異世界ギャップ
深い森に囲まれた湖畔より歩くこと三日。漆黒と白銀の主従は、どうにか日が暮れる前に自治都市グランフェリアの門が見えるところまで来ていた。
「いやー、三日ずっと歩きっぱなしってのも、案外来るものがあるな。あっちじゃ考えられないからな」
現代日本で、この距離を移動するなら、間違いなく車か電車を用いるであろうことを思い、瞬はかつての世界の利便性を懐かしく思った。
「こちらではこれが普通ですよ。王侯貴族や富裕層を除けば、基本的な移動手段は徒歩です。三日程度ならば大した距離ではありません。行商人などは半年近くかけて、国から国へ旅するものです」
ミユキからすれば大したことのない距離だったようで、どこか呆れた様子であった。この世界の交通事情を知る彼女からすれば、三日程度の距離で不満をもらす現代の交通機関にどっぷり浸かった現代日本人である瞬は軟弱に映るのだろう。
「あはは、面目ない。日本人も百年ちょっと前までは、数百キロを徒歩で踏破して、お伊勢参りとかしてたし、今もお遍路さんとかやるわけだから、確かにこの程度でぐちぐち言うのは情けないよな。
まあ、そうのうち慣れるだろうから、今回は異世界ギャップだと思って見逃してくれ」
瞬は現代日本人に無茶な要求をとも思ったが、よく考えてみると肉体的にはそれ程疲れていない。なにせ、今の肉体は現世の時より多少なりとも若返り、五人の師によって散々に虐め……いや、鍛え抜かれているのだ。元の肉体とは比べくもない無駄なく絞られた見事な肉体であるのだから。その証拠に、三日間歩きづめだったにも関わらず、筋肉痛になったりもしていない。
瞬が感じていた疲労の大部分は、長時間歩き慣れていない故の精神的な疲れであった。ちなみに本人も気づいていないが、今の肉体での三日なので思っているより歩いた距離は長かったりする。
「これで旅をしようと言うんですから、呆れます。今回だけですよ」
「耳が痛いな。分かった、肝に銘じておく」
生真面目な白銀の妖精はこういう時は容赦がない。基本、主の為にと献身的な娘なのだが、一方で主の為にならないと思ったことがあると、厳しく諫言するのだ。
当初は口うるさいと思ったものだが、今では自分を律するいい指針になっている。どうしても、現代日本人の感覚で物事を考えてしまう瞬にとって、両方の世界を知った上で、エティア側の価値観で意見をしてくれるミユキは最高のアドバイザーであったのだ。
「そろそろ通行税のご用意を。私のような妖精種には基本的にかかりませんから、マスター一人だと銀貨2枚といったところでしょうか」
「俺一人入るだけで銀貨2枚?少し高くないか?入り直す度にとられるんだろう?」
ミユキの言うところによれば、銀貨1枚が現代日本換算で1万円である。ただ、街に入るだけで2万円も取られるとなれば、瞬が高すぎると思うのも無理はなかった。
「マスターは城壁と都市結界の価値を過小評価しすぎです。常に魔物という脅威に晒されているこの世界の人々にとって、その脅威に怯えることなく安眠できる場所というのが、いかに価値を持つか理解しておられますか?」
魔物という明確な脅威が存在するこの世界において、主要な都市は全て城壁に囲まれ、さらに都市結界によって二重の防御を備えているのだ。都市に入る際の通行税は安全を買う為の値段なのだ。事実、通行税の大半は城壁の補修と都市結界の維持のために使われるのだから。
「なるほどな。夜、何の心配もなく眠れる現代日本がどれだけ恵まれていたか分かる話だな。じゃあ、銀貨2枚は妥当な値段というわけか?」
「いえ、グランフェリアは自治都市という性質上、特殊な事情がありまして通常より高いのです。普通は銀貨1枚前後が相場です」
「おいおい、倍かよ。ちなみに特殊な事情って?」
「グランフェリアは来る者を拒みません。罪人だろうと、異端者であろうと、税さえ払うならば受け容れます。マスターのような流民も同様に」
「なるほど……って、えっ、ちょっと待て。俺って流民扱いなの?」
「最高の身分証明である紋章を使わない以上、この世界に縁も所縁もないマスターは戸籍が存在しませんから、当然流民扱いになります」
「そりゃ、そうか……」
思った以上に軽く考えていたことに気づかされ、瞬は頭を掻く。紋章を使わないデメリットは彼の想像以上に大きいのである。ミユキが再三、瞬に紋章を使うように提案したのも無理もない話であった。
「これが最後です。本当に紋章は隠されるのですね?」
ミユキは最後の確認だと尋ねてくる。一見無表情だが、内心では瞬が方針転換してくれることを願っているに違いない。目は口ほどにものを言うのだから。
「くどいぞミユキ。方針転換はしない。このままでいく!」
きっぱりと即答する。だが、本音を言えば、瞬も揺るがなかったわけではない。
ただ、やはり神の使い扱いは御免だったし、そうでなくとも面倒ごと満載になるのは目に見えていたので、余程のことがない限り避けたいのが実情であった。まあ、戸籍の問題は後々まで響くし、行動も制限されることに繋がるので、余程のことに充分該当するのだが、今更方針を転換するのは何か負けたようで嫌だった。ぶっちゃけて言えば、瞬は意地を張ったのであった。
「マスターはへんなところで強情ですよね……。ハア、分かりました。全てはマスターの御意のままに―――――まあ、当初の予定通りといえば予定通りなのですけど」
「うん、どういうことだ?」
「マスターが紋章を隠されるのではないかという予想はしていましたから。伊達に三年間マスターと共にあったわけではありませんからね。
ですから、身分や戸籍が特に問題とならないグランフェリアの近郊に降り立つことをあらかじめ指定したのです。どこに降り立つかの指定権は私達に与えられていますから」
「そうだったのか……。それじゃあ、仮に紋章を活用する方向で行ったらどうしたんだ?」
「その場合、少し遠くなりますが隣国であるヴィレント王国に行くことを進言していました。完全実力主義のグランフェリアでは宗教上の権威というのは、他都市ほどの力を持ちませんからね」
「なるほどな。それにしても完全実力主義?力があれば成りあがれるのか?」
「ええ、できますよ。流石に評議員になるには一定の身分が必要ですが、市民権及び永住権なら一定の功績を挙げれば誰でも取得することができます。その為にここは亡国の民やマスターのような流民の行き着く先、終着地だったりします」
「へー、大したもんだな。うん、待てよ。亡国の民や流民のメッカということは、犯罪者も多い?」
「ご明察ですマスター。この近隣ではもっとも犯罪者の多い都市でもあります。なにせ、通行税さえ払えば来る者は拒まずですからね。前科者や犯罪者であっても、例外はありません」
「うへえ、マジかよ」
初めての異世界の都市が犯罪者の巣窟だと聞いて、瞬はげんなりする。なんというか、グランフェリアへの期待が急速にしぼんでいく。
「ですが、実のところ都市内部での犯罪率は大陸一低いです」
「はあ?なんでだよ?」
今までの流れをぶったぎるような予想外のミユキの言に、瞬は目を白黒させる。
「傭兵産業が盛んで都市のガードが優秀なのもありますが、それ以上にグランフェリアはいわば最後の砦なのです」
「最後の砦?」
「はい、前科者であろうと犯罪者であろうとも、グランフェリアでは一からやり直すことができます。グランフェリア内で犯罪を犯すということはその最後の頼みの綱を溝に捨てることにほかならないのです。その上、グランフェリアの刑罰は他都市に比べて苛烈な傾向にありますから」
「なるほど、グランフェリアでの犯罪は割に合わないというわけか……」
「そうですね、マスターの世界流に言うならば、ハイリスクローリターンといったところでしょうか」
訳知り顔で現世の言葉を使い解説するミユキはどこか得意気であった。この白銀の妖精は、へんなところで子供っぽいところがあるのだ。
「解説ありがとう。特に気をつけたほうがいいことはあるか?」
「市民権を得るまでは、絶対に市民ともめないで下さい。来る者は拒まずという基本的に寛容な都市ではありますが、市民権を持つ者とそうでない者には明らかに扱いに差がございます。流民と市民ならば、公平な裁きを望むのすら難しいのが実情です」
「分かった、気をつけよう」
「まあ、マスターならすぐに市民権を取得できると思いますので、過剰な心配は不要でしょうけど。気をつけるにこしたことはありませんので……。
では、参りましょう」
「ああ」
そうこう話す内にグランフェリアの門はもう目の前である。門を守護する重装備の兵士に僅かに緊張を漂わせる瞬。なにせ、初めての経験である。しかも、こちらは現状無手である。本物の武器を携えた兵士に武器なしで近づくのは中々に勇気がいった。
瞬の緊張を見抜いたのだろう。兵士の視線がにわかに鋭くなる。なにせ、この世界においては都市間の出入りに検問はあってしかるべきものである。魔物のという明確な脅威が存在する以上、万が一にも内部に危険物を持ち込まれたなら目も当てられないことになりかねないのだから。
この世界の者達にとってそんなものは当然であり常識だ。故に、体を緊張させるようなものではない。もし、緊張させる者がいるならば、それは何か後ろめたいことがある者だと判断されても仕方のないことである。
瞬も危うくそう判断されるとこであったが、そこにミユキの絶好のフォローが入った。
「(マスター、大丈夫です。落ち着いてください。私達には何ら後ろ暗いとはございません。緊張する必要はないのです)」
瞬の隣を飛んでいたミユキが、肩口に座り耳に小声で囁く。
「!?」
忠言に従ったというよりは、予期しなかったミユキの行動に驚かされ、それにより耳に走った微妙なくすぐったさに力が抜ける。
「ちょっ、くすぐったいって!」
「あら、失礼致しました」
まさかフォローされたのだとは気づいていない瞬は、反射的に抗議の声を上げる。それにどこ吹く風ですまし顔で応じるミユキ。端から見ると、いちゃついているようにしか見えないその光景に、兵士達は馬鹿らしくなって警戒を解いた。これからことを起こそうする者が、都市のガードの前でこんな目立つことをするはずがないと考えたが故だ。まあ、それだけでなくある特殊事情も関わっていたのだが……。
それから瞬とミユキは呆気無く検問を越えた。荷物検査に合格した後通行税を支払い、引き換えに通行証を受け散るだけなので、当然といえば当然だが。危うくいきなり危機に陥りそうなったことを思えば、ミユキの心労はいかばかりか。
「(都市内部に入る前からこれですか。先が思いやられますね……。)」
「おお、ここがグランフェリアか!」
そんな従者の心の中を知らないまま、異世界の都市風景に目を輝かせる主たる漆黒の青年は、誰が見てもお上りさんそのものであった。その様がおかしかったのだろう。背後から、僅かながら笑い声が漏れる。
「ハア……。ええ、ここがグランフェリアです。では、まず宿を探しましょう。折角都市内にきたのに、野宿なんて御免ですからね」
「ああ、そうだな」
どこか浮足立った様子の瞬は、ミユキの深い溜息どころか笑われたことにすら気づいていない。ミユキに対する応えもどこか上の空であった。それくらい、目の前の光景に彼は魅了されていたのだ。現世とは異なる建築様式の建物と、行き交う人々の人種の多様さに。幻想の存在でしか無かったエルフや獣人までもいるとなれば、男なら思わず見入ってしまっても仕方のないことだろう。
「さあ、参りますよ!」
このまま放っておいたら、暗くなるまで見ていそうだと判断したミユキは強硬手段に出た。力の限り、耳を引っ張ったのである。
「痛、イタタタ。分かった歩く、歩くから。自分で歩けるから、耳から手を離してくれ!」
思いの外強い力で引っ張られ、突然の痛みに目を白黒させながら、ヨタヨタと歩く瞬。
「ダメです。マスターは少し迂闊過ぎます!罰としてしばらくこのままです」
「えっ、ちょっ、勘弁してくれ。マジで痛いんだけど!耳が千切れるって!」
「聞く耳持ちません。さあ、キビキビ歩く!」
白銀の妖精に容赦なく耳を引っ張られながら、無理矢理歩かされる漆黒の青年。その光景は、どっちが主なのか分かったものではなかった。
結局、手頃な宿を見つけるまでその状態は続き、すれ違う人々に瞬は散々笑われることになった。幸い日が落ちかけていたので、思ったより人が少なかったのがせめてもの慰めであった。
とはいえ、宿の部屋ではさらなるお説教が待っているのだが、痛みと恥辱に震える瞬は知る由もなかった。




