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祖母が存命の間に恋人を紹介したい

作者: さとるん
掲載日:2026/02/23

「背中を押したのは、祖母の病室」

僕の名前はA。

大阪の天王寺に住む、ごく普通の会社員だ。

真面目だけが取り柄で、誰かに大きな迷惑をかけることもなく、波風を立てずに生きてきたつもりだ。

そんな僕に、最近ひとつだけ胸が高鳴る出来事があった。

会社の同僚、Bさん。

明るいのに落ち着いていて、冗談も通じるのに礼儀を忘れない。

仕事でミスをしたとき、誰よりも先にフォローしてくれたのも彼女だった。

そのとき思った。

「この人や」

そう直感した。

いずれは告白するつもりだった。

焦らず、もう少し距離を縮めてから――そう思っていた。

だが、ある晩、母から電話があった。

「A……ばあちゃん、ちょっと危ないんよ」

母方の祖母。93歳。

鳥取の田舎で一人暮らしをしていた。

「心臓がだいぶ弱っとるみたい。まだ話はできる。でも、お医者さんは……長くないかもしれんて」

慢性的な心不全。

何度も入退院を繰り返し、今回は回復が鈍いらしい。

僕は一瞬、言葉を失った。

頭が白くなったあと、真っ先に浮かんだのは、

祖母の笑顔だった。

僕が大学に受かったとき、

就職が決まったとき、

帰省すると必ず作ってくれた煮物の味。

「Aくんが幸せなら、それでええ」

いつもそう言ってくれた人。

その夜、布団に入っても眠れなかった。

――もし、祖母が僕の結婚姿を見ることなく旅立ったら?

僕はまだ何も見せていない。

仕事も恋も、胸を張って報告できるほどのものを。

そのとき、はっきり思った。

「告白しよう」

祖母に会わせるために付き合うのではない。

それは違う。

僕はBさんが好きだ。

前から、ずっと。

ただ、迷っていただけだ。

でも祖母の知らせは、

僕の背中を押した。

人生は、思っているより短いのかもしれない。

翌日、会社で僕はBさんに声をかけた。

「仕事終わったら、少し時間もらえる? ○○室で」

鼓動がうるさい。

定時後、誰もいない会議室。

「前からBさんのことが好きでした。付き合ってください」

情けないほど直球だった。

沈黙。

一秒が永遠に感じた。

そしてBさんは、親指と人差し指で丸を作った。

「わたしもAさんのこと、誠実な人やなって思ってたの。よろしくね!」

拍子抜けするほどあっさりだった。

僕は、心の底から安堵した。

その夜、母が祖母の病院へ電話をしていた。

僕は身振りで「代わって」と伝えた。

叔母から祖母へ。

「もしもし。Aくんか」

少し掠れた声。

「仕事頑張っとるか?」

「うん。おばあちゃん、体調どうなん?」

「あはは、まだまだ元気やけん。ばあちゃんのことよりAくんの方が心配や」

明らかに無理をしている。

僕は覚悟を決めた。

「俺な、会社で彼女ができた」

少し沈黙。

「おばあちゃんの生きとるうちに、そっち連れて行きたいくらいやわ」

電話の向こうで、祖母は笑った。

「うれしいわあ。でもな、ばあちゃんのことは心配せんでええ。来るときは交通気ぃつけな」

淡々としていたけれど、

その奥にある喜びは、僕にもわかった。

絶対に会わせたい。

意識のあるうちに。

翌日、僕はまたBさんを○○室に呼んだ。

「俺にとってBは大切な彼女や」

「どうしたの、改まって」

「田舎のばあちゃんがな、心臓が悪くてちょっと危ないんよ。まだ話せる。でも先はわからへん」

Bさんの表情が変わった。

「ばあちゃん、ずっと俺のこと支えてくれてた人でな。俺がちゃんとした大人になった姿、見せたいんや」

言葉を選びながら続ける。

「無理は言わへん。でも、もしよかったら……会ってもらえへんかな」

沈黙。

Bさんはしばらく考えて、ゆっくり頷いた。

「行くわ」

「でもね、Aさん。わたし、同情で行くわけじゃないよ」

僕は顔を上げた。

「Aさんの大事な人に会うってことは、わたしも本気で向き合うってことやと思ってる」

胸が熱くなった。

「ありがとう」

その瞬間、僕は確信した。

彼女は“連れていく人”じゃない。

一緒に歩く人だ。

翌日、僕とBは上司の席へ向かった。

「有給を取ります」

上司は顔をしかめた。

「こらー!こんな忙しい時期に揃って有給か?お前らどういうカップルしてるんや!」

周囲の視線が刺さる。

僕は深呼吸した。

「仕事は前倒しで全部仕上げます。引き継ぎ資料も作ります。それでも取ります」

「理由は?」

「祖母が入院しています」

上司は舌打ちした。

「……ほんまに戻ってきたら死ぬほど働けよ」

「はい」

法律は強い。

でも、覚悟も必要だ。

僕らは徹夜で仕事を片付けた。

そして当日。

大阪メトロ御堂筋線の天王寺駅。

Bさんが改札から現れた。

「お待たせ」

「ありがとう、来てくれて」

「今日はロマンチックな景色はおあずけやね」

僕は笑った。

「ほんまはゆっくり見せたいルートなんやけどな」

御堂筋線で新大阪へ。

そこから新幹線、姫路へ。

さらに特急で鳥取へ。

特急の昼食は、正直あまり美味しくなかった。

でも、胸はいっぱいだった。

病院に着いたとき、僕の緊張は頂点だった。

病室の扉を開ける。

「Aくんや。来てくれてありがとう」

祖母は痩せていた。でも目は生きていた。

「隣の子は?」

Bさんが一歩前に出た。

「おばあさま、こんにちは。Aさんの彼女です」

一瞬、僕を見てから、続けた。

「結婚を意識したお付き合いをしています」

僕は息を飲んだ。

でもその言葉は、重くなかった。

覚悟の響きだった。

祖母の顔が、ぱあっと明るくなった。

「ほんまにありがとう……うれしいわあ」

その笑顔を見た瞬間、

僕は思った。

来てよかった。

本当に。


「十日間の灯り」

祖母の病室は、思っていたよりも静かだった。

機械の規則正しい音と、窓の外を通る風の気配だけがある。

Bは椅子を引き、祖母の手をそっと握った。

「冷たくないですか?」

「大丈夫や。若い子の手はあったかいなあ」

祖母は笑った。

僕はその光景を、少し離れた場所から見ていた。

胸がいっぱいで、うまく言葉が出ない。

Bは、祖母に自分のことを話していた。

どんな仕事をしているか。

Aが会社でどんなふうに頑張っているか。

昼休みにどんな会話をしているか。

まるで、僕の知らない僕を紹介してくれているようだった。

祖母は何度も頷いた。

「Aくんはな、小さいころから人の顔色ばっかり見とった。優しい子や。でもな、自分の幸せは後回しにしがちや」

ドキリとした。

「Bさん、もしこの子が無理しとったら、ちゃんと叱ってやってな」

Bは少しだけ笑って、強く頷いた。

「任せてください」

その返事は軽くなかった。

帰り際、祖母は僕だけを手招きした。

「Aくん」

「なに?」

「自分の幸せを、一番に考えなさい」

その言葉は、胸の奥に静かに落ちた。

それが祖母の、最後のはっきりした言葉だった。


大阪へ戻る新幹線の中。

僕は窓の外を見ていた。

「ありがとうな」

「ううん」

Bはペットボトルの水を渡してくれた。

「おばあさま、素敵な人やね」

「うん」

「Aさんが優しい理由、ちょっとわかった気がする」

その一言で、涙が滲んだ。

それから十日間。

祖母の容体は少しずつ悪化した。

意識が朦朧とする時間が増え、食事もほとんど摂れなくなった。

僕は会社と病院を往復した。

Bは毎日、仕事の合間にメッセージをくれた。

「今日はどう?」

「無理してない?」

短い言葉が、支えになった。

デートの約束はしなかった。

未来の話もしなかった。

今は、それどころじゃなかった。

ある夜、母から電話が来た。

「A……今すぐ来られる?」

その声でわかった。

危篤だった。

僕は会社に電話を入れた。

「祖母が危篤です。休みます」

上司は一瞬黙り、

「……行ってこい」

それだけだった。

鳥取に着いたとき、祖母はほとんど意識がなかった。

親族が集まり、静かに見守っていた。

手を握る。

かすかに温もりはある。

「ばあちゃん」

返事はない。

でも、僕は続けた。

「ちゃんと仕事しとる。彼女もできた」

声が震える。

「幸せになるから」

そのとき、祖母の指が、ほんのわずかに動いた気がした。

それが最後だった。

心電図の音が、ゆっくりと平らになった。

母が泣いた。

叔母が泣いた。

僕は、しばらく何も感じなかった。


葬儀は、淡々と進んだ。

焼香の煙の匂い。

白い花。

棺の中の、静かな顔。

あんなに賑やかだった人が、動かない。

それが現実だった。

火葬場で扉が閉まる瞬間、

ようやく実感が追いついた。

もう、声は聞けない。

もう、「Aくん」と呼ばれない。

胸の奥が、空洞になった。

大阪へ戻ってからもしばらく、僕は抜け殻のようだった。

会社に行き、仕事をする。

でも、何かが足りない。

ある夜、Bが言った。

「無理に元気出さんでいいよ」

「……うん」

「悲しいのは、ちゃんと愛してた証拠やもん」

その言葉に、僕は初めて声をあげて泣いた。

Bは何も言わず、そばにいてくれた。

祖母がいなくなった現実は変わらない。

でも、僕は一人じゃなかった。

一ヶ月ほど経つと、少しずつ日常が戻ってきた。

仕事にも集中できるようになった。

笑える日も増えた。

祖母の写真に向かって、僕は小さく言った。

「ちゃんと前向くわ」

四十九日が近づいていた。

僕はBに言った。

「また一緒に、ばあちゃんの家に来てくれへん?」

Bはすぐに頷いた。

「行くよ」

その返事は、最初に病院へ行くときよりも、ずっと自然だった。

僕らは次の週末、大阪駅で待ち合わせた。

ここから先は、悲しみだけの旅じゃない。

少しだけ、未来へ進む旅だ。


「見守られているということ」

四十九日前日。

大阪駅のホームに立つと、少し冷たい風が吹いていた。

「新快速ってほんま速いよね」

Bが笑いながら言う。

「せやな。大阪から姫路まで一気やからな」

JR西日本の新快速は、軽やかにホームへ滑り込んできた。

車内は思ったより混んでいる。でも不思議と心は落ち着いていた。

発車すると、街並みがどんどん後ろへ流れていく。

「なんか、時間も一緒に進んでいく感じするね」

Bが窓の外を見ながら言った。

「うん。止まってくれへんからな」

姫路駅で降り、今度は播但線へ乗り換える。

ディーゼル車両の独特の音。

少し古びた車体。

窓から見える山の輪郭。

「この路線、ええなあ」

Bが嬉しそうに言った。

「都会から山に入っていく感じがする」

「せやろ。子どものころな、この路線で帰省するのが楽しみやったんよ」

列車は徐々に山間へ入っていく。

川沿いを走り、トンネルを抜け、田畑が広がる。

「なんか、ゆっくりやね」

「うん。急がんでもええって言われてるみたいやろ」

Bは小さく頷いた。

「人生も、こんなんがええね」

僕はその横顔を見た。

あの日、祖母の病室で「結婚を意識しています」と言った彼女。

あれは勢いでも見栄でもなかった。

覚悟だった。

和田山駅でさらにローカル線へ乗り換える。

車両は一両編成。

乗客もまばらだ。

田舎の真ん中を、ゆっくり走る。

Bが声をあげた。

「うわぁ……きれい」

一面の田んぼ。

遠くに連なる山。

小さな集落。

「大阪では見慣れない光景やね」

「俺もお気に入りのルートなんよ。鈍行の車内の匂いとか、なんか落ち着くねん」

「うん、わかる」

電車がガタン、と揺れる。

そのリズムが、どこか懐かしい。

やがて、祖母の住んでいた地域の小さな駅に着いた。

駅名は、相変わらず控えめな看板に書かれている。

祖母の家は、少しだけ静かになっていた。

庭の草は伸び、でも縁側はそのままだ。

四十九日の法要は、親族だけで静かに行われた。

僧侶の読経が、部屋に低く響く。

叔父と叔母が、僕らに言った。

「来てくれてありがとうね」

「彼女さん、ほんまにええ子やなあ」

Bは深く頭を下げた。

儀式が終わり、みんなが帰ったあと、僕は一人、仏壇の前に座った。

写真の中の祖母は、いつもの笑顔だった。

線香の煙がゆらゆらと揺れる。

もし、あの世があるなら。

祖母はきっと見ている。

僕が葬式でちゃんと涙を流したことも。

危篤のとき、手を握って「幸せになる」と言ったことも。

今日、四十九日でしっかり供養したことも。

そして――

彼女と電車に揺られ、田舎の風景を見ながら未来を語ったことも。

将来を意識して、真剣に付き合っていることも。

親孝行しようと決めたことも。

仕事を投げずに向き合っていることも。

全部。

きっと、天国から見てくれているに違いない。

僕は小さく呟いた。

「ばあちゃん。俺、自分の幸せをちゃんと考えるわ」

あの日の言葉が、胸の奥で温かく光る。

振り返ると、縁側にBが立っていた。

「終わった?」

「うん」

「なんかね、ここ、あったかい家やね」

「せやろ」

「おばあさま、今もここにおる気がする」

僕は空を見上げた。

青く澄んでいる。

寂しさは、なくならない。

でも、それは重たい石ではなく、

胸の中で静かに支えてくれる重みになっていた。

「なあ、B」

「なに?」

「これからも、よろしくな」

Bは少し笑って言った。

「こちらこそ。結婚を意識してるんやから、逃げへんで?」

僕は思わず笑った。

祖母の家の前で、僕は初めて未来を具体的に思い描いた。

大阪に戻り、仕事をして、

ときどきこの田舎に帰る。

そしていつか、ここに子どもを連れてくるかもしれない。

そのとき、祖母の話をするだろう。

「ひいおばあちゃんはな、強くて優しくてな」

夕方のローカル線に乗る。

窓の外の景色は、来たときと同じはずなのに、少し違って見えた。

悲しみだけの景色ではない。

これからの人生の始まりの景色だった。

電車がゆっくりと走る。

そのリズムに合わせて、僕は心の中で言った。

ばあちゃん。

ちゃんと生きるからな。

見ててや。

物語は終わらない。

でも――

僕はもう、前を向いている。

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