婚約破棄、その先に貴女の幸せがあるならば
「マリアルナ=グリーンクリア公爵令嬢、貴様との婚約を破棄──」
「とおっりゃあ!!」
「ぶへっばあ!?」
公爵令嬢、渾身の右ビンタであった。腰のひねりをきかせた、武闘家顔負けの右ビンタが何やら戯言ほざこうとしていた第三王子の頬をぶちぬく。
高そうな料理が所狭しと並んだ机を薙ぎ倒し、軽く数メートルは吹っ飛んだ婚約者を見つめて、マリアルナ=グリーンクリアはしまったと言いたげに表情を歪める。
「ああっ、お料理が!?」
「マリアルナあ! 俺は? 婚約者ぶん殴っておいて、料理の心配か!?」
「当たり前です!!!! ああ、せっかくお持ち帰りしようと思っていましたのに」
「公爵令嬢だよな? 王族に並ぶ権威ある家の長女だよな!? それが、お前、お持ち帰りって、庶民か!!」
「分かっていないですわね。お金とは必要な時にドバッと使うのがいいのです。年がら年中無駄遣いしていては必要な時に足りなくなるものですわよ? そのためにも普段から節制を心がけなければ」
「だからってなあ、公爵令嬢が夜会の料理をお持ち帰りって」
「というか、こういった催しでは残ったものは捨てるのが相場なのですから、誰かが食べたほうがマシでしょう。一週間ほど食費が浮くからわたくし夜会って大好きです☆」
「その口ぶり、もしや毎度か? 今回だけじゃなくて、これまでもずっとお持ち帰りしてたってのか!?」
「ええ、まあ」
「ちょっとは第三王子の婚約者としての自覚を持てよお!! って、そうだ、婚約だ!! マリアルナ、俺はお前との婚約を破棄するぞ!!」
「ジグランド様、ちょっと立って、そこではなくもうちょっと左に移動して、はい良い位置です」
「なんだよ、今いいところだってのに」
「はい、とおっりゃあ!!」
左ビンタが炸裂する。
先の失敗を踏まえて今度は第三王子ジグランド=ソラリナ=スカイブルーが何かを巻き込まないよう移動させてからのことだったので、ゴロゴロと何に妨げることなく景気よく吹き飛んでいった。
常人であれば即座にノックアウトだったろうが、タフさだけは王族随一な第三王子は即座にガバッと立ち上がる。
「こ、この野郎……ッ!! 俺、王子、気軽に、殴るなあ!!」
「いえ、そんな気軽にだなんて。王族にあるまじき軽率な発言が聞くに耐えずつい手が出ただけですわ。おほほ」
口元に手をやり、わざとらしく笑うマリアルナ=グリーンクリア。手入れが行き届いた金髪に透き通るような碧眼、指先まで磨き上げられた見事な美貌の持ち主だが──先の左右ビンタのキレからも分かる通り、鍛え上げられた武力の持ち主でもあった。
女でなければ軍部の頂点に立っていただろうと言われているほどには個人の武力及び軍略、集団指揮にと軍事関連における才能の塊であるほどには。
「で、ジグランド様? 此度はどうしてそのような戯言を???」
「ふんっ。わからんとは言わせんぞ! マリアルナ、お前がアマリア=レビランカ男爵令嬢に嫌がらせをしていたことは判明しているのだ!!」
「……、はっ!? そ、そうなんですぅっ」
びしっ! と元気よく公爵令嬢を指差す第三王子の声に、今の今まで広がっていた紳士淑女の集まる夜会らしくない物騒な光景に唖然としていた男爵令嬢が急に涙を浮かべる。
「わっわたしぃ、マリアルナ様に、嫌がらせをさせてぇ……」
「辛かっただろう、アマリア=レビランカ男爵令嬢。もう大丈夫だからな、俺はお前の味方だ。まったくけしからん話だ。ついさっき話を聞いたが、よもやマリアルナが嫌がらせなんてくだらない真似をしていたとはな!!」
「はいぃ。わたしもついさっき話しただけでここまで迅速に動くとは思っていませんでしたぁ。いや、あの、本当早すぎない?」
何やら涙を浮かべながらも男爵令嬢が不思議そうにしていた。その様子にマリアルナは『またこの馬鹿は』と言いたげに額に手をやり、ため息を吐く。
「ジグランド様。正義感で動くのは控えてくださいな。兄や姉たちが優秀なためジグランドさまが表舞台に立つことはないとはいえ、一応は王族なのですから。ええ、本当、なんでわたくしこんな奴を……」
「正義に従うことの何が悪い? 俺は兄や姉の足元にも及ばないんだ。ならば、せめて、精神だけでも気高く保たなければならないだろうが!!」
「その正義感の末に婚約破棄、と?」
「ああ! ようやくのチャンスだ!! 安心しろ、これでお前の顔に泥を塗ることなく婚約を破棄できる!!」
「……、ふへぇ?」
「え? あの、ジグランド、さま、今なんと???」
男爵令嬢が嘘泣きをピタリとやめ、公爵令嬢が思わず聞き返すほどの言葉であった。
当の第三王子といえば、しまったと言いたげに表情を歪めて、ささっとマリアルナ=グリーンクリア公爵令嬢の耳元へと口を寄せる。
周囲に聞こえないようひそめたその声は、しかし元が大きいからか近くの男爵令嬢くらいにならば聞こえるものであった。
「なんかマリアルナが嫌がらせしたとかって話だったが、それまるっきり嘘じゃん」
「ええ、まあそうですが……どうしてそう信じたので?」
「内容が女々しすぎる。物を隠すとか、権力を盾に高圧的に迫るとかさ。マリアルナがマジでやり合うってなれば文字通り戦争仕掛けてどちらかの家が滅びるまでやり合うだろうし。というか、やり合っていたし。親父が隠蔽くっそ大変だったって愚痴っていたぞ」
「うっ。あれはわたくしもやり過ぎたとは思いますが、友達が奴隷として飼われていただなんて知ってしまったのですもの。法的に皆殺しになるよう調整して、悪行をつまびらかにするくらい当然ですわよ」
「それにこれでも王族だからな。他人の嘘くらい見抜けないとだし、っつーかあの男爵令嬢ってば反王権派閥からのハニートラップ要員だろ? 構成員くらいとっくの昔に調べはついているっての」
びくっ!? と(ここまでくればわざと自分だけに聞かせているのではないかと気付き始めた)男爵令嬢が肩を跳ねあげて震え始めたが、幸か不幸か第三王子も公爵令嬢も視線を向けすらしなかった。
「あの、ジグランド様。そこまでわかっていて、どうしてわたくしと婚約破棄をしようだなんて言ったんですの? いえ、大体予想はついていますが」
「決まっている。お前は優秀な女だ。軍部関連は当然として、内政関連においてもそこらの臣下とは比べものにならないほどだ。加えて王族に並ぶ公爵家の長女。そこまで『持っていれば』、多少のわがままはきくはずだ。少なくとも表舞台にロクに出ることもなく消えていくだろう第三王子なんかの婚約者に無理して固執する必要はないはずだ。とはいえ王族との婚約を嫌だからと破棄すればお前の経歴に傷が付く。そこにきてのハニートラップだ。ここで俺が無様にハニートラップに引っかかって、婚約破棄だなんだと騒いで、実は全て男爵令嬢がデタラメ言ってましたと判明すれば? 俺が完全に悪いとなり、お前の経歴に傷が付くことはない。親父たちだってお前に負い目を感じるだろうし、無理な婚約を押し付けてくることもないだろうよ。どうだ? 最高じゃね?」
「一つだけ聞かせてください。どうしてそこまでやるのですか?」
「ん? そりゃあ、お前、惚れた女にゃあ幸せになってほしいだろ」
薄々感じてはいた。
だからこそ、マリアルナの口からはこの馬鹿はと言いたげにため息が出た。
「悪いな、親父がマリアルナを王族のものとするために無理矢理婚約なんて取り付けてさ。俺みたいな無能と婚約だなんて嫌だっただろ? もう大丈夫だ。これからはお前の好きに生きていいんだ。貴族だなんだしがらみが多くて大変かもしれないが、お前ならそんなしがらみぶち破ってでも惚れた男を見つけて捕まえることができるだろうからな」
言うだけ言って、第三王子ジグランド=ソラリナ=スカイブルーは『じゃあ、そういうことで!』と告げて、去っていった。早速王様にでも婚約破棄云々を伝えて、目論見通り己が百パーセント悪いという展開に持っていき、婚約破棄を達しようとしているのだろう。
放っておけば、利益となる。
無能の王子よりも優良物件は多く存在しており、マリアルナならばそれら優良物件はよりどりみどりだろう。
全て分かっている。
分かっていて、だからこそ──ここまで、それこそ己の魂が弾けそうなほどに怒りを感じているのだろう。
「ふ、ふふ。ふはははは……」
「ひっ!?」
哀れ、残された男爵令嬢はそれはもう素晴らしい笑顔の公爵令嬢を前に顔を真っ青にして、ガタガタと歯の根が合わないほどに震えていた。
そんな男爵令嬢の肩に手を置き、抱き寄せ、マリアルナ=グリーンクリアは囁く。
「一族まとめてぶっ潰されるのと、わたくしの配下に鞍替えするの、どちらがお好みでしょうか?」
「あ、あの、その……」
「ちなみに反王権派閥はクーデターを目論んでいるようですが、そのことご存知でした?」
「え!?」
「ついでにその規模から作戦から全て暴かれていて、明日にでも殲滅作戦が開始されるのですが……まあ、決着がついてから鞍替えしようだなんて都合のいい話はありませんから。このままだと、明日には一族含めて反乱因子の構成員として投獄は確実、最悪死刑でしょうねえ。ええ、ええ、わたくしが反乱因子の内情を探るためだという言い訳でもって守ってあげない限りは。ああもちろんバレるでしょうが、クーデターについてさえ教えられていない使い捨ての男爵家程度ならばわたくしの口添えで見逃してもらえるでしょうよ」
「ま、マリアルナ様に一生の忠誠を誓いますぅ!!」
それはもう見事な降伏宣言であった。
ハニートラップを己が手札と変えたマリアルナ=グリーンクリア公爵令嬢がくつくつと笑う。
「あの馬鹿、わたくしから逃げられるとでも思うんじゃないですわよ」
ーーー☆ーーー
「おっかしいなあ……。どうなってんだ???」
王城の一角、第三王子の私室にあるベッドの上に腰掛けたジグランドは首を傾げていた。才能ある者を王族の手中とするため、というくだらない理由で無能の第三王子と婚約させられたマリアルナを解放してやるために婚約破棄騒動を引き起こしたのだが、なぜか婚約破棄云々を王様に伝えると『敵を油断させるためだな。良くやった』と褒められて、有無を言わせず追い出されたのだ。
と、その時であった。
ガチャリ、と扉が開き──そこから最愛の女性が入ってきた。
「マリアルナ……」
「ジグランド様、お久しゅうございます。といっても先ほど婚約破棄だなんだと言い合ったばかりですが」
「お前、何かしたか?」
「さあ。わたくしはジグランド様は反王権派閥を油断させるためハニートラップに引っかかったという演技をしていること、男爵令嬢はわたくしが反王権派閥に送り込んだスパイでありわたくしの手駒として動いていたこと、そして──婚約破棄なんて絶対にしてやらないことを王様にお伝えしただけですが」
「メッチャやってくれているし! 何やってんだ!?」
「何やってんだはわたくしのセリフです。婚約破棄だなんて舐めた真似しようとしてくれたものです。わたくしに至らない点があり、どうしても耐えられないと言うならば仕方ありませんが、……わたくしのためだなんて的外れにもほどがあります」
「マリアルナ。そうか、そういうことか」
立ち上がる。
ベッドから立ち上がったジグランドへと、マリアルナは誘われるように歩み寄り、そして──
「王族の婚約者ってことに意味があるということだな!!」
「……、は?」
「そっかそっか。兄たちはすでに婚約者いるもんな。俺がいかに無能でも王族って付加価値はあるんだし、なんかいい感じに使えるってことか! 悪いな、余計なことして。お前の幸せのために必要だってなら、存分に利用してくれ!!」
「ふ、ふふっ」
「やっぱ惚れた女にゃあ幸せになってもらいたいものな。だから……ん? どうした、マリアルナ??? なんで腕を振り上げて、ぶへば!?」
それはもう見事なビンタであった。
結果的に後ろのベッドへと王子を押し倒す形となったが、ムードなんてこれっぽっちもなかった。
それからというもの度々婚約破棄騒動を引き起こすジグランドをマリアルナがぶっ飛ばしたり、隣国の王女とジグランドとが良い雰囲気になっている(勘違い)に悶々としたり、第一王子や第二王子が王位継承権を剥奪されたせいでジグランドの価値が高まり令嬢からのアプローチが増えたり、最終的に何の因果か賢王などと民に褒め称えられるジグランドにマリアルナは一生添い遂げることになるのだが、それはまた別のお話。