一話 女王マイア
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「さて、今回の戦の第一戦功者はフェイトという事で皆、異存はないな?」
ここは王城の一室。今王族派の人達が集まり、報奨や領地の分配方法について議論をしている。と言っても、フェイトの扱いをどうするのかが、この議題の中心であると言っても過言ではない。
そのフェイトをレーニアから連れてきた張本人であるマイア王女も、どこか誇らしげにその議論の様子を眺めていた。
一方で先の戦いにおいて全く戦功をあげられなかったジークフリードは、苦虫を噛み潰した様な表情を見せながらも、何も文句を言うことができずに、黙ることしかできずにいた。
「異論は無いようだな。ではそのフェイトにどの様な報酬を与えるか……それが問題だな。正直フェイトがあれ程の働きをするとは……私も想定していなかった。これは……伯爵位だけでは済まないな」
会議机に肘を立て、手で額を覆う仕草をしながら、ため息をつくアレックス王太子殿下。
「優秀な配下があることは喜ばしい事と存じますが、優秀過ぎるのも問題ですな」
「全くだ、フェルナンド殿。これを嬉しい悲鳴と言うものなのだろうか……まあ、ただ単に爆弾を抱えただけの様にも見えるが……」
「お兄様。ここはしっかりと次期王として器の大きさを見せつけたら良いと思うの」
アレックスと内務大臣フェルナンドの愚痴に横槍を入れるマイア。ここでフェイトが大きく評価されれば、それはそのまま自分の評価にも跳ね返ってくる。
マイアとしてもここは譲れないところだ。だから必死に意見する。
「マイア王女の仰る事はごもっともかと。臣下の功績にしっかりと応える王。その様な王の元には更なる優秀な者が集まることでしょう」
マイアの意見に同意の意を示すフェルナンド。
「それは分かっておるのだが、無い袖は振れぬ。先の戦いで戦費を浪費したばかりだ。過分な報酬を与え、それで国の財政が傾いたのではまずいだろう」
アレックスもマイアの要望に応えたい。その意思はあるのだが、王国の困窮した財政がそれを許してくれない。
「それではアレックス様。金銭による報酬ではなく、名誉を与えては如何でしょう?」
「何? 名誉とな?」
「はい。私に考えが御座います……」
困ったアレックスと、フェルナンドは金銭、領地以外での報奨を模索し始めるものの、その様子にマイアは不満げな顔を覗かせる。
今まで王城内で蝶よ花よと大事に育てられたマイア。
だが、その影響で周りからは世間知らずのお姫様との評価を受け、アレックスもあまりマイアを政治の表舞台に立たせてくれない。
その事にマイアは以前から不満を覚えていた。
単なる王女として政治にかかわらず一生を終えるのは嫌だ。そのようなことを常にマイアは考えていた。
マイアがレーニアに赴き、フェイトを連れてきた背景には、自分が単なるお姫様ではなく、ちゃんと役に立つんだという事を皆に、王子にアピールする狙いがあったのだ。
……さて、事はマイアの思惑通りに進むのだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……長かった会議がようやく終了し、会議室にはアレックスとマイアの二人だけが残されている。
「お兄様、お疲れ様です」
「ああ、マイアもご苦労だった」
会議机に両肘を付き、大きな溜息を吐くアレックス。王太子になってから戦後処理など、休みなく業務をこなしており、その疲れは今まさにピークを迎えていた。
「ところでお兄様」
「どうしたマイア」
そんなアレックスにマイアが唐突に声をかける。
「私はこれからどうなるのでしょう?」
これから……マイアが聞きたいのは当然今回の功績を受けて、マイアがどこまで国政に携わることができるのか? である。
アレックスの答えを待つマイアの瞳は、自分の考えた政策で国が動く様を想像しているのか、期待に満ちて輝いていた。
「そうだな……こうして王位を手にすることができたとはいえ、今のエレクトラ王家はその権威や力を大きく失っている。その元の王家の威光を取り戻すため、マイアには王族の女としての役割を果たしてもらいたいと思う。できればモンフォール辺境伯の元に嫁いで貰いたいと考えているが……どうだろうか?」
アレックスの答えを聞いた直後。先程まであれほど輝いていたマイアの瞳にすっと影が入り、その表情はショックのあまり引きつり、歪む。
「それはジークのお嫁さんになれと言うことですか?」
「端的に言うとそういう事になる。正直私とて気が進まないのだ。だが今後の王国の事を考えれば必要な事なのだよ。マイア分かってくれ」
今回の勝利の立役者である自分にこの仕打……冗談じゃない。マイアは血が滲まんばかりに両の手を握りしめ、怒りに震える。
「お兄様。私はこの王都を離れるのは嫌です!」
「マイア、すまない。だが、お前も王族として生まれた以上国の為に尽くす。その覚悟は出来ているはずだ」
王族としての覚悟……箱入り娘として育てられたマイアにそんな覚悟があるわけがない。
マイアにあるのは、王族は誰も逆らえない権力者であり、民を支配しコントロールするものだという歪んだ選民思想だけであった。
マイアがうつむいて黙っているのを、肯定、諦めとでも受け取ったのか、アレックスは「すまん、マイア」と、ただ一言漏らし、部屋を出て行ってしまう。
マイアはアレックスが部屋から出ていくのを確認した後、会議室の隅に視線を移す。
「何がいけなかったんだろう……ねえ、教えてダンテ。私はどうしたらいいの? 貴方の言う通りにフェイトを王都に連れてきたのに、全然思い通りにいかないじゃない」
「マイア様、申し訳ありません。私とて全てを見通せるわけではございません。王子があそこまで頭の硬い御方だとは知らず……このような結果となってしまいました。面目次第もございません」
いつからこの部屋に居たのか、眼鏡をかけた細身の若い男が部屋の奥から姿を現す。
マイアがダンテと呼んだその男。実はマイアでさえその素性を良く知らないが、マイアのこの歪んだ欲望に付け込み、マイアに近づき信用を得ることに成功していた。
実はフェイトを引き入れることを勧めたのもこの男である。
今回の計画は失敗に終わってしまったものの、アレックスがあてにならないマイアにとって、頼れるのはこの男しかいない。
「ねえダンテ。お兄様を説得する方法を考えて」
ダンテの元に駆け寄りながら懇願するような声をかけるマイア。
「……いえ、残念ながら、アレックス王子の決意は硬い様に見えました。あれを説得するのは無理でしょう」
最後の頼みの綱であるダンテの突き放すような言葉に絶望するマイア。しかし、まだ諦めきれない彼女はダンテにすがりつき、食い下がった。
「ダンテお願い! 他の方法はないの? このままだと私……」
「そうですね……こういう方法は如何でしょうか?」
ダンテは口元を押さえ、何やら思案するような素振りを見せる。だが、その手に隠された口元は下卑た笑みを湛えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――コンコン
「お兄様入ってよろしいでしょうか?」
「ん? マイアか? どうした?」
突然のマイアの入室に書類を書くその手を停めたアレックスは、入り口の扉の方を見る。
「紅茶をお淹れしました」
「マイアが? 珍しいな」
マイアがお茶を淹れたのはこれが初めて。アレックスは驚きの表情を見せる。
「お兄様は最近お疲れの様子ですし。私にできることで少しでもお役に立てればと思って」
「そうか、ありがとう。嬉しいよ」
先程マイアに辛い役目を押し付けてしまった事に、負い目を感じ悩んでいたアレックスは、それほど落ち込んだ様子のないマイアを見て、ほっと胸をなでおろす。
マイアはポットとカップを乗せたお盆をテーブルに置き、カップに紅茶を注ぐと、紅茶の甘い香りが部屋を満たしていった。
「この香りはローズヒップティーだな。それにしても、まさかあのお転婆なマイアにお茶を淹れてもらえる日が来ようとはな。これは明日は雪が降るかもしれないな」
そう言ってにこやかに笑うアレックス。その明日を迎えることが叶わなくなるとも知らずに……。
「ぐっ……こ、これは……マイア!」
マイアが淹れたローズヒップティーに口をつけたアレックスは、首元を手で押さえ、苦悶の声を上げる。
ダンテが調合した即効性の強力な毒薬。既にアレックスは言葉を発することすらできなくなり、血を吐き痙攣を始める。
アレックスは焦点の定まらない目でマイアを睨む。薄れゆく意識の中、アレックスが何を考えているのか、その内容を知る術はもうこの世には存在しない。
当のマイアは実の兄が事切れるその瞬間を、ただ冷静に冷酷に眺めている。その表情からは後悔や哀れみの念は一切感じられない。
それどころか、アレックスがこうなったのはさも当然と言いたげな、笑みさえ浮かべていた。
「おめでとうございます。これでマイア様の邪魔をする者、意見をするものはいなくなりました。これからはすべてがマイア様の思うままにございます」
「そうね。ダンテ。……私は間違ってないよね? 悪いのはお兄様よね」
「はい。間違ってなどおりません。マイア様もご覧になっていたと思いますが、アレックス様は優柔不断で気弱です。とてもこの王国をまとめきれるとは思えません。ですが、冷酷な決断が下せるマイア様が王になられればこの国は安泰でしょう。私も精一杯お力添えを致します。そう、全ては民のためなのです。王国と民の繁栄のために、アレックス様には犠牲になって頂く必要があったのです」
ダンテの肯定の言葉を聞き、安堵の表情を見せるマイア。
(はぁ……ダンテの言葉はどうしてこんなに私の心を落ち着かせてくれるのかな。そうよ。私は間違ってないよ。これは王国の発展のためなんだから。お兄様も言ってたじゃない。王族として生まれた者は、王国のためにその身を捧げる覚悟をしなさいってね)
「では、最後の仕上げと参りましょう」
「最後の仕上げ?」
「はい。王子が自殺したと見せかけるために遺書を作ります」
「遺書? でも筆跡でバレちゃうよ?」
「問題ありません。こうすればよいのです」
ダンテはそう言いながら、机に突っ伏して死んでいるアレックスの元に歩いていき、その背中に手を当てる。すると……ダンテの手から黒い靄が見えたかと思うと、死んだはずのアレックスの手が動き、紙に文字を綴りだした。
「え? どうなってるのこれ」
「これは我が家の秘術の一つです。これなら筆跡の問題はありません。誰がどう見ても王子直筆の遺書としてその目に映る事でしょう」
「ふーん、そうなの? それはすごいね」
秘術と聞いても良く分からないマイアは、目の前で起きている事実を受け入れざるを得なかった。
「な!? こ、これはアレックス様! ……マイア様、これはどういう事ですか?」
不意に扉の方から声が聞こえたため、二人が振り返るとそこにはアレックス付きの侍女が、両手で口を押さえ驚きに表情を歪めて固まっている。どうやら、マイアが珍しくお茶を淹れた事を不審に思い、様子を見に来たようだ。
「……迂闊、見られてしまいましたか、仕方がありませんね」
ダンテは一言そう発すると。次の瞬間にはものすごい速さで侍女に詰め寄り、まるでキスでも迫るかの様に自分の顔を寄せる。あまりの突然の出来事に侍女は恐怖で硬直し、身動きがとれない。
「お前は今、何も見ていなかった。そうだな?」
ダンテの目が赤く怪しく光ったかと思うと、侍女の目が光を失い表情が虚ろになっていく。
「は、はい……。私は何も見ておりません」
「よし。いい子だ。お前はアレックス王子殿下が苦悩し、苦しんでいる様子を毎日の様に見ていた。それで間違いないな?」
「……その通りです。アレックス様は毎日とても苦しんでおられました」
「自殺を図ってもおかしくないくらいにか?」
「はい……。私がもっとアレックス様を慰めてあげられたら、こんなことには……」
侍女の目から涙がこぼれ始める。
「不潔よ……お兄様……最低」
侍女の発した言葉に対して、思わずマイアは言葉を漏らす。
慰め……つまり、この侍女とアレックスはそのような関係だったのだろう。今この瞬間、マイアの心の中から兄に対する一切の罪悪感が消え去ってしまった。
「マイア様。もう大丈夫でしょう。これであなたがこの国の王です。女王マイア様の誕生ですね。おめでとうございます!」
こうして、マイア女王が誕生した。
次回の更新は10/14の予定です。




