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trance world   作者: 篠田幸彦
プロローグ
2/2

Transfer,1



…最悪だ。

何だこの状況は、ふざけているのか。

俺は今、非常に意味不明な状況下に置かれている。

俺の真正面には数学の教科担任であり俺がいるクラスの担任でもある岸田が物凄い形相で…

右手には黒板用のでかいコンパスを。

左手にはこれまた黒板用のでかい定規を持っている状態で立っているのだ。


ここは何処だ?…廊下か?でもどうして…


何故このような理解し難い状況下に俺は置かれているのかも、何故俺は廊下に座り込んでいるのかも、何故岸田は怒っているのかも俺には全く検討もつかなかった。


それもそのはず。俺は数学の成績は5で別に悪いわけではないし、授業も静かに受けている。悪口ひとつ言っていないし、悪態をついた覚えもない。提出物だって全て期限内に提出しているし…どうして?何故だ?


とかなんとか思考を巡回させながら、迫り来る岸田の足取りに合わせるように俺は後ずさるしかなかった。


あの教師は一体何を考えているのか。

何故俺に怒っているのか。

…いやそもそも怒っているのか?


…考えても考えても答えが出ずに俺は後ずさる。


ズリ…ズリ…


コツ…コツ…


自分の制服の生地と廊下が擦れている音と、岸田の黒いヒールが廊下を踏みつけるような音だけがこの場を支配している。


それらは妙な威圧感と緊張感を放っており、

俺の背筋が凍りついた理由としては十分すぎるものだった。


…ズリ…ズリ…ズリ…ドンッ


岸田に恐怖して後ずさる俺の背中がふと何かにぶつかった。


「え…」


なんてマヌケな声を出しながら振り返るとそこは壁になっていた。


まぁ、考えれば分かることだろう。

廊下には突き当たりというものが存在しないとおかしいのだから。無限回廊なんて存在されても恐ろしい。


そんなことを思っていたら自分の目の前が少し暗くなった。


俺は反射的な感覚で、でもそれを拒むようにゆっくりと、壁を見つめていた状態から正面

へ振り向くと、


ドアップの岸田が定規を俺に振り上げて…


バシッ


「うわぁぁぁぁぁぁあっっ!!…っっこここ…殺されるぅうぅっ!!…ってあれ?」


驚きながら立ち上がると、そこには怒り狂った岸田はいなくなっており、代わりにクラスメイトが俺を奇妙なモノを見るような顔をしてこちらを見ていた。


「あれ…あれれ…えぇ?」


全く状況が掴めない。どういうことだ?


理解に苦しみながら辺りを見回す俺をクスクスと笑うクラスメイトを見て、更に分からなくなってきた。


ほのかに後頭部が痛くて頭をさする。と、右肩にトントンという感覚を感じる。こっちを見ろということなのだろうか。


「姫原君。」


素直に呼ばれた方を振り向くと…いつも授業で隣の席に座っているクラスのマドンナ、宮田…宮田玲香がいた。


どうしてここに宮田が?さっきまでおれと岸田しかいなかったはずなのだが…


「あんた居眠りしてたのよ。今は五時限目の数学。わかる?大丈夫?」


そう宮田は呆れたように俺に言う。居眠り…


え?居眠り??


『居眠り』。その単語を頭に浮かべた瞬間に…


「えっ…あっ…」


俺は全てを理解した。そう、全ては夢だったのだ。

自分の頬に触れればしっかりとその証拠に涎が付いているし、机上のノートには途中から板書がされていない。


途端に教室がどっと大きなクラスメイトの笑い声に包まれる。


それと同時に俺は羞恥で顔が耳まで茹で上がる。


…最悪だ。



「ほらほら!授業!板書追いついてるの君たち!」


と言うさっきまでブチ切れていたように俺を追い回していた(と思っていた)岸田の鶴の一声により、クラスは静まりノートに字を書くカリカリとした音のみになった。


…夢だったのか、それにしても恥ずかしい。岸田は夢の様に怒ってはいなかったが、授業で居眠りをぶっこいた俺に少なからずイラついてはいるだろうな…

それにしても一連のことが夢ならどうして頭がかすかにヒリヒリするのかが疑問だ…ぶつけたのか?

なんて色々思いながら俺は居眠りの間に溜まってしまった板書をいそいそと写し、残りの授業時間を過ごした。

授業終了を告げる予鈴がなる頃には俺の右手はすっかり黒くなっていた。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「姫原ー帰るぞー」

「姫原君、まさかまた寝てるの?」

「テイちゃん、どしたの??」


授業が終わりこれから帰宅しようと教科書やらノートをカバンに移動させているときに、クラスメイトの奴らの声が聞こえてくる。


結局あの後岸田に呼ばれて居眠りの事を軽く言われ、明日から長期休業だからしっかり休みなさいという事と俺がなかなか起きなくて、背中を軽く叩いて起こそうとしたときに俺がいきなり飛び起きたことで反対側の手に持っていた黒板用の定規が思いっきり俺の後頭部に当たってしまったことについて「言い訳みたいになってしまうけれど…」と、謝られてしまった。


…俺が居眠りをしたことでこうなっているので岸田が謝る必要は全くないとは思うのだが。というか俺が100悪い。


失礼ながらも居眠り中の夢で見た様に怒ったりしてるか聞いてみたら「そんなことはない」とちょっとしょんぼりしながら否定された。…罪悪感が凄い、本当にすみませんでした。

取り敢えずそのことについて謝ってから教室に戻り今に至る。




というか何だ。俺はテイちゃんなんかではない。

定斗だ。姫原定斗! 何だテイちゃんって…


「テイちゃーん。聞いてるー?」

「広瀬君…俺は定斗です…」

「じゃあテイちゃんじゃん。どしたの?」

「別にいいじゃないの。呼び方なんて。というか寝不足だったりするの?本当に大丈夫?姫原君。」

「取り敢えずもうすぐ職員会議始まるらしいし早く帰ろうぜ、姫原。」

「あ…うん。」

…だめだこりゃ。どうやら俺はテイちゃんらしい。

というか俺がおかしいのか…これ。


俺の正面でテイちゃんテイちゃんと俺を呼んでくる、ちょっとめんどくさい奴は広瀬 翔。

気分屋でクラスのムードメーカー的存在のいわゆるカースト上位。一軍である。

いつも絡んでくるがそれも気分だろう。


その右で俺を心配してくる方は宮田玲香。

俺の幼なじみでクラスのマドンナ。

カースト地位が全然違うのに未だ話しかけてくれ、俺のことを親友とまで言ってくれる彼女には本当に頭が上がらない。


広瀬の左側で取り敢えず帰宅する事を促しているのは今野 光。

俺が高校で、宮田以外に初めて会話をした人。

すごく真面目で秀才。非の打ち所がない奴。

優し過ぎてなんか一周回ってちょっと怖い。


…何で俺は今、というか高校入ってからずっとこんな一軍メンツと一緒に行動できているんだろうか、といつも疑問に思うが答えは出てこない。


ふと、不安がよぎる。


人生の運を全て使い切ってはいないだろうか、

これから俺は軽トラ辺りに轢かれて死んでしまうのではないだろうか、

いや、通り魔に刺されるかもしれないしマンホールに落ちてしまうかもしれない。

はたまた今階段から落ちr(ガッ「え…ちょ…待っ」


ズガガガガガッ… ゴンッ


「いってぇ…」

見事なフラグ回収。我ながら感動するかもしれない。

綺麗に足を階段で踏み外し、漫画の様に転げ落ち、踊り場でみっともなくひっくり返った状態で止まる。


ひどいことに元々軽く怪我を負っている左手を下敷きにしてしまったので非常に痛い。これは悪化しただろうな。


やっぱり良いことがあるとその分不幸が降ってくると相場が決まっている。世知辛い世の中である。


「大丈夫か姫原」

「テイちゃん生きてるー?」

「えぇ…大丈夫?」


広瀬と今野が俺に向かって手を差し伸べてくる。

これが同情だろうとなんだろうと俺は嬉しい。

でも、この手をとってしまえば更なる不幸がやってくるのではないだろうかと思い、

「大丈夫。自分でできるから…」


手をとることが出来なかった。


だって怖いから。これ以上幸を得てしまえば、今の状態でも相殺されてない幸のストックがあるのだから、きっとその分大きな不幸がやってきてしまい、きっとまた俺は1人になってしまう。


1人は嫌だ。


1人は嫌なんだよ…


「姫原ー大丈夫かー」

「姫原君?大丈夫?どっか打った?」

「テイちゃーん、俺もう帰りたーい。」


はっと我に帰る。ネガティブな思考をしている間、俺はずっと上の空でハタから見ればボケーッとしていた様だ。


「うん…大丈夫だよ。」


…帰ろう。

左手を庇いながら立ち上がって、残りの階段を慎重に降り、玄関で上靴から外靴に履き替える。


学校を出ると、太陽が照りつけてきた。暑い。

今は七月下旬で、暑いのは当たり前なのかもしれない。それでも暑い。暑すぎる。


「やっぱり北海道といえど暑いなー」

「もうさ、学校のクーラー最高だよねー」

「そうだよな、私立高様々だわー」

「ねー」


今野君と広瀬がそんな話をしながらスニーカーの紐を結んでいる。2人はマブダチ、もとい親友で、いつもくっついている。

俺はそんな2人を宮田と一緒に待っている。


「やっぱさー、顔がいいよねー。」

唐突に宮田が俺に問いかけてくる。


「…え?えっと…そうだね…?」

…今野さんのことだろうか。そういえば宮田はいつぞやに今野さんが好きだーっと言っていたから多分そうなのだろう。幼なじみのカノジョには出来るだけ力にはなりたいのだが…生憎俺は恋愛、色恋沙汰には専門外だ。変に知ったかぶって嫌われたくはないし、だからといって素直に分からないと言って昔の様に子供だと言われても癪だから当たり障りのない肯定的な返事をする。


「ね!そうだよね!本当本当!とにかく顔がいい!どの角度から見ても、授業中の眼鏡姿も何もかも可愛いしカッコいいの!!それにねそれにね…今野君って〜」


リミッターが外れたかのように宮田が語り出す。

普段なら圧倒的な語彙力と、筋の通った理屈で話すカノジョからは想像できないような…さながら幼い子供のような語彙力で興奮気味に俺に詰め寄りながら、目を輝かせて語る。話が進むにつれてもはや何を言っているのか分からなくなってくる。それでも話を理解しようと紡がれた文章から単語を拾って俺は考える。


昔からカノジョは興味のあることに関してはこんな感じに俺に必死に語ってくれる。趣味を共有してくれようとしているのか、意図は知らないが、話を静かに聞くことくらいしか、頭の回転も知識も、記憶力も乏しい俺にはできなくて、少し申し訳なくなってしまう。


「それでねそれでね…今日も…」

「うん、うん…」


いつまで経ってもこんな気の利かないオウム返しか相槌かしか出来ない自分に不甲斐なさを感じながら。

それでも…こんな自分にも昔から__出会った頃からどんな時でもどんなことをされていようとずっと話をしてくれるカノジョには、親友とまで言ってくれるカノジョには本当に頭が上がらない。


カノジョのおかげで…宮田のおかげで今日も1人にならずに済んでいる。


…カノジョに嫌われてしまえば、俺は本当に1人になってしまう。今野さんも広瀬もカノジョがいたから知り合い程度の関係になることができて、今日も昨日もずっと、カノジョのおかげでこの輪に入れてもらえたのだから。


だから…だから努力しないと…


「おーい、姫原君ーっ。」


でも…でもどうしたら…


「あれ?姫原くーん?…」


もし間違えたら…


「…。」


…嫌だよ…もう…1人になるのは…


「ひ め は ら っ !! 戻ってこい!」


「ハイィィィイッ!!スミマセンデシタァァァア」


むくれたカノジョの声で、奇声を発しながら現実に引き戻される。


「あ…」


…やってしまった…自分のことを考えて話を聞いていなかった…あぁ…


「…ご…めん…」


嫌われたくない一心でもう一度謝罪の言葉を、見限られてしまう恐怖で今にも潰れてしまいそうな喉から押し出す。


「もーっ。私本気で相談してるんだからね!ほんとに!気をつけてよね!姫原くん」


「うん…ごめん…」


「…別に怒ってなんかないからさーっ、謝んなくていいよー?ね? ほら帰るよ。」


「テイちゃんかーえーろー」


「まぁまぁ…」


呆れたようにしているカノジョの後ろを見ると、靴を履き終わった2人が心配そうにこちらを見ている。

この2人にも迷惑をかけてしまった。


「…ごめん」


「だーかーらー!もぉぉぉ…」


つい何度も謝罪を口にしてしまう。俺の悪い癖だ。


「お前牛かよぉーきもっちわり」


「広瀬お前黙れよ」


俺のせいで宮田を今度こそ怒らせ、広瀬を巻添えにしてしまった。流石に申し訳ない。


「あ〜こわい〜テイちゃん助けてぇ〜鬼婆だぁ〜」


「お前ら落ち着け…取り敢えず帰るぞ。てか姫原大丈夫か?さっきからなんか上の空だけど。具合悪いとかだったりするか?それかなんか悩んでるとか。」


こんなときでも今野君は優しい。でもさすがに「みんなに嫌われてるような気がして悩んでました」だなんて言えるわけがない。


「ううん…大丈夫。」


「本当に?なら良いんだけど…」


「かーえーろーうー」


「広瀬。お前は子供か。」


「うるせーな宮田。俺はな、ぴちぴちの子供だわ。」


「はぁ…翔、宮田。帰るぞ。ほら、姫原もだよ。

…まぁ、なんかあったら俺にでもいいからなんでも言ってくれよ。相談くらいならできるからさ。」


「あ…うん。」


…嫌われてはいないのだろうか。良かった。

でも、これ以上彼らに負担をかけるわけにもいかないからという考えから…俺が言うことはいつも決まっている。


「今のところは…何もないかな…」


「そっか。わかった…ほら、お前ら。バカやってないで行くぞ。」


今野さんが広瀬の首根っこを引っ掴んで連れて行こうとする。…けど広瀬はすぐにその手から逃れて今野さんと俺の間に割り込んで満足そうに笑っていたけど。


「んー?話終わったのー?じゃあかーえろ!あとさー鬼婆がこーわーいーぃー助けてテイちゃん!テイちゃん鬼婆の親友でしょー」


帰ろうと校舎に背を向けて2、3歩踏み出すと後ろから広瀬が飛んできてよろける。ちょっと重い。助けて。


「おっ…と」


「あ、テイちゃんごめんね」


「おい広瀬。姫原君…私鬼婆じゃないよね…親友の姫原君ならわかるよね…」


知らないうちに宮田=鬼婆の方程式が広瀬の中で出来上がってしまったようで、宮田が弁解を俺に求めてくる。


「鬼婆…かぁ…」


…こうやって話している輪の中に入れているのに未だに実感が湧いていないけれど、彼らが俺に話しかけて関わってくれる、宮田が俺に親友と言ってくれて、受け入れてくれている今に実感が湧いていないけど…

今のような日が続いてくれることを願う。もう1人にはなりたくないから。だから…間違えてはいけない。


一度程度の軽い失敗はリカバリーできる。けれどそれを何度も繰り返せばきっと、きっと終わってしまう。

大きな失敗なら尚更だ。


そんなのは、もう二度と味わいたくないから。


「うーん。宮田は優しいから。鬼婆ではないよ。」


今ある幸を大切に。そのための努力を。


…でもやっぱりやり方はわからないや。


そんなことを思いながらまだ痛む左手を包帯と制服の上から押さえつけて空を見上げる。


眩しく太陽が照りつける快晴の空は、腐りきって濁った心の俺を鼻で笑っているような気がした。





帰り道で良いことがあればいいですね。

でも姫原からしたらダメですかね。

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