その2.嘘つきな王子様は悪役令嬢に恋をする。【後編】
「ふざけるな」
母上が毒に侵されて倒れた日のことを思い出す。
アレだって、王城内での出来事だ。
侯爵夫人は古くから教鞭をとっている身元のはっきりしている人間だからと、どうして俺は疑うことすらせずに信じてしまったのか。
今日はリティカが王妃教育のために登城している。
今、この瞬間も彼女が暴行を受けていたら?
そう考えただけで、怒りが抑えられなかった。負の感情に引っ張られるように、俺の中から行き場のない魔力が溢れ出る。
コレが他人も自分も傷つけるものだと分かっていたけれど。
「ロア様、いけません」
「止めるな、命令だ」
セザールの制止を振り切り、俺は移動魔法を使って王城に戻った。
王妃教育中は原則立ち入り禁止だが、そんなことを言っている場合ではない。
勝手に魔法でこじ開けてドアを破壊した俺の目に映ったのは、上を脱がされ下着だけの状態で床に座らせられたリティカの姿と鞭を手にしている侯爵夫人。
リティカがこんな扱いを受けているなんて、絶対に許せなかった。
このまま一族まとめて亡き者にしてやろうか? 怒りに任せてそんなことさえ思った時だった。
「私の獲物を横取りだなんて、いけない王子様ですこと」
そんな言葉とともに俺の視界に入ったのは、真っ直ぐに俺を非難する空色の瞳。
「これは、王妃教育の一環ですわ。ロア様は手出し無用です」
そういうことにするつもりらしいリティカは、だから俺に手を引けと訴える。
「勿論、証拠映像もございます。それともこれからあなたを支えていこうかというこの私が、この程度の些事御せないとでもお思いで?」
口角を上げ、不遜な態度でリティカは笑う。
口ではそんな言葉を並べてみせるが、その声も俺の襟首を引っ張るその指先も震えていた。
怖くないわけがないのだ。こんな、魔力を制御できない暴発寸前の人間を前にして。
だけど、それでもリティカは逃げずに真っ向から俺を止めようとする。
そんな彼女を見て、俺は冷静さを取り戻す。こんな形で騒ぎを大きくし、魔力暴走でも起こせば俺だけの問題では済まなくなるというのに。
何をやっているんだろうか、俺は。
「行きましょう、ロア様」
そうリティカに促され、俺は黙って彼女に従った。
助けに来たつもりで、結局リティカに守られて。その上フォローまでされてしまった。
自分のカッコ悪さと情けなさに逃げ出したくなる俺に、
「慰謝料入ったらまた一緒にお茶しましょう! 今度はロア様がお好きな茶葉を私が準備しますから」
そう言ってリティカは俺に手を差し伸べる。
楽しげに小指を絡めて、
「期待しててくださいね!」
と得意げに笑うリティカを見ながら思う。
優しいのは俺じゃなくて、リティカの方だ。そんな彼女に相応しい婚約者になりたい、と。
その願望はストンと自分の中に素直に落ち着いて、気づけば魔力は暴走せずに当たり前のように制御できていた。
「お茶会期待しているから、無理をしないで何かあれば私にも言うんだよ?」
見ているだけでいい、なんて嘘だ。
本当はリティカのそばに居たい。リティカに守られるんじゃなくて、リティカのことを一番に助けたい。
それができる、自分になれたら。
リティカに、好きだと気持ちを告げる事ができるだろうか。
そう思った時だった。
「あれ? おかしいな……」
リティカの足がもつれ、彼女が床に崩れ落ちる。
慌ててリティカを支え、彼女の名前を呼んだけれど閉じられた瞳が開く事はない。
「リティー! リティカ!! ごめん、本当にごめん。お願いだから、目を開けて……リティー」
血の気が引いたリティカの顔を見て、俺はひどく後悔する。
この力は大切なヒトを傷つける。
分かっていたはずなのに、人任せの制御に頼り、仕方ないと諦めて自己管理する努力をなぜ怠ったのか、と。
「……リティカを医務室に運びます。ロア様お手をお離し下さい」
駆けつけたセザールに促され、
「今のあなたでは無理です。鍛え直して出直してください」
キッパリそう言われて俺はようやくリティカから手を離す。
無理矢理魔道具と外部干渉の魔法で魔力を制御している副作用で、年齢の割に成長せず華奢過ぎる自分の身体。
同い年のリティカとあまり変わらない背丈と細い腕。
リティカに騎士団に連れて行かれた時に、
「万が一ロア様が怪我をなされた時には、私がお姫様抱っこして差し上げますわ」
なんて言われたけれど、このままだと本当にそうなりそうな未来が見えてぞっとした。
やばい、早急に改善せねば。
それに何より、他の男にリティカが抱えられるのは腹が立つ。
それがたとえ彼女の兄であっても、だ。
リティカにとっての一番は俺がいい。
俺は父に似て独占欲が強かったらしい、と今知った。
そして目下のライバルはセザールだ。
「次はお姫様抱っこ譲らないからな!」
ビシッとそう宣言した俺は、とりあえず騎士団長につけてもらっている訓練量を増やす事に決めた。