7話 ○○
彼女の姿は先ほどと変わりがない。
赤の長髪に深紅の瞳。黒いローブ、革靴のロングブーツを身にまとっている。
しかしながら、雰囲気が明らかに違う。彼女は瞳が死んでいた。
ランケルは雰囲気の差異を感じたのか、それとも浮いて目線があっている――空を飛んだ魔法使いなのかわからないが、歯をむき出しながら笑う。
「ははッ、テメーやっぱり『時の魔女』だったんじゃねえかッ!!」
「……私は『時の魔女』だけれど、さっきの彼女は『時の魔女』じゃないわよ」
『時の魔女』は輝きを失った深紅の瞳で巨人ランケルを見つめながら話す。
ランケルは豪快に笑う。
「さっきのヤツはどうでもいい。今の言い分が正しいなら、テメーは『時の魔女』――最強の魔女の一角だろォ?」
「……否定はしないわ」
「それが聞けりゃあ十分だッ! テメーを斃して俺様が最強であることをここに知らしめるッ!」
「……最強なんてどうでもいい。私はただ、この『町』を破壊するだけ」
「この『町』を破壊ってテメー何いってやがんだァ? タイマンの話はどこいったんだァ?」
『時の魔女』はすでに戦闘態勢を取っており、地面に半透明な巨大時計を展開する。
時計はⅦを指し示す。
「『Ⅶ:時厄災譲渡』」
空が紅色に――世界が終焉するのではないかと錯覚するほど、あたり一帯が紅色に染まる。
半透明の巨大時計が数百を超え、空を、地面を、壁を、すべてを埋め尽くしていく。
中央闘技場にいた巨人族もその変化に目を細めたり、目を丸くする人がいたりだったと反応が様々だが、何を目的に半透明の巨大時計を配置したのか誰も理解できなかった。
しかし、その理解は一瞬で、自身の魂をもって理解される。
「Ⅲ:過去因子譲渡」
「あがッ!?」
「ぐぅ――」
「ば――」
「うば――」
中央闘技場にいる人間が突如として倒れる。
巨人も巨人でない人間も無造作にぱたりぱたりと気絶していく。
ランケルはずきずきと痛む頭を手で押さえつつ、激昂しているのかこめかみに青筋を浮かべていた。
「テメーッ! 俺様とのタイマン、破るってのかァ!?」
「"私"は約束してない。私はこの『町』を破壊するだけと、さっきもいったはずよ。手始めにうるさい人間には黙ってもらっただけ。最後は全員破壊するから安心して」
「それならこの『町』にいる俺様も破壊するんだよなァ?」
「…………そうね」
「じゃあまずは俺様を破壊しようとしてみせろよォ!! できねぇとはいわせねェ!!」
爆音といえるほどの怒号で『時の魔女』を挑発する。
その挑発に『時の魔女』は不敵な笑みを浮かべる。
「いいけれど、きっと後悔するわよ」
その瞳は死んでいるにも関わらず、中央闘技場にいる人間は重力が重くなったかのような錯覚を受けた。
あたり一面にある巨大時計が一斉に動き出し、Ⅷを指し示し、禁忌の詠唱が呟かれる。
「Ⅷ:禁足世界」
世界がピタリと止まる。
彼女だけの世界。
彼女だけが自由な世界。
彼女しか踏み込めない世界。
浮遊したままランケルの前に。そのまま彼の額に触れる。
空、地、壁――無数にある巨大時計が一斉にくるりと回りだし、Ⅰ~Ⅹのどれかを指し示した。
「Ⅰ:過去視界」
「Ⅱ:逆巻誕生――省略:逆巻き」
「Ⅲ:過去因子譲渡」
「Ⅳ:幾分岐因子譲渡――反転――Re:過去因子譲渡」
「Ⅴ:再帰回帰送帰」
「Ⅵ:天国舞踏加速早迅」
「Ⅶ:時厄災譲渡」
「Ⅷ:禁足世界――持続対象:ランケルの右腕」
「Ⅸ:過去一閃」
「Ⅹ:幾分岐忘却一束」
そして時は動き出す。
轟音。
爆風。
激震。
まさに破壊を体現していた。
ランケルが地面にドゴンとめり込むだけでなく、さらにそれ以上――『時の魔女』には見えない位置に激しく叩き落とされた。
中央闘技場に深く、巨大な穴が形成されていた。その大きさはランケルが何人入っても満たされない。
余波もひどかった。あたり一面に地面の破片が急速に壁に突き刺さり、壁にひびが入っている。そのうえ――観客たち、とくに背の高い巨人たちは有無をいわさない速さでその破片を喰らい倒れている。彼らを狙ったわけでもないのに、それほどの威力を誇った張本人である『時の魔女』は深すぎる穴をため息まじりに見ていた。
Ⅷ:禁足世界で停止され続けたランケルの右腕は簡単に引きちぎられており、血肉が壁や地面に落ちていた。
さらに、Ⅰ~Ⅹの時撃を放った『時の魔女』は疲労が見当たらず、変わらず瞳が死んでいた。
「……まあ、私に手も足も出ないわよね。……どこか期待しちゃったけれど。……ざんねん」
はぁ、とため息をつく。しかし、そこで舌に鉄の味がしたことに気づいた。
「血……?」
口元を拭うと、『時の魔女』の血がくっついていた。
「あのデカブツ、何をしたかわからないけれど、面白いわ……!」
初めて死んだ瞳がなくなったかのように輝き、彼女は笑みがこぼれていた。
そしてほぼ無意識の操作で、巨大時計はⅠを指し示す。
「Ⅰ:過去視界」
彼女は何が起こったのか、過去をスローにしながらその状況を把握した。
「『血税の町』――血をささげてスキルを習得できる、ね。それで血をささげて手に入れたスキルが『魔女殺し』。魔法ではなく、魔女を殺すコツをつかむためのスキルなのね。……なら、久しぶりの死線ね」
「あァ! 殺してやるぜェ!!」
深すぎる巨大な穴から異常な跳躍力で地上に巨体が現れる。
しかしその巨体にはガタが来ているのが丸わかりだった。
体躯は傷だらけ、血だらけ。根性で立っているかのような、魔力がこれ以上使えないのではないのか。再生ができないということは、魔力が使えないことを如実に語っている。それは明白。
「殺したくても、もう魔力の底が見えてるわよ。貴方の魔力、戻してあげる。Ⅴ:再帰回帰送帰」
ランケルは魔力が戻っていくのを感じる。その現実に静かに激昂する。
「テメー……、最強の俺様にそんな忖度すんじゃねェ。んなのなくたって勝てたぜ」
「私ではない誰かさんと戦ったときに随分消耗してたじゃない。フェアじゃないでしょ。最強同士の戦いなのに、コンデイションが悪い状態で戦って勝つなんて、ずるしてるだけなのよ。嫌よ、そんなの。最初から全力で戦って、狂って狂って昂らせるような灼熱な戦いを、私は待ち望んでいた」
「そういう意味なら許すッ! そのうえテメーは俺様と約束したとおり俺様とだけ戦っているからなッ! 余波でいろいろ巻き込んじまっているが、それは最強の戦いだから仕方ねェ! お前らッ! ここから離れろッ! 最強同士の戦い、これ以上の災害になるから気ぃつけろッ!!」
「さすが俺たちのリーダー! 俺らの配慮を忘れねぇ!」
「あんなちっせえ奴に負けんなよ、リーダー!」
「勝てよ、リーダー!」
それと同時に、巨人たちはランケルに応援を向けながら、去っていく。
「……意外と仲間想いね」
「はんッ、そりゃあ仲間は大切にするぜ?」
「それならどうして、巨人族以外には無理強いをしているのかしらね……?」
にやりと笑いながら問いかける『時の魔女』に巨人ランケルは悪態をつく。
「テメー既に過去を見たんだろッ」
「ええ、強き者が弱き者を助けると調子に乗る。ソレを粛正するようにここまでの恐怖政治を敷いているのよね」
「っぱ知ってんじゃねぇか」
「だけれどそれはそれで、別の『町』から革命を起こす人間がいるのもまた事実。難しい問題よね」
「何がいいてえんだァ? 俺様の『町』に文句でもあんのかァ!?」
「……ないわ。……何もしないで平和になる『町』。幸せであり続ける理想的な世界。そんな幸せであり続ける『町』だといいわね」
彼女は「もっとも」と前置きをして言葉を紡ぐ。
「今回はバットエンドだけれどね」
「上等だァ!!」
すでに観客はいない。ここにいるのはランケルと『時の魔女』だけ。
ランケルは瞬時に高速移動できる形態に骨格ごと形成変化した。
急発進して急旋回。目にもとまらぬ速度で『時の魔女』を攪乱しようとするが、時を操作できる彼女の前には無力だ。
「Ⅷ:禁足世界」
時が止まった。
「……どんなに速くても、時間が止まれば足は止まるわ。何をしたかったのか――」
頬の皮膚が抉られた感覚を覚え、彼女は頬をそっと抑える。
「な……に?」
周囲を見渡す。どこにもランケルはいない。
「……この傷は時を止める前にできたのかしら? それとも――」
ビュンと、そんな豪速音が彼女だけしか動けない世界で聞こえた。
後ろを振り返るが、そこには止まっている巨人はいない。否、そうではない。
「静止の世界にねじりこんできたのね……! ――ぁ」
隕石に不幸にもぶつかってしまったかのように『時の魔女』は跡形なんてないように消滅し、血さえもほぼほぼ残らない速度で、攻撃を受けた。
その衝突攻撃の正体は静止の世界でも自由に動き始めたランケル。
「こんなんじゃくたばんねぇだろッ! 『時の魔女』!!」
『Ⅱ:逆巻誕生』
アルト声寄りの彼女の呟きが、喉も口も身体も何もないにも関わらず中央闘技場に静かに響く。
中空にあったであろう気体が液体に、液体が固体に変化して、人の形を模していく。
衣服を含めてすべてを巻き戻して彼女はこの地に舞い戻る。
「当然よ。Ⅹ:幾分岐忘却一束」
時が削り取られたかのように、時そのものが飛ばされる。
飛ばされる最中の意思は『時の魔女』ただ一人。時を飛ばした間に彼女に起こした行動は、本来の相手であれば絶命の一手だった。
「皮膚を空け、心臓を取り出しても生きているのよね」
言葉のとおり、彼女は胸に皮膚を貫通するほどの風穴を時飛ばしの仮定でやり遂げ、心臓のみは幾分岐忘却一束の効力外にして取り出す。
時飛ばしの余波で、他の臓物は血とともに噴出した。それでもランケルの再生に支障はない。
心臓さえも再生した巨体な人外に、しかし『時の魔女』は恐怖するどころか笑みがこぼれていた。
ランケルは心臓をぐっと抑えていう。
「さすがに聞いたぜェ……」
「冗談よね。結局再生するじゃない」
「そうッ、だなッ」
巨人の身体は一瞬にして再生していた。それほど、極地との戦いで再生魔法そのものが成長していた。
しかしながら舌打ちして巨人は不満をぶちまける。
「だが、お互い死なねぇなら一体何で決着すりゃあいいんだろうなッ?」
「そりゃあ魔力の総量でしょう。能力でもなければ魔力の底が尽きれば死ぬ――そこに間違いはないのだから」
「能力だァ?」
ランケルは能力という初めて耳にした言葉を訝しむ。
『時の魔女』は掌で口元を隠す。
「……今のは失言。貴方との戦いには関係ない。もし、その言葉を深追いして知りたいのであれば貴方……死ぬより恐ろしい景色を見ることになるわよ」
彼女の挑発にランケルは豪快に笑い飛ばす。
「そんな景色があるなら見てみたいぜッ! この惨状以上の景色、中々ねぇけどなァ!!」
惨状。
そう、中央闘技場は既に世界の終わりが訪れたあとのように瓦解していた。
最強と最強の対決によって地面に巨大な穴が開き、頑強なはずの中央闘技場の壁はいたるところにひびが入り、瓦解している場所も多々ある。
そして未だに展開されているⅦ:時厄災譲渡――赤より紅き、異常な景色と暗雲立ち込める稲光を発してしまいそうな雲。それを同量の巨大な時計。それが天と地に無数に存在している。
まさしく、世界の終焉といっても過言ではない惨状である。
死んだ瞳をした『時の魔女』は口元をゆっくりと開く。
「なら、これ以上の惨状見せてあげる」
無数の巨大時計の長針、短針はギギギと軋むように、強引にⅪを指し示していく。
そして彼女はランケルを見つめたまま、いった。
「Ⅺ:次元接続」
*****
ランケルは意識が覚醒する。
暗闇で、何もない空間。
浮かんでいるのか地に足がついているのか不明瞭だった。それでもなぜか、自身という存在はこの暗闇の空間にいる自覚だけ異様に強かった。
「あんッ、どこだここ?」
四方八方すべてが黒一色。それ以上でもそれ以下でもない空間。
そこにこつんこつんと、足音が聞こえた。
その足音先の方向に視線合わせようと振り向くと、○○がいた。
○○はあるときは小人に見え、
○○はあるときは巨人に見え、
○○はあるときは人外に見え、
○○はあるときは凶器に見え、
○○はあるときは化物に見え、
○○はあるときは概念に見え、
○○はあるときは世界に見えた。
「なッ――! 誰だテメーは!?」
ランケルはその正体不明の姿が変化し続ける嫌悪感に頭がぐちゃぐちゃにされた感覚を覚えた。
それでも、頭を必死に抑えてその質問を口にした。
○○はいう。
「俺、私、僕、我、……一人称なんてどうでもいいね。とりあえず鬲皮視にしとこう」
「なんつったッ!?」
「だから鬲皮視だよ。聞こえなかったなんていわせないよ。この鬲皮視の声は脳に響き渡るように魔法を組み込んでいる。ああ、脳の処理が追い付いてないのかな。まあ、聞こえていまいが聞こえてようが別にいいけど」
ぐにゃりぐにゃりと変化を続けながら喋っているソレは、口がないようにも見えるし口があるようにも見える。そんな状態でランケルの額に触れて語りかける。
「君は『時の魔女』に招待されてここまで来た稀有な存在なんだ。誇れ、彼女がここまでしてくれるなんてないのさ。その実感を噛みしめるように味わえ。その実感を舌を噛みきるように味わえ。その実感で血を吐き出すように味わえ。舌が切れれば次はどこかを切って自身の一部を味わえ。たとえ人間でなくなっても、身がすべて切り刻まれて消えても、次は何になるか考えを続けてその思考を味わえ。変化こそ最高であり続ける実態。それがこの鬲皮視なのさ。わかったかい。名もなき存在」
ランケルは既に巨人ではなくなっていた。
自身の存在が曖昧だった。自身は何者で、何者から何者に変化したのか。
鬲皮視が話しただけで、ランケルは自身の存在が一瞬にして曖昧になっていた。
身体でだけでなく魂も曖昧にされ、アイデンティティなどとっくに崩壊している。
「ぁ……うぇ……」
記憶がごちゃごちゃに、誰かの記憶と誰かの記憶が混ざりこんだと思ったら、その記憶自体も消えていく。
何かで記憶が上書きされたと思ったその次の瞬間には、その記憶が別の何かに急速に上書きされていた。
自身の概念そのものが変わっていく。自身の見えていた世界そのものが変わっていく。
狂うことも、暴れることも、鬲皮視の前では許されなかった。
「あ、『時の魔女』のお気に入り、壊しちゃったかな。まあ、仕方ない。この鬲皮視の前に現れたんだ、諦めてね。といってももう聞こえないだろうけどね」
常に変化し続ける存在は、変色しながら変幻自在に変化し続けながら笑う嗤う哂う狂う――口もないにもかかわらず、どこからかその笑いを真っ暗闇の空間に響かせていた。
ランケルという概念はこの世界で瓦解した。