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創碧の吟遊詩人  作者: 奈取 葉
第二章
23/25

新たな生活

 無機質な音が忙しなく鳴っているのが聞こえた。


 それが意識を形作り、自分の存在と学校という今日を生きる意義を思い出させてくれる。


 脳は必死に瞼を閉じようとするけれど、学校に行かなくてはならないという染みついた思考によって無理やりこじ開けられる。正直面倒くさいけど、特にやることもないし……。


和葉(かずは)! スマホ鳴ってるよ」


 真っ黒な長髪を垂らして姉さんが見下ろしている。


 寝ぼけ眼を擦りながら手探りでいつのまにか布団に潜り込んだスマホを探り当て、アラームを止める。


「お姉ちゃん、先に会社行くからね」


 突然、違和感が膨張し巨大化していった。


「会社? どういうこと? だって姉さんはあの時……」


 死んだはずだ。あの車の事故で。でも確かに目の前にいる。感情がこみ上げ、目がしらに熱いものを感じながら姉さんに抱きつく。


 姉さんは驚いた後、柔らかく笑ってそっと手を俺の肩に乗せた。


「もう、寝ぼけてないで。早く支度しなさい」


「あー!!」

 誰かが声を上げた。ドアの方を見るとそこにはセレスタがいた。


「和葉、まだそんなことしてるの? 早く姉離れしなさいよ」

 セレスタが呆れた声でいう。


「ち、ちげえよ! これは……。てかなんでセレスタがいるんだよ!」


「はあ? 和葉がいつも遅刻するからわざわざ迎えに来てあげてるんでしょ」


 そうだ。ぼやけた頭がクリアになってくる。俺は実家から離れた高校に進学し、ちょうど高校に近い場所に住んでいる姉さんの元で暮らしているのだ。遠いのにセレスタも同じ高校に進んで、頼んでもないのに毎日家に寄ってくる。


「来てあげてるって、本当は姉さんの朝ごはん目当てだろ」


「うっ、それはついでよ、ついで」


「じゃあ今日は食べるなよ」


「それは和葉が決めることじゃないでしょ。ね、和音(かずね)さん」 

 

「もう、二人分あるに決まってるでしょ。時間がなくてもちゃんと食べるのよ。それじゃあセレスタ、和葉をよろしくね」


 姉さんは去り際にセレスタの頭をぽんと叩いていってしまう。


「うん! お仕事頑張ってねー。ほら和葉、早く!」

「まったく……」

 

 ダイニングにいくと、テーブルにはサンドイッチがあった。セレスタは一目散に席について目を輝かせる。


「いただきまーす!」


 セレスタに続いて一口食べる。中身はポテトサラダだ。程よく食感の残るじゃがいもは俺好みに作られており、少し濃いめに、そして丁寧に味付けされた具がパンとよく合っている。


「うーん! 美味しい!」 


 そう、姉さんの料理はなんでもおいしい。料理だけじゃなく、何をするにも完璧なんだ。

 

 支度をし終わり、セレスタを呼びに行くと台所でかちゃかちゃと音を立てて洗い物をしていた。

 銀髪が窓から入る朝日を馴染ませるように反射させ、きらめいている。うかつにも少しの間その姿に目を奪われ、ふと見た時計によって時間がないことを知る。


「セレスタ、もう放っといていこうぜ」

「だめだよ、これくらいやっとかないとただ食いになっちゃうでしょ。和音さんの負担にもなるし」


 しかたなくセレスタの隣に立ち、すすぐのを手伝う。するとセレスタは突然くすくすと笑った。


「ねえ、さっきの本当になんだったの?」

「さっきのって?」

「だから、和音さんに抱きついてたの」


 俺は恥ずかしくなって開き直ってみせる。


「う、うるせーな。たまにはあるだろ、そういう時も」

 

「ふふ、そうだね。いつもまでも和音さんがいるわけじゃないし、たまには甘えるのも大事なのかも……」


 どこか哀愁を帯びた声色にはっとしてセレスタを見ると、


「え?」


 その瞬間、俺一人だけが世界に取り残されていた。


 隣にいたセレスタの姿はなく、人の手を離れた皿がカランカランと音を立てながら回っている。そして気づけば暗闇の中にいた。そこに見えるのは灰色の化け物。顔にあるのは金色の目だけで異様に長い手足を前後に振って床に叩きつけながら狂ったように走ってくる。理解が追い付かず、硬直したままそれをただ見つめる。そして化け物に飛びつかれたと同時、視界が開けた。




「夢か……」

 自室であることを確認し、絶望はすぐに安堵に塗り替えられる。


 大分慣れてきたセレスタの家。ゴーストの事件以来、ヴィオラさんの提案で、お互いにいい影響があるだろうとセレスタの家で暮らすことになったのだ。 


 そして今日で六日目。セレスタは療養期間も兼ねて一週間休みを取っており、明日から復帰だった。俺もそれに合わせて明日からの出勤だ。


 しかしいやにリアルな夢だった。心の片隅に残る崩壊した世界をしまい込み、体を起こす。


 一階に降りると、ちょうどセレスタも部屋から出てきた。


「おはよう」

「おはよ――っ!?」


 朝から血圧がぐっと上がる。セレスタはサイズが合っていない大きめのキャミソール一枚という、一つ同じ屋根の下で同年の男が暮らしているにしてはあまりに無頓着な格好だった。


 ぎりぎり下着は見えていないが、ちゃんとはいているんだよな? その姿に視線を伏せたり戻したりして狼狽えてしまう。


 そして、ある気づきに至ってしまい落ち込んだ。


 セレスタは俺に対して男女間のそういった気がまったくないということではないか。


 しかし、いくらセレスタが気にしていなくてもこのままでは何となく罪悪感がある。


 それに、これから先こういう状況が俺以外の場合でもあるかもしれない。セレスタが常識外れと恥をかかないように注意する必要があるだろう。

 

 口を開こうとしたとき、じっとこちらを見つめていたセレスタは、少し目線を上にやった後、自分の頭をポンポンと叩いた。


 よく分からず、それに倣って手を頭上に持っていくと、逆立つような寝癖がついていた。


 俺はすぐに洗面台に行き、寝癖を直すとともに顔を洗う。

 

 気を取り直してリビングに行くと、セレスタは本を読んでいた。


 俺はなんだか気が抜けてしまい、彼女が3枚ほどのページをめくるのを見届ける。


 この数日で彼女は休みの日には本を読んで過ごしているということが分かった。


 読書家とは意外だなと思っていたが、その理由はマレウス病の主治医に本が良いと言われたからだと聞いて納得がいった。


 セレスタの場合は精神の損傷というもので、失感情症に近い。程度が重く完治は難しいが、それでも彼女は病と懸命に闘っており、実際初期と比べてかなり良くなっている。俺も何とか力になりたいと思い、今は彼女のことをもっと知ることが大切だと思っている。

 

「それ、何読んでるんだ?」

「……これは流線のマリアージュ。一回読んだことあるけど、もう一回読んでる」


 もう一回とはそうとう面白い小説なんだろうか。


「どんな話なんだ?」

「恋愛小説」

「れ、恋愛……」

 何か共感できることの一つや二つ言おうと思っていたが、恋愛経験の乏しい俺は口を閉ざす。


「この前好きだって言ってくれたでしょ。なんだかとてもくすぐったい感じがしたから。今ならもっと分かるんじゃないかと思って」


 顔から火を噴きそうになった。羞恥心で頭の中がぐちゃぐちゃになり、心臓を飛び出して体中を駆けまわる。


 「そ、そうなのかぁ。それじゃあ俺は朝ごはんの準備でもするかー。あはは……」


 ここで暮らし始めてから、ずっとセレスタにペースを乱されっぱなしでずっとこんな調子だ。


 結局セレスタの服に関して物申す機会を失ったことに気づき、葛藤をのみ込むように一杯の水を流し込むのだった。

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