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9話 フィエム

 その五日後、リンネは毎日の仕事通り、フィエムへ食事を運んでいた。


「リンネ」

「はいっ!?」


 前のようなミスが無いように、ずっと緊張しっぱなしのリンネは、突然フィエムに呼び止められて驚く。


「……そんなに驚くことないさね」

「も、申し訳ございません……」

「んや、別に構いやしないよ。で、あんた、それで運ぶのは最後かい?」

「はい、一応」

「なら、少しあたしの話に付き合いな。この前天使がすっぽかしたからね。その穴埋めだよ」

「わかりました」


 リンネは食事の置いてある皿の前で直立する。それを見て、フィエムが軽くため息を吐くが、リンネにはわからない。


「どうさね。この屋敷の暮らしぶりは」

「そうですね……。なんというか、申し訳ないほどに豪華で、まだ現実味が持てません」

「現実味が持てない大半は天使のせいだと思うがね。まあ、満足してくれてるならいいんだよ」


 今日のフィエムは上機嫌なのか、仕事が捗らないのか、ベッドの上から顔を出している。


 リンネは、フィエムの手に収まっている万年筆を見て、話すべきことを思い出した。


「ああ、そういえば、フィエム様の小説、全部読みました。ちょっと、凄すぎて、僕の語彙じゃ上手く伝えられませんが、感動しました」


 リンネがそういうと、なぜかフィエムは黙ってしまった。唐突の沈黙。リンネは内心何かまずいことを言ってしまったのかとオドオドしている。


 と、思えば、フィエムは突然声を上げて笑いだした。


「ふふははは! そうかいそうかい! あたしの小説は、素晴らしかったかい! 嬉しいねぇ、嬉しいねぇ」


 フィエムの笑い声は止まらない。しかし、リンネはその笑い声が、嬉しさからのものであると、確かに感じとっていた。


「実はだね。あれぜーんぶ、実話なのさよ」

「ええっ?! ほ、本当ですか?! 十二巻の水の洞窟も?」

「ああ、そうさそうさ! 二十七巻全部、あたしが見て回ってきた景色と! ともに旅した仲間の物語なのさ!」

「すごい……」


 フィエムの衝撃のカミングアウトを受け、さらにリンネの中で感動が膨らむ。


「卑怯ですよ、そのネタバレ……」

「小説家は奇をてらわないとねぇ。……でも、最近はあまり書けてないのさ」

「そうなんですか?」

「ああ。こんな屋敷も持っちまったし、この身体だしねぇ」

「それは……ちょっと残念です」


 リンネはこの時、言葉に出した以上に残念に思っていた。実の所、リンネは完全にフィエムのファンになってしまったのだ。


 そんなリンネの思考を、わずかに引きつった笑みから読み取ったのだろうか。


「でも、安心しな。あんたの連れの天使のおかげで、良い本が書けそうさね」

「えっ、ノルンの話を使うんですか?」

「ああ。あたしも、新しい試みさね。聞いたことを本にするのは初めてさ。ま、楽しみにしておきな」

「はい!」


 リンネは新たな小説の内容に思いを馳せた。これは、ノルンから聞く昔話もほどほどにしなければならない。


 しかし、そう浮かれている場合ではない。このあと、ベットとまた仕事をしなければならないのだから。


 リンネは咳払いをひとつして、丁寧に断りを入れる。


「では、僕は仕事がありますので、失礼します」

「おい。まだ本題に入ってないよ」

「あっ、すいません」


 普通に会話してしまったものだから、呼び止められた理由を聞くのをすっかり忘れてしまっていた。


 リンネは、姿勢を正してフィエムが何かを言うのを待った。


「率直に聞くさね。お前はノルンのことが好きかい? それとも、好きではない別のなにかかい?」


 リンネは、言葉を詰まらせた。


 それは、確かにこれまでもリンネが何度も自分で確かめてきたことだった。しかし、いざそれを他人の前で口にしようと思うと、途端に言葉が出なくなる。


 しかし、フィエムはそれで逃してくれる様子は無かった。


 リンネは、覚悟を決めて、ひとつひとつ言葉にしていく。


「僕は、きっと、彼女をただ好きだとは思っていません」


 フィエムがわずかに片眉をつり上げる。


「僕は……あの、自分で言うのは少し恥ずかしいのですが、ノルンと出会えたのは運命に導かれたからだと思っています。僕はノルンと必ず出会う運命で、僕はノルンの傍に一生いる運命なんです。だから、もう、好きとか、そういうのではなくて、彼女を守る、彼女のそばに居る、彼女を笑顔にする。そうしてお互いに満たされる。そんな関係だと思ってるんです」

「それは、どうしてだい?」

「僕の心が、どうしようもなく、彼女のすぐそばにあるからです」


 少し恥ずかしいと自分で前置きをしたというのに、リンネは欠片の恥ずかしげも見せることなく語って見せた。


 その様子と、覚悟に、フィエムは少し驚いたらしい。しかしその表情も一瞬にして隠して、不敵な笑みを浮かべた。


「くくくっ。面白いねぇ。面白い子たちを預かったものだね。次の話がポンポン出てきて止まんないよ」

「そうですか……! よかったです。楽しみにしてますね」

「ああ、そうするといいさね。ほら、行った行った! フィエム様は仕事のお時間だよ!」

「はい! 失礼します」


 リンネは最後にお辞儀をすることを忘れずに、フィエムの前から立ち去った。


 階段を降りながら、リンネは思う。


(フィエムさんって、最初は怖いなって思ったけれど、実際はとても優しいな。ノルンにも、よくしてくれてるみたいだし)


 そんなことを考えているうちに、ベットの姿が見えた。リンネは、早足にベットの元へ向かう。


ーー ーー ーー ーー ーー


「ーーてなみたいだねぇ、マウル」


 リンネの去った部屋で、フィエムがなんともない床へ声を掛けると、ガタガタと絨毯の下が動いて、マウルがひょっこりと頭を出した。


「そんな露骨に聞き耳なんぞ立てなくていいさね。それに、行儀が悪いよ」

「……すみません」

「まあ、あんたの立ち位置も不憫なものだよ。……あんた、覚悟はあるんだろうね? 運命に導かれる、あの二人の片方に恋をする、その覚悟は」


 言われて、マウルは言葉に困った。何しろ、マウルのなかに芽生えたこの感情は初めてのもので、どう扱っていいのかもわからないのだ。


 けれど、ひとつだけ、確かにこうだと言いきれることはある。


「あります」


 真剣なマウルの目が、フィエムの楽しそうな顔を見据えた。


「そうかい……。あんたがそこまで成長してくれて、あたしは嬉しいよ」

「……」

「その覚悟があるというのなら、あたしは安心してお前に頼み事ができる」


 フィエムが声音を弱めながら言う。その表情は打って変わってどこか寂しげで、マウルは不思議に思った。果たして、ずっと仕えてきた主の、こんな表情を見たことがあったか。


 マウルは自然に姿勢を正した。


 そして、フィエムは口を開く。


「バリュンからの報告さね。魔族の旅団。おそらく、ノルンを追ってるやつらがここを突き止めたみたいだ。三日後にはここへたどり着くだろう。だから明日、あの二人を連れて、ここを出な」

「ーー」


 マウルは、何も言わずに目を見開いた。何も言えずに、拳を握った。そしてなんとか言葉を捻り出す。


「私も戦います」

「だめだ。二人を守りな」


 しかし、一旦感情が高ぶれば、言葉は止まらない。


「そんなっ、それでは、私はいったいなんのためにここにいるのですか!」

「お前はここで一番弱いじゃないか」

「それでも! 私は、フィエム様のためになら、命を捨てることだって!」

「主からの命令さね。それに、丁度いいじゃないか。リンネと旅ができるんだよ?」

「私は! リンネかフィエム様かと問われれば、迷わずフィエム様をとります!」

「ーーそれはダメだよ」


 フィエムは、悲しそうな顔で言った。


「あたしは、あたしたちは、もう、お前の物語にはいられないんだよ。マウル」


 マウルは、息を飲んだ。そして何か反論しようとしたが、言葉よりも先に嗚咽が喉を通過する。その次に、涙が。頭はもう、真っ白だ。


 マウルは知っている。その意味を。ーー虐められていた魔族の少女は、その力に助けられたのだから。


「いやです。いやだ、いやだよ、母さん……」

「……あたしを母だと、そう言ってくれて、あたしは心の底から、嬉しいよ」


 涙を流して俯くマウルの頭の上に、優しい手のひらがぽんと置かれた。


 その指は細くて、でも柔らかい。けれど、温かくなかった。


 ーーマウルが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、そこには、若き日のフィエムの姿があった。


「あの二人を、よろしく頼むよ」

「……ねえ、最後に、いい?」

「ああ、いいとも」

「どうして……あの二人を、そんなに大切にするの?」


 フィエムは、穏やかに笑った。


「それはね、あたしの大好きな姉からの最後の頼みだったからだよ」

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