維緒と異世界の王
「面を上げよ」
威厳とは声に表れるものなのだな、と思いながら、維緒はサラに続いて顔を上げた。
謁見の間に行く前に維緒が案内人とサラを引っ掴んでしたことは、謁見の作法の確認だった。
維緒の真剣な顔に、案内人も生真面目な顔をしてこくりと頷き、小部屋に案内してくれた。
「サラ、気軽に受け入れてるけど、偉い人に会ったことってある?」
ちなみに維緒は会社の社長に会ったことすら数えるほどしかない。
「やだ維緒ったら。大体の人は私よりは偉いのよ」
ころころとサラは笑うが、維緒にとっては笑いごとではない。
「挨拶と第一印象って大事だよね。謁見の礼儀作法、確認しておきましょう」
「それは大事ね」
サラのいいところはかわいいところと度胸のあるところと、従順なところだ。そうに違いない。
サラの同意を得られたのでぐりんっと案内人に顔を向けると、彼は「お任せください」と苦笑していた。
「お二人が謁見の間に入られると、陛下まだいらしていないかと思われますので、中程で両膝をついて両手を胸の前で合わせ、俯いて静かにお待ちください。その後陛下から顔を上げるよう指示されますので、従っていただいて構いません。お話が終わりましたら立って一礼してご退出ください」
特に難しい点はないかと思います、と付け加えられたように、確かにそう複雑な手順ではない。
「また、依代の方は異世界からお越しですので、多少違っていたり簡略化されていても問題はございません」
理解があってなによりである。
サラは大丈夫か、と維緒がちらりと見ると、サラがうんうん頷いていた。
「うん。大丈夫、私の知ってるお作法とそんなに変わりないわ。大事な場に出たことはないけど、一応礼儀作法の教師は一時期私にも付いていたのよ」
それは意外というか納得というか。
サラの身分がいまいち維緒には読み取れないが、どういう立ち位置なのだろう。
「それは安心だけど……」
歯切れの悪い維緒の返答に、しかしサラは全く頓着しなかった。
「それより私、あなたの名前を聞いていないなってずっと気になっていたの。挨拶と第一印象って大事よね」
明らかにサラの親ほどの年齢の男性に対して、サラは早くも親交を深めようとしている。
止める理由もないが、今それ? と思わないでもない。
「私はサラ。色々親切に教えてくれてありがとうございます」
「ご丁寧な挨拶いたみいります。私のことはエトガルとお呼びください」
ふたりに名乗られては、ひとり無碍にするわけにはいかないだろう。
ついでに聞きたいことも聞いてしまおう。
「維緒です。エトガルさんは普段何をしていらっしゃる方なのですか?」
「陛下周辺の雑務を処理する文官の立場をいただいております」
よく聞いたと言いたげににやっとした働き盛りのその顔は、真面目くさっているときと違い非常に曲者臭がした。
(試されている気がする)
しかも重点的に維緒だけだ。
「ただ私たちの案内をするためだけの人にしては、随分ご立派な方で驚いています」
「勿論訳あってのことです。選定の儀クアアウグストは何十年に一度の儀ですので年若い者は前回に立ち会ってはございませんからね。加えて、最初の方につつがなく過ごしていただくことでその後の対応も容易くなりますので、両国の一の王候補にはそれなりの対応をさせていただいております」
サラがぱちんと両手を合わせた。
「一番最初ですごくお得だってことね?」
「多分お得なんてものじゃないわよ」
「え? なんて?」
小さく呟く維緒にサラが聞き返すが、それには答えずエトガルに歩み寄りながらすれ違いざまに聞いた。
「一の候補が王になることがそんなに多いのね」
「統計的にはです」
やっぱり、『その後の対応』とは二以降の候補のことではなく、王になった後のことだ。
「孫子曰く、およそ戦場におりて敵を待つ者は佚し、遅れて戦場のおりて戦いに趨く者は労す。故に善く戦う者は人を致して人に致されず」
孫子の兵法は現代でも役に立つから早めに読んでおくよう教えを受けたことがある。
この真意は遅れるなではなく、主導権を握れるよう段取りを整えよ、だ。
つまり一の王候補が他の候補より優勢になりやすいのは、情報収集と地固めに先んじられるからだろう。
異世界の彼にも言葉の意味は通じたのだろうか。エトガルは静かな目で維緒を見つめ、おもむろに促した。
「さて。それでは向かいましょうか」
異論はなかった。
「面を上げよ」
王様は黒髪に混ざった白髪が魅力を損なわない精悍な趣きの熟年男性だった。
顎のラインにふさっと揃えられた髭は見慣れないものの、顔立ちはサラやエトガルと比べてアジア人寄りのように見える。
先程まで維緒たちを先導していたエトガルが王座の段下に定位置というように立ってこちらを見ている。
(バリバリの側近じゃねーか)
心の声の言葉遣いの荒くなる維緒は、せめてそれを顔に出さない努力をした。
「一人目の王候補よ、実に早い来訪に我らは感心しているぞ。よくぞ参った」
「ありがとうございます」
サラが何の躊躇いも気負いもない声で返答している。
(大物だわこれは)
慣れない場では様子を伺いがちな維緒としては羨ましい限りである。
「何事も素早いというのは好ましいことだ。其の方は夢繋ぎを随分と練習していたのではないか?」
「えぇ。いつ新王選定の儀が始まってもよいように、毎日夢繋ぎの円環を描いて練習していました。でも早く来ることができたのは依代の協力のおかげです」
「そうか。円環の国では魔法陣を描いて夢繋ぎをするのであったな」
王の言葉にエトガルがはっきりと頷いて肯定した。
「しかし毎日練習に励み儀を待つとは、余程強い想いがあるのだろう。何故そうまでしたのだ?」
その問いに、そこまで王の顔を見ながら笑顔で答えていたサラが、一度うつむいた。
次に上げた顔は厳しいものだ。
「何故とおっしゃいますが、それは私がレクセリア・イールだからです。政権を覆す瞳の持ち主として、ずっと厄介者扱いをされてきました。もしかして国王陛下のご出身の門扉の国には、そういった言い伝えはないのでしょうか」
王に対するにしては不遜すぎる物言いに、王の両隣を守る兵から睨みつけられるが、サラは少しも引く様子がない。
「いや、ある。あるな。詮無いことを聞いてしまった。では其方は政権を覆しに参ったのか?」
「私は凡庸な伯爵家の庶子ですが、目が不吉なので祖父の前には出せないと言われ、生活を別にしています。孤児院にいたこともありますが、孤児院長に嫌がられ追い出されてしまいました。上位の貴族の前に出すのも失礼に当たるから社交会にデビューもさせられないと言われています。お店を乗っ取られると困るからと、どこかに雇ってもらえそうにもありません。地位のある方は私が下にいるのは怖いようです。それでは私は世捨て人のように修道院に入るか、『政権を覆す』なんて心配されないよう、一番偉い人になるしかないと思うのです。国王陛下も私がいるのが怖いですか?」
「いいや。私は其方にせよ、別の誰かにせよ、これから王位を明け渡す身だ。例え政権を覆されても怖くはない」
「私はなにも政権を覆すつもりでここに来たわけではないのですが……でもそのお言葉が聞けてよかったです」
ほっとした表情のサラに、王は同情する表情を隠さなかった。
「それでは其方はその身の安定のために王を目指すがよい。それもひとつの道理であろう」
共感も否定もしない王の言葉に、サラは無言を貫いた。
「其方が王になるためには、『王の意志』を得なければならない。それは王の証であるが、私は新王選定の儀の開催の合図としてそれを隠した。このアストライアのどこかに在る『王の意志』を手にした者が次の王となる」
「それはどんなものですか?」
「『王の意志』はその代によって在り方を変えると言われている。手放した瞬間から、私にも感じ取れないものとなった。ただ、その手がかりは『王候補の庭』にあると古くから言われている。私の王選定の際もそうであった。庭に克く降りることを、私としても王候補らに期待しているぞ」
「国王陛下のご期待に沿えるよう頑張ります」
王への非難を潜め、無難に応じたサラに対して、王は懐かしそうに遠くを見てついる。
「王候補の庭のことを、私の依代であった少年は『身長RPG』と呼んでいた。あのときは庭で魔物退治をするのも随分と楽しんだものだが……もう20年は優に昔の話だ、彼ももう立派な大人になったことだろう」
ずっとサラとだけ対話してきた王が、それで気付いたように維緒に目を向ける。
「一の依代よ、よく来てくれた。異世界から来る依代はこの国にとって新しい風を入れる存在であるだけでなく、アストライアに暮らす我らにとって慕わしい隣人でもある。其方らが快適に過ごせるよう留意しよう」
突然向けられた会話に、謁見の間に入ったばかりの維緒であれば緊張で言葉もないところであったが、サラの物言いにはらはらするうちにほどよく解れたようだ。
「お気遣いいただき光栄です。許されるのでしたら私からもひとつ陛下にお伺いしたいことがございます」
こちらを向くエトガルの目が、お前もか、と言っているようであったが、黙殺した。
「陛下も王候補であられた際に、こちらで同じように問われたのでしょうか。そのとき陛下は王になりたい理由をどのようにおっしゃいましたか?」
ふむ、と王は考えた。
「私は、最も王に相応しい者が王になるべきであり、最も相応しいのは私であると述べた。その思いは今も変わらずにある」
「なるほど。納得しました」
維緒は王とサラの答えの違いについて考えながら退出した。
身の置き所を探して辿り着いたサラは、王に相応しいだろうか。
維緒にはなんとも言えない。
ただひとつ、現実の世界の選挙と比べて思うのは、
(王っていうのは自分のことしか語らない生き物なんだな)
というそれだった。