夏の夢-3
「うーんおいしー! 一度来てみたかったんだよね、ここのカフェ」
これまで見たことのない量の生クリームをのせたパンケーキを幸せそうに頬張るセレスタを前に、早くも帰りたい気持ちが溢れ、ため息になって漏れる。
店内を賑わしている客の九割九分は若い女性で、何やらパシャパシャとスマホで写真を撮っている。俺はピカピカに磨かれたタイルに取り残された小さなシミのような気分になり、肩を縮こまらせた。
ここは駅前に新しくオープンしたカフェで、SNSで話題になったらしくかなりはやっているらしい。なんでもスフレパンケーキが人気らしく、その丸っこくて可愛らしい見た目と、とろけるような食感が多くの女性客呼んでいるのだとか。
店内は新築らしい綺麗さで広さもそこそこあり、歩道に面する壁はすべてガラス張りになっている。その一番奥の4人席にこうして座っているわけだが、長い付き合いからセレスタの魂胆が透けて見える俺はどうしたものかと考えを巡らせる。
「なあセレスタ。わざわざ今日来る必要なかったんじゃないか? 明日は海にも行くし、学校からも早く帰れって言われてるのに」
「大丈夫大丈夫、暗くなる前に帰れば。それにこんなに人通りの多い所で誘拐なんて起きないだろうし」
セレスタの楽観的な性格はもはや見習うべきものがあるなと感じ、同時に自分がネガティブな人間だということを思い知る。
帰りのホームルームでは勇人の言った通りに事件に関する話と部活動の休止が通達され、これまた勇人が言った通りの注意喚起がなされた。
その放課後、俺は明日に備えて大人しく家へ帰るはずだった。電車通学である俺とセレスタは一緒に駅まで向かったところまではよかった。
セレスタは何かを思い出したかのようにハッとこの店の前で止まり、どうしてもここに入りたいと言い出したのだ。
あまり気が乗らなかったので、女友達同士で行った方が楽しめるんじゃないかと抵抗してみるも、まったく聞く耳を持たなかった。柄にもなく洒落たカフェにいるのはそういう理由だ。
「ねえ和葉、これも食べていい?」
わんぱくな笑顔でメニューを突きつけられる。セレスタの指の先にはアイスの乗ったパンケーキの写真が載っていた。その細身の体からは想像できない大食い選手ある彼女には、毎回胃袋のデカさに驚かされる。溢れ出たカロリーはいったいどこに消えているのか甚だ疑問だ。
「相変わらず良く食べるなー。ていうかどうして俺に聞く? 食べたかったら勝手に食べればいいだろ」
「だって、今日は和葉の驕りだもん」
「えーと……、誰の驕りだって?」
「和葉」
「はい? なんで俺が」
「なんでって、宿題の件。私まで忘れたことになったんだからそれくらいいいでしょ」
「いやだよ、普通に」
「なっ! いっつも私の宿題見せてあげてるんだから、たまには恩を返したいとか思わないの!?」
「……んー、まあたまにはな。その代わり今回の件はちゃらな」
「あれ、やけに素直じゃん。絶対断ると思ったのに」
納得いかない様子のセレスタは身を乗り出して、腹の内を探るように瞳の奥で見つめてくる。別になにも企んではいない。学業面はセレスタのおかげで首の皮一枚でなんとか繋がっているのは事実だし、何かと世話を焼いてくるセレスタに助けられてる節もある。
セレスタのことだから本気で拒否したら大人しく引き下がるのだろうが、これくらいは奢っておかないと十年近く蓄積された俺への不満がついに爆発してしまうかもしれない。
「なんだよその目は。大体、ここへ入る時の強引さでそうくるって分かってたっつーの」
「あはは、ばれてたかー。それじゃあお言葉に甘えて」
セレスタは意気揚々と店員を呼び、嬉しそうにさっき指さしていた品を注文する。その姿はまるで無邪気な子供のようで、悪くない気分になる。
「そういばもう少しで夏休みだけど、和葉はなにか予定あるの?」
「いや、これといって特には。バイトがあるくらいかな」
「ふーん……、じゃあさ――」
セレスタが次の言葉を紡ぎだそうとした時、突然きゃあ!と悲鳴を上げた。何事かとセレスタが見つめる視線の先を辿って後ろを振り返ると、癖のあるロングヘアの女子高生がガラス張りにおでこを引っ付けてこちらを凝視していた。
「うわっ!」
その女子高生は早足で店内に入ってきて、一目散にこちらへ向かってきたかと思うと、唐突にセレスタに抱きついた。
「セレスター! 久しぶりー!」
まるでしばらくぶりに会った愛犬と接するかのようなテンションでセレスタの頬と自分の頬を合わせてすりすりしている。
彼女は依茉と言い、セレスタや勇人と同様小学校からの仲で幼馴染3号といったところだ。
セレスタとは特に仲が良く、もはや溺愛しているといってもいいほどだったが、見た所その熱はまだまだ健在のようだ。
依茉とは中学校までは一緒だったが校内でも指折りで頭が良く、俺たちより数段偏差値の高い高校に進学し、離れ離れになってしまった。
本当は俺たちと同じ高校に行く予定だったが、親の言うこともあって渋々今の高校を受験したらしい。それでも、バイト先が偶然同じと今でも何かと縁があるやつだ。
「どうして依茉がこんなところにいるんだよ」
「たまたま通りかかっただけよ、和葉こそどうしてセレスタとこんなところに――。まさかあんたたちついに……!」
依茉の焦茶色の双眸が期待という光を乗せてキラリと輝いた。
「そ、そうじゃなくて! ここのパンケーキがすごく美味しいって聞いて、それで……」
何を察したのかセレスタは目を泳がせて顔を赤くしている。依茉はわざとらしく首を振って小さくため息をつき、
「あんたたちに限ってそれはないか。全く、付き合いが長いってのも考えものね。まあ、それも一つの青春の形ですか」
依茉はうんうんと満足げに頷く。なに勝手に納得してんだこいつは。そして悟ってる風なのがムカつくな。
「何の話をしてるか知らないが、からかいにきたなら帰ってくれ」
依茉は「もう、冗談だって」と言ってセレスタの横に座ってメニュー表を開き、ペラペラとめくっていく。
「最近何かと忙しくて全然会えてなかったしさ、このあと久しぶりにどっか遊んでいかない?」
なぜこういう時に限って普段起こらないイベントが次々と起こるのだろうか。退屈を愛する虫がどこか体中の深いところでさざめているような気がした。
「例の事件、知らないわけじゃないだろ? 遅くならないうちに帰った方がいいんじゃないか」
「あー行方不明者の話ね。大丈夫だって、そんなの気にしてたらきりがないわよ。もし犯人が捕まらないままだったら一生怯えて生きていくつもり?」
「極端なんだよ依茉は」
「じゃあさ、ちょうど海に行く予定を立ててたんだけど一緒に行かない? 明日なんだけど」
おいおい流石に急すぎないか?と思うと同時に
「海!? 行く行く、絶対いく!」
「どんだけフットワークが軽いんだお前は」
「だってたまには息抜きも必要でしょ。うちは勉強勉強ってうるさくってさ。こう今の生活は何かが足りないのよ。セレスタと一緒に遊んでたときまでは確かにあったあの感じ……そう、刺激が!」
「まあ、セレスタは刺激物みたいなもんだからな」
「誰が刺激物だ!」
セレスタが声を荒げたと同時にウエイトレスがやってきて「お待たせいたしました」とさっき注文したパンケーキをトレイから机に置く。
セレスタは気まずそうに下を向き、依茉は我関せずで自分の分のパンケーキを注文していた。
「それで、誰と?」
「えっと、私と和葉と勇人かな」
それを聞いて依茉は眉を下げる。
「結局、いつものメンツですか。それもいいけど和葉、あんた新しい友達とかいないわけ?」
「余計なお世話だ。俺は狭く深く友好関係を築くタイプなんだよ」
依茉ははいはいと生返事をして、
「じゃあ今日はここでぱーとやって明日は海で存分に楽しみますか!」
俺はやれやれと思うと共に、高校が別々になっても相変わらずの依茉にどこかほっとした気持ちになる。
そしてああだこうだと他愛のない話を繰り広げ、店を出たのは傾いた太陽が街を赤く焼き始めた頃だった。
セレスタと依茉が並んで歩きながら、お互いの高校の話を楽しそうに喋っている。俺はそれをBGMにして会社や学校を終えた人達で溢れ、姿を変えていく街に一日の終わりを感じながら、二人の後ろを歩く。
そうしていると、依茉がテンションを変えて話始め、俺は耳を傾けた。
「そういえば私の学校で不審な人影を見たって人が頻発しててさ、それが例の行方不明事件となにか関係があるんじゃないかって噂になってるの」
「なにそれ、勇人といいほんと噂話が好きなんだから」
セレスタは冗談めかして笑うが、俺はただの噂話とは思えなかった。
「な、なあ。その人影ってもっと具体的にどんなのか言ってなかったか?」
「んー、具体的には分からないけど、生気がなくて幽霊みたいだったとか、全身が灰色だったていう人もいたなー。まあただの噂話なんだけどね」
心臓が高鳴った。瞬時に今日校内で見たものを思いだし背筋に悪寒を走らせる。噂になっているほどなら気のせいなんかじゃなかったのか? 日常という壁に鋭いヒビが入った気がした。頭の中にもやが立ち込めてきたかのように思考が鈍り、頭痛がしてきた。
「じゃあ、私はここで。和葉、ちゃんとセレスタを送ってあげるのよ。もしセレスタに何かあったら私が許さないんだからね。……ちょっと、聞いてる?」
「あ、ああ分かってるって」
「もう、大丈夫? それじゃあまた明日ね」
依茉の姿が遠くなると、途端に不安が押し寄せてきた。どうしてこんな気持ちになるのか自分でも理解ができなかった。まるで事件の当事者かのように想像以上の何かよくないことがこの街で起きているという確信が湧き上がってくる。
「それじゃあ、私達もいこっか。……和葉?」
セレスタが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「暗くなる前に帰ろう」
「あ、ちょっと待ってよ!」
自然と足が速くなる。今まで平穏だった街がぐるりと形相を変えて、ひどく恐ろしいものに思えてきた。
帰宅途中であろう学生やサラリーマンでごった返す街の喧騒がやけに耳についてさらに足早になる。
ひぐらしが夜の帳を下ろそうと躍起になって鳴き声をあげている。
足が速くなる。
しかし、得体の知れない恐怖は自分の中にだけ存在していたようだった。
普段通りの道を過ぎ、何事もなくセレスタと別れ、いつもと同じように家へと帰った。
変わらぬ日常の中の一日が当然の如く過ぎ去っていった。