19.悪役令嬢の誤算。
私の目が覚めた時には、全部が終わったあとだった。
私が法廷に出向くことなんてもちろんなく、ロア様も約束通りこの件に触れずにいてくれたのだけれど。
「この度は本当に申し訳なかった。メルティー公爵令嬢。これで手打ちとしてくれないだろうか」
そう言って私に深々と頭を下げたのは、ヴァレンティ侯爵。この国の財務大臣だ。
提示された金額に私は軽くめまいがする。私の請求予定額よりもゼロの数が2つ多い。あまりの金額に驚き過ぎて3度見してしまったわ。
慰謝料として100億クラン請求するつもりだった私が言うのもなんなのだけれど、9歳児に渡す金額ではない。
と言うよりも、こんな金額払ったらヴァレンティ侯爵家は路頭に迷ってしまうのではないかしら? と他所様の家の懐事情が非常に心配になってしまう。
「リティカ、気に入らなければ断っていい。そんな端金受け取る価値もない」
底冷えするような冷たい声で、お父様がそう言い放つ。うん、けして端金ではないけれどお父様がかなりお怒りなのはひしひしと伝わってくる。
お父様のバックにブリザードの幻影が見える気がする。
甘かった。
私を傷つけられて、私にベタ甘のお父様が許すはずなどなかったのだ。
だから、内密に事を進めようと思ったのにお父様の情報網を私は舐めすぎていた。
ロア様とのお茶会をほんの少し早く切り上げてきただけで、仕事を放棄して帰ってくるお父様だ。
私が倒れた理由も含めて、隠し通せるわけがなかった。
「本来ならリティカに会わせるなど言語道断。一族全員吊るし上げて、打首にしたってまだ足りないほどだと言うのに」
陛下の意向だからしかたなく謝罪の場を与えてやっているのだと、許してやる気などまったくなさそうな声でお父様は侯爵を突き放す。
「そんなっ、娘は……せめて娘の命だけは」
「それほどまでに愛する我が子がいると言うなら、私の怒りが正当なものだとわかるだろ」
いや、過剰です。
私は心の中で盛大にツッコむ。
ヴァレンティ侯爵夫人をかばうつもりはさらさらない。しかもお父様が調べあげた結果、他にも余罪がいくつも浮上したし。
あのおばさん、こっそり手を回して他所でも同じ手口で令嬢をつぶしていたらしい。自分の娘にとって、ライバルになり得る可能性のある令嬢たちを。
その行いは決して許せるものではないのだけれど、私のせいで死者が出るのは望まない。ぶっちゃけ寝覚めが悪いし。
「公爵家に手を出すなど、本来すぐに首をはねられても文句の言えないことだとわかっている。だが、まだ娘は9つになったばかりなのだ。何の罪もない、娘はせめて」
そういって床に頭を擦り付けるヴァレンティ侯爵。
「知ったことか」
それを冷たく一蹴し、取り付く島もないお父様。
構図的にどう見てもお父様が悪役。というよりも私を挟んでやり取りするのは本当にやめてほしい。
この話の落としどころは、どこにあるのだろう。
私は一方的に責められている侯爵と提示された金額を眺めながら、慎重に考える。
自分が公爵令嬢だという立場も踏まえて、最適解を弾き出さなければ、何の犠牲も出さずにこの場を収める事は難しいだろう。
正直、私は慰謝料さえもらえればそれでよかったのだけれど、お父様の怒り具合から察するに事はどうも簡単に済みそうにはないし。
それより何より、会ったこともないヴァレンティ侯爵令嬢のことが気になった。こんな毒親の下で育った彼女は、一体これからどうなるのだろう?
この件が明るみに出れば、たとえ命が助かったとしても、狭い貴族社会の中でずっと後ろ指を指されることになる。そうなれば、行き着く先は戒律の厳しい修道院か。
子どもは親を選べない。
まだ9つの何の罪もない子どもに重い十字架を背負わせる事は果たして悪役令嬢のすることかしら?
「いいえ、それは私の美学に反するわ」
ぽつり、と私はそう漏らす。
「リティカ?」
私は悪役令嬢らしく傲慢な笑みを浮かべると、金額の提示された小切手を床に這いつくばる侯爵の上に落とす。
「お父様のおっしゃる通り、こんな端金では全然足らないわ」
私は悪役令嬢だ。
ヒロインの障壁であって、それ以外の他者をむやみやたらと意味もなく不幸のどん底に叩き落とすために存在するわけではない。
「この国唯一の公爵令嬢であり、未来の王妃候補である私の事を舐めていらっしゃるのかしら?」
私は侯爵の前にしゃがみ込むと頬杖をつき、にこりと微笑んで小首を傾げる。
「私が受けた苦痛をこの程度で手打ちにするなんて、私そんなに甘くはなくてよ?」
ここは私が前世でプレイした乙女ゲームの世界に似ているけれど、現実は残念ながらゲームとは違い優しくも甘くもなく、ご都合主義にはできていない。
少し前まで荒れていたこの国には、まだまだ悪習が残っている。
だから、どんな人間であれ罪は償わなくてはならない。
決して陛下に、そしてこの公爵家に刃向かう者が出ることなどないように。
だけど与える罰は、重過ぎても軽過ぎてもいけない。
そうしなければ、また争いの炎が再燃してしまうから。
「……では、あなたは何をお望みでしょうか?」
いつか裁かれる側の悪役令嬢である私が、こうして誰かを裁くなんて、なんて皮肉な事かしらと思いながら、私は涼やかに望みを述べる。
「狗におなりなさい。決して私を裏切らず、私のために働く、私のためだけの狗に」
そうすれば命を助けてあげる、なんて悪役っぽいセリフを並べながら、私は心の中でヴァレンティ侯爵にごめんなさいと謝る。
国の重役の1つである財務大臣相手に狗になれだなんて、本来ならとんでもない要求だ。
「……狗」
息を呑む侯爵に、
「ええ、そう。狗よ」
私は間髪入れずにそう頷く。
そもそもの話、ヴァレンティ侯爵が直接私に危害を加えたわけでは無いのだけれど、妻の監督不行と妻を王室教師に推薦したという点でヴァレンティ侯爵並びに侯爵家は同罪に問われてしまう。
だからコレは私にできる最大限の彼らのための救済措置。
「とりあえず即金で100億クランは受け取るとして。具体的にはそうねぇ、あなた確か投資が得意だったわね。これを元手にとりあえず倍に増やして頂戴?」
私は落ちていた小切手を拾い上げ、侯爵の目の前に突き出すと無理難題をさも当然のようにふっかけた。
どうせどこかで見ているだろう観客を意識して、悪役令嬢らしく傲慢な笑みをにやりと浮かべ、心底楽しそうな無邪気さを装う。
「あと鉱山の管理も面倒だから代わりにやっておいてくださる? 手数料くらいはくれてあげるから」
ヴァレンティ侯爵家はその領地に数多くの鉱山を保有している。私に譲ると明記してあったその鉱山。管理の手数料だけでも充分すぎるほどの収益になるはずだ。
「ああ、私の狗が私の品位を落とすなんてありえないから。だからこれからも貴族としての体面を保ちなさい? 必要経費を払うのも、飼い主の務めね。だからそのために必要な額はあなたに預けるこのお金から出して構わないわ」
きつい言い方を直訳すれば、今まで通りの生活をしろってことだけど、ちゃんと通じてるよねと内心涙目になりつつ、私は悪役令嬢ムーブをかます。
「あー、あとあなたの娘になど興味はないわ。私の目に入らない子どもに一々目くじら立てるほど私暇じゃないの。だから、私に歯向かうような身の程知らずに育たないよう妻もろとも侯爵自らしっかり教育なさいね? もちろん、侯爵夫人はもう二度と私の目に触れないようにして頂戴。だからといって簡単に殺してしまうなんてつまらない真似をしてはダメよ。いい修道院なら、いつでも紹介してあげるから」
母親がそばにいることが良いこととは限らない。それでも令嬢にとっては必要な人かもしれないし、その辺の家庭事情は私にはわからないのだから、夫人への罰の裁量は侯爵本人に任せようと思う。
「とりあえず私の要求はこんな所かしら? これから先私が言うことには、全てハイと答えなさい。あなたは私の飼い狗なのだから」
私の並べた要求はどれもこれもすぐさま達成できるものではない。つまり私の命令が遂行され、私が納得するまで侯爵は贖罪という名の鎖で私に縛られる。
私のモノであれば、いくらお父様がお怒りだとしても、勝手に侯爵家に処分を下す事はないでしょう。何せお父様は私にベタ甘ですから。
「……ははっ、コレは驚いた。失礼だが、私はあなたの事をただのわがままな小娘だと侮っておりました」
見事な演技力をお持ちだなんて褒めてくれるところ申し訳ないのだけれど、数ヶ月前までは素でそうだったんだけどねと私は乾いた笑みを浮かべる。
「寛大な処置に感謝申し上げます」
「あら、一体何のことかしら? 私はただいつも通り、私の欲望を述べただけよ」
これでよろしいかしら、とお父様に視線を流せば、
「……リティカがそう望むなら」
とため息交じりにうなずいてくれた。どうやら事はおさまったらしいと私はほっと胸を撫で下ろす。
自分の振る舞いや発言で1つの家門の運命を左右してしまうだなんて、私には荷が重過ぎる。
あーやっぱり早く国外追放されて、裕福な庶民として悠々自適なスローライフを送りたい。
私はそんなことを考えつつ、棚ぼた的に王子ルートを進めるために有利に働きそうなカードの1つを手に入れたのだった。
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