ママ……まだいるのに……」


 返事はなかった。


 風の音だけが、朝の静けさの中で吹いていた。


 彼の泣き声が空気を裂く。


 それはただの子供の泣き声ではなかった。


 魂の半分を失った者の、絶望の叫びだった。


 彼は祈った。

 呼びかけた。

 死体となった母を、もう一度抱きしめた。


 だが、誰も来なかった。


 神は沈黙し、

 天使は応えず、

 救いはどこにもなかった。


 そこにいたのは──


 チャールズと、

 冷たくなった母と、

 そして乾き始めた血の匂い。


 その瞬間、


 彼の中で何かが壊れた。


 砕け散った。

 音もなく、深く。


 かつてあった笑顔は──二度と戻らなかった。


 誰にも知られぬまま、

 その朝、ひとりの子供の微笑みが、永遠に消えたのだった。

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