角川奈々を知る
ジナダーサが現世のものならず奈々ちゃんを見たのを、ひとえに恋ゆえの色盲と片付けるなら、早計のそしりを招こう。
オセロとデズデモーナといったら陳腐に聞こえるかしらんが、事実、皮膚の色には同様の違いがある。偽善的かつ独善的にしてハヤトチリな向きは前文をもってZIN-SYU-SA-BETUのなんのと騒ぎかねないのを承知で書いた。
キング牧師とケネディー大統領との間に肌色の差別を認めない者は色盲と断じてかまわない。ダーサと奈々ちゃんとにおいてもしかり。ケネディー大統領はアイルランド系アメリカ人であり、奈々ちゃんの母貴子さんもまたアイルランド系アメリカ人だった。伸一がマサチューセッツ州の某工科大学院に学んだとき、言語学部で日本語史を研究していたマリア・ハミルトンといい仲になった。
結婚して帰化後、マリアは本名を捨て戸籍上貴子とした。
奈々ちゃんはくるくる巻いた赤い毛のみどりめではなく、つやつやしく黒い髪のくろめだけれども、ほかは母親の形質を受け継いだのだろう。縄文ないし弥生人おんながどんなに美白につとめたといって、奈々ちゃんのようにはなれまいと考える。長い手足だって強ちセイロンの島女にひけをとるものではない。
白人のそれを仔細に観察すれば判ってくることがあるというのは、われわれ黄色人種と違って、皮膚層の下に薄く金箔めく何かが透いて見える、光を吸いとるにあらずして光をはねかえす白さ、太陽光をはねかえす肌なのだ。ダーサが見たのはそういう眩しいまでの何かだった。
我々はうらやましがろうか。一考を要するところだ。本人にとっては、小中高と絶えずコンプレックスの因をなした。いささか彫りが深い顔だちも自慢のたねでなかった。




