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8話 歓迎パーティ

 安心していいのか笑えばいいのか、わからなくなったメープルが、いよいよ目を回し始める。ふらふらと頼りのない足取りを、ノルンが手を握って手助けする。


 ノルンに手を握られて、メープルは、はっと我を取り戻したかのように瞬きをし、そして思考を放棄したようだ。口元からは様々な料理の名前が飛びててくる。


 そうして、二人は食堂へ連れてこられた。ハタが扉を開けるとーー


「わぁ……!」

「すごい……」


 ノルンの頬が自然に笑顔を作り、リンネはあまりの豪勢さに目を見開いた。


 客人用の長机。その上に、大きなステーキ、最高級品の刺身、色とりどりの野菜のサラダとフルーツ。具材がたっぷり入った濃いシチューとふわふわのパン。


 おおよそ、この世の全ての美味しいものを集めたかのような、幻のような世界があった。


 そして、その机の周りにはすでに屋敷の住人たちがいる。


「おやおやぁ、メープルがー珍しく厨房にいないかぁと思たが、やはぁり二人んとこぉおったかぁ」


 バリュンが軽快に笑う。メープルは、ノルンの手を握ったまま、バリュンの元へ走った。ノルンは慌てて歩調を合わせる。


 それをリンネが笑ってみていると、ベットとネアがやって来た。


「やあ、さっきはこれのことを伝えられなくて悪かったね」

「ベットさん。いや、教えてくれなくてよかったですよ、こんなすごいもの」

「確かに、そうですわね」


 二人は穏やかな笑みを浮かべている。リンネはリラックスして、肩の力を抜く。


 そして、一人足りないことに気がつく。


「あれ、マウルさんは?」

「マウルなら、まだ来ていませんわ。でも……」

「ああ、今度は呼ばれる気満々だな」


 ベットとネアは顔を見合わせて笑う。そして、ベットが今さっきリンネが入ってきた入口の方を向いて、


「だよな、マウル!」


 そう呼ぶと、気まずそうにひょっこりと顔を出したのは、黒い肌のマウル。


 そして一言。


「……うるさい」


 そう恥ずかしそうに反抗したのだった。


 皆がそれぞれ明るい時間を過ごしていると、パンパンとハタが手を鳴らした。


「おい、俺の最高傑作たちを無駄にさせる気ではないだろうな早く座れそして食べろ」


 ハタに促されてしまえば仕方がない、といった様子で、皆が適当に席に座る。リンネの隣にはノルンが座った。


 何の合図も無かったが、全員がほぼ同じタイミングで手のひらを合わせた。そして、食材への感謝を。


「……よし、いただいてくれ」


 ハタがそう言うと、メープルが真っ先にレアに焼かれた肉へ手を伸ばした。


 メープルの代わりにバリュンが肉を取り、ベットとネアは並んで座って穏やかに談笑している。マウルはリンネの方をチラチラと見ながらも、ハタの元へ行って何かを話している。


 そして、リンネが最初に口をつけたのは、クリーム色のシチューだ。


 どろっとして温かく、濃厚なシチュー。


「……薄くないなぁ」


 そう口からこぼして、金属製のスプーンでさらに一口食べる。


 リンネの脳裏には、あの日の景色がよみがえった。


 ーー今のこの景色も、充分豪華で、幸せだけど……。


「リンネ?」


 突然ノルンに名前を呼ばれて、リンネはスプーンを口に当てたまま固まった。


「ふふっ、空の器をスプーンかかいてましたよ?」

「あ……」


 ノルンから器に視線を移せば、確かにシチューはすでに無く、リンネの口の中にもまた、スプーンの冷たさだけがあった。


 リンネは笑って誤魔化して、ハタ特製ローストビーフに手を伸ばす。ノルンも同じものに手を伸ばそうとして、


「あ、私のもお願いできますか?」

「うん、いいよ」


 トングで二人分、控えめによそって、リンネに深く腰掛ける。


 そして、改めて周りを見渡した。


「……やっぱり、ここも、いいところだな」


 自分に語りかけるようにリンネはそう呟いた。それが聞こえたノルンは、慈愛に満ちた目でリンネを見た。


 リンネの視線は、自然とノルンの青い透き通った瞳に吸い寄せられる。


「そうですね」


 たったの一言だった。


 ただ、その一言は、リンネの心を満たすのに充分で。


「ーーおーい! リンネ! なに時化(しけ)た面してんだ! この歓迎会の主役はお前らなんだぜ!」

「うわっ! べ、ベットさん?!」


 リンネの肩にベットが崩れ落ちるように寄りかかってくる。いや、事実、ベットは崩れ落ちたのだ。


 ベットの顔は真っ赤で、口からはだらしのない声らしきものが漏れっぱなしである。


 そのベットを後ろからネアが抱き起こす。


「まったく。だからお酒はジョッキ一杯までにしなさいと言ったのに……」


 そう言うネアも、頬が赤い。二人とも酔ってしまったようだ。


 仕方の無い上司に、リンネは快く笑った。


「よぉし! リンネは笑わせたぞ! 次だ!」

「な、なんのゲームやってるんですか……」

「んにゃ、みんなを笑わせるゲーム」


 へらへらとそう適当なことを言うベットの頭のてっぺんへ、鋭利なチョップが突き刺さった。


「あなたはもう退場です。さっきもメープルに頬をはたかれたばかりでしょう。ほら、自分の部屋へ行きなさい」

「ええー……」


 ベットが不満そうな鳴き声をあげる。ネアが冷ややかな目線だけでその声の意味を尋ねると、ベットは澄まし顔で言う。


「ネアが連れてってくれないとヤダ」


 そう言って、意地悪な笑みを浮かべた。


 ネアは、大きくため息を吐く。そして、額に手を当てて俯いた。


「……二人とも、ごめんなさい。私はこの飲んだくれを連れていかないといけないみたいです。また、戻ってきたらいろいろお話しましょうね」


 そう言って、ベットに肩を貸して食堂を出て行った。


 その二人の背中を見送って、リンネとノルンは顔を見合わせる。二人は笑顔だった。その理由は単純明快。


「ほんと、ラブラブですね」

「あはは、本当だよ。だって、ネアさん、隠してたつもりだろうけど、すごい笑顔だったもん」

「これは、帰ってこないでしょうね」

「あはは、確かに」


 リンネはそう相槌を打つが、実はこの二人には想像の相違があって、リンネの方がピュアな考え方をしていたのは秘密である。


 二人の上司がいなくなって、次にやってきたのはハタだった。


「どうだ、美味いか」


 その問いかけに、二人は深く頷く。そして、リンネが答えた。


「はい! とても美味しいです!」

「そうか……では」


 ハタが、座っている二人と目線を合わせるようにしゃがんで尋ねた。


「《《何番目に》》美味い?」


 その質問に、二人は、一瞬も迷うことなく答える。


「僕にとっては……二番目ですね」

「はい。私も同じです」

「そうか」


 ハタが立ち上がって、天井を眺めた。


「では、君たちの一番は」

「僕は、母の手料理です」

「私は……あの人のおにぎりでしたね」

「おにぎり? ……まあ、天使の食べ物はわからんからな。それにしても、本当に良い答えだ」


 顔を戻した時、ハタの表情は、満たされたような笑顔だった。


「ありがとう。俺は今、最高に誇らしい」


 それだけ言い残して、スタスタと去っていき、空いた皿の片付けを始めた。ハタには珍しく、鼻唄をしながら。


「ところで、おにぎりって? 美味しいの?」

「美味しいですけれど、この世界では食べれないでしょうね。水がたくさん必要なので」


「残念」と呟いて、リンネはコーヒーをすすった。そして、テーブルに置いた時、テーブルの下のなにかの存在に気がつく。


 それは、ばっと、ノルンへ飛び出した。


「ばぁ!」

「きゃあ! び、びっくりしたぁ」

「えへへー。あ、まだオレンジ余ってる! 食べていーい?」

「はい。もちろんですよ」


 メープルがノルンの膝の上に座り、ノルンはメープルに被さるようにオレンジに手を伸ばした。しかし手が届かなかったようなので、リンネが仕方なく代わりにとってやる。


「はい」

「ありがとうございます。はい、メープルちゃん」

「ありがとうございまーす!」


 受け取るや否や、感謝の言葉を述べながらも手は皮を剥くのに夢中だ。そんなメープルを微笑ましく二人が見ていると、バリュンもやってきた。


「ひゃっはっは。メープルちゃんも、よー食べるのぉ。どれ、わしも果物ぉをもらおーじゃないかい」


 バリュンがリンネの隣に椅子を持ってきて、それに腰掛けてリンゴをフォークで刺して食べ始めた。


 二人に釣られて、リンネとノルンも果物に手を伸ばす。


「ねえリンネ! あたいのトーストと果物、どっちの方が甘い?」

「うーん、そうだなあ。これは、メープルのトーストの方が甘かったかな」

「やった! 勝った!」


 何に勝利したのかはわからないが、メープルはぐっとガッツポーズを作る。メープルの周りでは、笑い声が弾けた。


 そして今度はノルンの膝の上から降りて、


「ねーねー、ノルン! あれも食べたい! 行こっ!」

「はいはい。わかりましたよ」


 ノルンがメープルに手を引かれて、ハタがまだ準備をしている新しい料理の乗ったワゴンの方へ行く。


 残された二人は、笑顔で話す。


「ほんと、メープルは元気ですね」

「わしも手ーやいとるわい。まー、孫みてぇでかーわいいがのぅ」


 自分で言って照れたのか、ひゃっはと笑い声を上げる。


 リンネはコーヒーをすすって、そしてカップを置いた。その時、バリュンが、リンネの方へ体ごと向きを変え、身を乗り出すようにして聞いてきた。


「のう、わしの昔話、興味はあるかの?」

「……随分早いですね」

「ひゃっはっは! もったいぶるのも、性にあわんわい。で? どうじゃ」

「聞きたいです」

「よし、話そう」



「わしはな、とある人の旅団の一員じゃった。その時、同じ旅団にメリーという女性がいてな。つまるところ、恋をしたのじゃ。わしたちは、ともに愛し合っておった。それは何よりも明白だったほどだ。……しかしある日、大きな闘争に巻き込まれての。メリーは、魔族の魔法に貫かれて、死んだ。わしは、助けられたはずじゃった。身を呈する覚悟が、一瞬の躊躇が、愛人を殺した。じゃから、リンネくん。ーー格好つけろよ。男は後悔するぞい」


 リンネは、静かに息を飲んだ。


 それは、バリュンの目が強い生命力を持っていたからかもしれないし、バリュンの言葉が脳に焼き付いたからかもしれないしーー話の内容に、どこか心当たりがあったからかもしれない。


 リンネは、いろいろな思いが渦巻く心の中から、ようやくひとつの返事を絞り出す。


「……はい」


 バリュンは、優しく微笑んだ。


 そして今度は、メープルの方を向いて、声を張り上げる。


「こぅれい! メープル! ノルンちゃんに迷惑かけるでーなぁい!」

「うひゃあ! ご、ごめんなさい!」


 ノルンを連れて走り回っていたメープルが、驚いて兎のように飛び跳ねる。


「大丈夫、迷惑じゃないですよ?」

「いーや、メープルには、もーすこぉし節度というものを覚えて貰わなきゃぁならん。ほれ、メープル」

「うう……ごめんね、ノルン」

「ありがとう。でも、大丈夫ですよ。遊べて楽しかったですし」

「うん! あたいも楽しかった!」


 メープルがノルンの手を離れて、トタトタとバリュンの方へ走った。そして、バリュンの手を握る。


「そいじゃ、わしはメープルを部屋ぁまで送ってくるわい。良い子は寝る時間じゃ」

「はーい。じゃあね! ノルン、リンネ!」


 バリュンに連れられて、メープルが手をぶんぶんと二人に振りながら帰って行った。


「あはは、すごい元気だったね」

「本当ですよ。それに、すごい力でした。子供って、あんなに力が強いんですね……」


 ノルンが手を握ったり開いたりして、メープルの強さを確かめる。その声は、本当に驚いているようだった。


「まあ、子供って、僕たちの想像の上を軽々と飛んでいくからね」

「ですね。……って、リンネもまだ子供じゃないですか」

「あはは、まあね。……あれ? ところで、ノルンの年齢って」

「ご法度ですよ」

「あ、ごめん」


 一瞬にしてノルンの視線の温度が零点を下回る。リンネはほぼ反射的に謝った。


 気まずさに視線を逸らすと、マウルの姿が見えた。何をしているのかとじっと見ていると、マウルはリンネの視線に気が付かないまま、自然な動きでーー二人の正面に座った。


 しかし、何も言わない。


 マウルの視線は明らかに二人ーー特にリンネーーに向けられているが、何も言わない。


 沈黙に耐えかねたリンネが口を開いた。


「え、えっと、どうも、マウルさん」

「……」

「喋りに来てくれたんですか?」

「……そうだな。話がしたくて来た」

「そうなんですね。それは、どんな……」


 マウルはリンネから視線を引き剥がし、ノルンをじっと見つめて、それから口を開いた。


「天使とは、なんだ?」


 ノルンの羽がピクリと動く。


「お前は天使だというようだが、ならばどんな記憶を持っている、どんな経験をしてきた? 私にはそれが気になってしょうがない。どうなんだ」


 マウルの双眸が、がノルンの青い目を捕らえて離さない。ノルンは、肺いっぱいに息を吸いこんで、吐き出す。


「……たくさんのことを知って、体験してきました」


 ノルンは、静かに語り出した。


「いろいろな世界を見てきました。いろいろな人々と出会ってきました。いろいろな辛さを、味わってきました」


 ノルンの青い双眸が、マウルの黒い目を見つめる。そして、突然ふっと笑顔になった。


「そして、同じ人をずっと見てきたんです」


 それが決め手になったのか、マウルが感情の読み取れない顔で立ち上がった。


「そうか。それで、十分だ。邪魔をしたな。失礼する」

「あ、うん。お、おやすみなさい……」


 マウルが気持ち早足で食堂を出ていった。その理由がわからないリンネは、ただ困惑して見るだけで、理由がわかるノルンは、リンネに聞こえないぐらいで呟いた。


「ふふっ。譲りませんよ。絶対に」


 ハタもすでに食堂におらず、気づけば食堂にはリンネとノルンの二人だけが取り残されていた。果たしてこれが歓迎会で良いのか。


「……二人になっちゃったね」

「そうですね。まったく、皆さんマイペースすぎますよ」

「あはは。それは否定できないや。ところでさ、あんまり僕たち屋敷の中で会えなかったけど、何か面白い話とかある?」

「そうですね……。あっ、こんなことがありましたよ」


 しかし二人は、取り残されたことを微塵も寂しくは思わず、楽しそうに言葉を交わした。明日も仕事があることを忘れて、無我夢中で。


 話題は底をつかず、この時間は、永遠に続くものかと思われた。


 しかし、唐突に鳴り響いた、食堂の古時計のなる音で我に返る。時計を見るのは同時だった。


「あ、もうこんな時間ですね」

「そうだね。……あ、そういえば、明日も仕事ってあるんだったっけ」

「そうじゃないですか! 明日も仕事です! ……今日はもう、お開きにするしかなさそうですね」

「うん。仕方がないや」


 自分たちが食べていた分の皿は、放置されているワゴンの上に乗せて、帰り際に僅かに残ったローストビーフをリンネがつまんだ。


 食堂を出て、すぐに二人の部屋への道は分かれてしまう。


「じゃ、また明日ね」

「はい。また明日」

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