死の淵の微笑み
死を前にしても笑みを浮かべたルーク。その姿を見たチャールズは、貴族に抗う道が決して容易ではないことを悟る。
昼下がり。チャールズとヒューゴはクリニックのバルコニーに腰掛け、束の間の静けさを味わっていた。
だがその瞬間、広場の方角から異様なざわめきが街を揺らす――怒号、走る足音、空気を震わせる叫び。
ヒューゴが身を乗り出し、険しい表情で下を見下ろす。
「……何だ? どうして皆、広場へ向かっている?」
チャールズも通りに目を向けた。人々の足音は津波のように押し寄せてくる。
「もしかして……城から食料の配給か?」
だが胸の奥を締め付ける不安は消えない。
喉を塞ぐような悪寒が全身を走る。
彼はためらうことなく飛び降りた。硬い石畳に着地すると、土埃が舞い上がる。
走り抜ける男の腕を掴み、声をかけた。
「すみません……前方で何が起きているのですか!」
男は汗に濡れた顔で振り返り、息を切らしながら答える。
「……デズモンド様を殺した犯人が捕まった! 今日、処刑されるそうだ!」
その言葉は刃のように突き刺さった。
チャールズの血が凍りつく。
【……まさか。計画が……露見したのか!?】
脳裏に浮かんだのはルークの顔。
胸を打ち砕くほどの恐怖と焦燥が押し寄せる。
――だが、今動けば全てが崩れる。
奥歯を噛み締め、チャールズは群衆の波に身を委ねた。
一歩ごとに身体が沈むように重い。
やがて辿り着いた広場には、冷たく不気味な処刑台が待ち構えていた。
巨大な丸太が吊り下げられ、その下の木板に押し付けられる首。
――ルークだった。
チャールズの喉からかすかな息が漏れる。
だがそこに恐怖はなく、友は微笑んでいた。
【……ルーク。なぜ……なぜこんな時に笑える……】
処刑人の一人が口を開いた。
「最後に……言い残すことはあるか」
ルークはゆっくりと顔を上げる。
曇りのない瞳が輝き、声が広場全体を震わせた。
「――名誉のためなら、俺は死をも恐れない!
誇りを懸けて命を捧げる。ある人からそう教わった!」
群衆がざわめきに包まれる。
チャールズは拳を握り、爪が掌に食い込み血が滲む。
「最初は疑った……だが、彼は正しかった。
死が目前に迫っても……俺の心は揺るがない!」
ルークは笑みを浮かべた。
それは諦めではなく、揺るぎない信念の輝き。
「最後に一つ……覚えておけ!
ロンドンはイングランドの心臓だ!
だが、彼に従わなければ……この街は必ず滅びる!」
轟音と共に丸太が落ちた。
骨の砕ける鈍音。鮮血が四方に散り、悲鳴が空を裂く。
それでもチャールズは目を逸らさず、涙に震える瞳で見届けた。
【……これが現実だ。平民一人の抵抗など……貴族には届かない】
胸を焼き尽くすような痛みに苛まれながらも、チャールズは背を向ける。
震える肩を押さえ、歩き出した。
「……ありがとう、ルーク。
お前の戦いは……決して無駄じゃない」
その呟きは喧騒に飲まれ、誰の耳にも届かない。
だがチャールズの心には深く刻まれた――ロンドンを救う道は、血と犠牲に覆われているのだと。




