幕間 日記記載空間
深い、深い、深い。息ができないほど暗く、光が届かない場所。
そこで目を覚ましたのは2人。
1人、ラルと呼ばれる少女。赤き瞳はそのままで長髪の赤もそのままではあるが、この暗く光が届かないような場所には色になんの意味も見いだせない。だからだろうか、彼女は衣服を何も着ていない。彼女はため息をつく。
「いつもの、何も変わりのない日記記載の空間よね……。最悪……」
独りごちるようにいうが、もう1人この空間にはある人物がいる。
短パン小僧のタケル。否、タケルだった存在。
短パン小僧は身体が、べきべきと、ボコりべコリと、この世のものとは思えない音を鳴らし始める。
身体の面積を、体積を、変幻自在に変え、あげくに色も変え、この世のものとは思えない存在に変貌する。
人間を茶色で汚しつくす色。まるで枝のようだ。そして、顔は古い日記帳を模している。手足はそれぞれ2本ずつあるものの関節などなく、うねうねと枝のようにその手足が靡いている。
顔、否、日記帳にはギザ歯の口が生え、舌がむき出しになる。
「ハッハア!! 何が最悪だって? 俺様が最悪だとでも言いたげだな。さっきまで、サポートを散々してやってたのになぁ!!」
「ここにいる貴方、ホントに貴方なの? いつも思うけれど」
『町』にいたときの態度とは全くの別物になっていたことに、ラルは戸惑っていたが、ダイアはニカリと笑い、ベロを噛んでしまうのではないのではないかという勢いで話し出す。
「そうさ! その通り! その通りだとも! 俺様ぁ、この空間だとすこーしだけハイテンションになっちまうのさ! お年頃? 反抗期? まっ、どうでもいいさ! アハハ!! 『因果応報の町』でも俺様は俺様だったぜ? 記憶もある! 記録がないからこれから記録するけどな!! 記録がないと記憶から消えていくからなぁ!?」
そういいつつ、右手人差し指を、別の手で先端だけ切り落とす。ぽたぽたとインクに似た何かが零れ落ちているようにラルは見えていた。ただし、その色は黒ではなく赤。
日記帳が閉じていた状態から、開く。
そこには今までの旅の記録が何ページにもわたって記録されている。
「……いつまで、この旅とも呼べない旅を続けるのかしら? 終着点はどこなのかしら? ねえ、教えて……ダイア」
「おいおい、そんなしょぼくれた顔すんじゃねえって! 終着点はまだわからないけどな! だからこそ俺様たちは、まずは俺様たちが何者なのか知るって決めたろ?」
「そうかもしれないけれど」
弱気なラルは、涙をこらえようとするが、涙声のまま話し出す。
「私たちの正体なんて知ろうとすればするとほど、わからない。死んだはずの時の魔女。その魔法と、魔法ではないらしい転移が使える私。
そして、なんか勝手に変身する貴方。ダイアと呼ぶと、『町』中全員から殺されかける。それだけしか知らない」
「そうかもなあ!? だけどそれ以外にも共通点はあるだろぉ!?」
「私たちはこの世界ではないどこかにいたってこと?」
ニカリ、と日記帳は笑った。頭の部分の日記帳が開いているので、ラルからは見えなかったが。
「そうだ! 俺様たちゃぁ、多分、そこに帰ればいいんだ!! だからそこに帰る情報を集める!!」
「けれど、あの『町』ではその帰る場所を知っている人はいなかった。その前の『町』もだけれど」
「まだだぜ! 根気よく探そうぜラルぁ!! どうしてこっちでは弱気になるんだよなぁ? あっちでは根気よくやっているのによぉ!!」
「どうしてかしらね。貴方と2人だから、なのかしらね」
これは別に、特別な感情を抱いているわけではないことをお互いは知っている。
「そりゃあありがたい限りだぜ! っと、日記に記録はできたぜ!」
あんなにはしゃぎながら、記録は取り終わったらしい。
日記には荒々しい文だったが、赤色のインクでびっしりと『因果応報の町』での出来事を記載していた。
要約すると以下5点である。
『因果応報の町』の特徴。
『町』による考察。
お金は十分に賄えたこと。
金髪少女のライに出会ったこと。
暗殺者二人組の特徴。
「これで問題ないか読んでくれ!!」
「ええ」
ラルはダイアの顔にあるおぞましいギザ歯やら幽霊のように長すぎる舌やらすべてをあざけわらう瞳やら、それらを無視してページをめくっていく。
ダイアが記載した日記の内容をすらすらと読む。
しばらくして、ぱたんと本を閉じる。
「まあ、これで忘れることはないでしょうね」
ラルの脳裏に、過去の記憶がよぎる。
以前、『迷子の町』脱出後、日記記載の空間で何も記載しないことで、ほかの『町』で『迷子の町』の記憶を思い出せなかった。
それ以来、彼という日記帳媒体を通して、記録をとっている。
『曖昧模糊の町』。
『キョウキの町』。
ここ直近で訪れた2つの『町』の記憶は2人には存在していた。逆にそれ以前の『町』の記憶は2人から抜け落ちる。もっとも、この日記記載の空間は別で、『町』での記憶は思い出せるが。
だからこそ、今回の『因果応報の町』もできれば記載し、『町』に行っても忘れない状態にしたかった。
「これで次の『町』に入っても忘れないなぁ!」
ダイアも同じ意見のようで、だからこそラルは日記の確認をしていた。
「ええ。……そういえば……」
「どうしたラル!? 何かあったか!?」
ラルはすっと立ち上がり、ダイアの顔、もとい本を開く。
ラルに触られているか、ダイアは黙る。
彼女はとあるページをじっと見て、ぶつぶつと話し始めた。
「『因果応報』の考察。転移で『因果応報』は無効化できる。『因果応報の町』で時の魔法は使用可能で、ライちゃんに使用して身体の状態を戻した」
ラルは一瞬息をのみ、その文章を読む。
「そして、魔女が現れることはなかった」
その文字を読んだことで、ラルはぞっとした。
「ねえ、ダイア。これはどういう考察なのかしら? 『町』に行っても魔女が現れることなんてないと思うのだけれど?」
ダイアを喋るように促そうと、ぱたりと本を閉じる。
ダイアは首を傾げつつ話しかける。
「考えてみろよラル!? 魔女は『町』の成れ果てだぜ!?」
「それは知っているつもりよ……。魔法使いが成長、もとい、魔女の石を一定以上取り込むと、1人では抱えきれない魔法量を持つ。だからこそ、周囲の他者を巻き込み、その場が魔女の魔法の影響を受けた『町』と化す……そのはずよね」
ラルはこの世界で起きる魔女化になる条件を話した。
魔法使いと魔女の区別は様々だが、とりわけこの世界ではそうらしいというのが、ラルとダイアの情報収集結果だった。
「ああ! そうだぜ!! そしてもう少し考えてみればよぉ、ラル! お前は時の魔女の魔法――時の魔法を使えるんだぜ!? おかしいとは思わないか!?」
「え、ええ。私が転移のチカラとは別に、時の魔法が使える。確かにおかしなことよね」
ラルは顎に手を当て、少し考えた後、返答を口にする。
「だけれど、それって私は腕時計を媒体にして時の魔法が使えるからじゃないのかしら?」
ラルは腕時計に触れる。
腕時計のベルト――鎖を千切るとラルの心臓とどこかに接続し、時の魔法が使える。ラルが腕時計を触るのは時の魔法発動の予備動作といってもいい。
だからこそ、ラルは自身が時の魔法を使える解釈をしない。あくまで、身に着けている銀時計を持っているからこそ、時の魔法が使えるという解釈だ。
「その考察ももちろんいいだろうさ! 考察の可能性は無限大なのさ!! 俺様ぁ、別に断言しているわけでもないし、あくまで考察だ!!」
きっぱりと言い切るダイア。そのまま、言葉を紡ぐ。
「けどよぉ! 例えばラルの腕時計を外すことはできないよなぁ!?」
「……そうね、外すと私の心臓に接続されて、物理的にそれ以上離すことはできない……」
ラルは冷や汗が垂れる。ダイアの考察によって、自身がとんでもない災厄なのではないかと思ってしまう。否、とんでもない災厄だということをラルは理解している。
あきらめたかのように、ごちる。
「私は化け物よね……。いいえ、私がたとえ化け物でなくたって、しばらく『町』に滞在するだけで――」
真っ黒な空間にノイズが走り、ラルの言葉はさえぎられる。
白黒のような、青黒のような、そんなノイズが走りすぎていてテレビの砂嵐のように自身たちも曖昧となっていく。
そんな何もかもが曖昧になっているにもかかわらず、何かが映し出される。
ラルとダイアはそれをかろうじて捉える。
次に訪れる『町』なのだろうと憶測できる。今までもそうだった。
そしてこのノイズが走ったということは、この日記記載の空間にいる時間はほぼないことを示唆していた。
2人は次の『町』に転移された。