4話 旅への憧れをへし折る魔女の呪い
「お、お母さん。今のは――……」
ライは弁明の言葉を紡いで母親に何もいわせたくなかったのだろう。しかしこれ以上の言葉を紡ぐことはない。青ざめた表情を見るに、反論を考える余裕など皆無だった。
「駄目よ、すぐにでも旅に出たいだなんて。大方、そこの2人に唆されたのでしょうけど。噂になっているわよ。特にその『魔法使い』さん。この『町』自体を否定したのよね? 合ってるかしら?」
ライの母親はぎろりとラルに視線を合わせる。ラルは額に汗を垂らす。
ラルは『因果応報の町』そのものを、公共の場で大声で否定しきった。それは、本来であれば死んでしまうほどの悪行だ。『因果応報の町』の外ならまだしも、ルールに納得して幸せに住んでいる人たちの前で、声高らかに宣言してしまった。噂になっていて当然だ。
数瞬おいて、ラルはゆっくりと、首を縦にふる。
「……ええ。間違いないわ」
「そうよね。それであればこの『町』から出て行ってくれない?」
「そうですね。出て行き――」
「――2人のことは悪くいわないで! お母さん!」
ライの怒号に、母親は目を丸くしていた。
「……ライちゃん。何をいっているの? この2人相手にそんなことをいっては――」
「もう私、……この『町』にいるのが耐えられないっぷよ……」
ライは鼻をすすりながら、涙目のままいう。
「私、皆と合わせることができない……。皆と、お母さんたちといることは好き。だけど、私は私っぷよ。本当は学校生活が充実するだけじゃなくて、いろんな『町』を見てみたいし、私の、本当の私の個性を心の底から受け入れてくれる『町』が、私がいたい居場所っぷよ」
ライは決心した瞳を母親に見せながら立ち上がる。
「ライちゃん……! それ以上いっては……!」
ライの母親の焦りは相当なものだった。
急激に体温が低下したかのように青ざめていて、口元が震えていた。
きっとライが何を決心しているのかが分かってしまっていたのだろう。
きっとライが何をいい放つのかが分かってしまっていたのだろう。
きっとライの発言を止められないことも分かってしまっていたのだろう。
ライは高らかに宣言する。
「私は! この『町』から出て行くっぷよ!」
その瞬間、『因果応報』が成立する。
信頼する家族と、この『町』の住人ではない旅人2人。
不快に思う相手がいなければ、『因果応報』は成立しない。そのはずなのに誰か別の第三者が、この会話を聞いていたのか、異常な事態がライに起こる。
ライが、膝からがくりと崩れる。まるで足を斬られたのではないのかと錯覚するほどの勢いで、そのままバタリと倒れる。
「い゛っ――!? あ゛゛ぐ゛゛ぅ゛゛――!?」
あまりの苦痛に顔を歪めながら、辛うじて声を発したライ。極限の痛みは右足からだ。とても立てる状況ではない。先ほどの決心がついた目は涙でぐちゃぐちゃに歪んでいる。ライはただ右足を抑え、咽び泣く。
右足が、壊死し始める。足が紫に変色し始め、今にも途切れてしまうのではないかというほどに、細く、細く、絞り切られてしまうほどだった。
明らかに自然の現象に反していた。
明らかに、『因果応報』のルールが増幅しすぎていた。
明らかに、『因果応報の町』を侮辱した罰だと誰かが嘲笑っていたかのようだった。
「悪辣な魔女めっ……!」
ラルは思わず舌打ちしそうな勢いで、その名を口にした。
彼女は怒りを抑えつつ、ライの母親を見る。
「ライちゃんのお母さん。少しだけ、5分ほどでいいので席を外してもらえますか?」
隠しきれていない怒気が含まれた声。
その迫力に、ライの母親が気圧される。
「……えぇ」
ライの母親が部屋から退出する。ラルはそれを確認したあと、左手首にある銀色の腕時計を視る。
ラルは銀色の腕時計と接合されているベルト――金色のチェーンに触れる。
「……ここで使うのか?」
タケルは不安そうな声で、ラルに問う。
「使っても影響はないはずよ。もし何かあっても、今はライちゃんを助けるのが最優先」
そういいつつ、ラルは腕時計にまかれている金色のチェーン型のベルトをガチリと引きちぎる。
「鎖接続――」
チェーンの片方――チェーン先に時計がついた方は、ラルの足元に落ちる。もう端のチェーンは伸長し、ラルの心臓――魂に接続される。
「欠片達――」
チェーンと時計は実物から虚像になったかのように半透明化。時計は床と同化するように6畳以上はある床と同じ大きさにリサイズされる。
「逆巻き」
ラルはライの右足に手を触れ、そういった。
銀時計の針はくるくると逆回りする。
触れた手先――ライの右足は、まるで時間が巻き戻ったかのように、健康的な右足を取り戻した。
ラルの腕時計とチェーンベルトはいつの間にか、ラルの手首に装着されていた。
「えっ? 何が起こったっぷよ?」
急に痛みがまったくなくなり、戸惑いが隠せなくなったライ。足を動かしてもいつも通り、なんら後遺症も発生せず足を動かせた。
この異常な現象の正体を探るため、顎に手をあてて考え、そして悟った。
「2人は魔法使い?」
「私だけよ。魔女になる可能性を孕んでいる魔法使い。嫌いになった?」
ラルは苦笑しながらライに悲しみの眼差しを向けた。
ライは首を横に振る。
「ううん。2人がどんな人でも、私は2人が大好き。それは変わらないっぷよ」
「ふふっ。それならよかったわ。私が魔法使いってことはお母さんには内緒よ。といっても摩訶不思議すぎて悟られるとは思うけれどね」
「どうしてっぷよ? 私はこの魔法のおかげで足が治ったのに、魔法とは関係なしに何故か治ったと答えないといけないっぷよか?」
「ええ、そうよ。私の魔法はあまりにも類例が少ないわ。だから人々を混乱させるのよ」
「……そうっぷよか。それならお母さんには誤魔化しておくっぷよ」
「……申し訳ないけれど、お願いするわ」
そこから先、特別な話は何もなかった。
金髪少女がやっぱり今にでも旅をしたいと話すことはなく、ラルたちが再びこの『町』を敵にする発言もなく、ライの部屋の中ですべては穏便に終わった。
2人は――ラルとタケルはこの『町』を出ていくことを決心した。
金髪少女ライは2人を見送るため、『町』の外の近くまで案内することを提案した。
*****
門前。
門番に話しかける前、ライは2人しか聞こえないように話し始める。
「私、自信がなかったっぷよ。何か新しいことに挑戦するのも、ここでは多くの制約のもと頑張らないといけないっぷよ。その挑戦で多くの相手に忌み嫌われると、その人自身が『因果応報』で精神を病んだり、身体が壊れたりして、廃人直前に追い込まれる。だから何かに挑戦するとしても、孤独に挑戦するか、完全に信頼できる人にだけ伝えて挑戦を続けないといけないっぷよ」
ライは独白を述べ続けるように、静かに言葉を紡ぎ続ける。
「私の挑戦は、この『町』の嫌なこと――『因果応報』の負の部分だけを取り除きたいっぷよ。
そのために、旅に出て、いろんな『町』を巡って、『町』のルールはどうやったら変えられるのか知って、『因果応報』のルールを変えるっぷよ」
ライの瞳は静かに燃えているかのように、熱いまなざしだった。旅を出て、というワードに『因果応報』の制裁は受けることはなかった。
ラルはにこりと笑い、ライに話す。
「すごい目的ね。私、応援するわよ!」
「ありがとうっぷよ。2人にもいつか、そうなった『町』を見せたいっぷよ。だから、たまにはこの『町』にも来てほしいっぷよ」
「……ええ。近くに寄れたら是非訪れるわよ」
ラルは声のトーンを落とし、そう答えた。
「それじゃあ、またねっぷよ!」
ライが明るく手を振って、ラルたちも手を振り、歩き出す。
それから門前にたどり着いた2人は門番に話しかける。
「私たち、この『町』から出ようと思うわ」
「確認しました。どうぞお帰りください」
――確認しました、ね。一体、何を確認したというのかしら?
ラルはその言葉を飲み込みながら、この『町』から出て行くのだった。
ラルとタケルは1本道を歩き出す。
『町』の門番が見えないほど歩き、『町』も巨大な壁が円形だと判断できないほど歩いた。
「――?」
ラルは違和感を覚えていた。
ラルは走り始める。タケルはそのあとを追う。
いつも発生するアレが起きない。
ラルは焦る。走りながらあたりを見渡す。草木が生い茂っている。彼女は辛うじて舗装されている一本道を走り続けた。走り続けてあたりを――草木を、地面を、空を、様々な方向をキョロキョロと見渡す。
「誰にも見られていないはずなのに……!」
それでもアレは起きない。
改めて空を見る。快晴の空模様があるだけで、おかしなところはない。
改めて地面を見る。ただただ砂埃が少し起きそうな道が見えるだけで、特別おかしなところはない。
改めてあたりの草木を見始める。風で揺られている以外に、特別おかしなところはない。
冷や汗が、ラルの額に浮かび上がる。
呼吸が荒くなる。
そして走ることをやめて、タケルにいう。
「『転移』が起きないわ……」
「ラル、それは本当なのか?」
タケルが目を細めつつ、冷静に思考を巡らせる。
対照的に、ラルは異常事態に混乱した。
「ど、どうしようダイア……! 今までこんなこと――」
「――待て、まだその名前はいうな……! 恐らく、誰かが見ていて『転移』できてない」
「誰かって誰よ」
タケル――否、ダイアは小声でいう。
「そりゃあ、ある程度自覚はあるだろ? 『町』で『時の魔法』を使っただろ。あれで探知されたんだろう――『魔法使い』にな」
「あー……。合点がいったわ」
そういうと、ラルは大声で言った。
「こそこそ隠れてないで、正々堂々と戦わないのかしら!? すっとこどっこいのおたんこなすちゃん!」
単調すぎる挑発にしか見えないが、それでも奴は現れた。
草木以外何もなかったように見えたところから、黒衣をまといフードを被った男が現れた。