昇格試験
傭兵ギルドの昇格試験は単純なものである。簡単に言えば、城壁外での護衛任務、それだけである。
だが、それはけして容易なことではない。なにせ治安がよく外敵もいない現代日本とは違うのだ。城壁から一歩外にでれば、そこは魔物が跳梁跋扈する生死のかかったフィールドなのである。少ないが野盗の類だっているのだ。城壁内での雑務などとは訳が違う。文字通り命がけの仕事なのである。
「あっ、やっぱり辞退者っているんだな」
試験官のところに辞退を申し出る受験者を横目に見ながら、独りごちる。
「ええ、元グランフェリア市民であった者達が多いようですね。流民や前科者等とは違い、彼らは都市外に出たことがない者も少なくないでしょうからね。直前になって、怖気づくものも無理はありません」
「まあ、びびるのも無理はないと思うけどな。魔物ガチで怖いし」
瞬はグランフェリアに来る途中、何体かの魔物に遭遇している。武器もなかったので、尽く気配を消してやり過ごしたのだが。
「グランフェリアに来る途中は隠形でやり過ごしましたからね。実際のところ、大丈夫なのですか?」
ミユキはずばり聞いた。瞬に斬れるのかと。死ぬ心配はしていない。逃げ隠れするだけなら、充分すぎるだけの技量を瞬は身につけているからだ。
だが、斬れるかとどうかはまた別の問題である。生き物を殺すということを基本的に戒められて、教育されてきた現代日本人にとって、一定上の大きさの生物を殺すことにはどうしても拒否感や嫌悪感を覚えるものである。いや、現代日本人であれば覚えなければならない。でなければ、それは人としてどこか破綻しているということにほかならないのだから。
瞬の生い立ちをミユキは知っている。若くして肉親を尽く失ったと言うこと以外はごく普通の現代日本人であることを。故に彼女はあえて問うたのだ。魔物とはいえ、生物を切り殺せるかと。その覚悟を。
「正直、分からない。殺す覚悟なんて決まってないし、決められるものでもないと思う。でも、斬れると思う。なぜだか分からないけど、その確信がある」
瞬はミユキの問に悩みながら答えた。それは不思議な答であった。
「えっ、それはどういう…「集合!」…行きましょうマスター」
言葉の意味を問おうとしたミユキの声を遮るように、試験官の声が響く。渋々ながら、疑問を棚上げにして主を促す。なんともいい難い答だったが、幸い瞬には動揺も恐れも見えない。最悪の事態にはならないだろうとミユキは判断したのだ。
「おう!」
瞬はそれに力強く答えると、集合場所へと駆け出した。それを影から見つめる不穏な視線に気づくことなく……。
さて、自治都市グランフェリアの経済を支える特産物である味噌と醤油。その原料である大豆はどこで生産されているのか?それも自家消費分だけでなく、他都市・他国に輸出できるレベルとなると相当な量である。当然、限られた都市内だけで賄うことは到底不可能な量である。故にその答は必然的に城壁の外、都市外ということになる。
「うわー、壮観だな」
視界を埋め尽くす広大な畑と水田に瞬は息を呑む。現代日本では最早見ること叶わないだろう情景であった。
「グランフェリアの食糧生産を一手に賄う大穀倉地帯ですからね。私も初めて見ましたが、凄いものですね」
白銀の妖精も感嘆しながら見入っていた。知識とは知っていても、それがどれほどものなのか理解していなかったのだろう。まさに百聞は一見に如かずであった。
「ははは、凄いもんだろう?グランフェリア自慢の光景だぜ」
見入る主従に担当試験官である男が声をかける。
「は、はい。本当に凄いですね。この規模のものは流石に初めて見ましたよ。でも、ここに来る途中、ここら辺を通ったんですが、全く気づきませんでしたよ」
「おう、そうか。そいつには勿論種がある。実はここには認識を阻害する結界が張られていてな。許可証をもたない者は基本認識できないようになってるのさ」
「これだけの広範囲を囲う認識阻害の結界とは……驚きました。人の力も侮れないものですね」
ミユキは純粋に驚愕していた。これ程の結界を張るのは、並外れた力量を要求されるからだ。
「確かに凄いが、それよりも許可証?まさかこの受験証が?」
瞬はそれよりも許可証が気になった。それらしきものをもらった記憶がなかったからだ。唯一思い当たるのは受験証だけであった。
「御名答、そいつは実は受験証じゃなくて、ここの許可証なのさ。登録された農夫以外はここにはそれなしじゃ入ることはおろか、認識することもできねえよ。
お前さん達には今からここを護衛というか、見回りしてもらうわけだ」
「でも、それじゃあ試験にならないんじゃないですか?盗人避けに野生の動物避け、そして魔物避けの効果も備えているということですよね」
瞬は疑問に思った。この結界があるなら、守り等不要ではないかと。それでは自分達は何を護ればいいのだろうかと。
「ところが、そうもうまくいかねえんだな、これが」
「なぜでしょうか?マスターのおっしゃることはもっともだと思いますけど」
「お前さんの言うとおり、野生の獣や盗人は完全に排除できるんだがな。魔物と魔獣はそうはいかねえ。こいつらにも認識阻害自体は効くんだが、なぜか領域の排除はきかねえんだ。そんな訳で偶然侵入されちまうことが少なからずあるのさ。俺達の仕事はそういった連中を駆除することなのさ」
「なるほど、それは気を抜けませんね。ご教授ありがとうございました。
でも、一受験者でしかない俺にどうしてそこまで?」
そう、教えても構わないこととはいえ、一受験者にここまで丁寧に教えてやる筋合いはないはずである。瞬以外にも受験者は数十人いるわけだし、とてもここまで手間をかけている暇はないはずなのだから。
「心配はいらねえよ。俺の担当はお前さんだけだからな」
「「なっ!」」
予想だにしない答に主従揃って驚愕し、次いで警戒も露わに距離をとる。百名近い受験者に試験官は目の前の男を含めて十一人だけだ。一人あたり十人弱を受け持たないといけないはずなのに、その貴重な一人が己だけの担当だとは。驚くなと言う方が無理な話であるし、何かがあると警戒するのも無理からぬ話であった。
「ははは、やっぱ驚くしそういう反応になるよな?でも、警戒する必要はねえ。これはギルドからのお前さんへの返礼というか詫びだからな」
「詫び?なんのことですか?」
「ほら、ギルドに仮登録した日につけられていたのを覚えているか?」
「ええ、気づいて撒きましたけど。それが何か?」
「それが俺なんだよ」
「えっ、ギルド側のよこした護衛があなただったんですか?でも、それで詫びられるのは理解できないんですけど」
「ああ、なるほど。そう誤解してくれたわけだ。こりゃ藪蛇だったな」
余計なことを言ったと天を仰ぐ試験官。やっちまったと言わんばかりであった。
「誤解?どういうことでしょう?」
当然、聞き逃す白銀の従者ではない。すかさず、追求する。試験官は少し悩んだ後、溜息をついて口を開いた。
「実はあれな、護衛じゃなくてお前さんの監視が主任務だったんだよ。まあ、結果的に護衛もしたがな」
「はいっ!?俺、監視されるようなことしましったけ……あっ!ミユキを連れていたからですか?」
何か自分がやらかしたのかと頭を悩ませるが、どうにも思いつかない。唯一思い当たることと言えば。このエティアにおいて稀少な存在である白銀の妖精のことだけであった。
「ああ、もちろんそれもある。でもな、それ以上にお前さん足音立てずに移動してただろう?あれで間諜じゃないかという疑いが生まれてな」
「「あっ」」
再び主従は揃って声を上げた。但し今回はとても間の抜けたものだったが。
「その様子だと意識してやっていたわけじゃないようだな。まあ、ここまで来る間もそうだったから、そうじゃないかと思ったがやっぱりかよ」
「あはは、完全に無意識でした」
ズーンと音が聞こえそうな勢いで項垂れる瞬。無意識とはいえ、警戒されるような行動をしていたのだから無理もない。目立つ目立たない以前の話である。
「申し訳ありません。私が気づかなかったばっかりに……」
ミユキも悄然とする。主の足りぬところを補うべき己が気づけぬとは存在する意味がないではないかと自分を責めていた。
「おいおい、そんな暗い顔すんな。大丈夫だ、もう疑いは晴れたんだからよ」
顔に縦線が入るような暗さの主従を励ますように、試験官は瞬の肩を叩いたのだった。
(ああ、こいつらマジで裏も糞もないわ。まあ十中八九そうじゃないかと思っちゃいたが、これで確定だな。この様子はどう見ても演技じゃねえし、マジでへこんでやがるからな)
クラウスは項垂れてガチでへこんでいる主従を見て内心で苦笑する。念には念を入れてということで、引き受けた担当試験官だったが、これは完全な杞憂であったようだ。
元気付けようと声をかけるが、主従にとって余程の失態だったらしく、中々復帰しない。まあ、気持ちは分からないわけではないから待ってやりたいのは山々だったが、これは曲がりなりにも試験なのである。彼らにも当然担当区域があり、そこを見回らねばならないのだ。いつまでもここで油を売っているわけには行かない。
「そら、いつまで暗い顔してるつもりだ。試験落とされてえのか?」
「そ、そうですね。この挙句、試験に落ちたら目も当てられないですよね。ミユキ、ここで挽回するぞ!」
「はい、承知しました!」
気合を入れる漆黒と白銀の主従には悪いが、運が悪くなければこのまま何事もなく終わるだろうというのがクラウスの見立てであった。実際、昇格試験中に魔物や魔獣などの侵入があることは殆どないからだ。というか、早々あっては困るのだ。なにせ、結界の周囲を定期的に傭兵ギルドが人員を派遣して掃除しているのだから、そうでなければギルドの怠慢になってしまう。故に、本当に運悪く偶然が重ならない限りそんなことは起こりえないのだ。
実のところ、昇格試験も門を出るまでの時点で、八割方合否は決まっている。勿論、持ち場を離れて逃げ出すような者は論外だが、後はいつ襲われるか分からない城壁外で一日大過なく過ごす事ができれば、問題なく合格できるシステムになっているのだ。
「おう、その意気だ。最後までしっかり頼むぜ」
無論、受験者にそんなことをばらせば、緊張もくそもなくなり試験の意味がなくなってしまうので、その辺の事情はけして表沙汰にされることはないが。
だから、クラウスは八割方徒労になるであろうことを承知で、そう応えたのだった。
それからしばし時間は流れ、昼休憩の時間となったが、案の定ここまで何事もなく済んでいた。この頃には三人は互いの自己紹介を終え、それなりに話せる間柄になっていた。瞬やミユキは普段ならばここまで無防備ではないのだが、先に醜態を晒したのがきいており、試験官であるはずのクラウスにも遠慮がなくなっていた。
「クラウスさんは、銀ランクなんですよね。確かその下が銅で、さらにその下が鉄でしたよね。この昇格試験に通ったら、俺も鉄になるんですよね。やっぱり上のランクにいくのは大変なんですか?」
「正確には銅は赤銅と青銅に分かれる。ランク順に金・銀・赤銅・青銅・鉄となるわけだ。ちなみに傭兵ギルドが作られた当初は、別の形でランクわけをしていたらしいが、評判がよくなかったらしくてな。今の形になったらしい」
この傭兵のランク制、作られた当初はS・A・B・C・D・Eというランクに分かれていた。周囲の反対を押し切って、これを強硬に主張したのは創始者であるシュガー家の始祖だ。彼としては分かり易いものにしたつもりだったのだが、彼は肝心のことを理解していなかった。エティアにアルファベットはないのだ。結果、分かり易いどころか、彼以外には理解できないものになってしまった。当然、不満が続出し、一年もたたず万人に分かり易い今の形に変えられたのであった。
「まあ、実際のところ、真面目に仕事をこなしてりゃあ青銅まではすぐだ。一応昇格には、戦闘試験があるがお前さんの身のこなしを見る限り、それなりにやれそうだからな。そうだな、お前さんなら赤銅までなら問題なく上がれるだろうよ。赤銅まではどれだけ戦えるか、強いかというのが、基本的な判断基準となるんでな。
だが、その先銀以上となると話は別だ。銀以上は強さ以外のものも問題となる」
「強さ以外……依頼の達成率とかですか?」
人柄や素行なども頭に浮かんだが、傭兵という職業に対する瞬の偏見がそれを口にさせなかった。ミユキからあれだけ説明されたにも関わらず、傭兵=荒くれ者というイメージを瞬は払拭できていなかったのだ。
「もちろん、それも関係してくる。いくら強くても、仕事ができねえ奴は評価されねえのは当然だろう?だが、それ以上に重視されるのは、その傭兵の人格と素行だ」
「えっ?」
まさに自身がこれはないと切り捨てたものが答だったと知り、驚きを隠せない瞬。そんな主に白銀の妖精は呆れ顔で解説する。
「マスター、お忘れですか?傭兵は都市内で武器を持ち歩くことを許された特権者にして、都市防衛の貴重な戦力です。それに付随して待遇はランクが上がることによいものとなります。特に銀以上とそれ未満では明確な待遇の差がございます」
「銀以上の傭兵になると、都市防衛線においてそれ未満の傭兵に対して命令権が生じるのさ。これは絶対のものでな。どんな理不尽な命令だろうと抗命は許されない代物だ」
「そんな死ねと言われれば、死ななきゃいけないんですか?」
「ああ、そうだ。といっても、そんな直接的な命令はされないだろうがな。死地へ行けというのは充分にありえる話だ」
「ランクの違いでそこまで……」
傭兵になったのは、時期尚早だったかと瞬は思い悩む。しかし、次の瞬間、その悩みは霧散した。
「なーんてな」
「へっ?」
意地の悪そうな顔でそんなことを言うクラウスに、瞬は間の抜けた声をだしてしまう。
「いいか、よく考えろよ。何のためにギルドが銀ランクに上がるのに傭兵の人格や素行を重視すると思っているんだよ。そういうあほな命令をさせない為なんだよ。本当に必要な事情があるならともかく、理不尽に死地へ行かせようとする銀ランクなんているわけねえだろ。そんなあほを銀ランクと認めてみろ。ギルドの信用はがた落ちだぞ」
「ああ、なるほど」
そこまで言われてようやく腑に落ちる。ランク認定によって傭兵の質を保証し、依頼に応じて見合ったランクの傭兵を派遣することで、傭兵ギルドは利益を得ているのだ。故に、それを脅かすような輩を上のランクに上げることはありえないのである。そりゃ、強さ以上に人格や素行が重視されるわけである。
「銀ランク以上になれば、認められる特権は数多いです。先に述べた都市防衛戦での命令権のほか、各都市での通行税の免除、各都市での市民権及び定住権、傭兵団の結成などが認められるのもここからでしたよね」
ミユキが銀ランクの特権を説明する。前にも軽く説明を受けたが、改めて聞くと中々に凄まじいものに瞬には感じられた。
「妖精の嬢ちゃんは詳しいな。まあ、大体その通りだ。銀ランクになればまず食うには困らんし、仕官も思いのままだ。なんだったら、一旗上げて開拓なんて夢を追うのもいいだろうよ。一般的に傭兵の終着点が銀だといわれる所以だな」
金ランクは銀ランクの傭兵が一定以上の功績をあげた場合に認定されるものであり、なるのには運も必要である。すなわち、それは自力で至れるのは銀ランクまでであるということを意味する。ちなみに有名な傭兵団の団長はその殆どが銀ランクである。
つまるところ、銀ランク傭兵は傭兵ギルドの看板を背負ったいわば顔なのだ。単なる戦力以上の意味を持つ存在なのである。故に、その顔が素行が悪かったり、人格的に褒められた人間ではないと言うのはいただけないというわけだ。
「なるほど。では、金ランクは珍しいんですね」
当然、肯定の返事が返ってくると思いきや、クラウスは苦々しい表情で言いよどんだ。
「……そうならよかったんだがな」
「そうではないと?」
「ああ、確かに傭兵ギルドが認定した金ランク傭兵はそう多くない。何せ金ランクは昇格試験がなく、銀ランクの傭兵が功績を認められてなるものだからな。この大陸内で百にも満たないだろう。だが、例外がありやがるんだよ」
「例外?」
訝しげな表情で頭をひねる瞬の代わりに、白銀の妖精が答える。
「国家認定ランクのことですね?」
「妖精の嬢ちゃんは本気で詳しいな。そうだ、諸国家が自国内の功績に応じて与える国家認定ランクとなると金ランクはそれなりにいる。まあ、傭兵ギルドが認定したランクと違って、そのランクが通用するのは認定した国家内だけなんだが、これまた問題児の集まりでな」
「問題児?」
「そうだ、国家認定ランクは銀と金しか存在しない。これがどういうことか分かるか?」
「え、まさか傭兵ギルドで弾かれた連中が」
「その通りです、マスター。銀ランク昇格が認められなかった者達が、諸国家に流れるのです」
「そうだ。充分な強さはあるが、素行や人格に問題のある連中が国家認定を受ける。中には真っ当なのもいるが、そういうのはいずれ傭兵ギルドの方でもランク認定されるんでな。結果、残るのは傭兵ギルドに敵対的な問題児ばかりというわけだ」
「うげー、それって傭兵ギルド認定の銀ランク以上は目の敵にされるんじゃ……」
「ああ、その予想は間違っていない。なまじ、その国家内では権力を持っていることが多いからな。冷や飯ぐらいにされることも少なくないし、待遇も酷いものにされたりする。
まあ、そんなことを大っぴらにすれば、傭兵ギルドに喧嘩を売るも同然なので、国側が手を回して相応の待遇をしてくれるから、ほとんどありえないことだが、全くないというわけじゃない。当面心配はいらないだろうが、お前達も気をつけろよ」
「分かりました、気をつけます」
「御助言、感謝いたします」
真摯なクラウスの忠告に主従は揃って頭を下げる。瞬は忠告を肝に銘じ、ミユキは純粋な感謝から。
「おう、いいってことよ。それにしても、ちょいとお喋りが過ぎたな。見回りを再開するぞ」
クラウスはこのぐらいなんでもないと言うように手を振ると立ち上がって言った。
「「はい!」」
それが照れ隠しであることを主従は見抜いていたが、指摘するほど無粋ではなかった。ただ元気よく返事をしてクラウスの心意気に応えるのであった。
そうして、ついに舞台の幕は上がる。主演は漆黒と白銀の主従。迫るは欲に塗れた残虐の刃。はてさて、主従は見事にそれをかわすことができるのか。どこかで、陽気でそれでいて不吉さを感じさせる声が響いた。




