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創碧の吟遊詩人  作者: 奈取 葉
第一章
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夏の夢-5

 海を後にしたのは午後二時を過ぎた頃だった。帰りの電車に乗るとどっと疲れが押し寄せ、座席が高級ベッドのように心地良く感じられた。そして電車の揺れも相まることで、すぐに眠りに落ちてしまった。


 セレスタに起こされ、電車を降りたときには陽が傾いており、そこで帰路が違う勇人と依茉とは別れた。


 緩やかに体温が下がりつつある街をセレスタは髪をリズムよく左右に揺らしながら、いつもより軽快にみえる足取りで歩いていく。その後ろを追うように歩いていると、

 「ねえ、あれ」


 セレスタが不意に走り出した。その先に目を向けると道の端でうずくまっている子供がいるのが見えた。そこまで駆け寄ると、五、六歳の男の子が目の端に涙を溜めていた。


「ねえ僕、大丈夫?」


 セレスタの問いに顔を上げたかと思うと、堰を切ったかのように泣き出してしまった。俺とセレスタは顔を見合わせて少し考え込む。落ち着つかせるためにしばらく慰めていると、

「お化けの犬が」


そう震えた声で一言だけつぶやいた。話を聞いてみても要領を得なくてなんのことか分からない。


「迷子になった?」


 セレスタが聞くと、男の子は頷いた。辺りに親らしき人は見当たらず、その場で待つ方がいいか、交番まで連れて行った方がいいのか迷ったが、この子の保護者が戻ってくるという希望的判断より然るべき所で確実に見つけてもらった方がいいと思い交番に行くことにした。


 男の子の名前は英太というそうで、交番にいくと説明すると素直についてきてくれた。途中、自動販売機でゼリーのジュースを買ってあげると、心を開いてくれたみたいで、いろいろと話をしてくれるようになった。


 名前は英太と言い、小学一年生で、親と買い物をしている途中にはぐれてしまい、そこで「お化けの犬」を見たらしかった。それから逃げるために闇雲に走っているうちに迷子になってしまったらしい。


 よくよく話を聞いてみると、そのお化けは金色の目をした大きな犬だったらしい。小さな子供のいうことだし、犬が苦手なのかなと思いあまり気にせず目的地を目指した。


 俺とセレスタの間で両方と手を繋ぎ、流行りのゲームの話や夏休みの予定などを楽しそうに話している。


 後少しで、交番に差し掛かる道で俺は思わず足を止めた。道のその先、道路の中に灰色の塊が見えた。それは夏の暑さが作り出した幻か、いやそんな理由で片付けられないほどはっきりとこの目で捉えてしまっている。それは段々と形を成していき、人の形に見えるようになった。


一気に汗が吹き出し、まるで頭の中をかき回されるかのような激しい頭痛が襲った。前に校庭で見たものと同じだ。そいつの体からはこぼれ落ちるように灰が舞っては消えている。その様子は街の中で明らかに異物で異様に映っていた。



「セレスタ、あそこになにかいるよな?」

 痛みに頭を押さえながらそれに向かって指をさし、その異常性を確かめるためにセレスタに問いかける。その瞬間、

「お母さん!」


 その声ではっとして振り返ると、英太くんがいつの間にかセレスタと俺の手を離れ、反対側の歩道に向かって走り出していた。


「ちょっと!」


 母親を見つけたのか、無我夢中で止まる気配はない。もう少しで渡りきるというところで異変に次ぐ異常は起きた。


 向こうから走ってくる車が、まるで制御が効かなくなったように車体を左右に揺らしながら反対車線へ突っ込んでいく。


 その原因を俺ははっきりと捉えていた。その車があの灰色の化け物にぶつかる寸前で急ハンドルを切って回避したのを。いや、いまはそんなことはどうでもいい。


 最悪の事態が容易に想像できるほど、回避しようのない速さで車が英太くんに突っ込んでいく。


 電撃が走るように様々な考えが脳を駆け巡り、まるで周りがスローモーションに見えた。どうすれば英太くんを助けられる? 俺の取るべき行動は? 最善の選択はなんだ? もう時間がない。使命感のようなものが体を駆け抜け、全ての考えをなげうって地面を蹴りつけた。


 いや、俺は最初からそうするつもりだったんだ。別に男の子を助けてヒーローになりたいとかそういうのじゃない、ただ自分の命なんて惜しくなかっただけだ。この足の向かう先にきっと求めていたものがある、そういった希望めいたものがほのかに宙を舞った。


 「だめっ!」


 しかし、次の瞬間には俺の体はセレスタに繋がれた手によって制止されていた。


 鋭くタイヤが擦れる音、鈍く生々しい衝撃音、甲高い誰かの叫び声、一瞬の間にそれは起きた。


 数メートル先にある電柱の傍へ飛ばされた少年の体はまるで人形のようだった。


 「あ……、あぁ……」


 声にならない声が漏れる。助けにいかきゃいけないのに、体に力が入らない。まるで乗り物酔いをしているかのように、目の前がぐわんぐわんと揺れている。


 「英太!」

 徐々に人だかりができていく。その中に男の子の母親もいたのだろうか、必死に名前を叫ぶ声が聞こえる。交番から出てきた警察が切迫した口調で電話をしているのが見える。そこでようやく俺はセレスタに体を担がれるように支えられていることに気づいた。


 こんな時に俺の頭の中は幼き日のあの忌々しい記憶で支配されていた。次第に頭痛がひどくなり、ついに意識が途切れる寸前、化け物がいた道の方へ目を向けるが、ただ陽炎が幻の残り香のようにゆらゆらと立ち昇っているだけだった。




 何もない暗い空間。目を凝らすと遠くの方に姉さんの後ろ姿が見えた。


「姉さん……?」


 感極まり、急いで姉さんの元へ駆け寄る。


「姉さん! やっと会えた!」


 近づいて抱きしめると、その体が沈むような感触がした。何かがおかしい。


 振り返った姉さんはまるでゾンビのように身体中傷だらけだった。

「和葉……、痛い、助けて……」

姉さんはおもむろにこちらに手を伸ばしてくるが、思わず後ずさってしまう。そして砂山が風に吹かれ消えていくように姉さんの体が崩れて消えていった。


「和葉のせいだ」

 横からした声に振り向くと、恨みを込めた目を向けるセレスタがいた。

「和葉のせいで和音さんは死んだんだ」

 そんなことは分かってる! 俺だって好きで姉さんを死なせたわけじゃない。それでもそれが変えることのできない過去であり真実であることが、俺の胸を締め付ける。


「和葉よりもずっと頭が良くて、優しくて、優秀だったのに」

 虚ろな目をしたセレスタが静かに俺を責め立てる。

「やめろ、やめてくれ!」

「あの時、あの場所であんなことをしなければ」

「それ以上俺を苦しめないでくれ!」

「どうして和葉がだけが……」

 俺は……、俺は……!




「うわああああああ!!」

 自分の声で飛び起きると、俺は白い空間に放り出された。


「和葉! 良かった、もう心配したんだから」


 そう言って涙ぐみながら俺の手を取ったのはセレスタだった。


 何が何だか分からず辺りを見渡すと白壁に囲まれており、ベッドの上にいることから、ここが病室だと分かった。窓から浅い日差しが差し込んでいて、大体朝方だろうということが分かる。


 どうしてこんなところにいるんだ。俺の身にいったい何が起こったのか。


 綱を引くように徐々に記憶を遡っていく。――そうだ! 迷子の男の子を見つけて、交番に行く途中で車にはねられて……。


「今、お医者さんを呼んでくるね。和葉の親は着替えを取りに行ってるだけだからすぐ来ると思う」


 俺の手を放そうとしたセレスタの手を握り返して制止する。


「セレスタ! あれからどうなったんだ! 英太くんは!?」


 彼女は安堵の表情を一転させ、顔を曇らせた。


「英太くんは車に引かれた後、意識を無くして救急車に運ばれて――」

「それからどうなったんだ! 無事だったんだよな!?」

「それが、分からないの。一緒についてくことなはできなかったし、なにより和葉もあんな状態だったから」


「そんな……」

 分からないだって? それじゃあもしかしたら……。黒い感情が体中に染みるように湧き出すのを感じた。


「きっと英太くんなら大丈夫だよ! どこの病院に行ったかは知ってるから、和葉の体調が治ったら一緒にお見舞いに行こ?」


 セレスタの声が右から左に抜けていく。どうしてこんなにも腹立たしい感情が渦巻いているのだろう。それは悔しさなのか悲しさなのか、それとも己の無力さなのか自分でも分からなかった。


「今は自分の心配をして。和葉、ずっとうなされてて本当に苦しそうだったから。お医者さんがいうには特に体に問題はないそうだから、大丈夫だとは思うんだけど」


 そんなことはどうだっていい。俺の事なんてどうでもいいんだ。どうして俺はあの時……! だんだんと記憶が鮮明に蘇ってきた。あの時起きたこと、俺がしようとしていたことを。


「あの時、どうして止めたんだよ」


「え?」


 セレスタはまさに鳩が豆鉄砲を食らったかのような驚きを見せた。それがふつふつと沸き上がる感情に拍車をかけた。


「セレスタが俺を止めなかったらあの子は無事だったかもしれないのに!」


「そんなの分かんないよ……、それにもしあのまま飛び出して行ったら、和葉だってどうなってたか分からないんだよ?」


「そんなの関係ないだろっ! 俺のせいだ、俺が代わりに引かれるべきだったんだ!」


 理不尽な怒りが病室に響き、セレスタを戸惑わせた。


「どうしてそんなこというの? 私だって英太君がどうだってよかったわけじゃない、私はただ……、ただあのままじゃ二人とも無事じゃすまないと思って、和葉に傷ついて欲しくなくて!」


「それが余計だっていってんだよ!」


 湧いて出た不合理な感情をそのままセレスタぶつける。それは幼い子供のようで、みっともないと分かっていても抑えられない自分がまた自分を苦しめた。


 セレスタは生まれて初めて怒りを覚えたかのように不器用に俺を睨みつけた。そしてすぐにその感情をのみ込むように口を結んだ後、そっと口を開いた。


「……だめだよ、もっと自分を大切にしなきゃ」


「自分を大切に?」


 俺はその言葉に嫌悪感すら抱いた。そして同時にこの感情の原因がはっきりと分かった。その思いは何年もの時を経て育ち、自分の傍らに小さく、親しげに潜んでいたものだった。いや、俺は最初から分かっていたのに気づかないふりをしていただけだ。


「そんなことできるはずないだろ? だって俺は……」


「ねえ、どうしちゃったの……。どうしてそこまで――」


「だって俺は……、ずっと死にたかったんだから」


 それは雑巾から絞り出された最後の一雫のようにぽつりと出た言葉だった。セレスタは困惑を通り越して、その言葉に理解が追い付いてない様子で硬直していた。そして壊れ物を扱うように恐る恐ると、


 「どうしちゃったの和葉……。何言ってるか分かんないよ……」


 どうして今になって、こんなにも感情が揺れているのだろうか。自分でも訳が分からなくなり、ため込んできた後悔の念が堰を切ったようにあふれ出した。


 「罪を……償いたかったんだ。姉さんが亡くなってからずっと考えてた。どうして俺なんかが生き延びて姉さんが死ななきゃならなかったのかって。その願いを叶えるチャンスが目の前にあったんだ」


 俺の目に映るセレスタは善意で人の目的を邪魔するタチの悪い敵だった。


「そんなのおかしいよ……」


「あの子を助けて俺が死ねば――!」


「そんなの英太くんを使って、助けることを言い訳にして、自分が楽になろうとしてるだけじゃない!」

「それのなにが悪い! もううんざりなんだよ、こんな思いをしながら生きるのは……」


「いい加減にしてよ」


 それは長い付き合いの中でも聞いたことのない、恐ろしいほどに乾いた声だった。これ以上何か言えば、俺とセレスタの間にある大事なものが修復不可能なほどに崩れ落ちていく気がした。しかし、もうこの昂った感情を抑えることができなかった。


「だってそうだろ? 姉さんの命を奪っておいて、のうのうと幸せに生きてるなんておかしな話なんだ」

 俺はずっと罪悪感に苛まれながら過ごしてきた。だから、空虚な生き方を求め、退屈な人生を望んだのだ。それが表に出ないように努めながら、わずかに残った薄っぺらなプライドに守られて生きてきただけなんだ。


「おかしくなんてないよ……、あれは事故だった。仕方のないことだった。後悔する気持ちは分かるけどだからこそ――」


「俺の気持ちはセレスタには分からないよ」


 そう言い捨てた次の瞬間、思いもしなかった衝撃が脳を揺らした。火傷を負ったように頬が熱く、じんと痛む。少しの間をおいて頬にビンタを食らったと気づいた。


「分かってないの和葉のほうだよ!」


 セレスタの顔を見た瞬間、今までグツグツと煮えていた感情が氷を入れられたかのようにスッと引いて、跡形もなく霧散していった。


 その目には涙を浮かべ、怒りと悲しみを煮詰めたような表情は見るに耐えないものだった。それでいてどこか慈愛のある目で睨み付けるセレスタに、もう何も言うことができなくなってた


俺の中で後悔が渦巻いていた。慣れ親しんだもののはずなのにずっと新鮮に感じるのはなぜだろう。


「ごめん。今はちゃんと休んで」


 セレスタはそのまま部屋を飛び出して行った。そしてすぐに医者と看護師がやってきた。多分セレスタが呼んでくれたのだろう。


今はもう何も考えたくなかった。喪失感だけがただただ俺に寄り添っていた。

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