維緒と身長RPG2
木の根本の影に屈んだサラは、一心にグラウを見ている。
猛突進してくる大きな姿を。
勢いよくグラウが木が折れた際にできた割れ目に角を突き刺す。
割れが広がり、あっという間に木は見る影もなくなった。
サラが大きく吹き飛ばされる。
受け身を取れたようにも見えない。
サラは地面に弾んだ。
「サラ! もう戻ってきて!」
腕をぴくりと動かすサラが、『やだ!』と泣き声まじりに叫び返した。
「サラ、戻りなさい! 言うことをきいて!!」
小さくなったサラの言葉は全く理性的ではない。
なのにちっとも維緒の言葉を聞かない。
今まさに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた少女がよろめきながら立ち上がる姿に、維緒は円形闘技場の縁まで駆け寄り叫んだ。
石版からはとうに手が離れ、盤上からも降りていることに維緒は気づかない。
「サラ! 聞いて、サラ!」
サラはグラウが向きを変えるよりは早く逃げ出して、今度は幹の一際太い倒木の影に隠れているが、先程よりも更に小さく見える。
もう子どもというよりも幼児のサイズだ。
身体と一緒に縮んだスカートは破れ、棒のようなか細い足が地面に投げ出されている。
怪我は見えない。血も出ていない。
この庭ではどんな怪我も全て、身長が身代わりになっているようだ。
見ていられない。
汗が目に入り傷むが、維緒は反対に目を見開いた。
「盤にお戻りください、依代様」
エトガルが維緒を阻もうとするが、サラから少しも目を離せない。
助走の足りないグラウが、倒木越しに小さなサラを踏みつぶそうと、前足を持ち上げる。
もうだめ、そう思ったときだった。
サラと、グラウから黄金色の光が糸のように細く飛び出し、光と光が繋がった。
『ようやく目があった』
子どもの甲高い声が妙に落ち着いてそう響く。
サラの頭上に迫るグラウが、不自然に動きをピタリと止めている。
そんな体勢を保てるはずがないのに。
サラがふにゃりとその場に座り込んだ。
絶え間なく立ち上がっていた砂埃が収まり、辺り一帯を静けさが覆う。
動かないグラウが、徐々に灰色一色になる。
動物の皮膚の見た目じゃなくなる。硬質になる。
光の反射が先程までと全く違う。
「せ、石像?」
そうとしか見えなかった。
『維緒、もう戻るわね。いいわよね?』
庭の中、一人地面に座る小さなサラはそう言うと、維緒が何も言わないうちにゆらりと姿を消した。
エトガルが維緒を気遣うように、肩を抱いて維緒の身体を岩盤上の円環の方向に向けてくれる。
つい数十分前にサラを庭に移動させた円環が再びきらきらと光り、金の髪、薔薇色の頬のサラが戻ってきた。
ただし、幼女の姿のままで。
「ね。上手にできたでしょう」
無邪気に笑うサラに、維緒は顔を引きつらせた。
「サラ、だよね?」
にこにことよく見知った笑顔を浮かべる幼女が、とととっと駆け寄ってくる。
「うん! サラだよ」
「私が誰だかわかる?」
「維緒は維緒でしょ。忘れたりしないよ」
維緒の腰より低い位置で呆れたように笑うサラの小さな手が、維緒のスカートをぎゅっと握った。
「ちゃんとできたんだから、維緒、褒めて!」
確かにサラはちゃんと魔物を倒してきた。
サラは最初から大丈夫だと言っていた。維緒が信じていなかっただけだ。
「サラ、えらいね。サラはすごいね。こんなことがサラにできるなんて私思ってなかったよ」
小さなサラの頭を撫でてみると、サラがくふふと頬を緩ませて抱きついてくる。
もっともーっと褒めたくなって、サラの両脇の下に手を入れて抱き上げた。ずっしりするけど持てる。
「サラよく頑張ったね。無事に帰ってきてくれてすごくすごく嬉しいよ」
「ありがとう維緒。サラも嬉しいよ」
小さな身体は汗まみれであちこちに土が擦りついていたが、ちっとも気にならなかった。
「これで王様の報酬、もらえるよね」
拙い口調のサラが、維緒に抱かれたままエトガルに催促する。
サラは本当にバザールでの買い物を楽しみにしてたんだな、とおかしくなった。
エトガルもちゃっかりしたサラの様子に笑いを噛み殺している。
「もちろんでございます。グラウドプウォーモ討伐の報酬を中間通貨で400ジュゴンお渡しいたします」
時代的に金貨や銀貨かなと思ったが、エトガルが懐から取り出したのは紙幣だった。
手形というべきかもしれない。王権において両国通貨との両替を保証する、と印刷による記載があるものが4枚。
400ジュゴンの価値は維緒にはわからない。というか人魚のモデルだというずんぐりとした哺乳類が頭に浮かんでしまう。
サラに渡すのかと思ったが、エトガルの手は維緒に向いた。
(当たり前か。サラは触れないんだった)
透けてもいなければ維緒には普通に触れることができるため、つい忘れがちになる。
サラを腕から下ろし、改めてエトガルと向き合った。
「ありがとうございます、エトガルさん」
受け取った100ジュゴン紙幣はフルカラーではなく、二色刷りされた上に紋章が押印してあった。
技術的にはハンコや版画に近いだろうか。
ついまじまじと観察してしまったが、手に入れてくれたサラを待たせるのも悪い。
しゃがんでサラの目の前に広げてみせた。
「何が買いたいの?」
そう聞く。
サラはキラキラした目を見開いて頬を膨らませ、そしてキッと上を向く。
「これでエトガルを雇うの」
「私を?」
エトガルが思わずと言った面持ちで相槌を打った。
「エトガルがいないと維緒が不安になるよ。明日からもエトガルがそばにいて」
そうか。エトガルが言っていた。従者は追加で雇うことができるって。
その対象にエトガルが含まれているのかについては、考えてもみなかったが。
維緒が無理を押して今日魔物退治を決行したことが、思った以上にサラに重大事として受け止められていたようだ。
今日一日の付き合いでわかる。
サラは人や感情を大事にする性格で、維緒の不安を何倍にもして考えてくれているのだろう。
「サラ、バザールを楽しみにしてたんじゃないの?」
思わず情けない顔で問う維緒に、サラは笑顔で――――何でもない顔をして答えた。
「すごーく楽しみ。でも優先順位ってあるよね。維緒はもっとほしいものがあるの?」
とんでもない。今日一日で何度エトガルがいてくれてよかったと思ったことか。
「ううん。私もエトガルさんがいてくれたら嬉しい」
合意は取れた。
ふたりでエトガルに目を向けると、彼は眉を寄せてサラを睥睨していた。
エトガルは奔放なサラとマイペースな維緒に振り回されて、一日中気苦労が絶えなかった筈だ。望まぬ希望を寄せられて断りあぐねているのかもしれない。
かといって、じゃあいいですとあっさり言うほど、ふたりの中でエトガルの重要度は軽くない。
「できませんか?」
しゅんとして聞く維緒に、エトガルは眉間を緩めて穏やかな顔をした。
「お雇いいただくことは可能です。ですが私は高いですよ。身の回りのことにお仕えする侍女や年若い者の方がお安く便利にお使いいただけますが」
「4枚じゃ足りない?」
一歩も引かないサラ。
エトガルはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、充分です。文官として、維緒様にお仕えいたしましょう」
笑みを深くしたエトガルが、身を低くして傅いてくれる。
「ありがとう、エトガル」
「エトガルさん、よろしくお願いします」
従者を増やす日が来る想像ができない、なんて思いながらその当日中に増やしてしまった。
未来とは近くてもわからないものである。
エトガルに言われるがままに紙幣を渡し、新たに少額の紙幣を返された。おつりか。
「文官として、とか武官としてっていうのは、やってくれるお仕事の違いなんですか?」
「そうですね。武官は見た通り護衛や偵察を行いますが、文官の仕事は私が本日行ってきたような情報の提供や収集、他の文官への対応などになります。本来であれば金銭の管理は侍女や侍従の仕事ですが、維緒様に侍女が就くまでは僭越ながら私が行わせていただきましょう」
「そっか。私もサラもここにずっといるわけじゃないから、お金の管理もお任せする相手が必要なんですね。思っていたよりも従者の方々は私に必要になりそうです」
「ご理解いただけたようで結構です」
年相応の落ち着いた微笑みを浮かべるエトガルは、その仕事に誇りを持っているように見えた。
エトガルだけではない。
会話に参加せずに黙々と周囲を観察しているヨルンも、年若いのに全く浮ついたところを見せずに職務に就いてくれている。
「でも、エトガルさんは国王陛下の文官なんですよね。これから増えていく王候補がみんな従者を雇ってしまったら、国王陛下に仕える人が減ってお仕事困るんじゃないですか?」
先程から気にかかっていたのだが、アストライアは広い割に人の行き来が少ない。
門や角など要所に番をする武官らしき人はいるし、たまには人が通りかかって好奇心でこちらを見ていくのだが、この回廊がバザールにも近い、明らかな交通の要所である割には往来は豊かではない。
もしかしてここ、働いている人がすごく少なくないだろうか。
「それについてはまた後日ご説明いたしましょう」
これまで何についても答えてくれていたエトガルの言葉に「ん?」と視線を戻すと、エトガルがくいっとヨルンを指した。
いや、正確にはその足元で岩盤の縁に座り込んで舟を漕いでいる小さなサラを。
「わ、忘れてた! サラ、小さいままなんですけど!」
完全に子ども体型のサラは、体力も尽きてしまったらしい。
ヨルンがどうすることもできずに眉尻を下げている。
慌てて維緒が抱き上げると、自ら首に腕を回してきた。
「王候補の身体は、一度アストライアを出て円環の国にお戻りになれば元通りになります」
「そうなんですか。よかった」
それを聞くと、顕現されている身というのも便利なものだと思う。
「サラ様も維緒様もずっと眠ったままでいるわけにはいきませんので、今日はお目覚めになり、また宵頃にお越しになってはいかがでしょう」
「たしかに、もぎ取ってきた休暇をすべて寝て過ごすのは気が引けます」
小さなサラでも抱き上げたまま歩くのはなかなかに重い。
よいしょ、と持ち上げ直して円環まで辿り着き、エトガルとヨルンを振り返った。
「では、また今夜来ますね」
「お渡りをお待ちしております」
ふたりの姿に小さく手を振ると、そこで維緒の意識は暗点した。