王候補の庭で3
「お待たせしました!」
宣言通り即座に二度寝した維緒が、最初に訪れたとの同じ円形の回廊に足を付けた。
「あれ? サラは?」
最初と同じように柱の向こう側にはエトガルと、そしてヨルンがいるが、目立つサラの姿はない。
きょろきょろとして聞くと、エトガルが維緒の立つ床を指差して言った。
「今来ますよ」
よく見ると石畳の床には魔法陣のように円の形の中に文字のような模様や記号が多数描かれて、軽く光っている。
きっとこれが『円環』なのだろう。
光に合わせるようにサラの姿が円の中心に現れて、床の光は消えた。
「あら? 維緒が戻ってきてる。私少しの間消えていたの?」
先程アストライアを出てから少しの間起きてメールを打っていた維緒とは違い、サラはずっと寝ていた筈なので、その間の10分間の意識が単純にない形になるのだろうか。
「おふたりとも問題なくお戻りいただけたようで幸いです」
エトガルはサラの疑問に大して取り合わずに答えた。
確実にふたりへの対応に慣れてきている。
「お帰りなさいませ、維緒様、サラ様」
対してヨルンは慇懃に腰を折った。
これは最初にエトガルがしてくれたのと同じ礼の仕方だ。様になっている。
「ただいま、ヨルン」
サラが胸の前で合わせてちょこんと腰を落とした。
可愛いがやり方がわからない。後で習おうと思う。
「ただいまヨルンさん。ただいまエトガルさん」
日本式に頭を下げると、
「お帰りなさいませ」
エトガルも優雅に挨拶を返した。
「それでは、庭にご案内いたします。こちらへ」
言葉少なに先導するエトガルの後ろで、維緒はサラとひそひそする。
「どうせ出直すならもうちょっといい格好してこようと思ってたのに、忘れちゃったよ」
「あら。私はお寝巻きで来るのが怖いから服のまま寝たわ。ここに来て靴を履いていてほっとしたの」
「それ起きたら服がしわしわよ」
「それなのよね」
サラと話し出すと何の緊張感もなくなる。
話しやすいのでなによりだがこの、内容はなんでもよくただ笑えてくる会話の感じは、維緒が女子高生のときを思い出させる。
「ところでサラっていくつなの? もしかして見た感じより若い?」
「私いくつに見えてるの?」
「話さなければ18、9かな。もう少し下かも」
会話の感じは断然中高生くらいだ。見目が外国人風だから年齢上に見えているだけかもしれないと思い尋ねてみる。
「年上に見えてるのね。16よ」
そんな気もしたが、返ってきた答えにサラを上から下まで見回した。
華奢だが出るとこはばっちり出ている。細いヒールも背伸びをしているように見えない。
「そんな16歳になってみたかった」
憮然として感想を述べる。
「維緒はいくつか年上ね?」
「いくつかどころじゃないかもね」
「そうなの?」
わいわいする維緒たちに、
「こちらですよ」
エトガルが立ち止まって示したのは、屋外回廊からずっと見えていた円形闘技場の縁の一角だった。
回廊の石畳の上に3×3mほどの黒い岩盤が敷かれていて、白く魔法陣のような模様が彫られている。
「おふたりでお乗りください」
「ここも円環なのね」
サラが先に乗って、足先で軽く岩盤を叩いた。
「円環ってこの模様のこと?」
「そうよ。祝詞が刻んであって、同じ祝詞を持つ場所に移動できるの。すごい魔法使いにしか作れないのよ」
「そんなものの上に乗るのやだなあ」
渋るが、サラに手を差し伸べて待たれては乗らないわけにもいかない。
維緒も追随した。
「この円環で移動されるのはサラ様だけですからご安心ください」
エトガルの説明に気が楽にはなる。
(やっぱり私たちにエトガルは必要だ)
決意を固めた瞬間だった。
「おふたりで前方の石版に手を置いてください。初回ですので、まずは庭でサラ様がご使用になる能力を3つ登録していただきます」
エトガルが石版の上の3つの穴に鍵を差し込み、手を離した。
「サラさまが日頃から使いこなしている魔法であっても、登録しなければ庭に降りている最中にはご使用いただけません。王候補である間はこの3つを変更することができませんので、慎重に選択してください」
「魔法……」
サラが考え込みながら呟く。
「庭ですることは、王の意思を探すことと、魔物を倒すことだけでいいのね?」
「そのとおりです」
「じゃあ決まったわ。私使える魔法なんてそんなにないの」
「では鍵を握った状態で登録する魔法を使用してください。ひとつの鍵にひとつずつです。複数の魔法を一度に使用しないように。維緒様はそのまま手を離さずお待ちください」
サラが真剣な顔で鍵を握り締めたので、邪魔にならないよう維緒は大人しく見守った。
サラが鍵を握って少しすると、鍵がカチャリと左に回った。
鍵が動くとサラの手は次の鍵に移った。
左の鍵から始め、2つ目、3つ目とそれほど時間はかからない。
「できたわ」
サラの申告に、エトガルが鍵を全て抜き取った。
「3つの能力については維緒様と共有しておいた方がよいでしょう」
鍵を布袋に戻しながら勧めるエトガルに、維緒が表情をなくした。
「それはいやよ」
「立ち会うだけの我々はともかく、庭の様子を逐一ご覧になられる依代様に隠し通すのは難しいかと思いますが」
エトガルの意見にサラは言葉を詰まらせるが、先程よりも弱々しく否定した。
「それでも、言葉で説明するのはいや」
その様子は謁見の間で王を目指す事情を語ったときを彷彿とさせる。
いつもの態度との差に驚かされるが、言いたくないことくらいあっても仕方がない。
サラにはサラの事情があるようなのは、明白なのだ。
「説明しなくて大丈夫だよ、サラ」
声をかける維緒に振り向いたサラは、泣きそうに顔を歪めていた。
「ごめんね維緒」
(放っておけない子だな)
維緒がサラの背をさすると、サラが維緒の肩に凭れた。
「私のこと、見てもいやにならならないでね。私を避けないでね」
小声で懇願するサラ。
16歳はまだまだ繊細なお年頃だ。
「大丈夫よ。サラは王になるんでしょ。私は何があってもサラに協力するからね」
「うん。王になるの。こんなところで躓いちゃだめよね。もっともっと頑張らなくちゃ」
普段のサラが考えるのが苦手でお喋りとお洒落が好きな普通の女の子であることを知っているからこそ、サラの『王になる』という決意がぽっかりと浮き上がって見えた。
サラが自分に言い聞かせるように言って、顔を上げたときにはもう笑顔だった。
それはサラの強さだ。
「落ち着かれたようでしたら、庭への降り方の説明をさせていただきます」
じっとサラの背中を見つめながら黙っていたエトガルが、庭に目を向けながら話し始めた。
「サラ様には維緒様が庭に降りている間中石版に手を触れていていただかなければなりませんので、ご注意ください。手を離されますと庭にいらっしゃるサラ様と会話ができなくなります」
まずは維緒への注意だったので、石版に触りながらなるほどと頷く。
敷かれた岩盤が厚みを持っているため一段目線が高くなり、階下の庭がよく見渡せる。
「維緒様が石版に触れている状態でサラ様が円環の中央にお立ちになると、円環が輝きます」
サラは最初から円環の中にいるので、円環が薄く光っていた。
昼間なので光が目立たないが、夜に見てみたいものだと思う。
「庭をご覧ください」
エトガルの声に従い円形闘技場っぽさのある中庭に目をやると、石畳であったはずの庭が草原になっていた。
「両国の中でも魔物の発生している地点が庭に映し出されています。ゆっくりと場面が切り替わるのをご覧いただけるでしょう」
エトガルが言うように、草原が商店街のような賑わいに変わり、次は池のほとりに、砂嵐の巻き上がる乾いた土の上。見ているだけで旅行気分だ。
「今あちらに見えるのが寒波の魔物です」
身を乗り出してエトガルが指差す方を見ると、雪を巻き上げた風が渦を巻いている。
「自然現象じゃないの? あんな漠然としたものが魔物?」
「ああいった魔物もあれば、動物のような魔物も、人型に違い魔物も発生します」
「サラ、倒せそう?」
不安になり振り向くと、サラも目を逸らし、
「あれはちょっと……イメージが湧かないわ」
と答えた。ですよねー。
「まずは焦らず、準備がなくても平気そうな温暖な気候の場所で、倒せそうな魔物が目視できる地点が見つかったときに庭に降りるとよいでしょう。降りるときにはサラ様には円環の中央にある祝詞を読み上げていただきます。古代の文字で――――」
「『ヘウレーカ?』」
足元を見たサラが、嬉しそうに顔を上げて言った。
褒めてほしがる子どもの声だ。
その瞬間円環の光がサラを包み、エトガルが慌ててサラに手を伸ばす。
「今読んではいけません!!」
もちろんエトガルの手はサラを引き戻すことはできなかった。
間に合わなかったのではなく、触れないのだから。
サラは消えた。