維緒と紘也と依代の秘密
夜の神殿、明かり取りの炎だけが僅かな音を立てる中、維緒と紘也はふたりとも黙した。
と、維緒の視線に気付いた紘也が眉を寄せる。
「維緒さん、どのくらいこのアストライアの人のことを信じてますか?」
「ほとんど疑ったこともないです」
「関係よさそうですもんね。俺はヒイラギのことは信用してるけど、アストライアの人たちのことはまだ眉唾物だと思ってます。自分の目で確かめないと気が済まない質で」
「それで、ひとりで確かめに来たんですか?」
「ここに辿り着いたのは偶然ですけど、歴代の王の記録くらいは見てみようと思ってた。本当の目的は図書室だったんです」
紘也を見ていると、その背中よりも奥に――――女神像や聖女の像よりも更に奥に、ここと同じような通路があるように見える。
維緒は、話しながら足を向けた。
「何か調べようとしてたんですね?」
「ヒイラギって、服装も名前も日本人っぽいじゃないですか。聞いたら、この世界の人たちって、ルーツになる家系に関わってた依代の文化を大事にしてるらしいですね。依代の出身国に合わせて、名前や服装を代々引き継いでるんだとか」
「それで、みんなの名前に統一感がないんですね」
「でも妙にヨーロッパっぽいの多いですよね。特に維緒さんの周辺」
「私の周りは大体そうですね」
ドイツ語系の名前が多いように感じる。
この世界に元からあった名前かな、と思って、その後すぐに考え直す。
(原初の王シンファツェツェと原初の王配ルーメイアって、元からこの世界にあった名前だよね。少なくともドイツ語ネームじゃないわ)
王と王配の像の前を通り過ぎる維緒を、紘也がランタンを持って追って歩いた。
「依代と言葉が通じないと不便だからって、日本人の依代を募ってるらしいのに、不自然じゃないですか? 一体なんで日本語を使うようになって、いつの依代がヨーロッパ系だったのか、調べようと思ったんです」
「家系図見た感じ、どの王様の家系にも依代の血が入ってそうだから、そのときの依代は日本人じゃない人もいたって考えるのが自然ですよね」
「そう思います」
維緒は聖女の像を一瞥しながら通り過ぎる。
やはりこちら側にも通路がある。
となると、期待されるのは、聖女から始まる家系図。
「ヨルンは聖女の子の家系だって言ってました。聖女は日本っぽい名前だけど、ヨルンは違うから……」
「どこかのタイミングで別の血が入ったってことか」
「そうなりますよね」
聖女コマヒメとヨルンは全く似ていない。いや、大きめな垂れ目の感じは共通しているか。
聖女側の通路にも家系図が飾ってあるが、肖像画はないようだ。
「あった! ヨルンの名前。じゃあこれがアッカ家の家系図だ」
「ありますか? 依代の字」
「ありますね。一番上ですよ。古代文字の名前、もしかして読めます?」
「さすがにすみません」
「ですよね」
アストライアに来て数日の紘也が読めてしまったら、維緒は自分が情けなくなるところだった。
「けど分析はできますよ。題目部分、国王の方の家系図にもこっちにも、この字が使われてます。それでこれは依代だから、この家系図は『依代◯◯の家系図』。◯◯は依代の名前と一緒か。多分、アッカかな」
「そっか。聖女の家系図じゃなくて依代の家系なんだね。でも次の家系図も、その次のも全部『依代◯◯の家系図』……」
維緒は背中が冷え冷えとしてきた。
「依代どんだけいるんだよ」
「しかも、全部古代文字で始まってるってことは、六代目の王様よりも前の時代の依代ってことで」
「うん? どういうことですか?」
紘也に王の家系図の表記が古代文字からカタカナに変わったタイミングを伝えると、紘也が深く肩を落とした。
「六代目までいくのに何年かかるんだ? 日本が明治から平成の終わりで150年くらいか?じゃあ近代の寿命で200年ちょっとか」
「カタカナ名になってからは依代って言葉が出てこないのも気になりますよね。依代と結婚することがなくなったのか、それとも――――」
「しっ! ……人が来る」
紘也の人差し指が維緒の唇にそっと当てられる。
カツカツとした足音が聞こえるが、まだかなり遠い。
それでも紘也の目は厳しく、全身で足音に意識を向けている。
(この態度、ここってもしかして、かなり入っちゃいけないところだった……? っていうか唇に触るのはやめてほしいです)
もぞもぞしてしまう。
(ここがもう一回来にくい場所なら、脱出路作っちゃおうかな。後から意識して塞いじゃえばバレないよね)
だから集中力削がれるようなことするのやめて。
維緒が同じく人差し指で紘也の指をちょんっと押すと、紘也は今気付いたように慌てて手を下ろした。
維緒が小さく笑いながら廊下の奥を指差す。
たった今作った、外へ続く古めかしい扉を。
足音を殺してそっと開いた扉からは、ひんやりと夜めいた湿り気と、若草のにおいがした。
身を滑らせるようにしてふたりで扉を潜り、慎重に閉ざす。
神殿からこちら側に向けて作られている窓はない。
維緒と紘也は肩の触れ合う距離で身体の力を抜いた。
「あー焦った。バレるかと思いました」
「見つかってたらどのくらいまずかったですか?」
「ただでさえ立ち入り禁止区域だし、依代の件がどのくらい俺たちに知られたくないことかによって変わるんじゃないかなーと」
「単に聖域だから立ち入り制限してるだけだったらいいですね」
「ほんとな」
ふたりが立っている場所は草むらの中で、あの古めかしい扉から普段出入りが行われていないのは明白だったが、やってしまったものは仕方がない。
維緒は深く考えないことにした。
「ここから神殿を通らないで部屋の方に戻れるといいんですけどね。とりあえず歩いてみますか?」
「そうですね。足元悪いけど平気ですか?」
「一応。まだ虫のいなさそうな季節でよかったです」
神妙な顔で歩き出すと、紘也が速足で維緒の前に出た。
「虫嫌いですか?」
振り向きもしないけれど、明らかに笑っている声だ。
人が嫌いなものを笑うとそのうち誰かに刺されるぞ、まったくもう。
「むむむ。嫌いどころか恐怖です。今ここに虫が寄ってきたら、見つかるの気にせず叫ぶと思いますよ」
「じゃあ夏じゃなくてホントよかった」
軽口をたたきながらも、紘也はこまめに草を踏み均しながら歩いてくれている。
「やさしいですね」
「ん?」
「つ、ち」
足元を指差しながら切り分けて発音すると、紘也が破顔した。
「そうでしょう! 優しさに感謝しながら付いてきてくれていいですからね。俺の歩いた範囲から外れたら罰ゲームですよ」
先程までの疑り深さが嘘のようにふざけ始める紘也に、維緒は緊張の崩れる音を聴いた。
なお、ドキドキっぷりに変化はない。
「ちょっと褒めるとなんで図に乗るんですか。……ちなみに罰ゲームって?」
「えー、そうだな。ヒイラギに辛い物食わせるとかどうですか」
「それってヒイラギさんへの罰になっちゃうんじゃないですか?」
「なんかヒイラギに嫌がれるのって精神的にくるものがありません? なんかあいつ謎の威圧感があるってゆーか、妙な正しさがあって。ヒイラギに逆らうやつは悪いやつだ、っていう周囲の目があるっていうの?」
「紘也さんたちのほうってそんな感じなんですか?」
「まあね。従者がみんなすぐヒイラギ信者になっていくんだよな。俺もヒイラギのことは気に入ってるからいいんですけどね。あの才能なんなんだろうって疑問わくけど、国王に必要な才能かもしれないなとも思うし」
「でも紘也さんはちょっと居心地がよくない?」
「ちょっとだけですよ。俺も俺でこうやって単独行動するから、どっちもどっちなんですけど。維緒さんたちのところの雰囲気がちょっと羨ましいですよ」
「うちは、私とサラは、エトガルにかかればどっちもただの問題児ですからね」
「エトガルさんフリーだったら従者にしたかったって、ヒイラギがぼやいてましたよ――――っと。維緒さん、ホラーも苦手だったりしますか?」
「苦手です! 苦手ですよ! やめてください、不吉な前振り」
「でも、ほら、……ここ、墓地です」
紘也が示したのはふたりの目の前、足の先。ほぼほぼ踏み入れているようなものである。
ホラーも『恐怖』なほど苦手な維緒は、「ひぃっ」と紘也のシャツを両手で握りしめた。
「依代のお墓、ありそうじゃないですか?」
紘也の言葉に、維緒は逃れられないことを知った。




