他愛の無い家族
私がまだ幼かった頃、部屋の食卓に聞こえるのは関西のローカル番組の少々下品なバラエティと家族の談笑、咀嚼音、そして父の悲鳴であった。
父はいつも母に虐められていて、子供達の前でもそれは見境なかった。突然、何の前触れも無く父の頬をビンタしたり、耳や首を噛んだり、口に含んだ水を顔に吐きかけたりと、その度に父は何とも悲痛な叫びをあげるのだった。そんな様を見ながら母はこれ以上無いほどにケタケタと笑うのであった。
そんな両親の様子を見ていたからなのか、私は男という生き物がどうしようも無い生き物なのだというように感じてしまっていた。当たり前のように迎えた反抗期は父にだけ向けられ、母とだけは割と仲が良かった。二つ下の弟は大人になるにつれ骨格がはっきりし始めると同時にその少し猫背気味な姿勢は小さな父の背中へと変わっていった。私はそれを見てまた哀れな生き物が育ってしまったと思った。
「もうやめてくれやあ」
父がまた叫んでいた。痛みに歪めた顔は見ているとこちらがおかしく思える程に滑稽であった。
「ええやないの。噛みたいんやもん」
母は悪びれる様子もなく笑った。
私に気になる男の子が出来始めると、その子達は決まってクラスでは大人しいとされている、いわゆる父に似たような生き物たちであった。
私はその事にひどく落胆を覚えたが、抗えない何かのような気もして、自己嫌悪を感じさせるのであった。
その頃くらいだろうか。私が自分という愛憎もへったくれもない両親に産み落とされた生き物だという事に気付いたのは。今思えば思春期特有の形の無い異形の花が咲いて、それがどこからか私のみならず他者にまで香っているのではないかという恐怖心のようなものだったのかもしれない。
それから暫くするとどこからか、確かな事は今でもわからないが、母が父を虐める事が少なくなり始めたのだ。それはどこから始まったのか、わからない。少しずつ少しずつ、その数が少なくなっていったのである。
父も母もそれが無くなっていっただけでいつもとは変わらない。二人の間に交わされる他愛も無い話も、私たちが幼い頃から食卓で聞いていた談笑に他ならなかった。
ただ、たまに父の痛がる声などが聞こえてくると、私はどこかその声を懐かしく思うのだ。
「痛いって。はたくなやぁ」
母の静かな笑い声が聞こえた。
それから私は家を出た。
京都の大学に合格するとすぐに一人暮らしを始めたのだ。最後の日は、父も母も笑っていたが、巣立つ我が子を何だか小さなものでも見るような目で見ていた。
「一人暮らしいうても京都やからさ。たまには帰ってくんで」
「気い向いたらでええよ」
母はそう言った。
それから暫くして弟も家を出た。彼は大学へは行かず、すぐに働き始めたが、やっと重い腰を上げて一人暮らしを始めるらしい。それは私の影響が少なからずあったかどうかはわからない。一人暮らしの少し前に、弟からの電話で久しぶりに話す事ができた。それ時にはもう意思は決まっていて、住む所まで決まっていた。
私たち家族は別々の世界へと旅立ち、その旅立ちは世界からは祝福さえもされないものであった。しかし、その中で生きる小さなもの達にとって、とてつもない一歩だったように感じる。その事をはっきりとした形で思ったのは、父と母が離婚をするという事を聞いた時であった。
あまりに突然の事で、私も弟も驚いた。すぐに家族は申し合わせも無く、偶発的に集まったが、もう元の形では無いような気がした。
「お母さんほんまにええの?」
「そうやで親父、なんでなん」
二人ともどちらも老いていたが、これほどまでに小さく見えたことはなかった。
「もう決めたんよ」
母は寂しそうに言った。
「お父さんは?」
皆の視線が父に向けられた。父はきまりの悪そうにもぞもぞとしていたが、やがて俯いてからゆっくりと母を見た。
母はその視線を感じていたであろうが、目を合わせることはない。
「もうわしでは噛み応えはのうなってしもたんか」
「せやね」
二人の間にあった言葉はこれだけだった。
程なくして私は離婚が成立した事を知った。今の家は母が出て行く形となったが、隣の町のアパートで暮らしているらしい。父は未だ家族のいた痕跡の残る家で暮らしている。一人やと二階なんか使う機会あらへんわと言っていたのを思い出す。
他愛も無い、家族の話である。




