透き通る果てしない時を見た
彼女は生まれてから一度も空を見た事がなかった。
海も花も、この世にある何もかもを。
何故なら、彼女は盲目のまま生まれたからだ。
「昨日は雨が降ってた」
病室のベッドの脇に置いている椅子に座りながら、エモは彼女にそう言った。
「あの冷たいのね?」
彼女はそう答えると毛布から這い出るように上体を起こした。彼女はこちらに向き直る。しかし、それは声がする方向に向いただけだという事を、エモはよくわかっている。
「雨ってどんな形?」
彼女はエモに聞いた。エモはどう答えていいものかと悩んだ末、小さな丸だと答えた。
「じゃあ雨ってどんな色?」
続けざまに彼女は聞く。雨の色と聞かれてエモはさらに悩んだ。
「透明かな」
その言葉に彼女は少しだけ考えてから、「透明って何色?」と聞いた。
「赤いってわかる?」
「わかるわ。血の色でしょう?」
彼女は澄ました顔でそう答える。
「色がないのが透明だよ」
「それは目に見えないの?」
「いや、見えるんだけども色がないんだ」
彼女は怪訝な顔をした。
「嘘よ。それじゃあ見えないもの」
「いや本当だよ」
エモは少し語気を荒めて言った。自分でも何故そうなってしまったのかわからない。
「この世界にはたくさん目に見えないものがある」
そして、その狭間に雨が降る。
「じゃあそれは何?」
彼女はいじけたように言った。
エモは彼女の背中に優しく触れた。ピクついた温度が指先を通してエモの一番冷えていた部分をじんわりと温めていく。
「体温。声。感情。足音。他にもたくさんある」
エモはすくっと立ち上がると窓の方へと歩いた。彼女はエモの足音に耳を傾けている。
窓の外にはたくさんのものがあった。色づく木々や向かいの家々。不揃いな鳥たちが雨を避けて家路を急ぎ、黒い雲が流れて行く。太陽は見えないがきっとそこにあるだろう。エモは窓を開けた。風と雨粒が勢いよく病室へ飛び込んでくる。カーテンをバタバタといたずらっぽく揺らした。
「風は見えるの?」
彼女は聞いた。
「いや、見えないよ」
エモは優しく答えた。
「そう」と彼女は少しだけ微笑んだ。その微笑みは完全な瞬間だった。
また風が強く吹いた。
彼女の髪がなびく。彼女は目を細めて風を見ようとした。
エモは彼女が好きだ。
何にも変えがたい存在である。
エモはいつまでも、どれだけ時間が過ぎても彼女のそばにいたいと思った。
エモはこの透き通る果てしない時が流れる様を、彼女を通して見ている。




