マナー
「劇場や映画館で帽子を外すのはマナーだろう」
いやいやとロジェは私のその言葉を遮った。
「それは外せるものを身につけているという事でマナー違反になるんだが、それでは君は劇場や映画館でのアフロ頭や髪の毛をツンツンと逆立てたものは容認するのか」
ロジェはタバコを一口呑むと煙も吐かずにそれを美味そうな表情で全て肺に納めてしまった。
「いやそれは個人の自由だからなんとも言い難いな」
「他の者の鑑賞を妨げるような行為は確かに禁止されている。しかし、やはりそう言う確かな規範として明記され得ない所をマナーと呼ぶのだろうね」
ロジェはもう一度タバコを呑んだ。短くなってしまったそれを彼は灰皿に押し付ける。
「なるほどな。まあ扉を開けたままにして後続の者を入れるとか、車に乗ってる時に合流に入れてもらえたらハザードランプを出すとか」
「そうそう。あとはあの時は爪を切るとかね」
ロジェは指先を私に見せびらかすように動かした。
「しかし、マナーとはそれぞれの物差し、つまり規範であるからこそ難しいものと言えよう」
私はタバコに火をつけた。
「そう」
ロジェは私のジッポを掴むと、余った片手で素早くライターでタバコに火をつけた。私は煙を吐く。
「なんだいきなり」
「いや、これもある意味マナーだろう。タバコを吸おうとしている者に火をつけてやる」
「そんなもの目上の人でもあまりしないぞ」
「言っただろう。それぞれの物差しだと。価値観の否定は揉め事の原因だ」
「君はマナーがなっていない」
ロジェはケタケタと笑った。
「劇場や映画館にいる時は羽根を閉じておくと言うのもマナーだね」
「当たり前だ」
「あと投射機がおかしくなってはいかんから超音波での会話も避けるべきだ」
ロジェはもう一本タバコに火をつけた。しかし、私は彼に火をやることはなかった。
「超音波なんて家の中以外で使うと迷惑だよ。頭痛をする者もいるんだから」
そう考えると世の中マナーだらけだと思った。世界は取り締まることの出来ない曖昧さで保たれている。だからこそ、マナーが支えている部分も大きいのだろう。
「しかしあれだな。カフェテリアもずいぶん変わったよ。昔はもっと静かだった」
「おいロジェ、タバコを吸いながら話すなよ。それはマナー違反だと言われかねないぞ」
「口が二つあるからいいじゃないか。なぜ二つあるのに別々に使わなくてはいけない」
「それら口に食べ物を入れて話しているようなもんだ」
いやいやとロジェは私の言葉を遮った。
「それは一つの口でやるからマナー違反になるんだが、それでは君は片方の口で飯をかき込んで、もう片方の口で茶を啜り、口の中で茶漬けを完成させる事を容認するのか」
「いやそれは個人の自由だからなんとも言い難いな」
快い生活にはまだ遠いと思った。




