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寛容  作者: 中岡 真竹
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五、初めての人への心の交流は・・・・

五、初めての人への心の交流は・・・・

 

  紀代子の願いを受けて十五日が過ぎて五月二十日を迎えていた。此の十五日間の森彦の行動は常日頃の行動とは違っていた。何時もなら、朝食後のコーヒーを飲み乍ら紀代子と其の日の話題に耽る事が多かったが、この十五日間はコーヒーを口にすると、美味しかった。と紀代子に一言残して書斎へと引き上げていた。

昼食の時間になると引き上げた書斎から顔を出して、昼食を食べ終えると朝と同じ様に美味しかった。と言ってまた書斎に向かった。

何時もの様に午後の三時になると、森彦は判を押した様に書斎からリビングに足を運び、其の日のニュースについて話し終えると、また夕食の時間まで書斎に閉じ籠っていた。

紀代子は森彦が何をしているのかは知らなかったし、問い質す事もなかった。

此の十五日間、森彦が書斎に閉じ籠って遣って来た事は、紀代子が言ったスペインの女性にどの様に連絡をすべきかを考えていた。

連絡をする遣り方が何とか定まった。此の定めた事をパソコンに保存すると、森彦はほっとして、夕映えが迫る外の景色に目を定めていた。

この夕映えに目を施していたら、先月の火曜日に話を聞かされた。紀代子が譲った三軒の店の店長達の話を思い起こし始めていた。

コロナ騒動で国や都があらゆる職種の人達に営業の自粛を求めている。美容院も自粛の職種に含まれる様に話は進んでいたが、最終的には美容院は自粛の職種に含まれない事を森彦はニュースで知っていた。

自粛の職種に含まれない事になったが、紀代子が譲った三軒の美容院の経営は大変な状態であると聞かされた。

其の大変な状態を乗り越えて行く為に三軒の店長達が話しあった。

其の話し合った話とを、夕映えが一段と迫り寄る外の光景に目を定めて思い起こしている。

三軒の店長達の店に切り回しの話はこの様に聞かされた。

と思い起こしていた。

まず、お客様に安心感を与える事を考えた。と聞かされた。

それは、五台ある電動シャンプーユニットのスタイリング・チュアの中二つを休ませて三台で営業をする。

要するに、チェアの間隔の処で蜜を作らない事でお客様に安心感を与える事にした。此の三台をお使いになられるお客様には完全予約制を取る事にした。

二つ目の事として、お客様がお店に来店なされた時に不愉快なお気持ちになられない様に丁寧な説明を入れて、お客様に検温をさせて頂く。

三つ目には、通常であればお客様と会話を入れながらセットして行くが、いまは身近でお話する事が出来ない為に、特別ルームと言う部屋でお客様の要望を聞かせて頂き、自分達からのアドバイスもさせて頂いて、お客様には納得なされた処でスタイリング・チュアにご案内をさせて頂く事にした。

四っ目として、メークセット中はフェイスシールドを着用させて頂きお客様に安心感を差し上げている。

五つ目は、更なる安心感をお客様に与える事で、店の入り口には、店の従業員が今朝計った体温の数値を発表させて頂いている。

この様な事を、以前からのお客様には案内状を送付させて頂き予約を受け付けている。

また、予約制を知らずにご来店なされたお客様には、従業員が丁寧な説明で予約を受けさせて頂く体制を敷いている。

この様なお店の切り回しで外出自粛の宣言時期を何とか乗り切って行こうとしているが、前年と比較して見るとお客様の数は大幅に減少している。その為に収益も落ち込んでいるが、従業員達は解雇せずに国や都の救援策を出来る限り利用させて頂き、此の苦しき時期を乗り越えて行っている。と森彦と紀代子は三軒の店長の話を耳にしていた。

思い起こした森彦が、小さく口遊んだ。

ーふーん。遣る事が凄いなぁー

 口遊んだ森彦が書斎の壁に掲げている写真に目をやった。その写真は森彦が七十にして会社を退職した時に後輩の人達から頂いた花束を胸元に持っての誇らしげな写真である。

この写真を暫し見詰めていた森彦が、あの美容院の人達はあの様に言われたが、森彦が五十年近くに渡って勤めて来た会社は、このコロナ時期をどの様な対策を打ち立てているのだろうかと思ったが、其の事を思った時に森彦は薄笑いを浮かべて(こうべ)を振った。

それは、森彦が勤めている時に、森彦の上司である部長から聞かせて貰った話、これが森彦が会社から身を引く時にこの話が森彦の脳裏に強く蘇って来た。

其の話とは、OB会に出席すると以前の肩書通りの席並びとなり、其の事から勤めていた時と変わらぬ人間関係が席を覆い尽くす。この事が嫌いでねぇ。自分は退職してもOB会には行かない事を決めているのだ。と言われた話が森彦にも共感する処があって、退職前の利害関係の人達との気兼(きが)ねが続く事を嫌って、OB会に森彦が住んでいる住所は教えてはいなかったし、また元の上司や同僚から西日暮里のマンションを森彦達が出る頃に届いた年賀状に対して返事を出す事も、自ら年賀状を出す事をしなかった。だから元の上司や同僚との間が音信不通となって、森彦が勤めていた会社の情報などは一切耳に入らない。

この様な個人的な付き合いは断っているが、会社が何等(なんら)かの伝えをしなければならない事が起こった事まで断る事はないと思って、会社の人事にはいま住んでいる処は登録しているが、個人に対しての教えはお断りの付箋(ふせん)をお願いしている。

この様な事をすると言う事は、元の上司や同僚とのゴルフや飲み事それに麻雀等の付き合い事から一切縁を切る為であった。

要するに、会社勤めの時に味わった利害関係の人達との縁を終焉迄持って行きたい気持ちがなかったからであった。

この様な考えの森彦であったので、五十年ほど世話になった会社がなされているコロナ対策や昔の同僚達の近況を知りたいと思っても知る事は出来なかった。

それは自ら作り上げた老いの生き様と思って薄笑いを浮かべたのであった。


 スペイン女性と如何いかなる方法で連絡を取るべきかの考えが纏まって、森彦は心に少しの余裕を持ってリビングの灯かりがリビングを明るく照らし出した頃、書斎から紀代子がいるリビングに顔を出した。

 リビングの席に着くなり森彦が言葉を放した。

「紀代子、先日、スペインの女性の人の話をしただろう」

「えぇ・・・・・」

「紀代子がそう言って呉れた事で、私は、此処十五日間で、どんな言葉を掛ければよいのか。其の連絡を何時いつすればよいのか。スペイン語で話さなければならないのか。

それらの事を考えた」

 と言って、リビングの席から森彦は庭の枝垂れ桜に眼を遣った。

森彦の動作に誘われて紀代子も枝垂れ桜に眼を定めた。

二人が定めた枝垂れ桜の葉の色は、黄緑色から濃ゆい緑色へと変わりつつある。迫り来る夕映えの中で佇んでいる枝垂れ桜に暫し眼を施していた紀代子が、リビングの森彦に向かって言葉を掛けた。

「それで、貴方、どの様に決めたの・・・・・・」

 此の紀代子の問い質しに森彦が応えた事は・・・・、

「スペインのアナンと言う娘さんに連絡する事にしたが、連絡を取る事が自分に取って吉と出るのか凶と出るのか。

この事を思えば、年老いた私とすれば日を選んで連絡をする事にした」

 と言って、少しのを置いて言葉を続けた。

「其の日を選ぶと言う事は、今日が二十日だから次に来る大安日は二十四日の日曜日だ。吉を得るには日本の仕来りに従って見ようと言う事で、この日に電話を入れる事にした」

 と森彦は紀代子に言った。再び間((ま)を置いて話し出した。

「電話を入れる事は考えたが、日本とスペインとの間には・・・・・・・」

 と言って言葉を止めた。森彦が言葉を止めた処で、森彦が何を考えているのか。海外生活経験のある紀代子は悟った。

そうだ。時差の事だ。と紀代子が思って森彦の顔を窺うと、森彦が言うには・・・・・・、

「スペインの何時頃に電話を入れるのが良いか」

 と考えたと言う。

日本とスペインとの時差は八時間程あるが、いまは五月、既にスペインはサマータイムを取り始めているので時差は七時間になる。

七時間の時差から見て、相手の女性が(くつろ)いである時間は何時(いつ)なのかとみれば、勤め先から帰宅して二時間後近くではないだろうか。と森彦は考えた。

すると、この時期のスペインの日没は午後九時頃になる。此れから二時間後と言えば午後十一時頃だろう。

そうすると、この時間に、相手の女性が電話を取って貰うとするならば・・・・・・・・・、

「この家の電話は五月二十四日の午前五時に掛けなければならなくなる」

 今の紀代子と森彦の暮らしから見れば午前五時の起床は一寸辛い処だと思って、森彦が紀代子に眼を施した。

「此の時間が、その日が終わって寛いでいられる時間だ。此の時間が吉に繋がるのだろう」

 と言って、紀代子に眼を向けた。

紀代子が森彦に頷いて見せた。紀代子の頷きを見た森彦が紀代子に二度ほど頷きを返して()みを漂わせた。

漂わせた()みの先で森彦が言った。

「紀代子、この様な話し方でどうかなぁ」

 と言って森彦が紀代子に一枚のペーパーを見せたのは、森彦が二十四日の大安日に、スペインの娘さんに電話を掛ける時の話し言葉だ。

日本語とスペイン語で書き表されていた。

書き表されたスペイン語を見た紀代子は、(ひたい)(しわ)を作っていた。

スペイン語が分からない紀代子だが、森彦は分かっているのだろう。だからペーパーに書き表して来たのだと紀代子は思い乍ら、四十年程前の森彦を思い起こしていた。

スペインに六年近く在住していたから知っているのだわ。

と思っていると、森彦が二十四日に電話で話す内容をスペイン語で話し出した。

話したスペイン語はどんな意味であるのか。を森彦が紀代子に教えた。

「最初の言葉は日本語で言えば゛こんばんは″と言う挨拶言葉である。すると、電話を掛けられた方は掛けた僕を誰か。と確認されるかもしれないから、その言葉が流れて来る前に僕の方から先に、ソリアーノ ホシコ アナンさんと言われる方は居られますか。と言う言葉を流す。仮にアナンさんが電話を取られた方なら、自分がアナンですとか。アナンさんでなければアナンを呼びますとか言われるでしょう。だから、その時に、自分がどの様な人物であるかと言う説明をする言葉を入れる。その先には、アナンさん自身であるかを確認して、アナンさんであれば、僕が電話した経緯を話す。

この様に話したいと思ってスペイン語で書き表したの」

 と森彦が電話で話す内容を聞かせてくれた。

紀代子は思った。森彦が駐在員としてスペインのマドリードに滞在していたのは、森彦が三十三歳の頃から三十九歳の七年近くであった。あれから、三十八年の歳月が流れている。

良くも忘れず。あの国の言語が書かれる事だ。と感心の眼差しを森彦に見せると、森彦は紀代子の心を読んだのか。紀代子に言って来た。

「紀代子、僕はスペイン語をすっかり忘れていたよ」

 森彦の此の言葉に紀代子は不思議な表情を見せた。

紀代子の表情に応える様に森彦が言ったのは・・・・・、

「確かに、若き日にスペインに七年近く滞在していた経験はある。その時、スペイン語を覚えていて多少使っていたが、帰国してその様な言葉を使う機会が無くなると、何時(いつ)しか覚えていた言葉も忘れていた」

 と森彦が言って、ちらっと、庭の枝垂れ桜に目を遣って、桜から戻した目を紀代子に遣ると、止めた言葉の先を話し出した。

「昨年の夏、外務省から聞かされた話を友達に相談した事は紀代子も知っているだろう。あの時、友達は其のスペインの女性に会って見ろと言ったが、此の森彦は会うにしても言葉が不自由であると言うと、友達は森彦は現地に居たのだからスペイン語は話せるだろうと言ったので、スペイン語は多少話していたが、使わない手前、いまは忘れてしまったと言うと、森彦がスペインに赴任する時は如何(いかが)したのかと聞いて来たので、神田にある語学学校で短期勉強をした事を話すと、その学校に顔を出して見よと皆が言った」

「語学学校に・・・・・・」

 紀代子がびっくりした顔で尋ねて来た。

「うん、昨年、以前通った学校に顔を出した」

「学校に習いに行ったの。その様な事なかったじゃないの」

「うん、学校には行ってない」

 と言って、森彦が話し出した事は・・・・・・、

「スペインに赴任する時に世話になった学校に行ってみると、簡単な日常会話をある程度出来る遣り方として、スペイン語と日本語を取り入れたCDがあるので其れで勉強をなさるか。携帯用の同時通訳器が売り出されているから、此れを手に入れられて日本語で話した言葉がスペイン語になったのを相手に聞いて貰ったらよいでしょう。と教えて貰って、其のCDと携帯用の同時通訳器を手に入れて、昨年から密かに勉強をしていた」

 と話してくれた。

「其のCDと通訳器でこの文章を作ったの・・・・・」

 紀代子は感心の眼差しを森彦に向けていた。

森彦がペーパーに書いている文面を声にした。此の森彦のスペイン語を聞いた紀代子が言った。

「私は、スペイン語は分からないが・・・・・」

 と言葉を止めて、森彦に眼を定めた。そして、英語で言った。

「Expression Phraseology」

(エクスプレッシュン・フレイズィアロジィ)

「言葉の言い回しが良いと言う事かい」

「そう。貴方がスペインに七年近く滞在なされていたからでしょう」

「うん。其れもあるが、今回、何とか勉強したからなぁ」

「しかし、イントネーションもよくエクセレントされているわ」

「そうかい。紀代子にそう言って貰うと自信が付いたよ」

「相手の娘さんに通じると思うわ」

「よし。そうか」

 森彦がそう言って、紀代子に()みを流した。

スペインの女性に電話を掛け様とする日は定まった。

時差の関係から相手に好都合と思われる時間も定まった。

考えた末に、話し出す言葉も定まった。

此れを声に出して紀代子に聞かせた。紀代子から褒めの言葉も貰った。森彦の胸にはドキドキする気持ちと電話口で玄関払いされるか。電話口には出てくれたが、スペイン語で()くし()てられたらどうしようか。スペイン語に造詣が深い森彦ではない。そんな事を考えると電話すること自体が億劫になって来る様な気持ちに陥っていた。


 いよいよ明日は、電話を掛ける二十四日を迎える。二十三日の午後九時、何処となく緊張した趣の森彦が声を掛けて来た。

「紀代子、明日は電話する二十四日だが、朝起きは大丈夫か」

「えぇ、いまから(とこ)に付けば大丈夫よ」

「それより、貴方、自信を持って話してねぇ」

「此の三日間、確り発音をマスターしたから通じるだろう」

「そぅ・・・・」

 こんな会話を交わした森彦は、リビングの隅にある固定電話に眼を遣った。この電話を取り付ける時に、工事人に受話器をリビングのデスクまで運べる様にコードを長めに設定して貰っていた事を思い出すと、椅子から腰を上げて固定電話の処に行って、壁側に垂れ落ちているコードを手繰り寄せると、紀代子に眼を遣った。

どうやら、コードに(まつ)わり付いている(ほこり)を取り除く為に、雑巾(ぞうきん)を持って来る様な素振(そぶ)りを見せたのであった。

森彦の様子を悟った紀代子が、雑巾を森彦に渡すと手際(てぎわ)よくコードの埃を拭い取って足元に垂れ下げた。

リビングの隅にある固定電話を森彦がリビングの食卓に乗せると、此れで用意は出来たと言う安心の表情を紀代子に見せた。


 東の空が白々しくなって来ている。五月二十四日の午前四時三十分を回った処だ。森彦と紀代子がリビングの食卓に置かれている白い固定電話に眼を注いでいる。

其の電話機から眼を離した紀代子が言った。

「貴方、大丈夫・・・・・・」

 と言った紀代子の方が、何処やら緊張の表情を見せている。

「大丈夫だ。何度も、喋って覚えているから」

「そぅ・・・・」

 まだ夜明け前であり、外も家の中も静寂(せいじゃく)に包まれていた。リビングの壁に掛けてある時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる様だった。

その時計に二人が眼を遣った。針が五時を示すまでには、あと十五分位針が進まなければならない処だった。

行き成り、森彦が大きな溜息を()いた。

時計が五時を知らせた。

森彦が紀代子に眼を定めて深く頷いて見せた。

そして、その眼を受話器に落とした。

しかし、森彦の指先は受話器の数字盤の処には行かない。

唯々(ただただ)、視線のみを数字盤に落として体が動かない。

「貴方・・・」

 と紀代子が声を掛けて、森彦が我に返ったのか。紀代子に眼を遣って、深い息を()くと、やっと、数字盤に指を遣って、国際電話識別番号の0一0を押すと次にスペインの国番号三四を押して、メモを見ながら記載された番号通りにボタンを押して行った。

呼び出しの時間が永い様に、森彦は思った。

森彦が持っている受話器に女性の声が流れて来た。

森彦は予定していた文言通りにスペイン語を受話器に流した。

―日本語で言えばー

「こんばんは、突然のお電話で失礼をいたします。

そちらは、ソリアーノ ホシコ アナンさんのお宅ですか」

 暫く()が取られて、森彦も知っているスペイン語で、「はい、そうです」

 と言う言葉が流れて来た。

 この言葉の後に森彦が・・・・・・、

「私は日本人の星子 森彦と言います。日本の外務省よりスペインのマドリードにお住いのソリアーノ ホシコ アナンさんへご連絡をして欲しいとの事を聞きましたので、いま電話をさせて頂いています」

 暫く、無言が続いたので、森彦が言葉を繋げた。

「失礼ですが、貴女様がソリアーノ ホシコ アナンさんですか」

 と尋ねた。

すると、相手が、はい。そうですと言う言葉を戻して呉れたが・・・・・・・、またしても無言が続いた。

森彦から告げる言葉が見つからない。互いが無言で時が流れる。すると、プッと言う音と共に電話が切れた。

森彦は左耳に当てていた受話器を目の前に持って来て、暫し、受話器に眼を落していた眼を紀代子に遣って、小さく言葉を投げた。

「電話が切れたよ。分からないから切られたのかなぁ・・」

 と言って、言葉を止めて再び紀代子に眼を定めた。

紀代子も黙って森彦の顔を凝視している。気まずい時が流れ始めた。

「嫌な気持になられて切られたのかなぁ」

 森彦が止めた言葉の先を寂しく言った。


 東からの陽が、東側のリビングの窓を通して射し込んで来た。リビングの(あかり)を消す程に部屋は明るくなって来ていたが、森彦と紀代子の二人は(はしゃ)ぎ出したい気持ちにもなれず。言葉を交わす事もなく。

唯々、無言で、朝の時間が通り過ぎて行くのを待つ様なもので、朝食の用意をする様な雰囲気ではなかった。

スペインの女性に電話を掛けて二時間が経っていた。午前七時になっていた。

黙って座っている二人の前の電話から、突如(とつじょ)に着信音が流れて来た。

森彦と紀代子が顔を見合わせた。そして、電話機の着信番号に眼を遣った。見慣れない番号が提示されている。

「貴方、スペインからの電話と思うわよ」

 此の紀代子の声に促されて、森彦が早い動作で受話器に手を掛けた。受話器から流れて来る声は森彦が二時間前に聞いた。あの女性の声であった。

受話器からの声はスペイン語で・・・・・・、

「日本人の星子 森彦さんでありますか」

 と尋ねられた。森彦は即座に・・・・・、

「そうです」

 と応えると、声の主は聞き慣れぬスペイン語で森彦に話し掛けられて来たが、森彦には其のスペイン語の意味が分からない。受話器に向けて森彦は(うな)(ごえ)の様な物を流した。相手の女性の声が途切れる。

森彦はどの様な言葉を相手に流してよいのかと戸惑った。

暫しの静寂が流れた。

すると、女性が森彦に・・・・、

「貴方は英語でお話しが出来ますか」

 と投げ掛けて来られた。

 即座に森彦は・・・・・、

「イエス」

 と応えた。

此の森彦の言葉を聞いた紀代子が森彦に視線を流すと、森彦は多少の()みを浮かべ乍ら紀代子に頷いて見せた。

英語で話し掛けて来られた女性は・・・・・・・、

「先程の電話で日本人の星子 森彦と名乗られたが突然の事であったので、私は誰なのかと察しがつかずに困惑(こんわく)して電話を終わらせたが、其の電話の事を、主人のマンセルと話して見たら、其の人は、アナンがスペインの外務省に願って探し求めていた日本人の星子 森彦と言う人ではないかと言われた。そう言えば、此のアナンが昨年の五月頃だったか。スペインの外務省に星子 森彦と言う人を探してくれないかと頼んだ事を思い出しました。其の人が見つかれば、二〇二〇年の五月が終わる日までにご返事を頂きたいと言う願いをしていた事を思い出して、先程電話をしてくれた電話番号がアナンの家の電話機に履歴として残っていたので、この電話番号の処に電話をしたのです」

 と経緯を話してくれた。

森彦が応えた。

「貴女が電話されたこの私は、星子 森彦と言う者です。

貴女が、父親を捜してある事は日本の外務省の担当者から聞かせて頂きました。その父親の話になれば、長い話からしていかなければなりません。初めての貴女に其の経緯をこの場で話す事は出来かねます」

 と森彦が英語で応えると、相手の女性も・・・・・、

「貴方が言われる事は理解出来ます」

 と応えて来られた。

少しの()を置いて、女性が問うて来られた。

「遠い日本とスペインの間を、この様な話で長い通話は出来ないでしょう。星子 森彦さんはPCのメールアドレスをお持ちならば教えて頂きたい。長い話は、メールで互いに理解をしたいのですが・・・・・・」

 と賛同を求めて来られた。

森彦は即座に了解の返事を流すと共に、メールアドレスを相手に教えた。この日の通話は、初めての話であったので話は進まず。

双方のメールアドレスを教える事で通話は閉じられた。


 東からの陽射しがリビングに差し込んでいる。

二十六日の朝を迎えている。森彦が少し早めに寝室からリビングに顔を出すと、既に紀代子がこの日の朝食の支度で台所を小まめに動いている。

「おはよう」

「貴方おはよう。いい日和ですねぇ」

「うん。一昨日の嬉しさが、今日まで続いている様な日和だなぁ」

 と言い乍ら森彦が椅子に腰を下ろした。

何時もの朝食後の様子と同じ様に、二人はリビングのテーブルを挟んで話が弾んでいる。

其れも一昨日の電話の事だ。電話を掛ける前の胸の動悸(どうき)、久しくその様な気持ちになる事は無かったが、七十七の喜寿(きじゅ)を迎えている森彦としては、心臓の鼓動が大きく身を被う事は心臓の持病を持っている森彦としては避けるべきであったが、記憶が、心が、体が許してはくれなかった。

手にしていた受話器には(てのひら)の汗が滲んでいたし、口の中はカラカラに干しあがる様な物で、何度生唾(なまつば)を飲み込んだものか。

何とか覚えたスペイン語がスムーズに口から出て来るのか。

そう思って掛けた電話先で優しい言葉が返って来た。

ホットした。自分で言うのも可笑しいけれども、心配していた事が全部何処かへ飛んで行って、後は心が軽くなり、言葉が上手(じょうず)に滑り出したが電話は切れた。

電話が切れた後のもどかしさが心を覆って、紀代子にも嫌な思いを抱かせたが、神は見捨てる事はなさらなかった。

電話を掛けた先の女性が電話を呉れた。電話を切った理由を教えて貰った時に、この人とは心が通じると確信をした。

しかし、心はその様に抱いたが、不得意のスペイン語で意志の疎通をいかにすべきかと頭に描き乍ら相手の女性と話をしていると、思わぬ言葉が森彦の耳に入って来た。

貴方は英語で話せますか。

これで、何の心配もない。と思ったよ。

と森彦が一昨日の事を回想して、紀代子に聞かせてくれた。聞いている紀代子も嬉しさを取り込む様な()みを浮かべ乍ら、森彦の話に一つ一つ頷きを見せていた。

天気も心も日本晴れの一日だ。

その様に描いている二人に、夕方のニュースで飛び込んで来た事は、政府が新型コロナウィルス特別措置法に基づいて出されていた緊急事態宣言を全国的に解除する事だった。

最後までこの宣言が出されていた北海道・東京都・千葉・埼玉・神奈川の五都道県が解除される話だ。

森彦達が住んでいる千葉も明日から徐々に以前の生活に戻って行く事を、テレビのニュースが伝えている。

「貴方、プロ野球の開幕日が六月十九日になったそうよ」

 紀代子がプロ野球の開幕の事を森彦へ伝えた。


 森彦の中学から高校時代に関しては野球部の練習と勉強に明け暮れていた。そんな森彦であったので、後輩球児達がプロ野球に入団して活躍しているのを見るのが楽しみの一つにしていた事を、紀代子が知っていたから開幕の話をしたのであった。

「そうか。やっと開幕日が決まったか。楽しみだ」

 若き日の森彦は球場に足を運び野球観戦に熱狂していたが、老いの歳になると球場に足を運ぶ事が億劫になりテレビ観戦で楽しみを得ていた。


 五月二十四日に、森彦がスペインの女性に電話を掛けてから七日が過ぎて六月に入っていた。

森彦は教えて貰ったメールアドレスにメールを流して見ようか。

それとも、電話を掛けて見ようかと思ったが、何を書くべきか。何を話すべきかが思い浮かばない。

相手からのメールを待つか。電話機の着信音を待つしかないのかと思った。

六月七日の日曜日を迎えていた。朝食後のコーヒーを口に運び乍ら森彦が言った。

「スペインの女性と話してもう二週間になるが・・・・・」

 紀代子はコーヒーカップを持った仕草で、庭先の枝垂れ桜に眼を遣っていた。

「何か言った」

 と紀代子が言って、森彦に眼を定めた。

「スペインの女性と話して、もう二週間になるねぇ。と言ったのよ」

「あぁー、そう言えばそうねぇ」

「その後連絡がないと言う事は・・・・・」

 と言った森彦は、スペインの女性が探し求めていた人物からの電話が突然舞い込んで来たので動揺なされて、その後に電話を掛ける事もメールを送る事にも心の整理がつかないのか。

それとも、スペイン女性は相手に自分の名前や電話番号にそしてメールアドレスを教えた事が、(あさ)はかであったと思われて後悔なされていられるのか。

森彦は心の中で吉と凶とを置き換えながら黙り込んでいた。

紀代子を前にしての席に留まる事が、森彦にとって辛い時間であった。食卓に置いていた飲み干したコーヒーカップをソーサーに戻した時の僅かな音が二人を包んだ。

紀代子が森彦に眼を配ると、森彦が紀代子に僅かな頷きを見せて腰を上げた。

其れから暫くの時間を、紀代子がその日の新聞に眼を這わせていると、森彦が取り乱した様子で書斎から紀代子の処に戻って来た。

「紀代子、メールが届いていたぞ!」

 と言って、プリントアウトされた五枚程のメールを紀代子に差し出した。その顔から笑顔が零れそうであった。此のメールの中身を読み終えた上での表情を、紀代子に流したのであった。

先日電話で話した様に、メールは英文で書かれている。其のメールを紀代子に渡したと言う事は、紀代子も長年アメリカに住んでいたので英文に困る事はないので渡したのであった。

一枚のメール文を手元にした紀代子が、森彦に()みを見せ乍ら頷きを見せた。

紀代子がメールに眼を這わせた。

書いてある事は、最初のメールにしては色々と書き表しまして、受け取られた森彦様も紀代子様も少し気持ちがまごつかれるかもしれませんが、此のアナンは長い間、心のモヤモヤさと過ごして来ましたが、此のアナンの心のモヤモヤを解いて呉れる人が遠い日本から声を掛けて下さいました。

この方の心と此のアナンの心が触れ合う為には、アナンが知りえた事を隠さず伝える事だと思って、最初のメールですが書かせて頂きましたので、此のアナンの気持ちを汲んでお読み下さることをお願いいたします。と書かれた事から・・・


 何故(なにゆえ)に自国の外務省から駐日スペイン大使館を通して、日本の外務省で一人の日本人を探して頂きたいとの願いを起こした事から始まると、次には、日本人のある人を捜し求めている私、ソリアーノ ホシコ アナンの事からアナンの母ソリアーノ カレーラス レイデの事、そして、アナンの家族の事が書かれていた。


 一人の日本人を探し求めているアナンと言う自分は、一九八三年生まれの今年で三十七歳になりますと書かれている。


 アナンの母レイデは二〇一六年に六十六歳で亡くなりました。この母レイデからアナンの生い立ちの話などは何も聞かせてくれませんでした。話と言えばアナンの父はアナンが三歳の時に亡くなったと、アナンが物心ついた頃に教えて貰っていたから、このアナンはずっとその様に思い込んで来ました。

しかし、私、アナンがアメリカの国務省から転勤で生まれ故郷のスペインの在スペインアメリカ大使館に来た時から、先々で結婚しょうと思っているマンセルと言う人と交際していました。すると母レイデがアナンは今お付き合いをしているマンセルと言う人と結婚をするつもりかと尋ねて来ましたので、マンセルと結婚しますと母に応えると、それならばアナンの事を確りと教えておかねばならぬ。と言って母は一枚の古い名刺を私に見せて、此処に書かれている人がアナンの父親だと言いだしました。此の名刺に書かれている人は日本人だと母が言いました。この母の話で私は、極度のショックを受けました。今まで父は亡くなったと教えられて来たのが、突然、この人が父である。それも日本人であると言う話です。

アナンの父親は日本人です。立派な人です。

と母は言いますが、母が私に手渡す古びた名刺を私は読み取る事が出来ません。

読み取る事が出来ない文字が、私を二重三重への苦しみの中へと誘い込んで行きました。

父が日本人。何故(なぜ)。と言う心しか私にはありませんでした。

この何故(なぜ)と言う心の包みを紐解く為に、母は私の父だと言う人と母との繋がりを話してくれました。

母レイデから聞かされた話で、このアナンはショックから抜け出すのに相当な時間が掛かり、アナンは此れから先どのようにすればよいのかと言う悩みを結婚した夫のマンセルに相談しました処、すると、名刺の日本人がご健在であるかは分からないが、外務省から駐日スペイン大使館を通して探して貰ったら、アナンの気持も少しは和らぐのではないかとマンセルから言われた頃、私が勤めているアメリカ大使館の大使から、来年日本で開催される東京オリンピックに行きなさい。と言う招待状を頂きました。

此の事もあって、昨年の五月に外務省に足を運んだのです。

母レイデの事はご存じであると思いますが、母レイデはスペイン外務省に勤めていましたが、五十五歳を過ぎた頃から心臓を悪くしまして六十歳で退官をして、六十一歳の時に心臓の手術をいたしましたが、前の様な元気な姿を取り戻す事もなく二0一六年に人生を閉じました。

この母レイデの影響を受けて、アナンは四歳頃から英語を主体とするスペインの学校で十七歳まで勉強をいたしました。その後はアメリカの大学に留学をいたし、其処を卒業してアメリカ国務省に就職をいたしました。

三年程アメリカで勤務していましたが、母国スペインのアメリカ大使館に転勤をして、其処で現在は勤務をしています。

アナンの夫アモール クルス マンセルとは二〇一〇年に私が二十七歳の時、二十九歳の彼と結婚いたしまして二人の子供がいます。

上の子は今年七歳になる男の子でアントニオと言います。下の子は四歳の女の子で、名はカルメンと言います。

夫マンセルはスペインの大学を卒業して建設会社に入社して、現在は其の会社の役員の一員をしています。

とメールに書かれていた。

紀代子はメールの文面から眼を放して、森彦の顔を見詰めたが、交わす言葉はなかった。

森彦が紀代子に眼を向けている。

其の森彦の心には、外国に自分の子供がいた。森彦の子供を宿した其の女性が、つい、四年前まで同じこの地球上にいた。何とも言えぬ虚しさが被っていた。


 このメールを受けた日以来、二人は此の事で時間を()いていた。

世間ではコロナ騒動が少し落ち着きを見せていたが、二人はコロナの事よりスペインの女性の事へ心が揺らいでいた。

「貴方、レイデと言うお方、どの様なお人だったの・・・」

 紀代子が問い掛けて来たが、森彦には三十八年程前の記憶が鮮明には浮ばなかった。

「背丈は紀代子より十センチ近く高い人だったかなぁ」

 紀代子が一メートル六十七センチの背丈があるので、そのレイデと言うお人は一メートル七十五センチ近くかなと思って、森彦に眼を向けた。

「大きい人ねぇ」

「いや、外国人としては普通の体格の人と思えるよ」

「そう。其れで、美しい人だった・・・・・」

「うーん。そうだろうなぁ。僕が虜になったのだから」

「ふーん。其れで、お人柄はどんな方であったの」

「長く付き合っていないからよく分からないなぁ」

 森彦がこの様に言って、三十八年程前のあの頃を思い出しているのか。梅雨時の蒸し暑い風に揺れている枝垂れ桜に眼を遣っている。

思い出したのか。枝垂れ桜を見ていた眼を紀代子に定めた。

「うーん。よく紀代子の事を聞かれた」

「私の事を・・・・・・」

 と言った紀代子は森彦の次の言葉を聞かせて貰いたい表情を見せた。此の表情に森彦が応えた事は・・・・・・、

「先程、紀代子がレイデの事を尋ねて来たように、レイデも紀代子の事を尋ねて来た」

 と言った。

「レイデの話の中でも強く印象に残っているのは、紀代子の事を朗らかで優しい心を持った妻だと、僕が話した時にレイデが僕の顔を暫し見詰めて、深い頷きを見せてくれた」

 此の事が鮮明に蘇って来ると言った。

「そぉ。朗らかで優しい心・・・・・」

 紀代子が呟いて、今度は紀代子が枝垂れ桜に眼を遣った。

暫し、桜に眼を向け乍ら、既に亡くなられている異国の人に、思いを寄せる様な眼差しで何度か軽い頷きを見せていた。

「レイデと言うお方。四年前にお亡くなりになられていたのねぇ」

「うん。その様に書いてあるねぇ」

「もう少し、早く、アナンさんと言うお方が心の整理をなされていたならば・・・・・」

「母レイデからアナンと言う人が誕生の話を聞かされたが、此の心の重みを下げて行くにはそれ相当な時が必要だったと思うよ・・・・・・」

「この時が短い時間であっていたならば、レイデと言うお方のご健在の時に会える事が出来ていたかもしれない」

 と森彦と紀代子が遠い異国の人に思いを抱いて話し合っていた。

「処で、お子様が七歳と四歳とで居られるわ。可愛いでしょうねぇ」

「うーん。七歳と言えば日本では小学校一年生だ」

「女の子は四歳だから可愛い盛りでしょうねぇ」

「二人の子供さん達を連れて、今年の東京オリンピックに来られる予定であったのかしら、その時、私達二人に会われるお積もりであったのかしら・・・・・」

 と紀代子と森彦は勝手に描いて話が弾んでいる。

そんな話から、二人の話題はアナンさんの話に移っていた。

「スペイン語でなく英語で話しましょうと言うのは・・・」

 アナンさんの経歴から成程と紀代子は思って言葉を止めていた。

今後、メールにしても電話で話す事でも何の心配もない。との思いを表情に表して森彦を見た。

この様に思った紀代子も何時しか、此のアナンさんと言う人と話す事があるかも知れない。その時には、躊躇(ためら)う事なく楽しくアナンさんと言う人と話せるだろうと思っていた。

思い出した様に、紀代子が少し大きな声で言った。

「貴方、スペインはコロナウィルスの感染で大変らしいよ」

 中国から広がった此のコロナウィルスが欧州に飛来すると、寸刻(すんこく)の内にヨーロッパ全土に広がり、其の感染者の数とか死亡者の数に驚きを持って、テレビのニュースに紀代子と森彦は接していた。

その中でも、イタリアで感染者と死亡者が(ぐん)を抜いているとニュースが伝えていたら、其の感染者の数や死亡者の数がスペインに移行して、スペインでも大変な状態になっているニュースで、森彦も紀代子もメールを頂いたアナンさんやご家族の方の事を心配していた。

だからと言って、今まで、一度も会った事もない人の処に、行き成り新型コロナウィルスの事で心配しています。との電話を入れると相手様もどの様に応えてよいか。とまごつかれるのではなかろうか。

この様な思いを持っていた二人であったので、紀代子が森彦の顔を窺い乍らに言った。

「貴方。返しのメールでご家族のご様子を尋ねて見ようよ」

 森彦と紀代子はスペインから送られて来たメールのお返しのメールの中に、自分達の事や日本の現状の様子などを知らせようと、二人はメールの下書き話に移っていた。


 紀代子と森彦が何度も話し合って書き上げたメールの文章。

いや、この文章では相手様も理解出来ないだろうと言って、何度も何度も考えた文章を森彦が読み上げている。

文章の中身は森彦の事が主体として書かれている。スペインから三十九歳の時に帰国して、今、七十七の歳までの事を書き述べると、次には、紀代子と一緒になったあの話からスペインに行くまでの足跡を綴った。

紀代子と森彦の事は相手が分かる様に丁寧に書き上げたが、紫苑の事は一切書き表す事はしなかった。

此の紫苑の事は、何時の日かアナンと言う方に話さなければならない日が来る。其の日が今日だとは二人は思っていなかったので書き表さなかった。

知り合って日が浅い人には、辛い事よりも楽しい事を、と思って森彦と紀代子がいま取り込んでいる事等を書き表した。


 森彦は若き日にアメリカ文化に憧れたが、英語を話す事や書く事が出来なければ憧れのアメリカ文化に深く親しむ事は出来ないと思って、横田の米軍のキャンプ地でアルバイトをし乍ら、話す事や書く事を多少身に付けている時に、アメリカの音楽と言う物をじかに耳にした。其れは米軍のバンド演奏であった。

此れを見た途端、聞いた途端に大学の友達と話し合って軽音楽グループを作ってジャズを(かな)でていた。

此の事があって、六十の歳を迎えた時、老いの青春と言うのか。大学時代に奏でていたテナーサックスからアルトサックスに変えて楽しんでいるとアマチュアバンドから誘われて、病院でのボランティア演奏でアルトサックスを奏でている事も書いてみた。

また、若き日に覚えた英語を使う事が無くなり、森彦の記憶から英語が薄れて行く事を止める事で、以前知り合ったアメリカ人夫妻の娘さんと週に一度は英文のメールの遣り取りやテレビ電話でのお喋りを楽しんでいることも書いてみた。

紀代子が英語を(たしな)む事は、森彦と同じ様に若き日が(みなもと)となって、いまでもロサアゼルスや他の都市に居る友達とメールの遣り取りを、また森彦と同じ様にテレビ電話で楽しいお話を毎日と言うほどしている事も書き添えた。此処まで書けば手前味噌の話であるから、此れから先はアナンさんの事を二人で想像し乍ら書き上げてみた。

コロナがスペインで猛威を奮っている事は、日本のニュースでも報じられているので大変心配しています。特に、アナンさんの七歳と四歳の子供さん達は大丈夫だろうかと心配している事を書いてみた。

此の子供の事を最初に書き出したのは、紀代子と森彦が夫婦である限り、何時の日にかには此の二人の子供が孫になるかも知れぬと言う心が二人にあったから、心配の思いを持って書いてみた。

そして、アナンさんが東京オリンピックの観戦に合わせて此の日本を訪問される予定になっていた事が、オリンピックの一年延期で日本を訪問される事が無くなったと言う話に二人が落胆している事も書き添えた。

最初のメールにしては少し長すぎた。

二人は何処の文章を削ろうかと吟味(ぎんみ)したが、削る処は見当たらない。

どうしょう。文面に眼を通した二人が顔を見合わせた。

「これで送信しょう」

十三日の夕刻に森彦のパソコンから流した。


 コロナに対する緊急事態宣言は解除されているが、連日のニュースからコロナの事を聞かない日はない。

だから、森彦と紀代子の食事後の話は、此のコロナ話が話題から消える事はない。

コロナ騒動から半年を迎える頃であるが、この東京で感染者が一名もいないと言う日はない。クラスターが何処其処で発生した。この様な記事が新聞の紙面を埋めている。

「貴方、コロナは若い人達に広がっているらしいねぇ」

「夜の街からの感染が多い事が報道されているねぇ」

 緊急事態宣言が出されて、じっと自宅に閉じ籠もっていたから、宣言解除と共にストレスを取り除こうとして多くの人達が夜の街に繰り出して行けば、必ず、密閉された部屋に多くの人が集まって来る。集まった人同士が触れ合う距離になるだろう。すると感染は広がるだろうと二人は話している。

「しかし、他所(よそ)の国に比べれば日本は感染者が少ないわねぇ」

「そうだねぇ」

 二人の会話の後に、森彦が言った事は、弟の憲治から聞き出した話によると、日本に入り込んだウィルスと欧米に入り込んだウィルスには変異に違いがあったのではないだろうか。と聞いていた。

つまり、欧米に入り込んだウィルスは何度も変異を繰り返す事で毒性が酷くなったのではないか。との話を紀代子に教えている。

此れで、コロナが収束して行くと見てはいけない。と森彦は憲治から教えられた事を紀代子に話している。

何時(いつ)かは必ず。コロナの二波あるいは三波が毒性を一波より強く持って襲い掛かるかもしれないから、僕達は必要以外の外出はしない事だ。

「それはそうと、日本は数から見ると封じたのですかねぇ」

「うん、数からはそう見えるが、律義(りつぎ)だろうねぇ」

 と森彦が言った。

「律義・・・・・・」

「日本人の心の底にある。皆で我慢する事、我慢する此の心が全国津々浦々まで覆い尽くしていたからと思うよ。

もう一つ言える事は、僕達に馴染みが深い芸能関係の人が亡くなられた。この事も、自分の家族の様に多くの人達が捉えられたのではなかろうか。家族を亡くす様な怖さが律義を前面に押し出したからこの様なコロナ過の日本を見せたのではないだろうか。

しかし、先程言った様に、二波、三波は必ず来るだろう。

気を抜く事が無い毎日を迎えて要れば、コロナに打ち勝つ事が出来るだろう」

 と森彦は弟憲治から教わった事を、自分流に置き換えて紀代子に教えていた。


 メールを流して六日が過ぎて十九日の金曜日を迎えていた。六月の梅雨空からしとしとと降り注いでいる小道に、幾つかの華やいだ雨傘の中から子供達の弾んだ声が、リビングのガラス越しに聞こえて来た。

今日から東京都と千葉との境を越して行き来が出来る。自由が戻って来た様な感じがする。

また、無観客ではあるが、今日からプロ野球が開幕する。森彦の楽しみが戻って来た。

新聞を手にした森彦は、早速、テレビ欄に眼を通した。何処の局で何時(なんじ)から放映があるのかを確認すると、渋い顔に戻って一面からの記事に目を走らせている。

「楽しい記事は此処暫く目にしないが、後十一日ほど日が経つと、待ちに待っている花火が見えそうだ」

 と森彦が言った事は東京ディズニーランドが七月一日から開園と言う話を耳にしていたからであった。

街の繁華街やビジネス街に、元の様な人の動きが戻って来たと報道がされている裏では、感染者の数が減る事はなく増え続ける様な東京を見ていると、何時しか取り返しのつかない地獄を見る様な気がして、森彦は眼を這わせている新聞から目を外して、リビングの窓越しに灰色に覆われた空を仰いだ。

憲治が言うには、確かに、コロナの勢いは緩くはなっている。此れでコロナが収束したとは見てはいけない。コロナウィルスは多くの人の肉体の中で休息を営んでいる様な物だ。と言った。

此のコロナウィルスが次の活動時期を淡々と狙って変異を重ねているかもしれぬ。

その様なコロナウィルスが街で、職場で、学校で、電車バスの中で、劇場の様な多くの人が集まる処で活動を開始したならば、年齢が年齢である森彦であるし、その上基礎疾患も患っている。仮に自分が感染すると此の世には存在はしていないだろう。

と思った森彦は、

自分の娘になるかも知れないスペイン女性。

自分の孫になるかも知れない七歳と四歳の子供達。

と会う事も出来ずに・・・・

触れる事も出来ずに・・・・

話す事も出来ずに・・・・・

何もなかった様に静かに消えて行くのか。

と灰色の空を見乍ら思った時に、

それならば、何故(なにゆえ)に、心を(おど)らかせたのか。何故(なにゆえ)に電話を入れたのか。

何故(なにゆえ)にメールを流したのか。

相手を傷付ける事をしているのではないだろうか。と思ったが、灰色の空を睨み付け乍ら、前にどんな苦労が、どんな困難が立ち塞がってい様とも生ある限り、自分が定めた事に突き進むべきだ。

其れが、相手を幸せにする事だ。自分達も幸せを得る事になる。そう思うと、今まで以上に、必要でない人様との接触を避ける事だ。

この歳であるから出歩く事もない。

出歩くと言えば、年老いた老人二人分の食料調達と持病の診察ぐらいだ。此れも覚束(おぼつか)なければ、食材料を配達してくれる処か。出来上がった料理を配達してくれる処に頼めば、出来る限りの人との接触を縮める事が出来る。病院だってオンラインの診察もあれば、電話診察もある。これらの事を利用すれば何の苦もない。

そうする事によって、人様に迷惑を掛けないで、終焉を程無く迎え様とする老人に素晴らしき喜びが舞い込んで来るだろう。紀代子と共に節制をして、この日を必ず迎え様と心に強く抱いた。

 其れから二日後の日曜日の朝食後、紀代子が問うて来た。

「貴方、先日のメールも日曜日に届いていたわねぇ」

 紀代子が言う通りだ。届いているかもしれない。と思って紀代子に()みを見せると、書斎へと足を急がせた。

紀代子が言った様には行かなかった。パソコンのメール受信欄には残念乍ら、スペインからのメールは届いてはいなかった。届いている期待感を持って開いたパソコンであったので、森彦の落胆は表情に現れていた。森彦の表情を見た紀代子は森彦に声を掛ける事もなく。朝食の後片付けへと台所に足を運んだ。


 嫌なニュースの為か。メールが届かなかった為か。

二人は不機嫌な表情を見せ乍ら、メールが届かなかった日曜日から三日目の二十四日を迎えていた。

この日の朝食も、前日と同様に口数が乏しく、話す言葉は何時ものコロナ話ばかりだった。森彦は此の話に嫌気を覚えたのか、紀代子に目線を送って席を立つと書斎へと向かった。其の後ろ姿を見ている紀代子の眼は元気を出しなさい。と言う様な眼を森彦の背に流していた。

書斎のパソコン前に腰を下ろした森彦は、ちらりとパソコンの蓋に眼を遣った。森彦の心を何かが押した。押された心が無造作にパソコンの蓋を開けさせた。立ち上がりをして見ると、何となくメールの処をクリックしてみた。

えっ、来ている。メールが・・・・・・

どきどきする様な、わくわくする様な気持ちで、プリンターから流されるペーパーを待った。

三枚のメールが流れて来た。手にしたメールを読む事なしに森彦は紀代子の処に持って行った。

「紀代子、メールが来ていたぞ」

 森彦は手にしたペーパーを紀代子の前に掲げた。

届いた英文のメールを解読するのに苦労する二人ではなかったので、二人は読み乍ら声を上げたり、顔を見合わせて()みを浮かべたり、頷きを見せたりして眼を這わせている。

最初に書かれている事はアナンさんとマンセルさんの子供、七歳になる男の子アントニオと四歳になる女の子カルメンの事だった。

この二人の事を紀代子と森彦が心配して、先日のメールに書き込んでいた事に応えてくれた内容であった。

アナンさんの母親のレイデさんの実家はアナンさん達が住んでいるマドリードから高速鉄道で二時間三十分ほど離れたタラゴーナと言う処で、ブドウ畑を栽培してワイン造りをしていると書かれている。

其処では私の従兄弟になるヘディが父のセンダの後を引き継いでワイン作りを行っています。

其処は地中海に面して年中温暖な処で、マドリードの都会に比べれば(さわ)やかな処ですから、スペインにコロナウィルスが蔓延し始めた頃、子供達を安全な処に避難させる先は、母の実家のタラゴーナが最適だと思って其処に行かせています。

スペイン政府が三月十四日に非常事態宣言を出しました。

スペインのコロナの感染状態は六月十八日の発表では、感染者二十四万人で死亡者は二万人を超していますが、私達夫婦も母の実家に預けている子供達も皆元気でいます。

お気を掛けて頂き有難うございます。

此のスペインでは日本の事は詳しく分かりませんが、私が勤めているアメリカ大使館の情報によれば、本国アメリカは大変な感染者と死亡者でありますが、日本はスペインやアメリカの様に酷い状態とは聞いておりませんので、先日、星子様が流してくれたメールの様子から、ご夫婦ともお元気だと思っています。

此のスペインでは百日近く続いた非常事態宣言が六月二十一日に全面解除されましたので、母の実家に子供達を迎えに行って、いまは家族四人でコロナに感染しない様に気を付けて、毎日を過ごしていますのでご安心して下さいと打たれている。

「ほぉ、彼女の里はタナゴーナだったのか・・・・」

 森彦が小声で呟いた。

「貴方、御存じの処・・・・・・」

「いや、スペイン滞在中に何度か聞いた都市名だったので」

「そぉ、彼女から教えて貰わなかったの・・・・・」

「それはなかった。この地名を見て昔の事が蘇ったのだ」

 と言う事は、スペインの海水浴場として有名な処であり、近くにはローマ遺跡がある事をスペイン滞在中に知っていたが、森彦は其処に行った事はなかった。


 二人が次の文面に眼を這わせると、この様な事が打たれていた。東京オリンピックが一年先へと延長された事は残念でした。この東京オリンピックにレイデの親戚方に当たる人が、多分スペインのサッカー代表として出場する様になるだろう。それならば応援に行きたい気持ちを描いていたら、勤務先の大使館にアメリカ本国から開催日の入場券が廻って来る話が来ました。

其処で、大使がアナンにとって親戚筋になる人がサッカーで出場するだろう。と言う事を知っていられたから、アナンに此の話をなされたのが昨年の五月頃だった。

大使の話に喜びを得たアナンは、此の事で主人のマンセルに相談をして見ますと、マンセルが言うには、アナンが相談して来た母レイデから聞かされた名刺の人を捜し求めて、会える事が出来るならば此のオリンピックに行った時に会ったらどうか。との話で外務省から駐日スペイン大使館を通して星子様を探させて頂いたのです。

マンセルは星子様と連絡が取れて会える様な事になると、何度も行ける処ではない。それに、学校が休みの時期に入る時であるからアントニオとカルメンを連れて日本に行きなさい。と言われたので、アナンと子供達で、星子様と奥様に会える事を楽しみにしていましたが、今年になって不幸にも世界中にコロナウィルスが蔓延した為に、オリンピックが一年先へと延期されて、私達が描いた日本行きが出来ずに大変残念です。

と打たれていた事を読み取った紀代子と森彦は顔を見合わせて、悔しそうな表情を見せた。

「そぉ、子供さん達を連れて来られる予定だったのねぇ」

「其の子供達に会いたかったなぁ」

「来年と言っても、今の状況ではオリンピックがどうなるのかしら」

 紀代子が額に僅かな(しわ)(ただよ)わせて言った。

「開催されるとしても、果たして、アナンさん達が来れるのかなぁ」

「来て下されば、こんな嬉しい事はないわねぇ」

 文面を読み取って二人の会話が続いている。

「貴方、この様に打ってあるわよ」

 紀代子が明るい声で言って、紀代子が文面の最後の処を指さした。

其処には、メールの遣り取りで時間を取るよりも、テレビ電話で互いの顔をみ乍ら話しましょう。

だから、星子様のテレビ電話名を明日にも流して頂ければ、此れを互いが登録しましょう。

登録後、主人や子供達に此の話をして、動画でお話が出来る様にしたい。その為には主人や子供達の理解を受けた上、皆の予定時間が付くと思えるのは七月十二日の日曜日でしょう。

出来れば、この日の午後二時から皆の動画を流したいと思いますが、いまスペインはサマータイムを取っていますので、日本との間では七時間の時差があります。日本の星子様達には午後の九時の受信となり、年老いたお二人に此の時間にパソコンの前に永く座られる事には申し訳なく思っていますが、最初の動画としてご理解を頂きたいと打ち込まれている。この日を楽しみにしています。遠くに居て会える人を・・・とメールは結ばれていた。


 此のメールを貰った紀代子と森彦は、最後の文面を何度も読み直して話が弾んでいる。

「アナンさんやご主人、そして子供さん達の顔が伺えるのねぇ」

「そう言う事だ」

「いまから、どきどき、わくわくするわねぇ」

「どう言う言葉から言い出したらよいのかねぇ」

「そうねぇ。未だ日にちがあるから二人で考えましょう」

 そう言った紀代子の顔は笑顔で溢れていた。

テレビ電話の登録名をメールで流した。

後は、アナンさんが言われる様に七月十二日の午後九時を待つ事である。


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