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10話 次の旅へ

 次の日、突然、フィエムから招集がかかった。朝食を食べていたリンネとノルンは、急いで身なりを整えてフィエムの部屋へ向かう。


 部屋にはすでに屋敷の全員が揃っていた。神妙な面持ちで真横に並ぶ彼らの端に、二人も加わる。


 全員が揃ったことを確認したのは、ベッドの上で寝転ぶフィエムだ。しかし、いつもの不機嫌そうな感じではなく、真剣な面持ちをしていた。


「さて、集まってもらったのは、他でもないさね。ーーこの場所に、魔族の旅団が向かってきている」


 瞬間、リンネは血の気が引く感覚を味わった。それも、頭の血が全部、一瞬のうちに抜けてしまったかのような強烈なものだ。


 それは、隣のノルンも同様で、何も考えられなくなって、ただ俯いた。


 その中で、なんとかリンネが口を開く。


「……それは、僕たちのせい、ですよね」

「さあね。ここにはたまに誰かが訪れる。だから、万一の確率で、普通の旅団かも知れないよ」

「フィエム様! ……こんな時に、冗談なんて」


 ノルンも、思わず声を上げる。そんな二人を、七人の住人は静かな見つめた。


 沈黙の中、フィエムが大きなため息を吐いた。


「……なら、率直に言おう。リンネ。ノルン。お前たちには、ここを出て行ってもらおう。ただ、短い時間だったが、良い仕事をしてくれた二人だ。マウル」

「はい」

「お前は、こいつらについて行きな。それで、安全なところまで連れてってやってくれ」

「かしこまりました」


 マウルがあっさりと承認して、ノルンの隣へと回った。


「でも」とリンネが言う。


「僕たちには、マリーの隠れ蓑があります! だから、マウルさんの手助けがなくても、逃げきれます」

「あんたは馬鹿かい? 魔族が、そんなものを見抜けないはずがないさね。大人しくマウルに守ってもらいな」

「……はい」


 リンネは、罪悪感でいっぱいだった。すべては自分たちがまいた種。それを始末するのは、自分たちのはずなのに、すっかり他人に頼ってしまっている。


 フィエムが、パンパンと厚い音を手で鳴らした。


「そうと決まれば、二人は出ていく準備をしな。ネア。お前たちも、見送る準備はするといい。それと、リンネ、ノルン」


 呼ばれて、二人は暗い顔を上げた。


「死ぬんじゃないよ」


ーー ーー ーー ーー ーー


 リンネは暗い顔で支度をした。


 あまりにも短い、それでいて、大切な時間だった。


 数少ない持ち物をリュックに入れて、リンネはその軽さに思わず声に出した。


「軽いなぁ」


 口に出してから、自分で気づいて苦笑した。こんな心情で大丈夫かと。


 すでに二人の、いや、三人の旅が過酷なことは確定している。天使と魔族に挟まれているのだから当然だ。


 フィエムは、「安全な場所へ」と言っていたが、そんな場所があるというのだろうか。村や街には入りにくい。空いているオアシスなどあるわけもない。


 しかし、今はそんなことを考えても仕方がない。リンネは、忘れ物がないかどうかを再び確認した。


 マリーの隠れ蓑。干し肉。水。貴重な塩と砂糖。愛用の弓。


 そして再び背負って、


「……軽いなあ」


 そう呟いた。


 部屋を出て少し行くと、曲がり角でノルンが待っていた。


「お待たせ」

「いえいえ、勝手に待っていただけなので」


 ノルンがそう言ってはにかんだ。


 二人はゆっくりとした足取りで、鮮やかなカーペットの敷かれた廊下を歩く。リンネは自分が拭いた窓を見て、ノルンは自分が掃除した部屋を見て、そうしているうちに、階段をひとつ降りる。


 そこはすでに一階で、つい昨日、歓迎会を開いてもらったばかりの食堂が、誰かを待つようにその扉を開いていた。


 その思い出に耐えきれなくなって、リンネが話しかける、


「……早かったね」

「そうですね。……でも、当然のことだったのかもしれません」


 ノルンはいくらか暗い声音で言った。


 それもそうだ。今から行うのは、新たな場所への旅立ちではない。誰もいない、安住の地への逃亡なのだから。


「もう少し、思い出があると思ったんだけどな。案外、少なかったみたいだ」

「そうですか? 私は、たくさんありますよ。誰かに何かを教わること自体、とても新鮮です」

「そっか……」


 リンネはノルンのことを羨ましいと思った。リンネにとっては至って当然のことで、何も感じれなかったのに、ノルンは、そこからたくさんのことを感じ取ったらしいのだから。


 ただ、リンネも思い出がないわけではない。ここの住人たちとの、楽しい日々は、村の思い出と同じぐらい濃く、脳に焼き付いている。


 そうして、ついに出口が見えた。二人は同時に玄関を抜けた。そこにはすでに、みんなの姿があった。


 真っ先に、メープルが二人に飛びついてきた。


「うわああーん! さみしーよー! でも、メープル見送るの! じゃあねー!」

「うん。じゃあね、メープルちゃん」

「ありがとう、メープル」


 涙をボロボロと流すメープルを抱き上げて、バリュンがひゃっはと笑う。


「お主らはなぁんにも心配しなくてよい。ここはわしらぁにまーかせなさい。わしゃ強いんでのぉ」

「あはは。知ってますよ、バリュンさん。……あの話、忘れません」

「おう、忘れるな」


 バリュンが差し出した左手に、リンネは自分の左手を重ね、そして深く頭を下げた。


 少し進んだ先に、エプロン姿のハタが立っている。


「まさかあれが最後の晩餐になるとは思わなかった。美味しいと言ってくれて、ありがとう」

「いえいえ。私たちこそ、あんな美味しいご飯を食べさせていただいて、感謝しかありません」

「ノルンの言う通りです。ハタさん。ありがとうございました」

「ああ。……美味い飯に出会えよ」


 そして、門のすぐ手前には、三人の召使いの姿。その内の一人のネアは、自らノルンの元へ駆け寄った。


「ノルン。忘れ物はないですか? わずかの間でしたが、楽しかったですよ。また、遊びに来てください」

「はい。私も、ネアさんのおかげで、とても、楽しく、て……」

「もう、今泣いてどうするのですか。ほら、このハンカチを持って行ってください。これで、私たちのことを、思い出してくださいね」

「はい……はい……っ!」


 ノルンが涙を流す。それも、ネアのハンカチを使わずに、袖で乱暴に拭ってしまうのだから、仕方なくネアはハンカチでノルンの涙を拭いた。


 その後ろから、ベットがリンネの方へやってくる。


「リンネ。……最後に見せたのが、あんなみっともない姿で恥ずかしいが……。まあ、元気でやるんだよ!」

「はい。でも、酔っ払ったベットさん、面白かったですよ?」

「いや、あれは辛かったなぁ……。それと、応援してるからな。ノルンとの関係」

「あはは。……応援されるまでも、ないですよ。きっと僕たちは、何かで繋がってますから」

「ははっ、カッコイイ言葉だな。……格好、付けるんだぞ」

「はい。今まで、お世話になりました」


 深くお辞儀をすると、ベットがリンネの肩をポンと叩いた。それだけで、リンネの心の中には勇気が芽生えてきた。


 そうして、二人はやっと門の前に立つマウルの元へ。


「二人とも、やり残したことはないか」

「はい、ありません」

「僕も、ないです」

「よし……」


 マウルは、頷いてから大きな屋敷と、広大な庭園を見渡した。


 緑のカーペットの上に咲く色とりどりの花々。真っ白で幻想的な屋敷。真っ青なオアシス。


 マウルは、おもむろに頭を下げる。二人も、示し合わせたわけでもないのに、同時に頭を下げた。


 思うことは、ただひとつ。


 ーーありがとうございました。


ーー ーー ーー ーー ーー


 マリーの隠れ蓑をまとって、しばらく歩いてから、ノルンは後ろ髪を引かれる思いを断ち切れず、思わず振り向いた。


 リンネもつられてそちらを見る。


 不思議なことに、まだそんなに遠くなかったはずの屋敷は、消えていた。


 リンネはマウルに尋ねる。


「マウルさん、これって……」

「フィエム様の力だ。別に、心配することはない」

「そうですか……。すごいですね。あんな綺麗に透明になれるだなんて」

「ああ。……フィエム様は、偉大だよ」


 そう語るマウルの横顔は、悲痛で満ちていた。

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