第二話 勇者免許更新試験
「……おい、ここは何の砦だ。魔王軍の新拠点か?」
王都の大広場に、この日のためだけに建てられた巨大な仮設建築物の前で、勇者は腕を組み、眉間にグランドキャニオンどころか、地球の地殻変動が起こったかのような深い皺を寄せていた。石造りの外壁には、いかにもお役所的な、石板を削った無機質なフォントでこう書かれている。その文字には、勇者の浪漫を全て吸い取るかのような、事務的な冷酷さが滲み出ていた。 【王立勇者免許更新センター】
「ですから、先ほど馬車の中で百回は説明したでしょう。勇者免許更新センターです」
俺はこめかみを揉みながら、本日もはや数えるのも諦めた、悟りの境地に至るようなため息をついた。
「勇者たるもの、数年に一度はその資格を更新せねばならないのです。期限を過ぎれば“無免許勇者”として、賞金首の討伐やダンジョン探索などの公務への参加が一切認められなくなります」
「無免許だと……? この俺が!? 聖剣エクスカリバーに選ばれ、オークをも一撃で屠るこの俺が、無免許だと!?」
勇者の声は、まるで世界がひっくり返ったかのような、いや、魔王城が崩壊したかのような絶叫だった。
「はい。そして無免許で魔物討伐を行った場合、罰金として金貨五十枚、及び三ヶ月の勇者資格停止処分が科せられます」
「くそっ! 勇者なのに馬車の運転免許と同じ扱いか! 俺の栄光はどこへ行ったんだ!」
聖剣が割り箸になったかのような絶望が、彼の顔に浮かんでいた。 建物の前には、すでに長蛇の列ができている。ミスリル銀でピカピカに磨かれた鎧を自慢げに着込んだ若者、歴戦の傷が無数に刻まれた大剣を背負うベテラン、どう見ても場違いなほど軽装な盗賊風の男まで、多種多様な「勇者」たちが、皆一様に死んだ魚のような目をして、羊皮紙の申請書を手にじっと並んでいる。その目に映るのは、未来への希望ではなく、ただひたすら書類の山と、どこまでも続く待ち時間への絶望だけだった。
「信じられん……。なぜこの俺が、行列などに並ばねばならんのだ! 魔王城なら正面から突撃して、列ごと薙ぎ払ってやるところだぞ!」
「ここは魔王城じゃなくて更新センターです。順番を守らないと即刻失格になりますので、お静かに」
俺はもはや諦念を込めた声で、そう諭した。
数時間後、ようやく受付を済ませた。(申請書にサインではなく、親指を噛み切って血判を押そうとする勇者を係員と一緒に羽交い締めにして止めるという、いつも通りの一幕を挟んで)。待合室に入ると、そこは地獄の釜が開いたかのようなカオスに満ちていた。絶望の呻き、疲労困憊の溜め息、そして鉛のような空気が充満し、まるで魂を吸い取られるかのような心地だった。
「ああ……去年は筆記で落ちちまったんだ……。“魔物に襲われた際に市民が取るべき避難行動は?”という問いに、『強き者の後ろに隠れる』と書いたら、『市民一人一人の主体性を軽んじている』とかで減点された……。『市民は皆、独立した意思を持つ尊厳ある存在であり、その主体的な行動が地域の安全に寄与することを忘れてはなりません』と、お役所的な美辞麗句で諭された挙げ句、不合格通知を突きつけられたんだ……理不尽だ!」
「俺なんか実技で渡された木剣を、開始の合図と同時に気合で粉砕しちまって失格だったぞ。冗談じゃねえ。試験官の呆れ顔が忘れられねえよ、まるで宇宙人を見るような目だったぜ」
「俺なんて面接で“魔王を倒したら何をしたいか”って聞かれて、正直に“酒池肉林のパラダイスを作りたい”って答えたら、『その欲望、魔王と何が違うのかね?』って言われて落とされたんだぜ……。だってよ、普通に考えたら自分の願望を言えってことだと思うだろ……?あんな睨まなくてもいいじゃねえか」
勇者は、周囲の猛者たちのあまりに情けない愚痴を聞き、くるりと俺の方を振り返った。
「……なあ。俺、今ものすごく嫌な予感がしてきたんだが」
「五時間前に気づいてほしかったですね。」
壁には「勇者更新試験・過去の主な不正行為一覧」と題された、シミだらけの張り紙があった。
・答案用紙の代わりにモンスターの皮を提出した(しかも未加工)『剥ぎたてホヤホヤの鮮度!』と力説していたが、もちろん却下されたらしい。生臭くて換気が大変だった、と担当者が嘆いていたな。
・スライムに答えを覚えさせ、カンニングペーパーとして使用した(スライムは試験中に興奮して答えを叫び出し、会場中を大混乱に陥れたという。)
・面接官に賄賂を渡そうとしたが、ケチって『呪いの金貨』を渡そうとした(金貨を受け取った面接官が、その場でカエルに変身したため即バレ。呪い返し、というやつだ)
・実技試験に、どこかで捕まえてきた本物のドラゴンを連れてきて会場を半壊させた(『俺のペットは最強なんだぜ!』と自慢げだったらしいが、もはやペットの範疇を超えていた。その受験者は今も修理費を払いきれず、炭鉱で日雇いのバイトをしている)
「……バカしかいないのか、この業界は」
勇者の呟きに、俺は無言で頷いた。あなたもその一人ですよ、と言いたかったが、もはやその気力すら湧かなかった。ちなみにドラゴンを連れてきたのは伝説の竜騎士バルバロッサで、この事件以来、実技試験での「ペット及び召喚獣の持ち込み」は固く禁じられている。世知辛いことに、伝説の竜騎士もここではただの規則違反者だった。
そうこうしているうちに、いよいよ筆記試験が始まった。羊皮紙に印刷された問題に、羽ペンで〇をつけていく、古式ゆかしいマークシート方式だ。受験者の質が質なので、受験補助員(この場合は俺だ)の同伴が認められている。
「始め!」という試験官の合図と共に、最前列に座っていたバーサーカーが「ウォォォ!」と雄叫びを上げ、開始一秒で減点されていた。試験官の「開始一秒で減点!」という事務的な宣告が、その場の混沌に拍車をかけた。他の受験生からは「雄叫びは駄目なのか・・・。」というささやきが漏れる。なぜ容認されていると思ったのだろうか・・・。
そして我らが勇者様はと言えば、一問目から顔を真っ赤にして、羽ペンを握りつぶさんばかりの勢いだ。
「“問1:魔王討伐に向かう際の正しい手順を、番号で答えよ”だと!? ①兵糧の確保、②仲間の編成、③魔法省への出頭許可申請、④討伐出発……当然④からに決まってるだろう!食料なんぞ途中で買える!」
「④から行ったら三分で飢え死にしますよ。正解は①→②→③→④の順番です。落ち着いてください」
俺は即座にツッコんだ。というかこの問題、明らかに使い回しである。念のため王都の雑貨屋で買っておいたボロボロの過去問と一言一句同じである。本当に大丈夫か、この国は・・・。
「くそっ、俺は実戦で学ぶタイプなんだよ! 机上の空論など知るか!」
どうやらこの勇者の脳みその中には、常に「まず突撃!」という選択肢しかないようだった。考えるという選択肢は初めから排除されているらしい。 さらに二問目で、勇者の忍耐は早くも限界を迎えていた。
「“問2:城下町に出現したスライム(レベル1)を倒すための推奨武器は?”……選択肢が、①火炎魔法、②銀の剣、③清掃用モップ、④税務署の査察官が使う印鑑……だと?」
「正解は③です」
「ふざけるな! スライムごときに、この俺がモップだと!?」
「実務上、城内の美観を損ねず、市民に不安を与えずに処理するには、モップでの物理的拭き取りが最適解とされています。王宮騎士団公式マニュアルの78ページにも記載があります」
「相手は魔物だぞ!?そんな悠長にやってられるか!」
「そういう規則です。ほら、時間制限もあるんですからね。」
どこまでも事務的で現実的な説明が、勇者の絶叫をさらに悲劇的なものにした。勇者は机に突っ伏し、「俺のエクスカリバーが……モップに負けた……」と半泣きで答案を書き続けた。その姿は、まさしく栄光を失い、モップに魂を奪われた漢の末路であった。
さて、そんな精魂尽き果てた勇者を次に待ち受けるのは、阿鼻叫喚の実技試験である。扉の奥の模擬ダンジョンからは、断末魔の叫びと、試験官の怒号、そして何かが破壊される鈍い音が途切れることなく響いていた。試験内容はシンプル。模擬ダンジョンで、ゴブリン役に扮した試験官と木剣で戦うという内容だ。試験官は、いかにも歴戦の猛者といった風情の、隻眼の元S級冒険者、ゴードン氏。彼は受験者が弱いとキレるが、手加減せずに攻撃しても激怒することで有名だ。理不尽の極みだが、この老人の逆鱗を避けて程よい攻撃を加えるというのはある意味非常に高度な技能である。
「次、そこの魔法使い! 始め!」
「くらえ! 我が魔力の咆哮を! ファイアボール!」
魔法使いの受験者が呪文を叫んだ瞬間、模擬ダンジョンの壁が盛大に吹っ飛び、天井から魔法式のスプリンクラーが作動して会場が水浸しになった。誰かが『もう水属性でいいんじゃないか?』と呟いたのが聞こえた気がした。いや、あれはゴードン氏の心の声だったかもしれない。
「威力を制御しろとあれほど言っただろうが、この馬鹿者がァ! 失格だ!」
ゴードン氏の怒号が響き渡る。
さて、そうこうしているうちに我らが勇者様の番が来た。
「うおおおぉぉぉ! 正義の一撃!」
勇者は力任せに木剣を振り下ろし、ゴードン氏を模擬ダンジョンの壁ごと遥か彼方へ吹っ飛ばしてしまった。壁に人型の穴が空いている。
「おい! 本気を出すなと、言ったばかりだろうがァ! 大幅減点だ、この脳筋め!」
瓦礫の中から這い出してきたゴードン氏が、土埃まみれの顔で、隻眼をさらに見開いた鬼のような形相で叫んだ。
「これでもかなり手加減してるんだ! 本気ならこの建物ごと消し炭だぞ!」
「貴様ァ!手加減とはなんだ!老人扱いするな!この若造が!」
勇者の反論にゴードン氏が怒鳴り返す。俺はもう、何も考えたくなかった。必死に謝って何とか失格は回避し、最後に待ち受けるのは戦慄の面接試験だ。正直、この脳筋勇者にとっての最難関はここだろう。耳を澄ますと、前の受験者の受け答えが聞こえる。
「勇者見習い時代に力を入れたことは?」
「はい!毎日勇者になった時のためにサインの練習をしてました!」
「うん、不合格!帰れ!」
・・・少なくとも、こいつよりはうちの勇者の方がマシだと信じたい。
さて、いよいよ我らが勇者様の順番である。受験番号を呼ばれて扉をくぐると、三人の面接官が厳しい表情で俺たちを待ち構えていた。その冷たい視線は、まるで魂の奥底まで覗き込むかのように、勇者の全ての武装を剥ぎ取るようだった。
「ではまず第一問、あなたが勇者として最も大切にしていることは何ですか?」
勇者は自信満々に胸を張った。
「……強さ、だろうか?」 俺は背後から、腹話術師もかくやという小声で囁いた。
「『いかなる時も、民を思いやる奉仕の精神』と答えてください!」
「こ、国民への……奉仕の精神であります!」
勇者の口の端がピクピクと震え、まるで別人が喋っているかのようだった。面接官は満足げに頷いた。次の質問。
「あなたの長所と短所を教えてください」
「長所は強すぎること! 短所も強すぎることだ!何しろ他の勇者の分まで魔物を狩り尽くしてしまうからな!ハハハ!」
面接官の眉がピクリと動き、部屋の空気が一瞬で氷点下まで下がった。
「ち、長所は…不屈の闘志…短所は…猪突猛進なところ…です…!」
俺の胃は、すでに限界だった。胃酸が逆流する音すら聞こえそうだった。もはや、彼の胃壁が魔王城の壁よりも厚く感じられた。
全ての試験が終わり、結果が掲示された。 勇者の受験番号に、小さな合格印が、確かについていた。奇跡と、俺の胃壁の犠牲の上に、かろうじて記された奇跡の結果である。
「やったぞ! やはり俺は、神に選ばれし真の勇者だった!」
勇者が大声で勝利の雄叫びを上げる。俺は胸をなで下ろした。筆記は奇跡のギリギリ通過、実技は失格スレスレの減点に次ぐ減点、面接はほぼ俺の腹話術だったが、どうにかこうにか合格はしたのだ。 が、その直後。受付嬢の氷のように冷たい声がフロアに響き渡った。
「受験番号百三十二番の勇者様。更新料と受験料、合わせて金貨三十枚のお支払いが、まだ確認できておりませんが」
「……は?」
勇者が固まった。凍りついたフロアに、ただカラン、と何かが落ちる音が響いた。勇者と俺の魂だったかもしれない。
「更新料を納めていただかなければ、免許証は発行できません。なお、お支払いは現金一括のみとなっております。カードや戦利品のドラゴンのはらわた等でのお支払いは受け付けておりませんので、ご了承ください」
「くそっ! 誰もそんな大事なこと、言ってなかったぞ!」
「いいえ、お渡しした案内書の表紙の一番上に、極太のフォントでデカデカと書いてありました」
受付嬢は涼しい顔で、事務的な正論を、まるで聖なる真理のように突きつけた。 勇者は顔面蒼白になり、俺の袖を掴んでぶんぶん振り回した。まるで人生の全てを託すかのように。
「なあ! 親友! 頼む! 立て替えてくれ! この通りだ! な!?」
俺は空になった財布を開き、天を仰いで、本日何度目か分からない、絶望のため息をつく。
「分かりましたよ……。今月の食費を、前借りですね……。……いい加減、給料上げてほしいな、この仕事。」
勇者は小切手の踏み倒しで銀行から百年間出禁にされているため、やむを得ず私が自分の名義で更新料を支払い、ようやくペラペラの羊皮紙に印刷された勇者免許証が発行された。 勇者はそれを誇らしげに掲げ、高らかに宣言する。
「やったぞ! これで俺は、国に認められた公認の勇者だ!」
俺は、そんな彼の栄光に満ちた姿を見ながら、頭を抱えて静かに呟いた。
「……その薄っぺらい栄光の裏には、私の涙ぐましい財政努力と、今月の食費が犠牲になっているんですけどね……」
そして、きっと来年も、再来年も、この戦いは繰り返されるのだろう。勇者の戦いは、魔王との戦いだけではないのだ。世知辛い事務処理と、終わらない金策との、孤独な戦いでもあるのだから。




