第三話:覚醒
# 第三話:覚醒
入学から一ヶ月が経った頃、俺たち1年A組に、待望の初ダンジョン実習の日がやってきた。
場所は、学校の管理下にある初心者向けの低層ダンジョン『ゴブリンの洞穴』。
「うおー! ついに来たぜ、初ダンジョン!」
バスを降りた途端、田中 健太が興奮したように叫ぶ。
他の生徒たちも、期待と緊張が入り混じった表情で、洞穴の入り口を見つめていた。
「全員、気を引き締めろ。ここは訓練場じゃない。一歩間違えれば死ぬぞ」
引率の佐藤 恵先生の言葉に、浮ついた空気がピリッと引き締まる。
「班ごとに分かれ、連携を意識して進むこと。いいな!」
俺たちの班――俺、白石 遥、健太、そして神宮寺 亮の四人は、互いに顔を見合わせた。対人訓練以来、俺と神宮寺の間には、見えない火花が散っている。
「フン、足手まといになるなよ、相模」
「そっくりそのまま返すよ、神宮寺」
ダンジョン内部は、湿った土とカビの匂いが充満していた。
早速、前方に数体のゴブリンの影が現れる。
「雑魚は俺が片付ける!」
神宮寺が、俺の指示を待たずに飛び出した。彼の剣が一閃するたびに、ゴブリンが悲鳴を上げて吹き飛んでいく。その戦闘力は、生徒レベルを遥かに超えていた。
「ちっ、あいつ一人で全部やりやがって」
健太が悔しそうに呟く。
「まあまあ。でも、おかげで助かってる部分もあるでしょ」
遥が宥めるが、俺は別のことを考えていた。
(……連携がバラバラだ。今はいいが、このままじゃ格上に会ったら崩壊する)
俺の懸念は、最悪の形で現実となる。
ダンジョンの最深部に到達した、その時だった。
「グルォォォォォッ!!」
地響きと共に、通路の奥から現れたのは、ゴブリンとは比較にならない巨体を持つモンスターだった。
身長は三メートルを超え、全身を分厚い筋肉で覆い、手には巨大な戦斧を握っている。
「なっ……!? オークジェネラルだと!? なぜ、こんな低層ダンジョンに……!」
佐藤先生が驚愕の声を上げる。それは、本来Bランク以上の探索者パーティが挑むべき格上のモンスターだった。
「生徒は下がってろ! こいつは、お前たちがどうにかできる相手じゃない!」
佐藤先生が前に出て、オークジェネラルと対峙する。
だが、その時、天井の一部が崩落し、先生を庇った生徒の一人が瓦礫の下敷きになりかけた。
「しまっ……!」
先生が咄嗟にその生徒を突き飛ばし、自らが崩落に巻き込まれる。
「先生!」
遥の悲鳴が響く。幸い、致命傷は避けたようだが、先生は片足を瓦礫に挟まれ、動けないでいた。
そして、その隙をオークジェネラルが見逃すはずもなかった。
ターゲットを、最も魔力の高い遥に定めたのだ。
「遥、避けろ!」
俺が叫ぶが、間に合わない。オークジェネラルの戦斧が、遥の華奢な身体に向かって振り下ろされる。
絶望に目を見開く遥の姿と、十年前、炎の中でこちらに手を伸ばしていた母の姿が、脳内で重なった。
――やめろ。
(もう、誰も失いたくない……!)
――やめろ!
(俺の前で、大切な人が死ぬのは、もうたくさんだ!)
――ヤメロォォォッ!!
俺の中で、何かが激しく脈打つ。
次の瞬間、パリン、とガラスが砕け散るような音が頭の中に響き渡り、世界がその姿を一変させた。
視界を埋め尽くす、無数の数式と情報の奔流。
オークジェネラルの肉体、その皮膚を構成する細胞、手に持つ戦斧の金属組成、振り下ろされる腕の筋肉の動き、その全てが、分子レベルの設計図として俺の脳内に流れ込んでくる。
魔法陣も、詠唱もいらない。
世界の理そのものを、俺は『理解』した。
『理解』できるから、『分解』できる。
「――《事象解体》」
俺が、まるでずっと前から知っていたかのようにその名を呟くと、遥の目前に迫っていた戦斧が、先端から砂のようにサラサラと崩れ落ち、光の粒子となって霧散した。
「……な……え……?」
オークジェネラルが、己の腕で起きた信じられない現象に戸惑いの声を上げる。
その隙を、俺は見逃さない。
震える足で一歩前に踏み出し、オークジェネラルの巨体に、そっと手を触れた。
「――分解」
瞬間、オークジェネラルの巨体は、悲鳴を上げる間もなく、その全身が内側から崩壊を始めた。
肉も、骨も、内臓も、全てがその結合を失い、塵となって風に溶けていく。
数秒後、そこには一体のモンスターがいたことすら信じられないほどの静寂と、巨大な魔石だけが残されていた。
「……は……ぁ……っ」
全身の力が抜け、俺はその場に膝から崩れ落ちた。
目の前で起きた出来事を理解できずに立ち尽くす遥と健太。
そして――。
「……なんだ……今のは……」
神宮寺が、己の剣を握りしめたまま、わなわなと震えていた。
それは恐怖ではない。圧倒的な、理解不能な力に対する、初めての敗北感と畏怖。
彼のプライドが、音を立てて砕け散った瞬間だった。
この日、俺は世界の真理の一端に触れ、そして、俺たちの関係は、二度と元には戻れないほど、決定的に変わってしまった。