しん、と静まり返っていた。
何も動かない、埃っぽい紙の匂いだけが充満する空間。木漏れ日がゆらゆらと机の上を揺らめいていた。
机を取り囲むように林立しているのはたくさんの本棚。電子書籍全盛のこの時代に誰が読むともしれぬ旧時代の知の集積。
春も終わりのこの時期に、しかし気温は誰もが想像する以上に涼しい。先ほどまで冷房がかかっていたからだ。生徒たちが喜ぶだろうこの場所に、しかしくる生徒はほぼいない。
新学期を迎えてから片手で数えられるほどの生徒しか訪れていないのだから、それも当然だろう。この図書館を目当てに来る者も、どれほどいたことか。
その時、階下から誰かが歩いてくる音がした。静謐な空気を壊さないようにしているのか、その靴音はどこか大人しい。
靴音の主は階段を登り切ると、きょろきょろと辺りを見回す。その女性はすぐに目当てのものを見つけ、そちらに歩き出す。
そこには眠ったように動かない少女がいた。
女性はゆっくりと少女に近づいていく。小柄な体を机に寝そべるようにしている姿はあどけなく、この場所自体の静謐さもあいまってどこか絵画のような静的さを見るものに思い起こさせた。
女性は静かに少女の肩を揺らした。
「千早さん、起きて。もうお昼の時間ですよ」
千早と呼ばれた女生徒は、ピクリと肩を震わせると、制服の胸元から伸びていたイヤフォンを静かに抜き取って体を起こした。
「あ、はい。端村先生」
そう答えた少女、千早芽留の目はかたく結ばれたままほどかれない。女教諭、端村佳穂子はそのことを全く意識しないように「ご飯、勉強に集中するのもいいけど食べちゃいましょうね」と言う。
そして端村は、そのまま来た道を引き返す。いつもと変わらないように。
そうしてその場には、いつものように芽留だけが残った。
*
私、千早芽留は目が見えません。
その私にとって一番嫌いなことは、自分が何もできない子扱いされることだと思っています。
私という存在が目が見えないというハンディキャップを抱えたまま生きている以上、できないことがあるのは仕方がないけれど、だからと言って何もできないわけではないのです。
目は見えないけれど、普通に家の中で暮らす分には不自由しないし、家の外に出ても小型端末の発達のおかげで万が一の事故もめったに起きません。
それでも自宅学習に拘る両親への精いっぱいの反抗として、私はこの学校――私立桑楡高校に来ました。
社会科の教室に行けば、技術の発達で超電子現実創造符号化システム(Hyper Electronic Real Making Encode System)、通称HERMESが発達して以降、旧来の教育基盤は大幅な見直しを迫られることになったということはすぐに教えてくれます。
特に障害児を抱える学級や盲学校などでは早くから注目され、さまざまな面でコストがかかる従来の教育方式から、初期投資と僅かな維持費用で自宅にいながら健常者と同等以上の教育を受けられるHERMESを利用した教育方式に移行するのはあっという間だったそうです。
今ではほとんどの学校がその役割をHERMESを使った教育サービスに譲り渡し、かつてのように毎日登校して授業を受けるという学校はほとんどなくなっています。
私が通う私立桑楡高校はこんな時代の中では極めて稀有な、旧来の登校授業を基本とする学校です。そう。自宅にいては勉強できない、数少ない場所。
私は母が作ってくれたサンドイッチを一口齧ります。こぼれにくいように毎朝考えて作ってくれる母にはいつも顔が上がりません。瑞々しい野菜と、ぴりりと辛いマスタード。嚥下したものが、胃の中にたまっていく感覚。
HERMESではどれほど食べても、現実に戻ればおなかがすいた私が待っています。現実で食べれば、HERMESでもおなか一杯のまま。それが私の考える、現実とHERMESの違い。
私が幼いうちは、ずっとHERMESと一緒でした。特に私の場合は、HERMESに潜っている間は目が見えるのです。まだ見ぬものを求めて起きている間はずっとHERMESに潜りっぱなし、ということも多々ありました。
そんな私ですから、現実での友人などほとんどいませんでした。そのことに何の疑いも抱いていませんでした。
でもいつの日からか――他の人の話を聞くうちに、でしょうか――現実世界で目が見えないのは異端なのだと、気づいてしまいました。それがハンディキャップであると、わかってしまいました。
そして、だからこそ私はほとんど外に出ることもなく、友人もいないのではないかと、そう思ったのです。
現実の私に疑問を持った時、私はまるでここにいてはいけないのではないかと焦りました。HERMESでの生活が陳腐なものに感じられて、現実での生活を探して。
そしてたどり着いたのがこの桑楡高校でした。
もっとも、クラスでの授業にはいまだに慣れなくて、それでいつも図書館の片隅で勉強をしているのは、自分でも情けない限りだと思うのですが……。
それでも、これが現実での私です。何もできなくて、何ができるのかを探している子供。私は私をそうであると考えています。
気づけば、手に持っていたサンドイッチはみんなおなかの中に入っていました。傍らにあったペットボトルを開けて、ぐいと傾けます。麦茶独特の香りが口の中に広がってとけていきました。
私はハンカチで口元をぬぐうと、机に広げていたものを片付けます。昼休みの日課、散歩に行かなくてはなりません。鞄の中に小物を仕舞うと、立てかけてあった白い杖を取ります。
私は障害物をよけるためのその杖を振って、静かに歩きだしました。