巧妙な襲撃
それは巧妙過ぎるタイミングであった。日が暮れ闇夜が訪れんとする逢魔時、昇格試験が終了し受験者達が長時間の緊張から解放されて弛緩した空気が漂う中、グランフェリアへの帰路について半程まで来たところで、それは起きた。
受験者達の隊列に突如投げ込まれる黒い球。それは何の破壊ももたらさなかったが、爆発的に煙を噴出し否応なく視界を奪う。経験の浅い受験者達を動揺させ、不安に陥らせる。対照的に試験官である熟練の傭兵達には動揺はなく、受験者達に無闇に剣を抜いたり動いたりするなと命じるだけの余裕があった。
だが、実のところ彼らは彼らで難しい判断を強いられていた。すなわち、農園に戻るか、都市への帰還を強行するかと言う判断をである。
常道に考えれば、都市への帰還を目指すべきである。都市へ近づけば近づくほど安全性は高まるし、援軍も期待できるからだ。試験官達だけなら、間違いなくそうしたであろう。
しかし、現実には現状戦力には数えられない受験者達を抱えている。一人二人ならともかく、一人頭十人では、どうあがいても守り通せるとは考えにくい。理路整然とした形で隊列を保って逃げられるなら話は別だが、今の浮き足立っている受験者達には困難なのは明らかである。しかも、初手からして、相手は十全の準備をしているとみていい。都市への帰還を阻むように罠を敷かれている可能性が高く、都市への帰還は困難極まると彼らは見ていた。
では、農園に戻ると言う選択肢はどうか?実はこれは中々に有効な選択肢である。都市から離れるという明確なマイナスがあるものの、農園に入ってしまえば許可証を持たない襲撃者達を振り切るの容易い。偶然に偶然が重なって、魔物か魔獣の侵入がない限り農園に篭る限り受験者達の安全は確保できる上、援軍も確実に来るのは間違いない。援軍が目指す場所としても分かり易く合流もし易い。その上、今通ってきた道であるので、少なくとも農園に戻る過程で罠を気にする必要はないからだ。
どちらにも一長一短があり、さらに襲撃場所が距離的に農園と都市の中間点に位置していたことが試験官達を悩ませる。どちらかに明確に近ければ、迷いなくそちらを選べたのだが、本当に微妙な距離の違いしかない為、判断しかねていた。
「農園に戻るぞ!」
故にいち早く決断を下した者に彼らは従った。ここで分散するのは愚の骨頂である。煙玉などという搦め手を使ってきた以上、戦力や人数では劣っていることの証左に他ならないからだ。分散などしたら、各個撃破されるのが関の山である。今は固まって迅速に退くのが最善手だと試験官達は判断した。
煙が晴れるなり、試験官は自身の担当する受験者達を農園へと追い立てる。隊列もくそもないばらばらの走りだが、矢の標的になることを考えれば、かえって固まっているよりましと判断したのだ。
そして、彼らの考えを肯定するように逃げる受験者達を背後から狙う矢の雨が到来する。最前列で受験者達の先導役を務めていた燃えるような赤髪の試験官は、受験者達を追い立てる一方で一人踏みとどまり、一転して殿となる。彼のトレードマークの大剣がマナを帯びて唸りをあげ、飛来する矢を尽く薙ぎ払う。
逆に集団のトップを走るのは、いち早く農園へ戻ることを決断した金髪の試験官だ。彼は先頭を切ることで、受験者達を農園まで誘導すると共に障害を排除する役目を果たしていた。
他の七人の試験官は逃げる受験者達の側面を護るとともに、道をそれたり脱落する者がいないように誘導するフォロー役に回っていた。
そんな中で、唯一蚊帳の外だったのが、瞬とミユキ、その担当試験官であるクラウスであった。
彼らは特殊な事情から、他の受験者達の隊列から少し離れて最後尾を歩いていたのだ。それ故か、唯一襲撃を免れることに成功していたが、突如Uターンしてくる受験者達の群れに驚愕する。
「えっ、なんでこっちに?」
「ちっ、襲撃にでもあったか?それとも魔物か魔獣に遭遇したか……。シュン、妖精の嬢ちゃんと一緒に連中の後を追って農園へ戻れ」
こちらへと我先にと走る受験者達の必死の形相を見、先導する金髪の傭兵の姿を認めて、クラウスは素早く指示を出す。
「あなたはどうされるのですか?」
「俺は状況を確かめる。試験官は全員、赤銅以上の高ランク傭兵だ。余程の化け物でも出てこない限り負けはねえ。安心しな」
「……分かりました」
自分だけ逃げるというのは正直気が進まないが、今の自分が残ったところで何ができるというのか。足手まといになるだけではないか。そう自分に言い聞かせ、瞬は残りたい気持ちを抑えて、素直に頷く。
「よし、今だ!走れ!」
受験者達の群れの中間辺りが差し掛かったところで、クラウスは瞬の背中を叩き命じた。
「はい!どうかご無事で!」
瞬は走り出し際、一度だけ振り返るとそう言い残し、ミユキを肩に乗せて走り去っていた。
「おいおい、俺の心配するなんて10年早いぜ、新人。まあ、気持ちはもらっておくさ。さあ、行くか!」
心配性な後輩の言葉にクラウスは不敵に笑うと、瞬達とは逆方向に駆け出した。
クラウスは、現在グランフェリアに在住する傭兵の中でも一二位を争うスピードを誇り、『疾風』の異名で恐れられる銀ランク傭兵である。瞬の監視を任されたのも、ライルとの交友以上に彼なら万が一にも取り逃がすことはありえないとその腕を買われたが故である。
『疾風』の異名に違わず、瞬く間に殿を務める赤髪の傭兵のもとへと辿りついたクラウスだったが、肝心の襲撃はすでに終わっていた。魔物や魔獣の姿はどこにも見えず、賊らしき影もない。あるのは大剣を握ったまま周囲を警戒する赤髪の傭兵の姿と、その周囲に散乱する無数の矢だけだ。死体などは見られない。
「アッシュ、これは一体何があった?」
赤髪の傭兵のが呼声に応じ鋭い視線が向けられる。アッシュ、それが彼の名であった。身の丈以上の大剣を自由自在に操ることから『豪腕』の異名を持つ男である。今回の昇格試験の試験官では飛び入り参加のクラウスを除けば唯一の銀ランク傭兵である。ちなみにクラウスと顔なじみであり、それなりに親しい間柄である。
「クラウスか、どうしてここに?あんたも襲撃されたのか?」
「いや、俺のところは来てねえな。新人共が大挙して戻ってきたんで、何事かと思ってよ。状況確認とお前の援軍に来てやったのさ」
「いらん世話だな。見ての通り俺様には傷一つねえよ」
「ふん、減らず口を!で、一体何があったんだ?てっきり魔物か魔獣でも出たのかと思ったんだが……襲撃だと。情報が漏れていたというのか?」
「そんなこと俺様が知るかよ。ただ、連中は少なくとも十人以上。それも相応に組織だった行動ができる連中だ。夕闇で視界を微妙に悪くなりやがる時、さらに距離的に判断に迷っちまう中間地点、ダメ押しに初手に煙玉ときた。しかも、一人の犠牲も出すことなく退却と引き際も見事なもんだ。相当用意周到な野郎なのは間違いねえな」
「そこまでやれる組織だった連中となると……」
「しかし、意外だな」
「うん?何がだ?」
「アンタ達が狙われなかったことがだよ。普通に考えて、狙うなら妖精つきのアンタ達だろう?それ以外今回の面子の中でめぼしいものは見当たらねえしな」
「確かにそうだな。だが俺達のとこには、本当になにもなかったぞ。でなきゃ、こっちにきちゃいねえよ」
「そうか、そうするとこの襲撃はギルドの評判を落とす為か?まさか試験官連中がお目当てということはねえだろうしな」
「確かにそれは考えにくいし、状況から判断するに妥当なところだが……。そういや、農園へ戻ることはお前が指示したのか?」
「いや、アインの奴だ。やっこさんには珍しく迅速果断な判断だったぜ。俺様もどっちかと言えば、そのつもりだったから、そのまま奴に任せたのさ」
本来、指揮をとるべきは銀ランクのアッシュである。そういう意味でアインという傭兵の行動は越権行為であったが、その判断は誤ったものではなかったので、緊急事態ということもあってアッシュはそれを追認したのだ。まあ、アッシュ自身、指揮をとるよりは一戦士として戦った方が性に合っているということもあり、これ幸いに丸投げしたという部分もあったが……。
「アイン?あのプライドの塊みたいな坊やが?というか、よく試験官なんて地味な仕事を奴が引き受けたな。正直、そっちの方が信じられん」
先導役を務めた金髪の傭兵アインの正式名称はアインハルト・ビュッセンブルク。物語の騎士と言っても通用しそうな美形の男である。姓があることからも分かる様に、没落したとはいえ、れっきとした貴族の出である。そのせいか気位が高く、仕事を選り好みする為、その実力に反して程ギルドの評価は高くなく、赤銅ランクに留まる。
「俺様も確かに驚いたがよ。奴も後がねえからじゃねえか?この間、昇格を申請して弾かれてたからな。これで二度目だ。銀に上がるには、後一度しか挑戦できねえ。少しでもギルドに点数を稼いでおきたいんじゃねえか?」
銀ランクへの昇格試験は、傭兵ギルド側が提示する場合と、一定の条件を満たした傭兵自身が申請する二パターンがある。前者の場合、特に制限があるわけではない。昇格試験に落ちても、再度挑戦することは何度でも可能である。
しかし、後者の場合になると少し話が変わってくる。ギルド側が提示しないということは、傭兵になにか問題があるか、若しくはまだ早いと言う判断を下しているということである。それを覆して、己をもっと評価しろというのだから、当然前者より厳格に審査される。故に合格者がでることは稀で、受験者が全員不合格になることも少なくない。しかも、ギルド側の負担も考えて申請できるのは三度までとされているのだ。三度とも落ちてしまうと、銀ランクへの昇格資格そのものを失ってしまう。さらにギルド側の受けも悪くなると、踏んだり蹴ったりのリスキーであまり頂けない方法であった。
傭兵ギルドも伊達や酔狂で傭兵を管理しているわけではないのだ。彼らの目は正確であり、銀への昇格を提示されないということは、銀ランクに相応しくないところがあるということである。それを理解せずに、昇格試験を受けようとしても無駄になるのは自明の理というものだ。
だが、それでも自ら申請する傭兵は後を絶たない。傭兵、それも赤銅ランクになれる程の者であれば、自ずと自身の力量に自信を持っている者が少なくないからだ。己ならもっと上へいけると自負している者ばかりなのだ。結果、地道な積み重ねを忘れ、安易に最短コースを行こうとして失敗するというわけだ。アインはその典型例であった。
「あいつ二度目も駄目だったのか……。そりゃあ、必死にもなるか」
クラウスは納得した表情で呟く。アインはいわば首の皮一枚で繋がっている状況なのだ。それならば、普段ならやりたがらない地味な仕事を請けたこともガテンがいくと言うものである。
「しかし、妙じゃねえか……?」
「うん、どうした?」
「新人共はもう農園についているはずだ。俺様達も警戒しながらとはいえ、かなり農園に近づいているはずだ。だというのに、伝令も援軍もこねえとはどういうことだ?」
「確かにな。新人のお守りに五人は残すとしても、四人はてすきのはずだ。何の動きのないのは不自然だな」
クラウスとアッシュの二人は、話しながらも歩みを止めていない。警戒こそしていた為、多少慎重な足取りになったものの、農園はもう目と鼻の先である。だというのに、伝令にも援軍にもすれ違うことなく会っていない。農園とグランフェリアを繋ぐ道は基本的に一本道であるから、行き違いがあったとは考えにくい。熟練の傭兵である両者は不審を強める。
「まさか、農園内に魔物か魔獣が出やがったのか!?」
「そんなことはありえないと言いたいところだが、現状を鑑みるに否定できんな……!!」
昇格試験の終わりに賊に襲撃をかけられるなど、夢にも思ってもいなかったのだ。それが現実にありえた以上、偶然に偶然が重なって、最悪の結果を導くこともありえないことではない。クラウスはそう判断すると、スピードを一気にトップギアに跳ね上げる。
「先に行け!俺様もすぐに行く!」
アッシュも同様の危惧を抱いたのだろう。問答無用で叫ぶように命じる。
「おう!」
応える言葉を置き去りにしながら、クラウスは走る。それに僅かに遅れながらも、アッシュは全力で走り出した。手遅れになっていないことを心の底から願いながら……。
しかし、彼らの危惧を肯定するように辺りはすでに闇の帳に包まれ、さらに結界の影響で農園の状態は露程も知れなかった。
クラウスとアッシュが異常に気づく少し前、瞬とミユキは受験者達の群れにうまく入り込み、農園まで避難することに成功していた。妖精つきの彼らは否応なく目立つが、今はそんなことを気にしている余裕のあるものはほとんどいない。受験者達はどうにか危難から脱出すことに成功した安堵で座り込むしまつであったし、試験官である傭兵達は一人の脱落者も犠牲もでなかったことに胸を撫で下ろしていたからだ。
「いやー、実際にあるもんだな。帰るまでが遠足ですってことか」
そんな風にわざとおどけて、瞬は自身の緊張を解す。表には出していないが、突然の異変に慌てたのは彼も他の受験者達と変わらないからだ。緊張で必要以上に体が硬くなっていたのは否めなかった。
しかし、それでも周囲の者達の声に耳をそばだて、情報収集に努めた瞬の手腕は賞賛されるべきであろう。
皆が無事を喜びあう中、現状を大体把握した瞬は妙な違和感を感じていた。
「気持ちは分かるが浮かれすぎだろ。ここを一歩出ればたちまち生命の危機だって言うのにのんきなものだ。というか、なにか妙だ……」
「妙ですか?何かおかしなことでもございましたか?」
「聞いた感じ、襲ってきた賊はかなり用意周到だ。だっていうのに、一人の犠牲もでていないっていうのはどういうことだ?いや、犠牲が出た方がいいって言ってるわけじゃないぞ。ただ、状況的にありえるのかと思ってな」
先手を許し、視界を防がれたのだ。後は矢の雨を降らすだけで、十分すぎる犠牲を受験者達に強いることができたはずである。だというのに、矢が射掛けられたのは視界が戻った後だ。煙幕を最大限に有効に使うなら、煙が晴れる前に射掛けるべきであった。
「つまり、賊の狙いは受験者達の命ではないということだ」
自分の考えをミユキに説明しつつ、そう結論を下す瞬。そうすると、一つの疑問が生まれてくる。
「マスターのおっしゃることはもっともかと。しかし、そうなると賊の目的はなんでしょう?」
「傭兵ギルドの面子を潰すなら、受験者を狙うだろう。試験官達狙いとしても、受験者達を狙わない理由にはならない。受験者を狙えば試験官達は必然的に守らねばならなくなる。それは試験官である傭兵達の行動を制限し、足を引っ張るだろう。それが絶好の機会になるだろうからな」
「確かに……。ですが、そうなると、ますます賊の狙いが分かりません。私達が狙いなら、私達だけ襲撃がなかったのも不可解ですし、逆でもよかったはずですから」
ミユキ自身が言うように、白銀の妖精が目当てなら、瞬達が襲撃されないのはおかしい。むしろ、他の受験者達から離れていた彼らは絶好の的であったはずなのだから。瞬もミユキも頭を悩ませるが、結論は出ない。
これは彼らが銀ランク傭兵の価値というものを理解していなかったが故の不幸であった。確かに瞬とミユキは他の受験者とは離れていたが、クラウスという絶対の守護者がいたのだ。たとえ、瞬達が襲われていたとしても、クラウスは瞬とミユキの守護に専念できる。元々、その為にクラウスは捻じ込まれた試験官だったのだから。瞬達は自分で考える以上に安全な立場にいたのだ。
もっとも、殿に残ったのも銀ランクの傭兵であったと聞いていたなら、瞬達も賊の狙いに気づけたかもしれないが――――生憎と現実はそれを待ってくれなかった。
残虐なる刃は、すでに二の矢を放っていたのだから。
試験官の怒号と受験者達の悲鳴が、昼間とは対照的に閑散とした農園に響き渡る。
何事かと、その場にいた瞬も含めた全ての者達が注目する中、その原因となった存在はその巨体を緩慢にひきづりながら、出てくる。それは漆黒に彩られた不気味な巨象であった。
闇夜に不気味に光る紅の目。それは魔物化した生物の特徴であった。すなわち、魔獣。エティアにおいて生物災害と呼ばれる最悪の脅威であった。
「馬鹿な!なぜ、こんなところに中型クラスの魔獣が!?巡回警備の連中は何をやっていたんだ!」
試験官である傭兵は驚愕も露に毒づくが、状況は何も変わらない。
魔獣化した象は動きそのものは鈍重だが、その五体は凶器そのものである。何気ない感じで振られた鼻が、受験者達を凄まじい勢いで吹き飛ばす。吹き飛ばされた者達は呻き声をあげることすら許されず、地面に叩きつけられて意識を刈りとられる。
傭兵達から投槍に矢等が放たれるが、相手は元より強靭で分厚い皮膚を持つ象である。魔獣化しさらに強固になったその皮膚で貫くどころか、刺さることすらなく、全てを弾き飛ばす。あまりの光景に目撃した全員が絶句するが、それは絶望の始まりでしかなかった。
魔象は返礼とばかりに、それまでの鈍重さが噓のように猛然と突進を開始したのだ。それも5tを超える大型の陸棲動物がだ。時速は40キロと野生の動物の中では鈍足もいいところだが、それでも時速25キロ程度のスピードでしかない人間よりは遥かに早い。それを魔獣化して強化されては避けようがない。撥ねられた受験者達が苦悶の声を上げながら吹き飛ばされる。現代日本でいえば、時速40キロの車に撥ねられたのとなんらかわりはないのだから、彼らの受けたダメージの大きさは語るまでもないだろう。
傭兵達は必死に受験者達から魔象を遠ざけるように誘導するように注意を引いているが、それでも魔象に薙ぎ払われた受験者の数は優に二十を超えた。
響き渡る怒号と怨嗟の声。かぼそい悲鳴も混じり、今や農園は地獄と化していた。そんな中、瞬は正確な状況把握に努めていた。
(試験官達の言葉とクラウスさんの態度からすれば、農園内での魔獣の侵入は実際にはほとんどありえないということだろう。だとすると、こいつは偶然の侵入じゃない。どう考えてもタイミングが悪すぎる。偶然にしてはできすぎだし、襲撃してきた賊が仕掛けたものと見て間違いないだろう)
「マスター、ご注意を!」
一人考えに没頭する瞬に、ミユキが鋭い声で注意を促す。見れば、いつの間にか間近に魔象が迫っていた。魔象の紅の瞳と目が合い、思わず息を呑む瞬。
「おい、あいつさっきは逆側に突っ込んでいったよな?」
瞬とて警戒を怠っていたわけではない。常に魔象の進行方向から逃れるように動いていたのだ。だというのに、ここまで接近されようとは……。
「そのはずですが、Uターンしてきたようですね。どうやらこちらの想定以上に素早いようです」
「あの図体で小回りが利くとか悪夢なんだが!」
悪態をつきながら、地面を蹴って木の上に飛び上がり、そのまま後ろ見ることなく農園を囲む林の間を駆け巡る。その後を猛追する魔象は凄まじい勢いで木を当たるそばから薙ぎ倒し、ものともしない。何の障害もないかのように瞬の後を一直線に追いかける。
「あいつ明らかに俺を狙ってやがる!どういうことだ!?」
先程までは、攻撃を加えてくる傭兵達を優先して狙っていたというのに。今や瞬しか目に入っていないような暴走ぶりである。まるで、突然行動指針が変わったかのような急激な変化であった。
「分かりません。ですが、この挙動。明らかに何者かの恣意が加わっているように思います」
ミユキはそう推察する。
元となった獣がなんであったかは関係なく、魔獣は生物を無差別に襲い、喰らう。魔獣が忌避される所以である。それが目の前にある無数の生者を無視して、ひたすらに瞬達を追ってくる。確かに何者かに操られているという可能性は十分にありえるものだ。
「こいつが俺を狙ってくるということは、やはりミユキが狙いか?だとすれば、なぜ俺達にだけ襲撃をかけなかった?」
距離を詰められているのを感じ、瞬は脚力強化に回すマナを増やす。たちまち、風景の流れる速度が加速し、魔象の木を薙ぎ倒す音が遠ざかる。しかし、安心はできない。もしミユキの言うようにあの魔象が操られているとしたら、賊の力量は魔獣すら操るということなのだから。
「クラウス殿の存在があったからではないでしょうか?彼は銀ランク傭兵です。そんな彼が専属でマスターの護衛についていたようなものですから、手が出せなかったのではないでしょうか?」
緊迫した様子はあるものの、常とは変わらずぬ冷静沈着な白銀の妖精の声が瞬の心を落ち着かせる。変わらないものがあるということはいいことである。自身が平静でいられないなら尚更。
「あのまま俺達を襲撃したとしても、クラウスさんに撃退される可能性が高かったというわけか。だが、それならばなぜ――――いや、そういうことか」
ようやく謎が解けた。ミユキが狙いにもかかわらず、なぜ、自分達ではなく他の受験者達が狙われたのかという謎が。
「賊の狙いがお分かりになられたのですか?」
「ああ、謎は解けた。鍵はお前の言うようにクラウスさんが握っていたわけだ。どうやら、俺達は銀ランク傭兵のネームバリューを過小評価していたらしい。
先の襲撃は俺達とクラウスさんの目を欺き、分断するためのものだったんだ」
「どういうことでしょう?」
「肝心の俺達ではなく受験者達が襲撃されれば、狙いはそっちだと思うよな?俺達を逃げる受験者達に合流させ、己が援軍に行くと決めたクラウスの判断は当然のものだ。だが、それこそが賊の真の狙いだったのさ」
「そして、避難先で魔獣という鬼札を使って混乱を巻き起こし、それに乗じて孤立させる」
「そうだ、俺達はまんまと賊の思惑に乗ってしまったというわけだ。腹立たしいが、俺が他の受験者達を巻きこまないように、一人結界の張られた農園から出ようとするのも、計算の内だろうよ」
瞬は逃げながら、どんどん他の受験者達と距離を離していたのだ。追われているのが自分なら、結界外へ誘導してやればいいと考えて。未だ結界内に留まっているのは、受験者達との距離がまだ十分ではないと考えていたからだ。
「それでは結界を出たところで!?」
「ああ、十中八九襲撃があるだろうよ。どういうわけか、賊は魔獣の動きを操れるようだからな。今更だが、奴は俺達を追ってるんじゃない。追い立てているのさ」
実のところ、魔象が当初試験官達を狙ったのも、瞬達が追い立てるべき方向にいなかったからが故だったのだ。
「いかが致しますかマスター?」
「俺の相棒を分捕ろうというふざけた連中だ。然るべき報いを受けてもらうとしよう」
そう言って、瞬は不敵に微笑んだのだった。




