遺書
どうも。
何だか改まって手紙を書くとなると少し照れるものですね。こうして書くのは中学校の卒業の時に学校側から強制的に書かされた両親への感謝の手紙以来じゃないでしょうか。何て書いたのかもう内容なんてちっとも覚えていません。きっと先生が求める回答をぎっしり書いた手紙だったんじゃないでしょうか。そもそももうその頃には携帯が発展して手紙なんてわざわざ書いたりしませんでしたね。あ、これは言い忘れていましたが私の遺書になります。この世の最後に私が何を思ったのか、貴方にこの手紙で伝えさせてもらおうと思いまして筆を取った次第です。別に恨みとかある訳じゃないですよ。ただ、やっぱり産まれた所には死ぬ挨拶も必要かなと思いまして。私は、私の意志でこの世を去るんですから。これ以上に幸福なことなんてないと思います。まぁ、これを言ったらまた貴方は何か言うのだろうけど。もう良いんです、死ぬから。私と貴方が水と油なこともどうでもいい。もうこれから、はないのですから。寧ろいなくなるって書いてあってどこか安堵しているんじゃないですか?世間体命の貴方のことです。地方の私大にしか受からない馬鹿な私がお気に召さなかったのでしょう。それに就職先もね。あ、勤め先はもう辞めていますから特にすることはないですよ。貴方の手を煩わせないように手配はもう整っていますので、御安心を。気配りは出来た人間だったと自負しているので。
話が逸れましたね。貴方は私に興味はない癖に執着が酷かったですよ。私が何に興味を持っているのか、じゃなくて点数しか見ていませんでしたし。やっと出来た私の好きな物、生き甲斐と言っていいもの達を伝えとしても侮蔑しましたよね。貴方はそんなつもりなかった、何てシラを切るのでしょうけど。少なくとも受け取り手はそう感じていました。この件が大きな契機となり私は人間不信に陥りいましたし、自己否定が以前より激しくなりました。「私は気持ち悪いのだ」そう貴方に烙印を押された気がしてならないのです。こんな私と交流を持ってくれていた心広い友人達には深い感謝しかありません。勿論、この遺書を書いている貴方にはそこまではありませんが。
これまで私は自殺を考えなかった時はありませんでしたが、今回何が決め手だったと思います?心当たりは多少はお持ちなのでしょうか。貴方の考えていることなんて実家を出てからほぼ共感出来たことありませんので、きっと説明されても理解も何も生まれませんね。
貴方は以前、「私が何を考えているのか知りたい」と言って来たことがありましたね。それに対して私は「何も考えていない」と答えて貴方は怒り狂っていましたが。貴方の目には私が毎日何かしら意思と目標を持って生きている人間だに映っていたのでしょうか?前述した通り、私はゴミカス人間なのでそんな大それたものはありません。あれだけ「早く死にたい」と言っていた私の声を覚えていない証拠ですね。第一、働き始めて社会の闇を垣間見ているのにそんな物抱ける程私は若くありません。汚い物を見れば幻滅し絶望しながら誰かの代わりに成れるであろう社会の歯車の一部として働く。社会なんて私から見たらそんなものです。将来の夢なんて早く死ぬこと以外ありませんし。まぁこの夢ももう叶うので本望なのですが。
社会で働いて見て分かったことといえば、不倫は思ったより身近なんだと実感しました。社内であれば、誰と誰が不倫関係なのかすぐ噂で分かりましたし。だから貴方も父親もしているのでしょうかね。気持ちは全く分かりませんが。何で離婚しないのでしょうね。ずっと不思議でした。別居もしていて、同じテーブルに着くことなんてここ数年はして言いませんのに。ただ互いに見栄だけが残った結果そうなったのでしょうね。私はそんな貴方達を見ているからか結婚は幸せだとお思えないし、恋愛も幸せなのか一生分かりませんでした。分からないまま死ぬんですけど。まぁ貴方達の子供だししょうがないですよね。それが運命です。こんな運命なら生まれたくはなかったですが。よくここまで生きたと思います。この世は汚いし疲れるし、もう沢山なので全てを見捨てることにしました。今後、貴方様が私みたいな犠牲者を生み出さないことだけをお祈り申し上げます。
いつ死んだのか、動機はとか色々あると思いますが私は明記しません。ここまで読んでいないかもしれませんが私は死にます。さようなら。
こんなふざけた手紙が私の家に届いた。何の悪戯だ?確かに私の娘はあまり頭は良くないが、笑顔が素敵で素直な良い子だ。学校や塾をサボったことは一度もないし、一度始めたら続け通せる子。そんな子がこんな趣味の悪いことをわざわざするだろうか。だが、私達家族の詳細を知っている。そして私はここ数ヶ月娘と連絡を取っていない。これまでにない大きな喧嘩をした。理由は私に相談もなく勝手に転職していたこと。何故社会人経験豊富の私に相談しないで勝手に決めたのか。そして何故友人に話していたのに私には事後報告なのか、一切解らず激しい言い合いをした。何で私に頼らないの?私の娘なのだから大事に決まっているじゃない。そんなどこの中小企業かわからない所よりも母である私が選別してあげるのに。その思いが爆発してその言動が直接本人に向いてしまった。何をどれくらい言ったのか、あまり定かではないが謝って来る娘を突き放したことは覚えている。あれから一度も連絡はない。まさかあの喧嘩が原因…?一抹の不安を拭いきれず、私は娘に電話を掛けた。間違いだったら、この流れのまま私から謝ってしまおう。もう娘の声や姿が見れないのは限界。早く…早く出てくれ。その思いも虚しくコール音だけが脳内に響き渡る。どうしよう。誰に相談すれば良いのか。もうこれを持って警察に行くしかないのか。対応してくれるのかしら、それとも行方不明届を出すだけなのかしら。軽い混乱に陥っている状態でタクシーに飛び乗り、警察署へ向かった。
「いやぁ…この手紙だけで捜索願って言うのはちょっと…厳しいですね。
娘さん、もう社会人ですよね?だったら案外どこか別の場所に引っ越して自立しているかもしれませんよ。」
昼日中ということもあってか長過ぎる待ち時間を何とか耐え、やっと順番が回ってきた回答がこれで怒りが爆発してしまった。
「いや、ですからそれを確かめる為に捜査をしてもらいたいんですけど。
実際今娘とは連絡が取れませんし、こういう時の為の警察なんじゃないですか?」
警察官はわざとらしく深いため息を吐き、小さい声で説明を続けた。
「…我々だって暇じゃないんですよ。ただの人探しというだけでは、動けません。
それに誰かに攫われた、とかではないようですし。
ご本人の意思で、家族から離れたというだけなのではないですか。
お母さん、もうそろそろ子離れしましょうよ。そんなんだからこんな風に娘さんから距離取られちゃうんですよ。」
この言葉で頭に血が昇っていくのを確かに感じた。
何も知らない癖に。私達の関係性もどんな想いで育てたのか何もかも。
私は後ろで半笑いしているであろう警察官を背に、その場を駆け出した。
第三者に何が分かる。私の、私の可愛い娘。
絶対に探し出して見せる。
私は市役所に行き、娘の戸籍を確認した。いくら働いているとは言え、独身の娘は同一世帯。
勿論在住場所が分かるだろうと踏んでいた。
「あの…大変申し上げにくいのですが、娘様に当たるお方は死亡届が出されております。
なのでご住所とかは無く…」
「はぁ!?あ、あんた何言ってんの?!
私の娘がし、死んだって言いたいの?頭おかしいんじゃない?
私は!娘の今住んでいる住所が欲しいって言ってんのよ!!!
意味わかんないこと言ってんじゃないわよ!!」
愕然としながらも、私は市役所の人間に掴み掛かっていた。
気が付いた時には、長女が孫を連れて迎えに来ていた。
無を見つめていると長女は仕切りに頭を下げていた。
「ちょっとお母さんさ、どうしたの。
いつも冷静なのに何でそんな人を襲うなんて…
相手が警察沙汰には…って言ってくれたからまだ良かったものの…」
車の中で何か話していたが、何も頭に入って来ない。
ただ右から左へ音が通過していくだけ。
私は今頭が働いているだろうか、いややはりさっきの衝撃が頭から離れない。
そしてここまでのことが続くとこの手紙を書いたのは本当に娘なのだと、そう実感せずにはいられない。
どうして、なんで、本当に今この世にはいないのか、だとしたら骨は?
そう言えばあの子の一人暮らしの家は?
お友達は何も聞いていないの?
色んな考えが頭の中をぐるぐると支配する。
悲哀に満ちていると、チャイルドシートに乗っている孫が私の手を握ってきた。
無邪気な笑顔を見せつけながら。
小さい爪と小さい手から伝わってくる体温。
新しい生を実感すると同時に私の娘はどうなのかと不安が渦巻く。
すっかり母親になった長女は私に何か語っていたようだったが、何も引っ掛らず私は聞こえないふりをして孫と戯れていた。
どうも。
すっかり一人の母親になられたようで、ですがそんなあなたにまだ私は違和感があります。
あんなに私のことをいじめ倒していたあなたが、結婚して一児の母親になっているなんて。まぁ時の流れですよね。急に手紙なんて驚かせてしまったでしょうか。だとしたらすいません、これは私の遺書になります。これがあなたの手元に届いているということは私はこの世にもう存在しておりません。質の悪い冗談ではありませんし、これは正真正銘、あなたの妹からの遺書です。証明の代わりにあなたとの昔話でも軽くしますか。
あなたはいつも私の希望をねじ伏せるのが上手でしたね。幼い私がサンタクロースを夢見ていたら「そんなんいるわけないだろ」と言ったり、私がプリンセスになりたいと言ったら腹を抱えて大笑いしていましたね。しかもむせるほどに。そんな夢を見れないあなたが次世代の母親にいることが本当に信じれていません。もしかして娘さんにもそんなことしていませんよね?流石にそれはないと信じていますよ。あと一番記憶にあるのは、あなたが金縛りに遭うからと言って私の小さなベッドでよく一緒に寝たこと。一見微笑ましいエピソードに思われますが、私は本当に迷惑でした。布団は全てはぎとられる。いびきがうるさくて眠れない、寝言もある。運が悪い時には私はベットから蹴落とされていました。何度年齢による対格差を疎ましく思ったでしょうか。それくらいには嫌でした。まぁあなたはそんな私の訴えになんて耳を傾けたことはありませんでしたが。
あなたとの昔話はこんな感じですかね。特にめぼしいのはありませんし。これで信じられたかは置いといて、取り敢えず私はこの世を去ったことをお知らせします。電話も解約しましたし、私の私物は全て処分しました。実は実家にあった私の昔の写真とかもこっそり持って帰って燃やしています。これで私が生きていた証明が少しでも減れば、その一心で行いました。流石にあなたの携帯の中身は消せませんが。まぁ小さい頃の写真なんてなくて問題ないですよ。人間の記憶は不確定なので。各々の都合のいい所だけ脳内に刻んどいては如何ですか。私が死んだ所で恐らくニュースにもなっていないと思います。成人済みの一般女性が自殺したなんてそう珍しくないですからね。でもそれでいいんです。私の存在なんてあってもなくても一緒。それくらいなんです。すいません脱線しましたね。未来ある若者に向けて少ないながら現金を送ります。食費になっても、延長保育料になっても何でもいいです。これまでとこれからのお誕生祝だと思っていただければ。
では、これから一人きりではなくなった人生頑張って下さい。さようなら。
朝、私の家にこの手紙と40万円の入った茶封筒が来た。
でも読んでいるのは会社。何でここで読んでしまったのだろうかと、今深く後悔している。
封筒を垣間見る感じ、本物の現金だ。そして何よりこの手紙。
嫌な予感しかしない。兎に角妹と登録されている携帯に電話を掛ける。
コール音はならず、電子音の案内だけが流れて私は頭が真っ白になった。
小さい頃の思い出の内容、これは事実だ。私が思春期の時、ほぼ毎晩と言っていいほど金縛りに遭っていた。霊感がもしかしたらあるのかもしれない、だけど感じるのは家族で私だけ。確証も得れなくて誰かと一緒にいたかった。
でも、甘えん坊な妹は一緒に寝ることに快諾していたしそんな意見なんて言っていた記憶がない。
「今日も?しょうがないなぁ。」なんて言いながら布団を整えていたイメージ。私は反論なんてされていたっけ……
呆けていると、後輩から声を掛けられていたのに気付くのが遅れてしまっていた。
駄目だ、これは会社に持ち込んではいけない。後で家に帰ってから夫に相談して考えよう。
談笑しているとあっという間に午後の業務時間になり、頭を切り替えて仕事をしていた。
さっきのことは考えては駄目。目の前の仕事に集中。
そうして数時間経過すると、役所から電話が掛かってきた。
何か振り込み忘れていたっけと記憶を探りながら話を聞くと、母が役所の人に掴み掛ろうとしているとのこと。
私は電話越しで謝り倒し、すぐに向かうと伝え会社を後にした。
娘を迎えに行き現場に着くと、母は相当暴れていたらしく荒れ果てた惨状が物語っていた。男性職員2人がかりで手を押さえつけられ、目が真っ赤に腫れて呻いていた。髪がぐしゃぐしゃでまるで山姥のように鋭い目つきをしていた。
私は職員さんに誠心誠意謝罪をし、大事にならないようにしてもらった。実家に車で向かっている途中、如何に大変なことをしてしまっていたか私の事情もあるのにと小言を言っていたが孫に構っていて全く耳に入っていないようだった。
いつも都合の悪いことは聞かないんだから。私は深いため息をついて、無言で運転することにした。
どうも。
浮気いつもお疲れ様です。家族より自分の娘と変わらない年齢のキャバ嬢が大切な父親(仮)さん。
今やもう5年位……今の人と続いているんじゃないですか?あ、申し遅れましたがあなたの娘です。
そう、連絡をほとんど取らなくて普段何をしているのか、何が今好きなのか全然分からないであろう娘です。まぁ浮気している人間と関わりたくなかったので、そういう態度にならざるを得なかったんですが。お金払いだけは良くて救われていました。沢山私に物を買い与えて下さってありがとうございました。でも今後は発生しませんが。
お察しかもしれませんが、私の遺書になります。私が父親(仮)さんに手紙を書くなんてこと、あったでしょうか。私の記憶ではないですね。これが最初で最後の手紙になります。後生大事に取っとかないでさっさと燃やして下さいね。
まだ疑っているでしょうか。私とあなたとの思い出は殆どないに近いです。出張と言いながらキャバ嬢と旅行に行ったり、そのことが母親にばれて夜中から怒鳴り合いがあったりそんな感じしかないです。娘にはばれていないと思っていましたか?残念ながら私も姉も知っていますよ。ただ私達が気付かないふりをしていただけです。姉は大学受験、私は高校受験の真っただ中に浮気をしたその根性だけは素晴らしいと思います。それだけ神経図太かったらさぞかしこの世は生きやすいでしょうね。今はその人とは別れて別のお店の私より若いキャバ嬢と5年も付き合ってるなんて…え?何で知っているか?私勘は鋭い方なんです。私の高校の合格発表の時、あなたは出張と言って家にいませんでしたよね。やっと帰って来たと思ったら、鼻をつんざくようなキツイ香水を着けていて。しかもお祝いの言葉なんかくれなくて、どこの国かも分からないビーフジャーキーをお土産と言って渡してきました。もう記憶にないでしょう、その時私がどんな気持ちだったか思いもつかないのでしょう。まぁもう過去のことです。これからはありませんし、決して孫にはそんなことしないで下さい。あと、浮気を隠す努力くらいして下さい。当時中学生だった私でも簡単に分かるくらいずぼらでしたから。
あと私のバージンロードを歩きたいと少々熱く語られた時がありましたが、その夢は叶わなくなりました。私はあなたを見ていたので結婚も恋愛もいいものと思えず、結婚式も素敵なものと思えずそんなすさんだ心のまま死にます。
では、今後はもう会うことはありませんが。お嫁さんに愛想着かされないといいですね。
俺の会社宛てに、こんな手紙が届いていた。
中身を読んで俺の顔は確実に青白くなっているだろう。
俺は浮気をしている。10年位前から。相手はたまに変わるが、大体年単位で付き合っている。
初めはばれた時、嫁と言い争いになって離婚まで行くか行かないかまでなった。
でも嫁は子供がいるからと離婚しないで俺のことを見ないようになった。
普通、ここで改心した所を見せるべきなんだろうけど俺は開き直ってしまった。
どんなに香水をつけられても、それをかき消すくらいの強い香水を着ければいい。
キスマークがシャツについたらそのままクリーニングに出せばいい。
幸いにも俺は金を持っている経営者の為、金に糸目を付けなかった。
女にはまって俺は男だと再認識できて働く意欲も出て、最高に良いと思っていたのに。
まさか最愛の娘に筒抜けだったとは。
愛くるしくて目に入れても痛くないほど溺愛している俺の可愛い娘。
くしゃっと笑う笑顔もちょっと釣り目勝ちで怒って見える目元もすらりとして長い手足も、全てが愛しい。
話してくれないのは反抗期だからだと決めつけていたが……
俺の長年の浮気のことを知っていたという事実が重すぎて、思考が停止していたがこれは娘の遺書だという。
内容を見る感じ、本物なのだろう。
俺は現実を受け止めれなくて天井を見上げていた。
私は娘に市役所で起こったことを少しずつ話し、頭を整理することにした。
握り締め過ぎてぐしゃぐしゃになってしまった私の娘の遺書を名乗る紙を見せながら。
話を聞くと、娘も今日届いたという。
見せてもらうと、内容は違えど書いている形式そして幼い頃の記憶が確かに合致していた。
子供達のアルバムを並べていた本棚に足を運ぶと、確かに一人分に減っていた。
私は思いつく限りの家中を探し回ったが、見付からなかった。
代わりに見つかったのが藁人形。
もしあの手紙が本物なら、既に燃やしてしまっていてこの世には無くなっている。
私の娘と共に。
嫌な予感しかしない。どうして?
私の愛を一心に捧げた私の娘。
何で?私の娘はどうしてもうこの世にはいないの?
ぐるぐると頭の中を色んな考えが駆け巡る。
私の方には全て処理が終わっていると書いていた。
駄目元で勤めていた会社に電話を掛けたが、既に退職済みと言われた。
住んでいたマンションの管理会社にも電話を掛けたが、退去済みと言われた。
あの子と仲のいい友達は?誰かいなかっただろうか。
あの子の卒業アルバムを見れば分かるかもしれない。
18年間あの子が住んでいた部屋に行き確認をするが、見つけれなかった。
写真もアルバムも動画も無くなってしまった。
確かに私は2人女の子を育てたというのに。
母子手帳やへその緒までもがなくなっていた。
あるのは今目の前にいる一児の母になった娘の分だけ。
まるで私が気が狂った、長い夢を見ていたのかもしれないという気さえして来た。
こんなにあの子を証明するものがない。
でも死亡届は出されている。
どうしてなんで、まだ若いのに。
結婚式も見ていない。
まだ仲直りもしていなかった。
後悔の念だけが私を深く深く襲い掛かって来た。
「ごめんね、忙しいのに付き合ってもらっちゃって。」
「いや…大丈夫だけど……その、本気なの?」
明るく相槌をしてくる私の友人。
いや、もう親友と言って問題ないだろう。
突然家の中の物を全て捨てる、欲しいものがあったら持って行って欲しいと言われた。
引っ越しでもするのかと思ったが、彼女は眩い笑顔でこう言った。
「私、死ぬんだ。」
大きな目を瞑って長いまつげを揺らしながら。
余りにも楽しそうに言うものだから私は聞き間違えたのかと思った。
「ううん、死ぬの。
私この世からいなくなるの。」
今度は真っ直ぐ私の目を捕らえて言ってきた。
中学校の頃からの友人から突然そんなことを言われるなんて、誰が想像出来ただろう。
未だに信じられない私は何とか絞り出した声で、問うた。
「……どうして?」
彼女は伏し目がちになりながらも、私の質問をゆっくりと飲み込んでくれた。
「私ね、転職したの。
前の会社が残業代出ないし、上司からセクハラされるし、顧客もひどい人ばかりで金銭的も精神的にも生きていけなくて。
前の会社は親が私が内定貰った中で決めた所だったから、今度は自分で決めたくてさ。
凄い親切な人ばっかりいて、勿論仕事は全然まだ出来ないんだけど。
給料も下がっちゃったけど、前より精神的に安定してきたの。
私が前の会社辞めてから人材不足からか、すぐ倒産してさ親から心配の連絡が止まらなくて。
そう言えば言ってなかったなと思って、説明したの。
そしたら、もう大激怒。
今すぐ地元戻って来い、寧ろ戻らせてやるって言われてそのまま地元の人とお見合いされそうになって。
私は今楽しく働いて、日々を過ごしているってどんなに言っても聞いてくれなかったの。
私がセクハラで苦しんで相談した時も、そんなので悩む私が悪いって言ってきたし。
だからあぁ、この人達は私の意見なんてどうでもいい、聞く気がないんだってよく分かった。
それでそんなに操り人形が欲しいんだったら私の生まれ育った証明全部無くしてやろうと思って、親がいない時にアルバムとか私が小学生の時作った作品とか全部、ぜーんぶ捨てた。
私の身代わりに小さい人形を置こうと思って。
だからこの部屋のものも整理しようと思ってさ。」
重い話しちゃってごめんね。と物に視線を戻す彼女の横顔は、泣き出しそうな顔をしていた。
彼女の自殺を止めれるのは私だけだと思い、提案をした。
「ねぇ。法的にこの世から消えた振りをしたらいいんじゃない?」
「どういうこと?」
この時の私は気が動転していて、兎に角彼女を死なせまいと必死だった。
私の公務員という立場を利用して、彼女のお母さんに死亡届が提出されているということを伝えるだけ。どうせ、そんなに彼女の話を聞かない人達なら長年の友人である私の顔と名前だって記憶にないはず。
娘が死んだって疑った状態で来たら、誰だって気が動転しているし上手いこと行けば私に手を出したりして認知症の疑いがかけれる。周りからやばい人認定されたら、こっちのものだと。
余りにも穴抜けな作戦。
彼女は暫く鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、「いいね」と言って来た。
「じゃあ取り敢えず、遺書って言って家族だった人達に手紙でも送るか。」
嫌味をネチネチ言わないと気が済まないからね、と笑顔に戻った彼女を見て私はこの選択の罪悪感が薄れていた。
最終的に彼女は渡英することになった。イギリスにも支社があるとのことで、要望が通ったそうだ。
日本には戻ってくることはあれど、地元には二度と戻ることはないらしい。
まぁ戻ってしまったら生霊扱いされるだろうけど。
「家族だった人達と物理的に距離を取ったら、もう会えないでしょう?
私向こうで永住権取得目指すし。心を許せる友人と離れるのだけが悲しい。」
別れの時、わんわん泣くかと思ったら飛び切りの笑顔で両手振って旅立った。
彼女とは今でも仲が良いし、連絡も取る。
時差の関係で長くは出来ないけど。
そう言えば彼女の家族は、母親の認知症のせいで市役所で大暴れしたと噂が広まり市役所に来たら娘さんに連絡が行く様になった。
ブラックリスト的な扱いになって助かってる。
いくらいつもと違う格好をして応対したからって、ばれたら面倒だしね。
コーヒーを飲んで一息着いていたら、電子音が響き渡る。
彼女は生きている。