維緒とサラとオレンジの庭で2
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて唱えると、きっちりと復唱された。
(この世界は日本とどういう繋がりが? いただきます文化があるってどういうこと?)
海外には全くないかせいぜい食前のお祈りがあるくらいだったはずが、ここでは受け入れられているらしい。謎である。
ともあれ維緒はローストビーフの挟まったサンドイッチをお腹に収めることにした。
「おいしいです! プチプチする野菜が入ってる。ソースもよく知らない味だけどさっぱりしていくらでもいけそう」
「さすがヨルンの見立てね」
「恐れ入ります」
あの後、エトガルが戻る前にと購入した軽食は全てヨルンの行きつけで購入した。
サラは味見ができないし、維緒は人とおすすめはとりあえず試すタイプだからだ。
「エトガルさんも、まさか淹れたてのお茶を持ってくるとは思いませんでした」
エトガルはしっかりとしたサイズのバスケットを持って戻ってきた。
熱々のティーポットとカトラリー、焼き菓子とピクニックシートになる大判の布も忘れずに入っていたので、一行のピクニックはかなり快適になった。
「侍女が気合いを入れて詰めていましたから。皆、お一組目の王候補と依代がどういう人物なのか、気になって仕方がないようです」
「私も昨夜は同僚に質問攻めに合いました。年若いお嬢様方だと伝えると随分とやっかまれましたよ」
それは、人目も惹くだろう。
バザールでも維緒とサラはそれはじっくりと見られていた。
「アストライアの皆さんに歓迎されているなら嬉しいですね」
実際には興味本位といったところだろうが、好意的に解釈して言うと、サラも嬉しそうに笑った。
「気にしてもらえる間にアストライアの人たちと仲良くなりたいわ」
「それならいい口実ができたじゃない」
バスケットの縁をとんとん叩き、
「お礼言いにいこうよ」
と提案するとサラの表情がぱあっと明るくなる。
「維緒大好きよ!」
「大袈裟ね」
言葉と表情と行動が連動しているらしいサラが、維緒に横から抱きついてきた。
「おぉっと」
咄嗟にサンドイッチを右手に持ち替え左手でサラを抱きとめた維緒が、んん? と首を捻る。
左手にサラ、右手にサンドイッチ。
眉根を寄せて見比べる維緒に、エトガルが
「まさか……」
と呟く。
維緒は右手のサンドイッチを思い切りよく飲み込むと、もう一切れ手に取った。
「サラ、あーん」
仏頂面で差し出した維緒に対しても、サラは素直にあーんと口を開ける。
すっと口に当てると、確かに口に当たった手応えがした。サラがもぐもぐ口を動かす。
「本当ね! とてもおいしいわ」
「食べれるのですか⁉︎」
「みたいね」
目を剥くエトガルに、食べ跡のついたサンドイッチを見せると、はー、と感心したような息を漏らした。
「持てる? サラ」
手渡してみると、維緒が手放してもサンドイッチが落ちない。
「持てるみたい。ねえ、これ私も食べてもいいかしら?」
「もちろん」
予想外なところでサラを喜ばせることができた。
維緒は尋ねる。
「こうすれば王候補も食べれるって、知られてないんですか?」
「少なくとも陛下が王候補でいらしたときにはなさらなかったはずですよ。私が知らないだけで知っている者もいるのかもしれませんが」
エトガルがヨルンに目をやるが、ヨルンも首を振った。
サラが意外そうに言う。
「あら。でも大昔の王様が王候補時代にアストライアでオレンジを食べたんじゃないかってお話があるでしょ。そういえばあの話でも王候補は聖女の手から果実を貰ったんだったわね」
「そういえばそんな話もありましたね。……よくご存知ですね、サラ様。それは建国神話の中でもあまり知られていない一節では」
「ふふふふ」
誇らしげに笑うサラに、エトガルもつんとした態度は崩さざるを得なかった。
「どうりでアストライアへのお越しが早いわけです。そんなに建国神話にお詳しいのでしたら、アストライアに至る夢繋ぎや王候補の条件についても元々ご存知だったでしょうね」
やっぱり、エトガルは笑うと非常に親しみやすい顔になる。サラも安堵の顔をして答える。
「私を育ててくれた叔父が歴史学者の卵で、古いお話を私にたくさんしてくれるの」
「それは素晴らしい」
エトガルが相槌を打つ中、立ち上がったヨルンが手近な枝からオレンジを捥いだ。
「これをサラ様に」
言いながら、維緒の手の中につやつやのオレンジを握らせる。
「はい、いつか王様になる王候補様」
軽口を叩いてサラの手のひらにオレンジを乗せると、途端にサラがうるうるした。
「やだもう。みんな大好きよ」
この短い付き合いの中で、サラが感動して泣くのを見るのは二回目だ。
感受性が豊かで何よりだと思う。
今度こそハンカチを、とポケットを探そうとすると、それより先にエトガルから差し出された。
「維緒様、サラ様から手をお離しになりませんよう」
そんな忠告と共に。
「手?」
サラの背に回している腕を見て首を傾げる維緒。
「もしかして、感動が台無しになるといけませんから」
「っていうとまさか」
後から実験してみたことだが、維緒がサラの身体から手を離すと、渡したものは途端にサラの身体の下に落ちてしまった。
確かに、あそこでオレンジが落下していたら泣くに泣けなくなる。
エトガルの読みの鋭さには感謝しきりだ。
ちなみに食べたものは胃から落ちてきたりはしなかったので、大変ほっとした。
「そう、上手よ。そこで膝を軽く曲げて、そう」
オレンジをお腹に収めてから、腹ごなしに維緒はサラからお辞儀の仕方を教わっていた。
「どうですか?」
「とても上手ですよ」
エトガルの簡素な褒め言葉に、ヨルンもうんうんと真剣に頷く。
「まだおふたりやサラのように滑らかにはできませんが。これで次からアストライアに来たときにちゃんと挨拶が返せます」
「そんな風に思ってたの?」
驚くサラに、エトガルも追随する。
「私は日本式の礼が好きですよ。こう、きっちりと頭を下げると聞いていますが、合っていますか?」
エトガルは就職活動をする学生のように斜め45度のピシッとしたお辞儀をしてみせた。
「お上手です。以前いた依代から教わったんですか?」
「ええ。今の陛下の依代様は当時まだ学生で、面接の練習だと言ってよく陛下とお辞儀や受け答えの練習をしていましたよ。もう20年近くも前のことですが」
エトガルの目が懐かしさに緩むのを見ると、エトガルはその依代とかなり深く関わっていたのだろう。
「エトガルさんは前の選定のときにも、もしかして早い段階から王様達に雇われていましたか?」
「そうですね。例外的なことですが」
「例外的?」
「私やヨルンはアストライアの民の中でも血筋が円環の国寄りですから、本来はこのように円環の国出身の王候補の依代様に付き従うものなのですよ」
「そっか。今の王様って……」
サラを見ると、頷いて言葉を引き継いでくれた。
「門扉の国の方よね。なのにどうして?」
「私たちは仕事上であれ私事であれ、両国に降りることもあるのです。陛下とは子どもの時分から見知った仲だったので、従者にも真っ先に選ばれたというわけです」
事もなげにエトガルは言ったが、維緒はどう解釈するべきかやや悩ましく思う。
(先代の王様の子であるエトガルさんが、今の王様と元々の知り合いだったって、ものすごく政治の匂いを感じるわ)
口籠った維緒に替わって、サラが無邪気に喜ぶ。
「子どもの頃からの友達が王候補になったからって派閥を越えて仕えて、王様になってもそのままずっと支え続けるなんて、なんだか運命みたいね。素敵!」
「サラ様が王になられた暁には、私は二代に渡ってその想いを味わわせていただけるということですから、是非とも頑張ってください」
「そっか。従者がそのまま王様の側近になるの?」
「そうですよ。ですから私とヨルンは、サラ様が見事王にならしめたら昇進です」
「これ以上偉くなるの? エトガル卿」
「今は文部長官ですが、大臣くらいにはしていただけると期待していますよ」
エトガルは冗談めかして言ったが、これはアストライアの民が王候補を見て目の色を変えるわけである。
「そのためにもたくさん協力してもらわないとね、サラ」
「そうね、一緒に頑張りましょう。私は学がないから、何でも教えてちょうだいね」
「なんなりと」
エトガルとサラの間に協働する空気が流れたところで、サラの目的を思い出す。
「ああ、身長RPGについてとか?」
「やだ維緒。魔物討伐のこと?」
「そうそう。魔物討伐って響きが物々しいじゃない。身長RPGってくらい気軽な名前の方が言いやすいなって」
「維緒が気に入ったならそれでいいわ」
サラは笑うが、維緒は王候補の庭をそうやって呼び出した20年前の学生の気持ちがわかるような気がした。
ゲームのようにでも思わないと、あの庭は戦い慣れしていない日本人としては恐かった。
次もサラを見守っていられるか、維緒には自信がない。
それはそれとして身長RPGというネーミングセンスはどうかとは思うが。
確かに縮んでいたが着眼点は身長でいいのか、とか、さてはRPG全盛期につけた名前だな、とか、言いたいことは色々あるが、最終的にこれに尽きる。
(キャッチーだからこれでいっか)