クレープパーティー1
ところで昔話をひとつ。
地上から神々がひとり、ふたりと去ってゆく、時代の転換期の中で、女神アストライアは決断を迫られていた。
「私も早晩ここにはいられなくなるだろう。だが……」
目の前を揺蕩う『円環』と『門扉』の双子星が心配でたまらない。
本来はひとつで生まれるはずが、アストライアの手違いでふたつで生まれてしまった小さな星。
片方が富めば片方は病み、片方が豪雨になるともう片方は乾く。
ふたつの星の行く末を案じたアストライアは、自らの天上の宮殿の一部をこの星に譲り渡した。
「お前たちは片方では生きられない。行き交うことで富の共有をなさい」
双子星の民は宮殿に集ったが、大半はその宮殿でさえ争いの心を捨てなかった。
アストライアは思い切りよく、片方の星の血しか持たない民の行き来を禁じた。
「これは私が抜かりましたね。双子星を管理するためには、天秤の心を持った公平な統治者と、ふたつの星の血を引く民が必要でしょう」
そしてアストライアは他の星から聖女を召喚する。
「お前に『神の意志』を授けます。これを用いてよく統べるように」
そうしてアストライアが去り、聖女がふたつの星の統治者になって平穏な時代が過ぎた頃、聖女は宣言した。
「私ももう永くありません。これより『新王選定の儀』を行います」
それがすべての始まり。
数多の王が生み出され、そして、此度の『新王選定の儀』の開始も同様に宣言された。
* * * * * * * * * * * *
「魔物の銅像って、売れないわよね」
「持って帰ってくる気!?」
あれから数日。
身長RPGで降りる先を、サラの倒しやすそうな魔物のいるところに限り、討伐を行っている。
エトガルの読み通り、サラと目が合いやすいヒト型や獣型の魔物にはサラは苦戦する様子もなく、身長を縮ませないまま毎日戻ってきてくれる。
おかげで身長RPGに対する維緒の苦手意識も大分収まった。
「だーって、せっかく王候補の庭から売れる物を拾ってきていいよって言われても、何に高値が付くのか全然わからないんだもの」
「そうだろうけど、石像って重いんじゃないの?」
「持ったことはないけど、重そうよね」
言ってみただけらしい。
ニナがくすくす笑いながら、カップにお茶を注いだ。
維緒の分、その隣でぶつくさ言っているサラの分、そして向かいのソファに座るエトガルの分と、順に置いていく。
維緒の後ろに立つヨルンの分はないらしい。以前勧めたところ、仕事中ですから、と固辞されてしまった。
「ありがとうニナ。すっごくいい香り」
ころっと機嫌を直したサラが、間髪入れずに新しい侍女を褒める。
サラの大体いつでも機嫌がいいところは長所だと思う。周りにまで明るさを振りまくところも。
「維緒様もサラ様も果物はお好きだと伺ったので、侍女仲間とドライフルーツのブレンドティーを作ってみました。お気に召せばよいのですが」
「ああ、それで昨夜はマレーンの帰りが遅かったのですね」
「ん?」
サラにカップを手渡していた維緒は、喉から声を出して驚く。
サラが慌ててカップを受け取った。
「マレーンさんってエトガルさんの、そういうことですか?」
「妻です。お伝えし忘れていましたか?」
「やだ維緒、知らなかったの?」
「サラなんで知ってるの?」
ずっと一緒に行動しているはずのサラが知っているということに驚いた維緒が食い気味に尋ねる。
「初めて会ったときにマレーンが言っていたわよ」
「うそ。本当?」
「維緒様はあの日お疲れのご様子でしたから……」
見かねたヨルンがそっとフォローしてくれた。
(確かにみんなの身長RPG話に疲れてて、マレーンとニナへの対応は愛想のいいサラに任せてのんびり傍観してたような)
思い返すにつれ、やらかしていそうな気がしてきた。
エトガルの様子をちらと窺うと、エトガルは自作した王候補の庭にいる魔物一覧を並び替えている。
この男、甘やかな顔をしている割に素の対応がクールすぎる。
「聞いてなかった私が勿論悪いですけど、エトガルさんこの部屋でそんな素振り見せたことありました?」
反語である。ちなみにマレーンは今日は非番だ。
「仕事中に察せられるような態度を取ることはありませんし、意識せずに使っていただけるのならそれに越したことはありませんので、お気になさらず。それに、アストライアで働く者の数は少ないので、夫婦は勿論親子や兄弟で同じ部署で働くことも珍しくありませんから」
自分だけが知らない事実に理不尽ながらも面白くない気持ちになっていた維緒は、後半の言葉に意識を取られた。
「そうだ。前にも聞こうと思って忘れていました。アストライアって規模の割に働く人の数が少なくありませんか?」
「何人くらいいるのかしらね?」
「答えるのが難しい問題ですね。アストライアに住む者と出入り可能な者は合わせて1,000人ほどですが、そのうち赤子と育児中の者の他は全てアストライアに関わる仕事をしています。とはいえ、奥の居住地域で主に働く者とアストライア外部に出ている物を除けば400くらいでしょうか。侍女が大体30、侍従が50、文官が80、武官が100、交易官が30、その他料理人や下働きを合わせて100程度になりますね」
「多いっていうか少ないっていうか迷うところだけど、そっか、アストライアってエトガルさんたちが暮らすところもあるんですね」
「アストライアの民は、生涯のほとんどをアストライアで過ごし、全員がアストライアの運営に関わる仕事を行っています」
「あ、でも私聞いたことがあるわ。アストライアの民が時々お嫁さんやお婿さん探しのために円環の国に降りてきて、暮らしていくことがあるって」
サラの疑問に、エトガルが頷く。
「血を混ぜるためですね。私たちは両国の血を体内に持っていないとアストライアに出入りできませんから、偏ってきた場合には子をアストライアの民にするために、自分の中の血の比率の少ない方の国に赴くことがあります。ニナは大分血が門扉寄りじゃありませんでしたか?」
「はい。私は父が門扉の国の者で、母は均等に血を持っていましたから。私は円環の血を多く持つアストライアの方か、円環の国の方としか結婚はできません」
「難しいのね。子どももアストライアの民じゃないと、いけないの?」
まだ10代のニナが当たり前に結婚相手の条件として血の比率を出してきたからだろう。サラがおずおずと聞いた。
「私はアストライアで仕事がありますから、赤ちゃんがアストライアの民じゃないと時々しか会えなくなってしまいます」
「それに、アストライアの民はできるだけ多くのアストライアの民となる子を産むように期待されています。そうでないとすぐにアストライアを維持できる人数を下回ってしまって、王のサポートができなくなりますからね」
「アストライアって、片方の国の血しか持っていない人は絶対に出入りできないの?」
「『王の意志』を持つ王と、『王配の意志』を持つ王配だけが例外です」
「それじゃあ両方の国の血を持つ人を増やすにはアストライアに出入りできる人が頑張るしかないわけだ。元から円環の国の血しか持たない人はアストライアにも入れないし門扉の国の人にも会えない、そういうことなんでしょ?」
「その通りですよ」
「なんか聞いてると、アストライアに色んな人が出入りできないっていうのが大変な原因なんじゃないですか?」
なんでそんな決まりがあるんだろう、と維緒が聞くと、エトガルが笑ってやれやれという顔をした。
「両国の民がこの地で争って、古の女神アストライアの怒りを買ったからですよ。おかげで子孫である我々は大変です」
「女神様ですか。それは文句も言えませんね」
それに、アストライアの民の全体的におっとりとした気性と、会う人みんなが子供の頃からの知り合いだというこじんまりした共同体のよさはおそらく女神の決まりあってのことだろう。
それを失うのは惜しい気がした。
「さて。いい? そろそろ今日の身長RPGの話に移っても」
やる気あふれるサラににこにことやらなければいけないことを提示され、維緒は小さくなった。
「ごめんサラ。まずは魔物退治しなきゃだよね」
「早く終わらせちゃいましょ。私、バザールのクレープ焼きのおじさまに、今日の身長RPGのあとにたっくさんクレープ焼いてくださいってお願いしてあるの。エトガル、アストライアの人たちをお招きしてもいい?」
違った。サラはサラで思惑があるだけだった。
「なぜそんなことを?」
エトガルがまた理解できないものを見る目でサラに視線を返す。
「みんなと仲良くなりたいからよ! アストライアの人たちはみんな仲良しでしょう? 私たちまだ顔も知らないんだもの。ね、維緒」
「う、うん?」
維緒はエトガルの顔色を伺った。
サラはやりたいことがはっきりしていて、ここ数日様々な提案をこれでもかと持ち出してきたが、現実と折衷するのは全てエトガルの仕事だ。エトガルがノーと言えばノーなのだ。
そして維緒は社会人の端くれだ。
こういった催しを突発的に行う大変さは充分想像がつく。
無理なようならエトガルに味方しよう。そう決めた。
エトガルはこめかみを指でぐりぐり押した後で、観念したように言った。
「わかりました。業務に支障がない者で、参加を希望する者だけでしたら許可しましょう。王候補の催しに人が集まらなくては格好がつきません。奥で暮らす子どもたちも呼んでも?」
「ぜひ会いたいわ!」
「ニナ、侍従たちにも声をかけて話を行き渡らせるように」
「かしこまりました」
ニナが頭を下げて退室すると、エトガルもパタパタと書類を片付け始める。
「おふたりとも、今日の魔物の中で倒しやすそうなのはこの三体になります。どれにするかはヨルンと話し合って決めてください。私は準備のためにお側を離れますが、人の動きが激しくなるでしょうからヨルンから離れないようにしてください」
「わかったわ」
魔物の選定まで済んでいたとは、エトガルの用意のよさには舌を巻く。
「ヨルン、注意してお守りするように」
「はっ」