八年の静寂と、復讐の序曲
八年前──
地獄から悪魔を呼び出した、あの夜から。
チャールズ・オーガスト・ミルバートンの運命は、永遠に変わってしまった。
十八歳となった今、彼は冷たい仮面を纏い、腐敗した貴族社会を見通す眼差しを持つ男へと成長していた。
常に傍らにいるのは、あの夜に契約を交わした悪魔・ヴェスペラ。
彼女の力とともに、チャールズは裏社会の情報をすべて掌握し、時に未来さえも予見する存在となっていた。
そしてある日、王宮での盛大な舞踏会の知らせが耳に入る。
──その時が来た。
手にしたのは一通の招待状。
「ミルバートン」という名が悲劇の中に葬られて久しいが、彼は再びその名を背負って表舞台へと帰還する。
もはや被害者ではない。
もはや奴隷ではない。
彼は正義の化身か、それとも破滅の使者か──
今、貴族社会の根幹を揺るがす復讐劇の幕が、静かに上がる。
ロンドンの地に、再び嵐が訪れようとしていた。
あれから八年――。
チャールズ・オーガスト・ミルヴァートンは、地上の誰にも気づかれぬよう、ヴェスペラと共に闇の世界で静かに息を潜めていた。
貴族社会の底知れぬ闇と腐敗。
神を語る偽りの宗教。
無知と恐怖に支配される民。
八年もの歳月を費やし、チャールズはあらゆる情報を掌中に収めた。
些細な噂でさえ、彼の耳に届かぬことはない。
それを可能にしたのは、共に契約を交わしたあの悪魔──ヴェスペラの存在だった。
「人の目に映らぬ影となって、王城の屋根裏まで忍び込める悪魔なんて、君しかいないだろうね……ヴェスペラ」
少年だった彼は、もはやそこにはいなかった。
十八歳となったチャールズは、鋭く冷たい眼差しをたたえ、かつてのあどけなさを全て置き去りにした大人の男となっていた。
その瞳に灯るものは、激情ではなく、凍てつくような静かな憎悪だった。
ある晩、ヴェスペラが彼の前に現れる。
黒衣のメイド姿は相変わらずだが、その美貌には以前よりもどこか張り詰めた気配があった。
彼女は一通の封筒を差し出した。
「旦那様。……この招待状をご覧ください。王城にて、二日後に開催される夜会への招待状です。ロンドン中の貴族が集まる……女王陛下主催の特別な宴だそうですわ」
チャールズは静かに封筒を手に取り、蝋を割り、中の紙に目を落とす。
「……ついに、その時が来たということか」
彼の指先がわずかに震える。
それは恐れではない。
長きに渡り耐え続けた怒りが、いま、燃え上がろうとしているのだ。
「……帰ろう、ヴェスペラ。ミルヴァートンの名をこのロンドンに再び刻みつける時だ」
その言葉を聞いたヴェスペラの口元が、微かに吊り上がる。
まるで、長い夢から目覚めたかのような笑みだった。
「仰せのままに、旦那様。……ロンドンは、もうすぐ裁かれるでしょう」
それは復讐の始まりだった。
血と嘘にまみれたこの国に、悪魔と契約した男が正義を問う時が来た。
――この地に、真の『裁き』を。




