維緒の夢1
維緒の夢は決まって明晰夢だ。
夢の中で夢だと気づくだなんて、夢のない話ではある。
しかし、それでもお釣りのくるような能力を維緒は持っている。
それは、『夢を思い通りに変えることができる』ということ。
維緒はベッドの上で大きく伸びをした。
慣れてきた仕事にだって疲れの出てくる水曜の夜。
春先にしては少し薄めの掛け布団に包まると、睡魔はどこからともなく忍び寄る。
(毎日毎日同じように出勤してそつなく笑って。そんなのってもう飽きちゃったなー)
二年目の職場はぬるま湯のように快適だが、明日も起きたら出勤だと思うと眠るのも嫌になる。眠いわけだが。
(どうせなら、とびっきり驚くような、想像のつかない夢が見たいわ。そう、新しい小説を読むみたいな……)
そう考えるのと、眠りに就くのは同時だった。
維緒はその日、やや迂闊だった。
維緒はいつも夢を思い通りに変えているのだから、当然、維緒は心底驚くことになるのだ。
『トイレは譲り合ってきれいに使いましょう』
洗面所にある貼り紙が剥がれかかっているのを、無言で見つめる。
維緒が就職した当初からここに張りっぱなしの貼り紙のセロテープは日焼けしていて、剥がれかけるのもなるほど納得である。
(こんな貼り紙で景観を損なうのに見合った効果が得られる文句とも思えないけど)
そう思ったのは今日が初めてではない。
今日の夢は職場か。ハズレだな。
抜け出すのは簡単だけれど、今これといって行きたい場所が浮かばない。
(とりあえず手でも洗って、休憩がてらドリンクでも買ってこようかな)
平和に夢生活を過ごすためには、夢の中だろうと舐めてかからず穏便に対応した方がいい。
それが今までに維緒が得てきた教訓だ。
ハンカチをポケットにしまいながら慣れた手つきで廊下へのドアを押し、一目散にエレベーターに乗り込む。
ビル一階のカフェでソイラテを受け取って、ビルの裏口から出ると、人目につかない小さな芝生コーナーがある。
人通りの少ない道に面していて、植え込みが程よい高さだ。
今日も思ったとおり、誰もいない。
維緒は芝生の中程まで進み、お尻に敷こうと勢いよくハンカチを広げる。
そのときだった。
青い空に緑のストライプのハンカチがふわっと広がるその下、地面からぱあっと光が飛び出した。
「えっ、何事?」
光はハンカチに遮られることなく、ハンカチ上に模様を描いている。
レース編みのコースターのような、欧風ホテルのカーペット模様のようなこれは――――
「あ、魔法陣?」
言い当てた、とひとり両手を合わせる維緒の目の前で、魔法陣から光をまとった美少女が現れた。
上気した頬、薄く開かれ笑みを浮かべる桃色の唇、なかなかお目にかからないゴージャスな金髪に、外国めいた顔立ち。
まつ毛がバッサバサで、瞳まで金色。琥珀色っていうのかこれは。
現実離れした美貌に、藤色のワンピースがより夢想感を出している。
と、ぼおっと見ている場合じゃない。
(私のハンカチ、頭の上に乗っかってる!)
こんな美少女に手を拭いたハンカチを被せるとか、正気の沙汰じゃない。
「わ、すみません! 私……」
どうしていいのか、と手を上げたり下げたりしていると、美少女がはしっとその手を取った。
「こちらこそ、驚かせたかしら。ごめんなさい」
オフィス街に不釣り合いな、鈴の鳴るような少女の声に、維緒は酢を飲んだような顔をした。
(こんな展開見たことないわ。ただの職場の夢じゃないってこと? 今回の夢、どうなってるの?)
戸惑う異緒に一切構わず、美少女は維緒の手を握り締めたまま語り出した。
「気づいてくれてありがとう。おかげで夢に入ってこれたわ」
「気づく?」
「円環によ」
少女は足元見て、つま先をトントンしながら言った。
あの魔法陣のことかと察しがつく。
戸惑う維緒をよそに、少女は維緒の手を両手でふんわり包み込む。
「私はサラ。メルヘンボーゲンのサラというの。『日本』の人を探しに来たのよ」
そう言って、ぎゅっと手を握り締めながらにっこりと笑った。