誰が悪役令嬢を殺すのか?
ある日、オリビアは熱病で倒れた。
生死の境をさまよう彼女に同情は少なかった。むしろ罰が当たったのだとひそやかに噂されていたくらいに。
目覚めたオリビアは、別人かというほど落ち着いていた。周囲が不安になるほどに、誰にも怒らず、やさしく微笑み、いつもは叱責していた失敗を許した。
それどころか、侯爵家のご令嬢としては当たり前のことさえも贅沢だと控えるようになった。今まで集めていた装飾品も一つも増えず、ドレスも何度も着るように。
周りは戸惑うばかりだった。いままでわがままだった娘が急に大人になった。それだけとは言い切れない不気味さ。しかし、良いことばかりだからこそ、指摘してはいけないように誰もが黙った。
体調が回復したオリビアは学院に復学した。まじめに授業を受け、課題を出し、誰とも揉めなかった。それだけで学院内に衝撃が走った。学院の女帝は、どこかへ消え去った。そう周囲が理解するまで時間がかからなかった。
オリビアと学院にとって何もかも順調に思えた日々は、そう続かなかった。
オリビアはある女生徒に話しかけた。怯えたように視線を向けられる理由がわからないからと。忘れてしまったのですかと女生徒が泣きながらした訴えは、周囲も知っていたことだった。
浮気性の婚約者の今の恋人である女生徒。オリビアはそれを排除しようとしていたのだ。
そのようなことはおやめくださいと言われても、なお、許さないと。
オリビアはそれを忘れてしまっていた。婚約者ごと全部。
ああ、いらないのであげるわ。今まで悪かったわねとオリビアは言う。ぽかんとしたような女生徒を見てオリビアは小さく笑った。
その日からのオリビアはまた違ってしまった。
今までの自分の痕をさがしはじめた。どこかなにか失ってしまったものを取り戻さねばならないと言うように。
穏やかなオリビアが失われるかもしれないと周囲は止めたが聞くことはなかった。
そんなある日、事件が起きた。
オリビアが校舎から落ちてけがをしたのだ。打ち所が悪ければ、死ぬかもしれないほどだったが運よく木々が生い茂るところにおちた。数日の療養を必要とするだけだった。
殺人事件ではないかと騒然とした。容疑者がいないわけではなかった。
オリビアに目の仇にされていた女生徒。
浮気性の婚約者。
オリビアに成績を抜かれた優等生。
あるいは、些細な嫉妬に突き動かされた誰か。
しかし、それの内の誰でもなかった。
気がついたオリビアは家族を全員集めて、お茶を振舞った。
心配をさせたことを詫び、わかっていることを説明すると話し始めた。
自分で落ちたのだとオリビアは言った。
昔のオリビアのしたことが許せないと。忘れてしまったことも。全部。
淡々と家族の前で語り、あなた方もそうでしょう? と問う。
愛したオリビアは変わってしまった。元にもう戻らない。あるのは不気味な偽物。
美しく傲慢であったオリビアはそう望まれそう育ったのだから。
穏やかで優しいオリビアは望まれない。指摘された言葉に家族は狼狽するが、オリビアは重ねて指摘する。
規範にあっていない行動を嗜めるだけで、本当に何が悪いのか教えてこなかった。幼い価値観であることもわかっていたはずなのに見逃した。それは、本当に、偶然だったのでしょうか。
愚かでかわいいものを愛でたいだけではなかったのでしょうか。
どこかに逃げていかないように。
そう言うオリビアに誰も何も答えなかった。
それを見てオリビアは微笑んだ。
無自覚でしたのね。悪意がないことは許すべきなのでしょうね。
しかし、私は許せないのですよ。
呟いてオリビアは部屋を出た。
誰も追うものはいない。
なぜか体が熱く、動けなくなってしまったのだ。皆が同じ症状であるということは、もしかしたらお茶に何か仕込まれていたのかもしれない。そうとわかってももう遅い。
彼らにわかるのは永劫オリビアがいなくなったことだけだった。
オリビアは森の奥に暮らしていた。生贄が欲しいと言う村の話を聞いて、そこで生贄になることを志願した。どうにも自殺はできないらしい。誰かに食べてもらおうと思ったのだが、生贄とは嫁だった。
話が違うと憤慨する彼女に生贄を求めた頭が三つある犬は面倒だなとため息をつく。
日課は散歩とブラッシング、ボールを投げたり、遊ぶこと。それから、時々お風呂。
それはお世話係とオリビアは思いながら、日々を過ごすうちに何もかもどうでもよくなってきた。
過去の自分のことを忘れたわけではない。誰かをいじめていたということはオリビアは許容できなかった。しかし、熱病になる前にはさすがにまずいのではないかと気がつき、何とかしようとしていたのだ。そこだけはまともだったなと彼女には思える。
それを家族に感づかれ、薬を盛られた。熱病のようで最近起こったことを忘れさせる薬だと言う。その薬の存在を知ったのは偶然だった。
教えてくれて、毒の抜き方も一緒に考えてくれた薬学の先生には頭が上がらない。彼女に良いことが起きますようにとオリビアは事あるごとに祈っている。
オリビアは薬の影響を抜け、記憶を取り戻し、そして、今までしたことに絶望した。
一人一人に謝罪し、壊したものは弁償し、慰謝料を支払った。恐縮するものもいたが、無理やり受け取らせたのは罪悪感を減らすためだった。
それに偽善と言われても、傷はないことにはならないと言われても、その通りだオリビアも思う。詫びて足るものではない。
金銭で贖えるものでも。しかし、ほかに方法がなかった。いや、考えようともしなかったのかもしれないとここにきてオリビアは思う。
オリビアも傷つきたくはなかったのだ。人のことを都合よく傷つけてきたのに、自分はされたくないと言うのは都合が良すぎる。
そういう自分もオリビアは好きではない。だから、誰かが殺そうとしていると知っていても何もしなかった。しかし、死に損なった。
一度でなく、何度も。
さすがにおかしいと思い、生贄となろうとすれば、犬の世話係である。流転の先としては気が抜けるほどに穏やかだ。
私は私が嫌いで、許せない。
オリビアがそう言うと三つ頭の犬は言う。
うむうむ。ならば、儂にいつか食べられる日までよく仕えよ。
あ、そこ、良いな。ごしごしっとな。
無駄にブラッシングの技術だけが上がっていく日々をオリビアは過ごすことになるのだった。