11話 強くなれ
フィエムがマリエルと対峙している頃、リンネ、ノルン、マウルの三人は、砂や日差し避けのローブを着て、道無き道を歩いて、ようやくひとつのオアシスへとたどり着いた。
「今日は、ここでゆっくりしよう。金は、フィエム様から貰っているからな」
「はい。そうですね」
ノルンが疲れた顔で頷いた。リンネも同様に頷くが、表情が暗く沈んでいる。
それも当然だ。歩いた長さはリンネのいた村からフィエムの屋敷までの道のりより断然短い。しかし、終着点がわかっていたからこそ頑張れたのだ。
だが今回は違う。あてのない旅。終わりのない旅。ゴールがないということが、二人を、いや、三人を確実に消耗させていた。
三人は、五つあるうちのひとつの宿を訪ねた。そして、マウルが金を取り出して、たばこを吸っている受付の男に出す。男は、マウルに気がついた。ローブで顔や肌は隠れているが、マウルが普通ではないことに気がついたらしい。不機嫌な顔を作った。
「三人だ」
「…………二階の一番奥だ。鍵はいらんだろ」
「ありがとう」
男はぶっきらぼうに言い放って、追い払うように舌打ちをした。
リンネはそれを快くは思わねども、何も言えずに、マウルの後ろをついて行った。宛てがわれた部屋は、存外普通だった。そのことに、かすかに安堵する。
三人はそれぞれの荷物を置いて、砂まみれのローブを窓の外ではたいて、それから顔を見合わせて、疲れた笑顔を浮かべた。ノルンが自分の羽を触りながら喋る。
「……やっと、ゆっくりできますね」
「そうだね。マウルさんも、ゆっくりできるんじゃないですか?」
「どうだろう。まだ警戒は解けないな」
言いながら、マウルはスカートを少し捲って、太ももに隠していたナイフの手入れを始めた。リンネの視線は一瞬そこに引きつけられてしまいそうになったが、寒々しい視線を感じて本能を閉じ込める。
気まずさを誤魔化す笑顔を浮かべて、リンネは言う。
「じゃあ、何か保存用じゃないご飯を買ってこようかな」
「あっ、私もいきます!」
「うん、一緒に行こう。マウルさんは、何がいいですか?」
「……歯ごたえのあるもので頼む」
「わかりました。それじゃあ、行ってきます」
リンネは一握りの銀貨を持って、ノルンとともに部屋を出た。二人がいなくなった部屋で、マウルは大きなため息を吐く。そして、誰にともなく呟いた。
「……不憫な役目と覚悟を背負ってしまったな」
そう言って、太ももの下の暗器に手を伸ばした。
―― ―― ―― ―― ――
二人はオアシスの商店街を歩く。小さなオアシスだと思われたが、そのわりには物資は潤っているようだ。珍しい高級品もある。
二人はそれらを眺めながら、何か良いものはないかと視線を巡らせる。すると、ノルンが指した。
「リンネ。ちょっと高いですけれど、あの果物とかどうですか?」
「いいね。じゃあ、マウルさんには二個ぐらい買っていこうよ。あと、歯ごたえのあるもの……お肉系?」
「そうですね……とりあえず買いましょう」
二人は店先まで共に行って、柑橘系の果物を買う。その時、店主の男に声をかけられた。
「嬢ちゃん達は、旅をしてきたのかい?」
「はい。ちょっと遠くから」
「大変だねぇ。今のこの世の中じゃみんな訳ありだから、俺もあえて尋ねはしねぇ。だが、ちょっとだけ注意しときな」
「何にですか?」
男が身をかがめて、二人を手で近くに寄るように指示する。そして、誰にも聞かれないように、小さな声で言った。
「このオアシスの周りにはな、魔族のアジトがあるんだ」
ーー ーー ーー ーー ーー
二人は急いで宿まで戻った。教えてくれた店主に礼を言うことさえ忘れて、大急ぎで。
嫌な予感がしたのだ。とても、嫌な予感が。
宿に駆け込むと、受付の男はいなかった。石の階段を駆け上がって、祈るように扉を開けた。
ーー予感は、的中した。
「マウル、さん……」
「急いでここを出よう」
マウルの体は真っ赤な血で染まっていた。
部屋の中には、襲撃者と思われる三体か四体の亡骸が転がっており、家具はぐちゃぐちゃに破壊され、悲惨な情景がリンネの脳に焼き付いた。
「受付の男が、私たちを売ろうとしたらしい」
マウルが他人事のように言った。動けないでいるリンネの肩をノルンが押す。
「さあ、早く」
リンネたちは、言われるがまま急き立てられるがままに荷物をまとめた。準備が終わるのは、リンネが一番遅かった。
マウルが暗器の確認をしながら言う。
「ここから少し進めばまたオアシスがあるはずだ。そこまでの辛抱だな。準備はいいか?」
「はい」
「……はい」
リンネは、俯いてノルンより遅れて返事をした。それを怪訝に思ったのか、ノルンが聞く。
「どうしたの?」
「……マウルさん」
ノルンの声を無視して、リンネは転がっている亡骸の横に落ちている一振の剣を持ち上げた。
「僕、強くなります」
「……突然どうした」
「なんだか、自分が嫌になっちゃって」
村での仕事で培われた筋肉のおかげか、それは想像よりも簡単に持ち上がった。転がっていた鞘を拾い上げて、慣れない動きでしまう。
「……突然、変なこと言いましたね。でも、僕はマウルさんを助けられるぐらい、強くなります」
「……それは、嬉しい、な」
歯切れの悪いマウルの言葉。それは言葉と反対のことを思っている証拠だ。
マウルは、不憫な役だとは思えども、リンネを助けられることは億劫だとは思っていない。むしろ、嬉しく思っているほどだった。
だから、強くなろうとするリンネを見て、少し動揺したのだった。
「とりあえず、今はここを出よう。話はそれからだ」
三人は、ローブをしっかりと纏って宿を出る。逃げるように早歩きをする三人の中で、ノルンは不安そうに顔を伏せていた。
「あれは、追っ手でしたか?」
「いいや、違うだろう。さっきも言ったが、受付の男の差し金だろうし、……ここだけの話だが、魔族はお互いを感知できる。それで、野蛮な魔族が襲ってきたかのどちらかと考える方が妥当だな」
「感知?」
リンネがオウム返し的に聞くと、マウルはフードの奥で頷いた。
「私たちには魔族特有の生命力がある。それを人間は、魔族の力ということで“魔力”と呼んでいるようだが、ともかく私たちはお互いにそれを認識できるんだ」
「魔族の、力……。そんな意味だったんですね」
ノルンが納得したように言う。その隣で、リンネが聞く。
「それって、人間にはないんですか?」
「人間にはない。……しかし、ある条件を満たした者は、魔力とは違う不思議な能力を扱えると聞いたことがある。フィエム様もそうだった」
なるほどとリンネは思った。そんな力がなければ、とっくの昔に人間は魔族によって蹂躙されていたはずだからだ。
今も、この世界でその力を使って魔族と戦う人達がいるのだろうか。
そして、彼らはとても強いだろう。
マウルが足を止めた。気づいたリンネも止まり、気づかなかったノルンは、マウルの背中にぶつかって小さく悲鳴をあげた。
マウルはそれを意に介さずに、リンネに尋ねる。
「リンネ。お前は、本当に強くなりたいか?」
リンネは即答する。
「はい。僕は、誰かを守る力を、手に入れたい」
「……そうか」
マウルが静かに目をつぶった。そして、リンネを睨むような目で見る。
「ならば、私が暇な時はお前の剣を見てやろう。そして、強くなってみせろ」
「はい!」
返事に満足して、マウルはまた歩みを進めた。その後ろで、ノルンはつぶやいた。
「また、あなたは剣をとるのですね……」