夏の夢-6
ピッっと短いホイッスル音が鳴り、燦々と輝く太陽の下で青と緑のゼッケンを来た生徒たちが一斉にボールへ向かって走り出した。
ボールを蹴り飛ばす度に土煙が舞い、生徒が走り抜ける度にそれを薄く広げる。サッカーの授業はいつも隣のクラスとの合同でやることになっていて、四チームを作り順繰りに試合を行う形式だ。
今は休憩の番で、抱える苦悩を少しでも和らげようと木陰に座りながら空をぼーっと眺めていた。
結局、病院で目を覚ましてから一日をおいてすぐに退院することができた。気を失った詳しい理由は分かっておらず精神性のものと診断された。親に今日ぐらいは休めと言われたが、体はいたって健康で、なによりセレスタのことが気がかりだったので、いつも通り登校していた。
学校に行って実際に会えばどうにか仲直りできると思っていたが、現実はそう甘くなかった。もう四時間目の授業だがまだ一度も会話をできていないのが事の重大さを物語っている。休み時間になれば必ず話しかけてくるセレスタも顔すら合わせてくれない。
そりゃ当然だ。あの時は冷静じゃなかったとはいえ、とんでもないことを言っていたと自分でも反省している。それでもあれは本心から出た言葉だった。セレスタだからこそ言えたことでもあった。その気持ちにまだ折り合いがつけられていないが、とにかく今はセレスタに謝らなければいけない。しかしセレスタに面と向かって話をすることができるのか、その自信のなさについため息をこぼしてしまった。
「何があったんだよ」
隣に座る勇人が脈絡もなく聞いてきた。
「何がって何が?」
「セレスタとだよ。喧嘩でもしたのか?」
勇人にはまだ何も言ってなかったが、流石にばれてるか。
「まあ……、そうだな。喧嘩というより俺が一方的に悪いんだけど」
「そうか。それでどうしてそんなことになったんだ。お前らが言い合いをしているのはいつものことだけど、会っても話をしないとなればかなり深刻なようだが」
「それは……」
あの日のことを思い出し、あまりにも決まりが悪くて言い淀んでしまう。
「まあいいけど、早く仲直りしろよ。それか俺が仲裁してやろうか?」
「いやいいよ、子供じゃないんだから仲直りぐらい自分でできるって」
「そっか、まあいざとなったら俺がなんとかしてやるよ」
勇人が友達で良かったと心から思う。まあなんとかなるさ。自分にそう言い聞かせ、重い腰を起こして炎天下の中に身を運んだ。
「みなさん、この一学期を振り返ってみてどうだったでしょうか。この時間はみなさんの人生の中でも大変重要で貴重なものです。知見を広め、様々なことを経験することで今後の人生をより豊かに充実させることができると私は思っています。そのためにはぜひとも小さなことからでいいので目標に向かい行動を――」
体育館に響き渡る校長先生の話はかれこれ二十分ほど続いており、その冗長さにうんざりしながら俺の頭の中は苦悩をどう解決するかでいっぱいだった。
しかし、夏の暑さと集められた何百人もの生徒たちによる熱気で体育館は天然のサウナと化しており、うまく思考が働かない。
多くの生徒が列をなす中で、自然と右斜め前にいるセレスタに視線がいく。彼女は今何を考えているのだろうか、やはりこの長ったらしい終業式が早く終わって欲しいと思っているのだろうか。
汗がたらりと頬を伝う。少しだけ見える横顔から心情を読み取ろうと凝視していると、その気配に気づいたのかチラッと俺の方を見てすぐさま前を向き直した。その様子を見ていたのか、すぐ後ろの勇人が耳元で話しかけてきた。
「おい和葉、いい加減セレスタと仲直りしろよ。このまま夏休みを迎えるつもりか?」
「言われなくても分かってるって。ただタイミングが合わないだけだ」
「それは前も聞いたよ。言っとくが俺だってやりにくいんだからな」
そう、未だに俺はセレスタと仲直りができていない。仲直りどころかあれから一週間以上も経つというのに、ついにまともな会話すらできずにここまできてしまった。正確には英太くんについてのやり取りをメールでしたぐらいだ。幸いなことに命に別状はないことが書かれ、詳しいことは省略されていたが、彼が入院している病院の住所が書いてあった。それを見てすぐにお見舞いにいったが、思ったより元気そうですごくほっとしたのを覚えている。
今思えばこの時はまだセレスタと仲直りする機会がたくさんあった気がする。結局気まずさが勝ってしまい、時間が経つにつれその気まずさは加速度的に膨れ上がり、今ではどうしたらいいか分からなくなっていた。
「みなさん、有意義な夏休みを過ごしてください」
終業式は校長先生のその一言で締められ、俺はたちはむさくるしい体育館からやっと脱出することができた。それから大掃除の時間、帰りのホームルームと意識はずっとセレスタにあって、まるで雇われた探偵のようにセレスタ動向を窺っていた。そしてホームルームも終わり、担任の挨拶を最後についに解散となった。
まずい、まずすぎる。今日が終われば夏休みに入り、セレスタと学校で会うことはなくなってしまう。もうここしかないと思い、セレスタに向かって歩き出す。
なるべく思考をなくし、なんでもいいからとにかく話しかけよう。前に行った海の話でもお見舞いのことでも夏休みのことでもなんでもいい。
最初の一声さえかけられれば、その重力圏さえ突破出来れば、後はなんとかなる気がする。面接でもするかのような心持ちで「セレスタ」の最初の一文字を口にしようとした瞬間、クラスメイトの女子がセレスタに話しかけた。そしてふふふと笑いながら少しの会話をした後に行ってしまった。
勇人が隣に立ち、俺の肩に手を置いて何やってんだよといった面持ちで首を振った。
生徒たちの嬉々としたざわめきが徐々に大きくなり、しばらくの間、その開放感に立ち尽くしてしまう。
セレスタに話しかけるために考えていた言葉をすべてのみ込み、窓際前方の自席に帰り、机の中にあるものを乱雑にカバンに詰め込む。無責任という自由に放り出された頭の中で、「よーい、アクション」とまるでカチンコが鳴ったかのように、夏休みが始まる合図がした。
「先日起きた失踪事件に続き、またも被害者が出たようです。犯人の足取りは未だ掴めておらず、警察は情報提供を呼び掛けています」
「このデータを見てもらえれば分かる通り、年々全国規模で失踪事件が増加しています」
冷房が効いた家の中でソファーに寝ころびながらテレビを見る。最近はこのニュースばかりで流石に嫌気が差してきた。チャンネルを一通り変えてみるが昼前の時間じゃ報道番組くらいしかやっていない。それも事件やら環境問題やら、どっかで起こっている戦争のニュースなんかで気が滅入る話ばかりだ。俺は頭上にあるリモコンを取ってテレビを切り、机の上に置いてあるスマホを手探りで探し当て手に取る。
八月一日。画面に映る日付を見て夏休みに入ってからもう一週間が経ったのかと頭の隅で考え、連休特有の心が浮わついた気分になる。何をしていたのか思い出せないほど惰性的な日々を過ごしてきたわけだが、こんなので夏休みが終わっていって本当にいいのだろうかと自問自答する。
メッセージアプリを開き、セレスタの名前を押してみる。最後のやり取りはもう二週間以上前になっていて、意味もなくそれを眺める。しばらく言葉を紡いでみるも諦念のようなものが浮かんできて、結局すぐに閉じてしまった。
気が付けばそろそろバイトに行く時間だ。ゆったりと支度を済ませ、いつも通りの時間に玄関ドアを開けると、足元に現れた驚くほどくっきりと分かれた白黒の境界にたじろいだ。
それはもうすぐ真上に上がる太陽と屋根の影で作り上げられたものであり、そうとうな暑さを覚悟した。
原付バイクに乗り、汗を吹きながらバイト先であるカラオケ店を目指す。駅の一本裏手から南に線路沿いを行けばすぐだ。
裏口から店に入り、ロッカーに荷物を置いてエプロンを付ける。バックヤードにいくと煙草や油、甘い匂いが混ざったよ特有の匂いが鼻を抜ける。長年勤めているらしいおばちゃんに挨拶をして、カウンターに出るとよく見知った姿が目に入った。
「おつかれ、依茉」
「あー和葉、おつかれ」
依茉と俺は本当に偶然、一年の終盤あたりの同時期にこのバイトに入った。彼女はバイトをすることをそうとう親に反対されていたらしいが、勉強をおろそかにしないという約束でなんとか許してもらえたらしい。
予約や部屋数の状況を確認して、どうやら今日は忙しくないことを知る。
「夏休みに入ったっていうのに相変わらずこの店は暇ねー」
依茉は独り言のようにそう言って、それがいいんだけどねと付け足した。
「やっぱり失踪事件も影響してるじゃないか」
依茉はカウンターに頬杖をついて「そうかもねー」と興味なさげに返す。この店は裏通りの入り組んだ場所にあることで普段から客数は多くない。そしてあの事件からますます客足が減った気がする。
ふと入口の方を見ると外に店長の姿が見えた。青いホースをリールから引き出している。そしてガラス張りの外壁に水をかけ始めた。珍しい光景だったが、よほど暇だったのだろう。しばらく店内に流れる流行りの曲をバックにガラスを流れる水を眺める。
「ねえ和葉、セレスタと喧嘩したんだって?」
「え?」
あまりに自然に、そして唐突に切り出され思考が追い付かずに固まってしまった。
「だから、喧嘩」
「な、なんで知ってんだよ」
「そりゃ分かるわよ。あんたは気づいてないかもしれないけど、最近ずっと暗い顔しちゃってさ。勇人に聞いてみたらセレスタと喧嘩中だからだって教えてくれたの」
依茉が心配するほど表情に出ていたのかと思うと恥ずかしくなってきた。今まで気づかなかったが、意外と俺は感情が表に出やすいタイプらしい。
「でも詳しいことは本人から聞けっていうから、こうして聞いてるわけ。さ、遠慮なく話してみなさい」
「え、えっと……」
長い付き合いの友達にこういう話をするのは、気恥ずかしい気持ちや後ろめたさがあって俺はどう説明したものかと言い淀む。
「言っとくけど、あんたたちがそんなじゃこの夏休み、私にも影響することなんだから、話してもらうわよ」
依茉のウェーブのかかった長髪が俺を急かすように翻る。俺は観念してあの日の出来事を包み隠さず話した。それはきっと彼女の優しさなのだろう。依茉は話の内容に一切つっこまず、話し終わるまで静かに相槌をうち続けた。
「それで、謝るきはあるの?」
「それは、もちろん」
「じゃあ私に名案があるわ!」
テンションを上げてそう言う依茉に温かい気持ちになる。きっと俺のことを励まそうとしているのだ。
「こういうのは雰囲気づくりが大事なのよ。形から入って自然と話を持っていって謝る! 簡単よ」
「そ、そうか?」
「あんた、セレスタがこの夏休みに何をしたいって言ってたか覚えてる?」
そういえば、海に行ったときにそんな話をしていた気がする。
「たしか、キャンプと夏祭り?」
「そう、それよ! 明々後日に毎年河川敷でやってる夏祭りがあるでしょ。それに誘えば一発よ」
「でも断られたりしないかな」
「安心して、私と勇人も一緒に行ってあげるから。いい感じのタイミングになったら和葉とセレスタを二人にしてそこで謝るのよ」
俺は素直になるほどと思った。その祭りは結構大きな規模で屋台も多く出るし花火も上がる。楽しい時間を過ごせばいける気がする。それでもひとつ気になることがあった。
「でも例の失踪事件のこともあるし、やっぱりやめといたほうがいいんじゃ――」
「なに言ってんのよ。前も言ったけどそんなの心配してたら切りないわ。それにここから少し遠い場所だし、人も多い。完璧なプランよ」
依茉のポジティブさに心が軽くなる。思えばもっと周りに頼るべきだったと反省し、持つべきものは友達だと身にしみて思った。
「そうだな。ありがとう」
「ふふん、いっとくけど一つ貸しだからね」
それからバイトが終わり、家に着いた後すぐに依茉から連絡があった。セレスタは祭りに来られるそうだ。それから時間などを決めて、事はトントン拍子に進んだのだった。




