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【一】東方の鬼、陽の君

 ―東方の国に、『鬼』あり。


 数々の国へと迫り、その強大な力で攻め入った国を手中に収めていた北方の国―【北郷(ほくごう)】。


 今宵もまるで飢えた獣のように、まだ手の付かぬ都へと一歩、また一歩と迫り、己の主君への土産物として献上するべく眼前に迫る国の支配を画策していた。


 しかし、主君へと届いたものは敵国の都を支配し、兵らの悦びを示した証である勝利の美酒ではない。何ら変哲のない木の箱に、ただ一文、その手紙が込められていたのだ。


 ともすれば、子供の戯れとも取れる酷く幼稚な献上物。だが、兵らは主君への絶対の忠誠を誓っており、例え勝利ゆえ慢心していたとしても、こんな戯れを行うことなどあろう筈がない。


 主人に対してそんな不届きをしようものなら、その首がただで済むわけもないのは言うまでもないことだ。ならば、この紙に書かれたことに偽りではない。


 そして、これだけではなく、兵らが未だ戻らずいることが、何においても意味を物語っていた。


 この箱を持ち帰った兵はまるで恐ろしいものを見たような表情で、言葉少なに語る―「すべて帰らぬ者となった」と。


 数多の戦いを駆け抜け、百の強者を敷き、今日まで隣国の頂点と謳われた千の兵。しかし、それらが「すべて亡き者となった」と兵はその肩を震わせるように言い放ったのだ……修羅の如き、一人の『鬼』によって。


 人の世に、『鬼』などというものが居よう筈もない。

 だが、この時の主人は兵らの告げた『鬼』という言葉を信じざるを得なかった。


 人の頂点に立ったと信じてやまなかった己が国の兵を破った、それを『人』とは認めたくなかったのだ。

 そして、それは瞬く間に全ての国々へと広がった。


 絶対の武力を持った【北郷】の兵の敗退。

 それはやがて、軍門に下った国々にも広まり、己が国を敷いた《北郷》よりも強大な存在に、恐ろしさとも一縷の希望ともつかぬものを感じさせた。


 まるで取り憑かれたように、人々はその存在を語っていく。


 「東方の国に、『鬼』あり」と―。



 ◇



「―旦那。この辺りじゃあまり見かけないお召し物をされてますね? 見たところ、名のあるお家の方とお見受けしますが」


 男二人と馬を引く者を乗せて道を歩く馬車が一つ。

 一人は五十代ほどの商人らしき男で、ただでさえ大きい体にさらに大きい荷物を持って馬車に乗っていた。そして、もう一人の男は二十代ほどの青年で、刀を身に付けていることから彼が侍であることは誰の目から見ても明らかだった。


 商人の男は物珍しそうに同乗者であるその青年をしばらく観察した後、先ほどのような話を青年へと向けたわけだが、商人の言葉に青年がふと顔を上げた途端、商人の男は思わず感嘆の声をもらしてしまっていた。


「ははぁ……」


 男性とは思えないほどに整った顔立ちに、後ろで束ねられた長い黒髪、そして男が言うように着ている着物も一目で育ちの良さが伺える代物で、見るもの全てを魅了するほどの美貌を持った青年。


 思わず男が驚いて口を開いたままでいる中、青年はそんな男の言葉にふっと笑みを浮かべながら言葉を返した。


「そうなのか? すまぬ、世情に疎くてな……もしや、違和感のある服であったか?」

「と、とんでもない! あまりにも良い生地の服を着ていらしたんで、つい言ってしまっただけですわ。あっしの方こそ突然すんません……よく口が軽いと女房にもよくどやされてるってのに。お気を悪くさせてしまったら申し訳ないです」


「気にするな。そなたからは悪意のようなものは感じられぬ。そなたの言う通り、本当に思ったことを素直に口にしただけなのであろう」

「ははっ、そう言ってもらえると助かります。しかし、旦那……見たところ刀をお持ちのようですし、お侍さんのようですが、やっぱりかなりの名のあるお家のご出身じゃないですかい? あっしは長いこと商売やってますが、旦那みたいなお方を見ることなんてそうそうありませんぜ? それこそ、都会のどデカいお偉いさん方への商売くらいのもんですし……」


「そのように言ってもらえるのは嬉しいが、私はただの侍だ。残念だが、そなたの思うような良い家の生まれではないことは確かだな」

「まあ、そうおっしゃられるなら構いませんが……それにしても、旦那はどちらまで向かうんです? あっしはこの先の【紅閃(こうせん)】っていう都で商売の予定があるんですが……」


「そなたも【紅閃】に用があるのか」

「ってことは旦那もですかい?」

「ああ。少し用があってな……会っておきたい者が居るのだ」

「会っておきたい者って……また含みのある言い方をされますね? まあ、人様の事情に首を突っ込むのは野暮ってもんですかね」

「いや……まだ会ったことがない者でな。一度、この目で直接見ておきたいと思って来たのだ」


「ほほぅ、まだ会ったことがない……」

「うむ……話には聞いていたが、やはり自分の目で確かめねばと思い、直接赴くことにしたのだ」

「なるほど……商談みたいなものですか。まあ、ここで会ったのも何かの縁……商売は縁を大事にするものですからね。あっしはしばらくは向こうで滞在する予定なんで、もし何か欲しいものなどあったら用立てして下さいよ」

「ああ……その時はよろしく頼む」

「もちろんですとも。おっと、そんなことをしている間に【紅閃】が見えてきたようですな」


 男の声に青年も顔を上げる。すると、その都に近付いた途端、紅葉が彼の肩にそっと落ちてくる。


 それだけではない。【紅閃】という都に近付けば近付くほど周囲に紅葉が舞い、馬車を迎え入れるようにして風と共に撫でていく。


 そんな幻想的な光景を目の当たりにしながら青年は一人、誰にともなく呟いた。


「―ここに居るのか」


 それが何を意味するものかは分からず、商人の男も疑問を抱きながら首を傾げる。

 そうして、青年は紅葉が咲き乱れる都―【紅閃】へと到着したのだった。





 ―紅葉が舞う都、【紅閃】。


 東と北の中心に建つこの都では、些細な争いすらどこか遠くのものに感じる。都全体を覆うようにして紅葉の木が植えられており、その葉をもっとも散らしているのは都の中心にそびえ立つ巨大な木だ。


 そして、都にある建つどんなものよりも一際大きな建物がそこにある。その一角に、一枚の紅葉が舞い込んだ。


 軽々しくその身を揺らしながらやがて辿り着いたのは、幾重にも重なった本の上。

 しかし、それは乱雑に置かれたものではなく、まるで塔のように隙間なく丁寧に置かれていた。その近くに腰を下ろしていた女性はその葉に目を下ろすと、おもむろに空を見上げた。


 翡翠のような澄んだ瞳に空の色が跳ね返り、まるで絹の糸が幾重にも重なったような髪へと吸い込まれていき、腰まで伸ばされたその髪はただ床に投げ出されているだけにも関わらず、それだけで絵となってしまう。


 空を見上げた姿のまま、しばし思いに耽る少女。

 見るもの全てに感嘆の声を上げさせるであろう彼女の名は(せん)

 またの名を【陽の君(ひのきみ)】とも呼ばれる彼女だが……彼女の立場はこの国においてとても複雑なものであった。


 そう、彼女は『妾の子』だったのだ―。



 ◇



 ―世の中というものは酷く理不尽なものだ、と私は常々思っている。


 善行をしても自分にそれがかえってくるとは限らず、また悪事を働いても自らにそれがかえってくるとは限らない。ただあるがまま、起きたことを淡々と受けるだけの理不尽な世界……それが世の中というものだと私は思っている。


「…………」


 そして、私が人生のほとんどをこの場所で過ごさなければならないこともまたその理不尽なことの一つだろう。そうして、私はこれといって代わり映えのない景色を見ながらため息をついた。


 生まれてから十数年あまり、私はずっとこの景色を眺め続けてきた。ここから見える景色が私の全てであり、世界だった。


 数年前、私の母は突然病に伏してしまい亡くなってしまった。しかし、母には身寄りがなく、天涯孤独となりかけた私を保護したのは血縁上の父であるこの都の偉い人だった。


 血縁上、という言葉を使ったのは私は父と全く関わりがなく生きており、生前母から何度か聞いたことがある程度の存在でしかなく、その上、母は正妻ではなかったため、私は『妾の子』だった。


 それについては母の様子から子供ながらに薄々感じていたこともあり、それほど驚くほどではなかったし、窮屈ではあるがそのおかげで一応は生きることはできた。


 そんな私に、ふと扉の向こうから声が掛けられた。


「―私だ、入るぞ」


 景色全てがまるで一つの絵画となっていた部屋に響いた太い声。それはあまりにも無遠慮なものであり、また酷く冷たいものだった。


 そうして現れた五十半ばという程の男を前に、部屋に居た私は佇まいを正して丁寧にその男に対して頭を下げた。


「おはようございます、父上。私に何かご用でしょうか?」


 私はいつものように作法にならって父上へと頭を下げた。しかし、そんな私の挨拶に対して父は特に何か言葉を返したりすることはなく、それどころかまるで興味がないものを相手にするように酷く冷たい声を返してきた。


「お前の嫁ぎ先が決まった」


 それが意味することに、特に私は驚くことはなかった。『妾の子』である私を迎え入れた時点で、いつかこうなると決まっていたからだ。


 ――政略結婚。


 これから他国に嫁がされ、この都とも縁を切られるのだろう。酷く私を嫌う父は、一刻も早く私を政治の道具にしたくてたまらなかったに違いない。


 目の前の父の血を受け継いではいるものの、私は正妻の息子である兄と比較され続けていた。そして、そんな私に父は関心を抱くどころかこんな離れに幽閉してほとんど面会することすらしなかった。


 そして、その間に勉強をし続けていた私にいつも「才が無い」と言い、言い返しでもすれば機嫌を悪くしてしばらく会うことすらしなくなる。父はそういう人だった。


 母が亡くなり、目の前の父の下へ来た時からずっと覚悟していた。

 その父に対してそれほど恩義を感じているわけではないが、しばらく面倒を見てもらった以上は最低限の礼は返しておこう。そして、私が父に対して返せることはこれしかない。


 例えどんな相手の下へ嫁がされようと、誠心誠意尽くし、【紅閃】の名を汚さないようにする。それが父への―いや、私を育ててくれた母への感謝に繋がると信じて。


「……承知いたしました。差し支えなければ、お相手はどなたかお教え頂いても構いませんでしょうか?」


 相手が誰か、実際に興味があるわけではない。

 ただ、心構えとして聞いておくだけ……そう思っていた。しかし、父が語った嫁ぎ先はそんな冷めきった私の心すら動揺させるに十分なものだった。何故なら―


「お前の嫁ぎ先は―【桜奏(おうそう)】だ」


 ―そう、それは一切の容赦もない冷酷非道な『鬼』と呼ばれた者が治める国だったからだ。

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