維緒とサラとオレンジの庭で1
「無事のお帰り、何よりでございます」
金色の靄はすぐに立ち消え、維緒の靴底は石畳を跳ね返した。
ヨルンの立ち姿に、維緒はたたたっと軽やかに駆け寄る。
「ただいま戻りました。お迎えありがとうございます」
「よい一日を過ごされてまいりましたか?」
穏やかに微笑むヨルンのやわらかい問いに、結局だらだらと過ごしたことを思い返して顔が赤くなる。
「そう聞いてもらえるような立派なことは何もしないで来てしまいました」
「昨日は王候補の庭での討伐にもお立ち合いでしたから、気持ちがお疲れでしたでしょう。ゆっくりしていただくことができなのなら幸いでした」
気まずそうな維緒をそつなくフォローするヨルンに、維緒が目を輝かせる。
(イケメンは心までイケメン! 素晴らしいな)
感動する維緒をよそに、ヨルンが視線を後方にずらす。
円環が光っているのだ。
「サラかな?」
「恐らくは」
見守ると、ふわっと円環の真ん中にサラの姿が現れた。
ファンタジーだ。もしくはこういうの見たことがある。ホログラム的な科学技術で。
(ホーンテッドマンションの幽霊とか)
割と現実的な維緒だった。
「ただいまぁ!」
サラの一声で途端に華やかになる空気に、維緒は感心する。
「おかえりサラ」
「無事のお帰り何よりでございます」
ふたりからの声掛けに、サラはきょろきょろ見回した。
「エトガルはいないのね」
「誠に失礼ながら、エトガル卿は執務にあたっております。先程触れを出したのですぐに参集するかと」
「あら。お仕事中ならいいのよ」
「そうそう。仕事を優先しないと」
「優先されるのは依代様と王候補様の方ですよ。でないと雇われる意味がなくなってしまいます」
たしかに、と思いながらも疑問が尽きない。
「ますます心配になってくる王様の部下事情」
「そんなにご心配いただかなくても。王候補様と依代様は増えても両手の数には至らないと聞きますし、雇われてもお一組に同時に付き添う従者の数には限度がありますから」
「そういうもの?」
「卿の方がお詳しいですが、新王選定の期間中は国王陛下も次代引継ぎの準備を中心にされるそうですから、文官は余裕があるらしいんです。両国に出向く行事も期間中は取りやめになりますから、武官と侍従官もアストライア内の仕事に専念できますし」
ご納得いただけましたか、と視線で案に窺ってくるヨルンに、維緒は満点の笑顔を向けた。
「大変よくわかりました。ありがとうございます、ヨルン」
ヨルンが明らかにほっと肩を緩めた。
ヨルンには人慣れしていない硬さがある。
(武官の仕事を始めてからそんなに経ってないのかな。初々しい)
維緒はシンプルにその硬さを好感に分類した。
「解決したなら聞いてもいい? ヨルン」
「なんでしょう?」
話に加わらずに中庭を眺めていたサラからの問いかけに、ヨルンは背筋を伸ばし直して応じる。
「あのオレンジって食べられるのかしら。勝手に貰っては怒られてしまう?」
「ああ、あれですか。食べ頃ですよ、最近毎朝食堂で出てきますから。ですが――――」
明るい顔で答えるヨルンが、徐々に顔を曇らせる。
「お召し上がりに?」
ヨルンの憂慮はもっともだ。サラはあっさりと首を振った。
「違うの。いい天気だから、あの辺りでピクニックがしたいわ。維緒やヨルンは食べられるでしょ」
「そういうことでしたら、摘み取っていただいて構いません」
「もちろん、今日やらなきゃいけないことが他にあるなら諦めるわ」
「ご予定は王候補様と依代様が決められるものですから、おそらく問題はないと思いますが……」
が、の後に続きそうな言葉に思い当たり、維緒が引き継ぐ。
「エトガル卿が予定決めてなければね」
その一言はサラにウケた。
「やだーエトガル決めてそう」
「そんなイメージあるよね。エトガルさんは先生っぽい」
「見た目は素敵なおじさまなのに言うこと堅くて細かいんだもの」
「服装の感じとかちょい気障なのにお堅いし、笑ったら優しそうなのにあんまり笑ってくれないし、見た目を裏切ってくる人だよね」
突如始まった女子トークに口を挟めずにいたヨルンだが、職務を忠実に果たすことにしたらしい。
「エトガル卿」
と、近づく人物の名を呼ぶことで、噂話を聞かれる危機からしっかりふたりを救ってくれた。
「まだこちらにいらっしゃいましたか」
話題のエトガルが硬質な靴底の音と共に声をかけてくる。
「こんにちはエトガル卿」
「こんにちはー、エトガル卿」
ヨルンの真似をして呼ぶ維緒と、その真似をするサラの挨拶に、エトガルは早くも呆れた顔をした。
「お帰りをお待ちしておりました。遅参いたしまして申し訳ありません」
「ちょっとくらい遅れてくる方が、仕事で忙しいデキル男感が出るのでいいと思います」
『感』なだけであって実際の出来とは無関係なのがミソだ。
維緒の軽口は無言でスルーされた。
「お部屋で休まれますか? それとも本日も魔物退治でも?」
生真面目な表情のエトガルを意にも介さないでサラがぶっこんだ。
「そうそう。ちょうどその件でエトガルを待っていたの。今日はピクニックをしてもいいかしら」
「ピクニック」
静かに繰り返すエトガルは少し怖い。
何を思ったのかあからさまにはせず、エトガルは許可した。
「当然どのようにお過ごしになるのもご自由です」
「ありがとう。じゃあバザールで美味しそうなものを買って、ピクニックしながら感想戦しましょ」
「感想戦、ですか」
片眉をひょいと上げて、エトガルが意外そうにした。
「ええ。私たちはみんな初めて会ったばかりだけど、同士だもの。私を勝たせるために、協力してくれるでしょう? こういうの感想戦って言わないかしら」
「いえ、言います」
エトガルが来てから寡黙な護衛に戻っていたヨルンが肯定した。
仕事柄、そういったことをすることに慣れているのだろう。
「わかりました。用意をさせて来ますので、バザールで買い物をしてお待ちください」
エトガルはそうと決めたら実に素早く段取りを組んだ。
ヨルンに護衛の継続を申し付け、懐から取り出した財布を渡す。
「報酬の残りはヨルンに預けますので、お入り用の際にお申し付けください。それから――――」
エトガルは維緒に向けていた視線をサラに定めなおした。
「こういった催しを頻繁になさるのでしたら、尚の事侍女を早めに選定されるといいでしょう。先回りして準備をしてくれるでしょうから」
では、と足早に立ち去るエトガルの背中に、さすがのサラも大きくため息を吐いた。
「エトガルさん、サラのことはあまり好きじゃなさそうですよね」
維緒がヨルンの腕を引いてひそひそした。
その視線が、一つ先の店先を冷やかしているサラにあるのを見て、困った顔のヨルンが、えー、あー、と唸る。
「サラ様は王候補として想定されていた性格とは異なるようですので、それで卿も戸惑っておいでなのではないでしょうか」
「サラは王様っぽくはないですからね」
来て2日目でピクニックを求める王様候補なんていない、多分。
「ヨルンはサラをどう思いますか?」
アストライアの人にサラの性格が全く受けいられないようでは、サラが本当に王になる日が来たとしても治世は苦しいものになるだろう。
そう案じながら聞くと、ヨルンの回答はエトガルの態度ほど酷いものでもなかった。
「サラ様のおおらかで素直な、女性的なところは新しい風を吹き込んでくれるのかもしれませんね、と思います」
「その辺を伸ばしてアピールしてくのがいいのかな」
ヨルンの腕を掴んだまま、うーん、と悩む維緒を、ヨルンが見下ろして口を動かさずに問い掛ける。
「維緒様はサラ様を支援なさるのですね」
「え? それはまあ」
「依代から応援される人物であることも、王候補を見る上での重要な要素のひとつらしいですよ」
(慰められてるのかな、もしかして)
「じゃあ、見所充分ですね」
殊更明るく言ってヨルンを見上げると、ヨルンが照れたように俯いた。
苦笑して腕を手放しながら、維緒はサラの元気の出るようなピクニックにすることを決めた。