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寛容  作者: 中岡 真竹
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七、思いも寄らぬ祝い言葉が・・・・・

七、思いも寄らぬ祝い言葉が・・・・・


スペインで猛威(もうい)(ふる)っているコロナウィルスは政府の手立てや国民の努力で収束の道へと進んで来たので、政府が非常事態宣言を解除しましたが、解除後一ヶ月近くでバルセロナ・サロゴーサ・首都のマドリードで新規患者が急増して来て、コロナの二波が襲来して来たのではないかと騒がれています。と言うメールが流されて来たのは、あの動画を見た日から一ヶ月が過ぎていた。八月二十五日であった。

此のメールの中に、スペインでも子供達への感染が増えて来たのでアントニオとカルメンを再び農園に連れて行こうと思っていると書かれている。

此の農園にはアメリカから研修に来ている女子大学生が居るので、この人に、アントニオとカルメンの英語の勉強をお願いして、スペインの教育学習には地元の小学校の先生上がりの方で、二人の勉強を見て貰える様にしていると書かれている。

此のメールを呼んだ森彦と紀代子が、アントニオちゃんとカルメンちゃんを前回と同じ様に、コロナ疎開(そかい)をなさる積りだなぁ。と話しあっている。

コロナの状況が再び悪化の様子が見えて来たので、子供の事はその様に考えていますが、私もこれから先は大使館に毎日出勤する事なくオンラインを利用して仕事をして行きますから、時間の都合が出来た処で森彦様と紀代子様にテレビ電話を入れたいと思っていますの。

夫のマンセルの事は、オンラインで出来る仕事ではないので、感染には充分気を付け乍ら、今日もサグラダ ファミリアの建築現場に出掛けて行きました。と書かれたメールを流してくれた事で、森彦と紀代子は何時(いつ)テレビ電話が流れて来るのか。と二人が先の楽しみを待つ様な表情を見せていた。

二人の心の内は、森彦と紀代子からテレビ電話を入れてもよいのだが、アナンさんは仕事を持った人、自分達二人は仕事から身を引いた者同士だから、何時(いつ)何時(なんどき)にテレビ電話が入ろうと不服は無い。

そう言う二人だから、掛かって来る日を子供の様に燥ぐ気持ちで待つとしよう。と二人の心がこの様に定まると、森彦と紀代子は先日のアナンさん達の家族動画に眼を配っていた。


 九月に入っているが、待ちに待っているアナンさんからのテレビ電話は一向に掛かっては来ない。

先日のメールでは、家庭が一応落ち着いた処でテレビ電話を入れる様な書き表しであったが、コロナの事でアナンさんの家庭に何か問題でも起きたのか。

二人の思う事は楽しき明日の事ではなく。暗さばかりを積み重ねた憂鬱(ゆううつ)な日々を迎えていた。

こんな日に、日本中をびっくりさせる様なニュースが走り回った。

日本の総理大臣が持病の悪化を理由に辞職なされると言う話である。

此の暗いニュースに出会った二人は、新聞の記事を横目でみ乍ら先程からぽつぽつと話している。

「貴方、総理大臣がお辞めになると言う事は・・・・・」

 と紀代子が思わせぶりに言葉を止めた。

「うーん。何時かはこの様な事になるかも知れないと思っていたよ」

 森彦の話に寄れば、八月の中頃のテレビで映し出される総理大臣の顔には発揮が見られない。何処か体が悪いのか。コロナ対策で疲れが出ているのか。と思っていたから、そんなに驚くニュースでもない。と森彦が紀代子に話した。

紀代子も森彦と同じ様な感じを持っていたので、此のニュースに執着(しゅうちゃく)して言葉が飛び交わされる事はなかった。

其れよりも、アナンさんからのテレビ電話が来るのか来ないのか。来ないのは、何かがあったのではないのかなぁ。

僕達からテレビ電話かメールを流して見ようか。との話に移っていた。

だが、先日、話し合った様に掛かって来るのを待つ事にしょうと言って、先日のテレビ電話が録画されているのを二人がみ乍ら、心に満ち溢れて来る楽しさがつい先程迄の憂鬱な小悪魔を殺したかの様に、二人はみを交わし合っている。

総理大臣が辞任の気持ちを表してから、コロナ禍の世であるので政治の時間を止める事は出来ないとの事で、次期総理大臣を決める選挙を行う準備が進められているとのニュースを脇に置くかの様に、コロナの事が多く流されている中で選挙の結果が出た。


 新しき総理大臣の政策の一つに、森彦と紀代子は思いを定めた。其れと言うのはデジタル化を行う為に、来年にはデジタル庁が発足される事で、企業や家庭にも今までとは違った効率的な対応や迅速性が求められる社会が到来して来るのではないか。と二人は此の事に興味を抱いて話が続いている。

「デジタル化が進む事で戸惑う人もいられるのではないの」

 紀代子が不安めいた表情で言った。

「そうだねぇ。僕等の様な老人には戸惑う人達が多いだろうねぇ」

「私もその一人よ」

「いや、紀代子は大丈夫」

何故(なぜ)・・・・・・」

「今でもアメリカの友達とメール交換しているだろう」

「メールの交換とデジタルとどんな関係があるの」

「アメリカは日本の何倍ものデジタルが進んでいる」

「それで・・・・・」

「その進んでいる国の文化と親しんでいるからなぁ」

「アメリカの友達から色んな事を聞き及んでいると言う事」

「そうだ」

 どうやら二人の話は、紀代子が若い時にロサンゼルスに居た時の友達と今でも付き合って、アメリカの文化を知らず知らずの内に身に付けている。と森彦はその様な想いを紀代子に言ったのだ。

だから、日本の社会の仕組みが電子仕様を主体に動き出しても、紀代子には基礎知識があるから大丈夫と太鼓判を捺したのであった。

紀代子は大丈夫だが、森彦は現役時代の仲間とは自ら離れたので、此の人達からまた所属していた会社から其れなりの知識を得る事は不可能な事だったから、森彦はパソコンに取り込み世間の動きを知る事や、紫苑が若い時に教えを蒙ったアメリカ人の家庭教師とメールやテレビ電話での会話を交わす事で、英語から離れる事なくアメリカの文化を会得していた。それと同時に、退職後に知り得た語学学校の先生達から語学に関しての知識や紫苑の音楽仲間達との音楽を通じての現代社会の感覚を身に覚えさせていた。

また、演奏を主催して下さった方々や演奏を聞きに来て下さった人達を森彦は大切にしてお付き合いをする事もあって、これ等の事が現役時代とは違って利害関係がない純粋な人間関係であるので、森彦が知り得ていない事などが新鮮な情報として森彦に元気さを与えていた。

森彦としては、これらの事が目まぐるしく転回する現代社会を学ぶには有難い存在であった。

こんな二人だから、デジタル化が急激に進んだ処でもあたふたする事はないと思っているが、世の中は自分達の様な人ばかりではない。

世は高齢化の社会をまっしぐらに進んでいる。

今日の朝刊でも、全国で百歳になられる方がこんなにも多いと、人生百歳時代を迎えている事を伝えている。

「紀代子、この様に多くの方が百歳になられる」

「正に、人生百歳時代ですね」

「喜ばしい事だ」

「そうですねぇ」

「それから見ると、政府のデジタル化の進めは・・・・・」

 森彦は言葉を切って、紀代子に視線を流した。紀代子が森彦に先の言葉を促す様な表情を見せた。

「うん、丁寧な事の進めが大切だ」

「丁寧・・・・・・」

 紀代子が問うて来た。

森彦が言うには、政府は常にこの言葉をオーム返しの様に言葉に乗せてはいるが、国民から見れば分からない事が、分からない処で決められて窮屈な思いをさせられている事がある。

こんな思いが森彦にあったから、丁寧と言う言葉を口に乗せたのであった。

紀代子に此の事を言った森彦は先日の事を思い起こしていた。其の事とは、弟憲治が政府のコロナ対策室の専門家として対応している事で、森彦は憲治にコロナ防止対策の諸々(もろもろ)の話で、専門語は出来るだけ噛み下して話してくれる事だ。

お前の話を聞くのは、俺の様な病原菌の知識は全く持ってない国民相手に話すのであるから、国民の目線に合わせて丁寧に話してくれよ。と言った事を蘇らせていた。


 朝食後のコーヒーカップを片手に時事談義の様な話が一段落した処で、紀代子が腰を上げて食卓の食器類を台所のカウンターに運び出す姿を見た森彦は、食卓に広げていたその日の朝刊を食卓の隅に畳み置くと、ゆっくりと腰を持ち上げて何時もの様に書斎へと向かった。

紀代子がその森彦の後姿に眼を配り乍ら、台所のシンクセットの方へと足を運んだ。

家に居る時の森彦の日課の進め方は、朝食後コーヒーカップを手にして紀代子と他愛無い話に時を過ごすと、書斎に入りパソコンのメール確認をするのが、判を押した様な時間の過ごし方であった。

森彦が書斎に入って暫くすると、荒々しいスリッパの音で紀代子が洗い事から手を外してリビングに眼を向けると、其処では森彦が一枚のペーパーを(かざ)し乍ら笑顔を見せている。

「紀代子、ほら、メールが来た」

 と言った森彦の顔は、先程までの勢いのない顔ではなかった。

「何のメールなの・・・・・・」

 紀代子は少し訝った様子を見せ乍ら言った。

「アナンさんからのメールだよ」

「えっ、アナンさん」

 と言って、紀代子は前掛けで濡れ手を拭き乍らリビングの席へと足を運んだ。

森彦が言うには日本時間で、九月二十一日の午後四時頃にテレビ電話を掛けさせて頂くと書かれている。と子供の様な屈託(くったく)のない笑顔を見せ乍ら言った。

「えっ、二十一日。明後日の休日の日ねぇ」

「うん。そうだ」

 二人がリビングの席に腰を落として話す事には、秋のお彼岸に掛かっているので紫苑の墓参りをしなければならないが、今年は新型コロナウィルスの事で森彦や紀代子の様な年老いた二人は、出来る限り外歩きを省く様な話を前々からしていたので、今年の紫苑の墓参りは家の仏壇で拝ませて頂く事にしていた。

だから、二十一日と指定された日が不都合と言う事はなかった。


新型コロナの為に、国内で観光旅行を予定してある多くの方々や海外からの多くの観光客の足が止まって、その為に、観光業者が苦しい状態になっているのを、少しでも明るさを取り戻そうとして政府がGo To Travelと名を打って秋の行楽シーズンの九月十九日から二十二日までの四日間は感染防止を(はか)り乍ら動いて貰う事が経済の活性化に繋がるとして、この様な策を打ち出している。

此の事は森彦も紀代子も充分理解をしている事であるが、年齢がどうしても足を止めてしまう。

其の様な訳で、紀代子も森彦もこの四日間を含んで何処にも足を運ぶ予定がなかったので、少し気が滅入る様な気にもなっていた処へのメールで、楽しさが、嬉しさが、この二人に舞い込んで来た。と言って二人はメールの返事を出す話になっていた。

二十一日を楽しみに待っていますよ。と返しのメールを打ち込む事にしたが、十六時と指定されて来た時間から見ると、スペインではサマータイムが取り込まれているからマドリードでは午前九時の時間になるが、と紀代子と森彦がアナンさんがテレビ電話を掛けて来て呉れるスペインの時間の事で心配している。

「大丈夫なのかなぁ」

「サマータイムを取っているスペインと言っても、午前九時は本人もご主人のマンセルさんや子供達にとっても忙しい時間ではないのかしら」

「いや、其の忙しい時間が過ぎたから掛けて来て呉れるのだろう。それにしても、アナンさん自身が勤めに行かれる時間は・・・・・・・」

 と二人の話は尽きる事はない。

そうだ。コロナの影響でテレワークをしている事を先日聞かされていた事を思い出した。

「此の事かもしれないわねぇ」

 と二人の話はやっと終わった。


 アナンさんが指定して来た二十一日を迎えている。この日の午後四時にテレビ電話を掛けさせて頂くとの事であったが、その時間まで後七時間ほどあると言って、朝食後のコーヒーを啜っている紀代子と森彦が時計に眼を遣った。

「さて、後七時間ほどの時間をどう使うかなぁ」

 森彦が思案顔を紀代子に見せた。

森彦には思う事があって、その様にして見ようかと思ったが、テレビ電話が流れて来る迄戻って来れるか。

そんな思いが(あたま)よぎった。(かぶり)を振って、じゃあ、どうするかなぁ、と思って紀代子に視線を施した。

「貴方、何を考えていたの・・・・」

「演奏教室の部屋を借りて練習に行って来るかなぁと・・」

「それには時間が足りないと思うわよ」

 紀代子が言うには、其の事を思い立つには、衣装を見繕う時間とか、教室まで行く時間とか、帰りの時間とかを計算すれば練習をする時間はないだろう。と見ての話であった。

「こんな時ほど、撮り終えているDVDの映画よ」

 と紀代子が言った。

「二本ほど見て、お昼を頂いて、二人のお喋りで時間になるわょ」

「うん、そう言う手もあるなぁ」

 森彦が感心した顔を紀代子に見せた。

森彦の感心する顔を見ている紀代子は、今の森彦には嬉しさが頭の隅々まで覆い被さって居るので、この様な事さえ思い付く事が出来ないのねぇ。と優しい微笑みを返していた。

と言う事で、午前中は香港を舞台にした映画、慕情を見る事で、紀代子と森彦は慕情のあらすじを思い浮かべて見た。

香港で勤務医をしているハン・スーインを演じているジュニファー・ジョーンズとアメリカ特派員のマリー・エリオットを演じるウィリアム・ホールデンの二人が恋に落ちて行くストーリ。

非常に情緒的に描かれた映画で二人には思いで深い作品である。

また、紀代子も森彦もこの映画の中で流れるナット・キング・コールの歌唱が心を深く包み込んでくれる作品として位置付けをしていた。

お昼を挟んで午後の部では、先日紀代子が言ったアナンさんがイングリッド・バーグマンさんに似ているとの話から、彼女がハンフリー・ボガードと共演している映画。あのカサブランカを再び見る事で興奮がらぬ心で、午後の四時を迎えたいと二人は思っていた。


 二本の映画を見終えた二人がプライベートルームで互いの顔を見詰め合っている。

いま見た映画は制作されてから何十年と時が過ぎているから、題名から放される光は影を宿しているが、見終えた二人の心には色褪(いろあ)せぬストーリーが、役者の演技が二人の心を震えさせていた。

ストーリーが心を打って来る。役者の演技と言う物が映画を見ている者に勇気を与えてくれる。耳から入って来る台詞(せりふ)がぐっと来る感動と言う物を与えてくれる。

これが映画だろう。これ等があるから名画と言われるのだろうと森彦と紀代子はそう思っているから、七十の歳の(なか)ばを過ぎた森彦も過ぎようとしている紀代子も、いま見た映画の主演者や助演者になった様な気持ちになっていた。


 後三十分近くでアナンさんと会える。

いま見た映画のシーンのあの女優さんとアナンさんが紀代子の脳裏で重なって見えているようだ。

紀代子がにっこりと頷いて森彦に視線を定めた。

パソコンの用意と録画の用意を忘れない様にと言っている様だった。森彦が小刻みな頷きを紀代子に戻した。


 午後四時の時報が聞こえた。ディスプレイにアナンさんが映し出された。

テレビ電話から流れて来たアナンさんの言葉は、Mr MORIHIKO少しの()があって、Mrs KIYOKO Halloと明るい声があのアナンさんの笑顔から流れて来た。

アナンさんが時差を呼んでの挨拶言葉を掛けて下さった。海外経験のある森彦と紀代子が顔を見合わせると、森彦がアナンさんにMrs Anan Good Morningと返すと間髪を入れずに紀代子がMrs Anan Good Morningとアナンさんと同じ様な明るい声で戻した。

アナンさんからThank you Thank youと笑顔の中で戻してくれた。

双方の挨拶が交わされて、少しの(あいだ)が流れた。其の(あいだ)を消すかのようにアナンさんが言われるには、先日のテレビ電話は初めて使わせて頂いたので、スペインと日本との時差が七時間ある事を知らずにスペイン時間で挨拶を入れたので、今回は、日本が午後の四時であるからHalloと言わせて頂いたのです。

森彦さんと紀代子さんが、スペインが午前九時と言うのをご存じでGood Morningの挨拶を頂き心から嬉しくなりました。

此の挨拶言葉が終わった後に、アナンさんから思わぬ言葉が流れて来た。

「Mr MORIHIKO And  Mrs KIYOKO Congratulations on Welcoming Respect for the Aged Day」

(モリヒコ様・キヨコ様 敬老の日おめでとうございます)

 と言われた。

森彦と紀代子はびっくりした。スペインの方が私達夫婦の敬老の日を祝って下さった言葉を呉れた。

此の事に森彦と紀代子は感激して()(ただ)した。今日のこの日は敬老の日である。其の敬老の日で、森彦と紀代子は敬老と言われる年齢の人である。

「此の日本では法律で敬老の日を制定して老人達を(うやま)っているが、スペインでも此の仕来りがあるのか」

 と森彦が尋ねた。

「スペインには法律で老人を敬う日を設けている事はない」  

 とアナンさんが応えてくれた。

「では、この九月二十一日が日本では敬老の日になっているのを、何でアナンさんが知っておられて、この日に、テレビ電話を掛けて先程のおめでとうと言う言葉を流されたのですか」

 と森彦も紀代子も疑問を以ていたから森彦が訊ねて見たのだ。

アナンさんが言われるには・・・・・・、

「此の日本の敬老の仕来りはママのレイデから聞かされていた」

 と言われる。

「ママレイデは一九七二年から四年間日本の京都に留学していた。其処で日本の文化を勉強した時に、日本には老人を敬う法律がある。と私が大きくなった時に教えてくれた事が頭に残っていたから、日本の友達にこの日が何時(いつ)なのかを尋ねてみたら九月二十一日と教えてくれた。先日のテレビ電話を終わらせた後、何時(いつ)、森彦さんと紀代子さんの処に掛けようかと思っていたら、日本の友達から教えて頂いたこの日に掛けて見ようと思っていたが、家族達が傍に居ると思った事も心置きなく話せないからどうしょうかと考えていた時に、夫マンセルが九月二十日から三日間セルビア地方に泊まり掛けで出掛ける事になりましたから、この日にテレビ電話を掛けさせて頂くメールを流さして頂きましたの」

「ご主人はお留守ですか」

 と森彦が尋ねる。

「そう。と応えられる」

「では、アントニオちゃんとカルメンちゃんはその場に居られるの・・・・・・・」

「子供達はママの実家に預けています。此のスペインは新型コロナウィルスが猛威を振るって、子供達の命に係わる事でしたからママの実家に預けていましたが、コロナの感染度合いが少し緩くなって来たので母の実家先から子供達を迎えに行きましたが、再びコロナウィルスの感染者が日に四千名近く出ていますので、先日、ママの実家に再び預けに行きましたのよ。

それに、日本の事が少し気掛かりになりましたのよ。それは日本の総理大臣が病気を理由に辞任なされたので、前任の総理の後を担う人を選ぶ選挙がなされて、新しい首相が選任されたらしいですねぇ」

なんで、アナンさんが此の日本の事をこの様に詳しく知ってあるのか。と森彦と紀代子が疑問を持って訊ねた。

すると、アナンさんが言われるには・・・・・、

「それは、アナンが勤務しているアメリカ大使館から政治の情報にしかり、世界の事件等はいち早く知る事が出来るのよ」

 と教えてくれた。

「そうか。アメリカ大使館勤めであれば、この様な情報は意図も簡単に手にする事が出来ますねぇ」

 と森彦が応えて、紀代子がアナンさんに頷いて見せた。

それともう一つ、アナンさんが言われるには・・・・・、

「日本の事は日本の友達がメールやテレビ電話で教えてくれるから、ある程度分かりますわ」

 と言われた。

そう言えば、先程アナンさんは日本の友達に敬老の日は何時かと尋ねられたと言われていた。その方の事かと森彦と紀代子は思った。

アナンさんの話によると・・・・・、

「アナンさんがアメリカの大学を卒業してアメリカの国務省に就職なさった時に、同期で日本人の女性が同じ国務省に入省された。其の人の名は尾幡 千代乃さんと言われてアナンさんと同じ歳だと言われた。

この方と国務省の入省研修会で一緒になり、同年配と言う事で、意気投合してお友達付き合いをさせて頂いています。この方がアナンより一年前に在日アメリカ大使館に転勤されていたので、アナンが二十六の歳にアメリカ国務省から在スペインアメリカ大使館へ転勤を命じられた時に、此の尾幡さんの誘いに誘われて、ママの思い出がある日本を探索して見ようと思って、東京から京都を二週間ほど掛けて見て来ました。だから、日本の事を全然知らないと言う事ではないのですよ」

「そうだったのですか」

 森彦と紀代子は驚くばかりであった。

此の驚く話に更なる驚きの話を、アナンさんがしたいと言われた。

その話は、アナンさんの誕生の話であった。

「この話は前のメールでお伝えしていますが、今日はこの場に家族も居ませんので、此のアナンが知り得た事を心に遠慮する事なしに話せるだろうと思っております。森彦様と紀代子様のお顔を拝見し乍ら話したいと思って来た事は、此のアナンがずっーと前から願って来た事です。どうか、此のアナンの話を聞いて下さい」

と言われて、アナンさんの少し緊張した表情が画面に写っている。徐に口が開いて言い出された。

「私が二十六の歳に転勤で母国スペインに戻って来てマンセルと交際している時に、ママレイデが聞いて来た事は、アナンが交際しているマンセルと言う人とアナンは結婚をする積りかと尋ねられました。ママレイデの問いにアナンはマンセルと結婚します。とはっきりと応えると、ママレイデはそれではアナンの誕生の事を確りと教えておかなければならないだろう。と言ってママレイデは色褪せた古い名刺を見せ乍ら、此処に書かれている名前の方がアナンのパパだ。この方は日本人だと言ってママレイデが、アナンの誕生の話を(つぶさ)に話してくれました。

此のアナンが物心付いた頃から、アナンのパパは亡くなったと聞かされていました。其のパパはママと同じスペインの外務省に務めていた人で、アナンが誕生して三歳の時に通常の風邪を(こじ)らせて亡くなったと聞かされていました。

祖父や祖母の処に行った時も、ママが話してくれた話を祖父や祖母からも聞かされていました。

私が小さい時に、ママがパパの墓参りに連れて行ってくれた事がありました。其の時、此れがパパの墓だよとママが教えてくれたのは、実はママの実家の人達が葬られていた墓をパパの墓だよ。と教えられていたのです。

ママレイデが涙乍らに言った話は、アナンが大人に成るまで聞かせて来たアナンの誕生の話は、全て偽りの話であった。と聴かされました。

その時、ママレイデはごめんねぇと言って、ママレイデがアナンに話し出した事は、今までアナンが知らなかった自分の誕生の話でありました。ママレイデがアナンのパパとの出逢いから、アナンの誕生そして誕生後の嘘で固められたアナンの生い立ちを涙で咽ぶ声で聴かせてくれました。

アナンは、その時、納得出来ない様な顔をしていたのでしょう。

思わずママレイデがアナンを強く抱きしめて来た事は今でもはっきりと覚えています。

抱き乍ら、アナンにママレイデが言った事は、アナンにいま渡した名刺の人が、アナンのパパだよ!

その時、アナンはママの気持ちに添える事が出来ずにママレイデから身を放して、ママレイデを確りと見詰めていました。

そして、ママレイデの話を聞き終えたアナンは暫く、ママレイデに掛ける言葉もなく、ママレイデの顔を窺っていたら、ママレイデの苦しさが此のアナンにじわじわと伝わって来ました。すると、アナンは思わず。ママレイデを抱き締めて、暫く二人で泣いていた事を忘れもせずに覚えています」

 とアナンさんが話してくれた。

紀代子が頬に流れる一筋の涙を左の小指で拭い去る様子を見ていたアナンさんが、話の続きをなされた。

「此のアナンの誕生の経緯いきさつを結婚したマンセルに話した処、マンセルが言うには、結婚したのは目の前にいるアナンであって、三十年程前にママのレイデの前に現れた日本人の男性が、アナンをこの世に送り出す愛の行動をなされたからアナンがこの世に存在している。そのアナンをマンセルは愛しているから結婚を願った。

いま、アナンから日本人の事を聞かせて貰ったが、マンセルは一度として東洋の日本と言う国に行った事が無いから日本人の事は良く知らないけれども、マンセルが取り組んでいる建築と言う仕事から見ると、日本の木造建築は世界に類を見ない建築を千年前の時代から作り上げて来たと言う立派な技術を有した民族と思っている。

ママレイデの相手の男性がその日本民族の一人であり、エンジニアとして此のスペインに来られたと言う人だから、優秀な人であったと思う。

其の優秀な日本人にアナンが会いたいと思えば、マンセルは惜しみない応援をさせて頂くと言った後に、マンセルは少し暗い表情を見せました。

その事は、其の日本人の男性がママのレイデと知り合ったのは、ママからアナンが聞いた話では一九八〇年頃の話であるので、ママが知り合った相手の日本人男性はその当時三十七歳の人であった。と聞いているマンセルであるから、出会った当時から三十年が過ぎ去っている。あの当時三十七歳であった人であるから、いまは六十七歳になってある。

マンセルがこの様な話をして来たのは、私達が結婚した頃の話です。ですから、それから十年が過ぎ去っていますので、捜す人は七十七歳になっていられるからご健在であるか。とマンセルは危惧(きぐ)したのであったのです。

この日本人を探すには、相手の年齢から来る健康の事を考えて行動すべきである。とマンセルがアナンを応援して呉れる言葉を呉れたのです。

ママが勤めていたスペインの外務・欧州連合・協力省に伺って事の次第を話すと、ママが勤務していた事とアナンがアメリカ大使館勤めをしている事からスペインの外務・欧州連合・協力省はアナンの願いを迅速に取り扱って下さって、思ったより早くアナンが探し求めている人がご健在である事が、日本の外務省から駐日スペイン大使館を経由して、スペインの外務・欧州連合・協力省に連絡が入った事をアナンは聞かされました。

その時、アナンの心には嬉しさと怖さが入り乱れて混乱をしていました。この事を、ママレイデにいち早く知らせたいと思う心がありましたが、時遅かれ、ママの墓前にしか伝える事が出来ませんでした」

と話されて、一呼吸置かれてアナンさんが再び話し出された。

「二〇二〇年東京で行われるオリンピックを見て来なさいと大使から券を頂いていましたので、子供達とオリンピックを見に行く事にしていました。アナンが探し求めている人からのご返事が心を温かくしてくれる様なお話であれば、此のオリンピック見物に合わせて、子供共々会いに行きたいと言う気持ちがありましたから、一年前から日本人の男性を探し求めていたのです。

だが、この気持ちを止める思わぬ事が発表されました。

コロナウィルスの感染予防の為、オリンピックが来年に延期されると言うニュースを聞きました。

会える気持ちが(しぼ)んでいた時に、森彦様と言う方から電話を頂きましたが、咄嗟の事で要領が掴めず電話を切って呆然としていましたら、傍からマンセルが声を掛けてくれまして、マンセルと話し合った処、探し求めていた人からの連絡ではなかったのか。探し求めていた方がご健在であった。あの当時の事を忘れられてはいなかった。嫌なお気持をお持ちでなかったからご連絡をなされたのだろう。とマンセルと話し合って、もう一度此方(こちら)から電話を掛けなさいとマンセルが言ってくれて、電話を入れさせて頂きました。

アナンの頭の中では、嬉しさと怖さが駆け巡っていましたが、この嬉しさの方が心を被い尽くして来ました。

この様子を傍で見ていたマンセルがアナンの気持ちを悟ったのでしょう。アナンの顔をみ乍ら何度となく頷きを見せてくれました。

子供達は其の場の様子を掴む事が出来ずに、ママの様子を見てきょとんとした顔で、此のアナンを見詰めていました。

あの時、ママレイデが傍に居ればと思いましたが、居なかった事が良かった事かもしれません。

其のママレイデが亡くなる時に、森彦様の奥様である紀代子様と言う方にお詫びをして行かなければ、エンゼルが迎えに来てくれても、あの青空の天国には行けない。この言葉を亡くなる前まで何度となく此のアナンに言っていました」

その様に言われて、アナンさんが暫しを置かれて厳しい顔を見せられると、徐に話し出された。

「ママが死期を悟った時に、(あえ)ぐ言葉で此のアナンに伝えて来た事がありました。それは、ママの部屋にあるデスクの引き出しに置いてある封書を持って来て呉れと言う事でありました。

アナンがママの部屋のデスクの引き出しを引き出すと、既に片付けられた引き出しの中に一通の手紙と思える物が置いてありました。

(おもて)にはアナンが読める字ではない字があり、裏を返しますとママの名前が書かれていました。

其の手紙らしき物をベッドのママの処に持って行くと、ママはこの手紙らしき物を此のアナンに押し出して、アナンが森彦さんと言う方を探し求めた時に、森彦さんの奥様である紀代子様がご健在であれば、この手紙を紀代子様と言うお方に渡して欲しいと願った言葉が、最後の言葉でありました。

ママレイデは最後まで紀代子様の事が心に残って居たのでしょう。

此の手紙の中はママがどの様に書いているかは聞かせて貰った事もなく。開いて見た事もありませんから一切存じません。

今年のオリンピック見物の折に持参する予定でしたが、それも不可能となりましたので郵送で送らせて頂きます」

 此の様な話をしてくれる(あいだ)、紀代子は(まばた)きもせずにアナンさんが映し出されている画面に釘付けられた様に見詰めている。

アナンさんからの話が終わって()があいた時に、紀代子がアナンさんに声を掛けた。

「アナンさん、ママレイデ様のお手紙を拝見させて下さい。お願いいたします」

紀代子としては、この先の言葉を告げる事は出来なかった。

アナンさんが紀代子の心を見て取って、笑顔で応えてくれた。

「紀代子様、アナンも嬉しいです。紀代子様がママの手紙を受けて頂くと言ってくれて、ママも喜ぶ事でしょう」

アナンさんが少しの()を置いて話を続けてくれた。

「ママレイデの父キリルは、ママレイデが子を宿した事に厳しくママレイデを責め立てていたそうです。とママレイデが話してくれました。

ママレイデの母オリナはママレイデの事を常に心配してくれてキリルの様に怒る事はなく。ママレイデの父キリルに娘レイデを許す様に常に(さと)していたそうです。

其の事もあったのでしょう。ママレイデが此のアナンを誕生させると、今まで怒っていたキリルが赤子のアナンを見る度にニコニコした顔でママレイデを迎えていたそうです。

アナンが四歳頃になった時、ママレイデに連れてお爺ちゃんのキリルとお婆ちゃんのオリナの処に伺うと、ママレイデの兄センダの子供ナイアラはアナンより六歳年上の女の子です。それと四歳年上のヘディと言う男の子と共に可愛がって、近くにある海やローマ遺跡の見物に連れて行ってくれた思い出があります。

いまは、此のお爺ちゃんのキリルもお婆ちゃんのオリナも亡くなって、ブドウ農園はママレイデの兄センダが引継でいましたが、いまはセンダの子供ヘディにブドウ園の経営を任せてゆっくりとした生活をしています。

此のヘディには三人の子供に恵まれて幸せに暮らしています。

従姉妹にあたるナイアラはアンダルシア州の観光地グラダナでホテルを経営している人の許に嫁ぎ、二人の子にも恵まれて、今でも観光客相手に毎日を楽しく過ごしていると聞いています。

ママレイデが亡くなった葬儀の場で、ママレイデの一族の人達と出逢って、これからアナンが困った事や苦しい事に出会った時は私達が助けてあげる。応援してあげると言う言葉を頂き、嬉しいママの一族。心強いママの一族と思っています。

御免なさい。アナンの話ばかりで申し訳ありません」

「いや、いや、アナンさんの事やママレイデの事そして一族の事が分かって此の森彦も嬉しい気持ちです」

 と言っている傍から紀代子が笑顔でアナンさんに頷きを見せている。

処で、と言って、アナンさんの言葉が続いて流れて来た。

「此処迄はアナンの事を話しましたが、森彦様と紀代子様にお尋ねしたい事がございますがよろしいですか」

「何なりと聞いて結構ですよ」

 と森彦が応える。

「ママレイデが元気でいた頃、私、アナンがアメリカから母国に戻って来た頃の話ですが、ママレイデが言うには森彦さんにはシオンと言う娘さんが居られると言う事を何度も聞かせて貰いました。

ママのレイデがこの娘さんの事を話す時は、遠くを見詰める様な眼をして、どんな娘さんなのかなぁ。と呟く様にシオンさんのお名前を私に聞かせてくれました。

其のシオンさんと言うお方は、お二人の許から何処かに嫁がれて行かれて、其処には居られないのでしょうねぇ。

居られたならば、お顔だけでも拝顔したいと思ってお尋ねしたのです」

 此のアナンさんの言葉に森彦と紀代子が氷付いた。

どう応えていい物か。無言の時が無情にも流れて行く。

此処で何とか応えなければ、アナンさんと先程まで作り上げて来た友情と言うか。人の(じょう)と言うか。此れが消えて、画面も消えてしまう。紀代子はその様に思った。

森彦に代わって、紀代子が画面正面に出て来た。

紀代子は暫く口を開く事が無く。此の紫苑の事をどの様に話すべきかと思案している様な表情を見せていたが、硬い表情で話し出した。

「アナンさん、紫苑の事をよく聞いてくれまして有難うございます。此処に紫苑が居ればアナンさんとお話をさせて頂きたいと思いましたが、残念乍ら紫苑は大学四年生になって卒業を間近かに迎えていた時に交通事故で亡くなりました。あれから、二十六年が過ぎ去っていますから、生きていたならば、本人が望んだ道で其れなりの女性になっていたかも知れません」

 此の紀代子の話で明るかったアナンさんの顔に暗い表情が浮かんだ。

「お亡くなりになられていたのですか。其れは寂しい事で・・」

 とアナンさんが言って、双方の言葉が途切れた。

アナンさんが言葉を繋いだ。

「シオンさんは大学で何を勉強なされていたのですか」

「娘は三歳時頃からダンスと音楽に興味を(いだ)きましたので、その道を会得(えとく)させようとの思いで・・・・」  

 森彦と紀代子が紫苑を育てていた様子とか。紫苑が成長してどの様な道に進みたい思いであったのかを話した。

「では、ハイスクールの時代から音楽に集中なされていたのですか」

「ハイスクール時代は声楽と楽器のアルトサックスに夢中に取込んでいて、大学に入ると女性だけの大学生バンドを組んでチャリティ演奏をしていると、注目を浴びてアマチュアバンドとして何度かTVにも出ていました。

その様な事でミュージックの本場であるニューヨークに渡り成功して見たい。との夢を膨らませていた矢先の事故だったのです」

「そうですか。其れは悔しい事ですねぇ」

 アナンさんが言って言葉を繋げた。

「シオンさんはどの様なミュージックを成されていたのですか」

「サックスで演奏をする(かたわ)らには、ダンスを取り入れたボーカルでジャズやソウルを主体に唄っていました。

紫苑の望みは日本の民謡と言うその地方の人の心を取り入れた曲を世界のSouls曲にしたい夢を持っていましたし、ダンスを取り入れたポップを遣りたい気持ちも膨らませていました。

その為にはニューヨークに行きたい。

娘の紫苑は、お母さんはウエストコーストで修行されたのだから、紫苑はイーストコーストで成功するわ」

 と言っていました

「そうですか・・・・・・・・」

「処で、紀代子様は先日のお話では、ロサンゼルスに居られたと言うお話でしたわねぇ」

「えぇ、四年程いました」

「四年で、この様に英語でお話が出来たり、英文でメールを送って頂いたり、(すご)いお方だとびっくりしていますのよ」

「いや、もうお婆ちゃんになりましたので、昔の様にすらすらと出来ませんよ」

「それにしても、紫苑さんはニューヨークを目指していたのですねぇ」

 アナンさんがニューヨークを思い出すかの様な表情を見せられた。

この後も三十分近く、森彦と紀代子の近況や住んでいる処が何処であるか。との話から、東京ディズニーランドの近くと言うと、此の話が盛り上がって、この日のテレビ電話は一時間近く話し合っていた。

最後にアナンさんは東京の友達、尾幡 千代乃さんの事を話された。

その尾幡さんと言われる方は江戸川区に住んで居られると聞かされた。

此の話も奇遇だ。と森彦と紀代子は思った。

「江戸川区と言うのは自分達が住んでいる浦安から見れば江戸川を挟んで目と鼻の先だ」

 紀代子と森彦が喜んでその様に伝えると、アナンさんが友達の尾幡さんに森彦さんと紀代子さんの事を話してよいかと言われたので、森彦が暫し紀代子に目線を送って紀代子の表情を窺った後に、

「老いた二人には多くの人と知り合いになれる事は嬉しい限りですよ」

 と森彦と紀代子が画面一杯に笑顔を見せていた。

こんな話が話の最後を飾ってくれた事で、紀代子と森彦は次回のテレビ電話を楽しみに待っていますからと言って、森彦と紀代子の前にあるテレビ電話の画面からアナンさんが消えて行った。


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