ヴィオラとの対談
アルブ村を出て、廃墟を抜けた先の街をしばらく進む。ここはシュタットハイドと言い、首都エルエストの中でも一番広い地区らしい。暖色で統一された建物の外壁とそこかしこに置かれた鉢花が美しい街並みを作り出している。
そういえば紗良さんが言っていたが、ここ一帯は死灰の王の襲来によって甚大な被害に遭ったが、三年足らずでほぼ復旧させたらしい。この世界はニルゴートによる被害に対応するために、復旧の技術はかなり進んでいるのだろう。
シュタットハイド番街。都心の一歩手前という印象を受ける、商店やビルがぽつぽつと立つ区域に入り、セレスタはバイクを止めた。そこにはカトレアという名前の趣のある喫茶店があった。
バイクを降りて入り口まで行くと閉店と書かれたドアプレートが掛けられていた。しかし、セレスタは躊躇なくドアを開けて入っていく。俺もそれにならい、ちりんちりんとドアベルを鳴らしながら店内に入る。
店の中は年季の入った老舗といった感じで、ダークブラウンを基調としたインテリアが落ち着いた雰囲気を醸し出している。カウンターでは店主らしき初老の男性がカップを拭いており、「いらっしゃいませ」と丁寧に会釈をする。
それを見て入ってよかったんだと安心しセレスタに付いて奥の席へ行くと、本を片手にコーヒーを嗜んでいる女性が一人座っていた。その佇まいは威圧感を覚えるほどに端正で、整った顔立ちとポニーテールにメガネという容姿がさらにそれを際立たせている。
「ヴィオラさん、連れてきました。こちら例の報告をしていた和葉です」
「ど、どうも」
ヴィオラという女性は長いまつ毛をゆっくりと上げ、紫紺の瞳を俺の顔へと向ける。そして、品定めでもするかのように全身を見回した後、うんと一つ頷いた。
「間違いない。まさか本当に実在するとは……。おっと失礼、座ってくれ」
勝手に面接でも受けているような気分になりながらヴィオラさんを対面に俺とセレスタは並んで座る。
「私は魔力脅威対策局、通称オウルガードの保安部長ヴィオラベル=イェールオースだ。皆にはヴィオラと呼ばれているから君もそう呼んでもらって構わない。せっかくのカフェだしコーヒーでも一杯いかがかな?」
「い、いえ。お構いなく」
「そうか、ここのコーヒーは絶品なんだがな。なにせ世界各国から集めた厳選された豆をそれぞれに合ったベストな方法で焙煎している。マスターの焙煎技術も一級でな。私のおすすめは浅煎りの――」
「ヴィオラさん。本題を」
彼女は残念そうな顔をして、咳払いを一つはさむ。
「和葉、と呼んでいいかな? ここに呼んだ一番の理由は直接この目で確かめてみたかったからだ。情報だけじゃとても信じられなかったからね」
再び好奇心の混ざった鋭い眼差しを向けられ、まるで自分が珍獣にでもなったかのような気分になる。
「結論から言えば和葉は間違いなく和音の弟だ」
「本当ですか!?」
セレスタも同時に驚きの声を上げた。
「ですが、そんな話は聞いたことがありません。ヴィオラさんは知っていたんですか?」
「いや、私も知らなかった。しかし、戸籍を調べれば一発で分かったよ。職権を使っていろいろと調べさせてもらった。確かに和音の弟として名前があり顔も確認できた。そして不可解な事実がいくつか出てきた。一番驚いたのは和葉が譜術士の育成学校に在籍していたという記録だ」
「育成学校?」
「簡単に言えばオウルガードを目指すための学校だが、不思議なことに三年前から記録が途絶えていた。まるで存在が消えたかのように突然にだ」
「三年前……、死灰の王の襲撃があった年」
セレスタは妙に納得したようにそう呟いた。
「そうだ。あの時期には多くの行方不明者や死者が出たうえ、正確な数もいまだに分かっていない。シンプルかつ合理的に考えるならばそれに巻き込まれた可能性が高いだろう」
「ちょっと待ってください! 俺は死灰の王なんて知らないし、ましてやニルゴートや譜術なんていう存在すら知らなかったんです。この世界とは別の記憶があるんです」
そうだ。俺が別世界から来たんじゃないとすれば、あの日々の記憶はなんだっていうんだ。セレスタや勇人、依茉と共に過ごした時間は本物のはずだ。
「問題はそこだよ。記録という揺るがない証拠がある限り和葉の記憶の方になにか問題があると考えるのが自然だ」
「そ、それは……」
ヴィオラさんの言うことはもっともだった。狂ってしまったのは世界の方じゃなく俺の方だったとしたら辻褄が合う。自分を形作るものがあやふやになり、それが腹の底からぽろぽろとこぼれ落ちていくような、気味の悪い錯覚を覚える。
「そうだ……。親は? 俺がこの世界で過ごしていたのならなにか知っているはずですよね!?」
「残念だが、君の親はすでに他界している。それでも和葉を知っていそうな親族や譜術士育成学校の先生に話を伺うことはできた。しかし、これがまた妙な話でね。誰も一人として和葉を知っているものはいなかった」
「それってどういう……」
ますます訳が分からなくなってきた。ヴィオラさんの話なら本来知っていて当然の人たちが俺を知らないということになる。
「一つ思い当たる節があるのだが、和葉はマレウス病というものを知っているか?」
セレスタは「まさか」と驚き、その反応に俺は恐る恐る首を横に振った。
「人には生命の源とも言える潜在的な生体魔力が流れているが、これには他の生体魔力を跳ねのける役割もある。これは強力な防御機構として働いていて、通常人の体内で直接譜術を顕現させようとしてもできないのはそのためだ。しかしニルゴートの魔力は特殊で、例えばゴーストのように強力なニルゴートの魔力は生体魔力を侵し、精神に深刻なダメージを与えることがある。その際に人の魔力は叡智の泉へと回帰し、精神疾患や意識の喪失まで様々な症状を引き起こす。そして稀に『記憶の欠如や混乱』を引き起こす場合もある。これがマレウス病だが、いくらか辻褄があうと思わないか?」
「死灰の王の襲撃で多くのマレウス病患者が出た。時期も合ってる」
セレスタがそう補足するが、それでも分からないことがある。
「仮にそうだとして、俺の記憶が欠如または混乱していることの説明にはなりますが、周りが全く知らないことの説明がつきません」
「そこが難点でね。和葉がセレスタや勇人を知っていたのであれば必ず何かしらの接点はあったはずなんだが……。そう、まるで双方に対してマレウス病気が発症しているような……」
ヴィオラさんはしばらく考え込むもそこからの言葉が続くことはなかった。
「まあ、今の話はあくまで都合よく解釈した仮定の話だ。しかし、謎はそのままにしておくよりも、とりあえず答えを出しておいたほうが扱いやすくなる。マレウス病が絡んでいる可能性が高いことは頭に入れておいていいだろう」
ヴィオラさんは閑話休題とでも言うようにコーヒーを一啜りする。
「ひとまずこの話は置いておいて、今後についての話をしようじゃないか。非常に難儀な境遇の中にいることは分かっているし、私もできることがあるなら極力協力したいと思っている。さて、まずは和葉がこれからどうしたいのかを聞いておこう」
「どうしたいか、ですか……」
俺はずっと、帰るべき世界があると信じてきた。でも、そんなものはなくこの異常な世界が本来の居場所かもしれないなんて、到底受け入れられない。どうしたいかなんて分かるはずもなかった。
「正直、分かりません」
「そうか。一つ提案……というよりお願いだが、私の下で働かないか? なんでも和葉は和音と同じ力を持った吟遊詩人の可能性があるとか。そうだなセレスタ」
「はい。報告の通り、先日のゴースト襲撃の際に見た力は和音さんのものと酷似していました」
「うむ……、それが本当なら私たちにとって大きな力になり得る。とりあえずはセレスタと同じ支援室に入り、補佐をするというのはどうだろう」
「反対です。素人を入れるのはあまりに危険です」
「私たちの事情はセレスタが一番分かっているだろう。今は猫の手でも借りたいほど人手が足りないんだ。それに和音と同じ力を持っているとなればこの上ない適役だ」
セレスタは渋々と言った具合で、無言の同意をした。
「でも自分が役に立てるとは思えません。魔法というのも自分の意思でしたわけじゃありませんし、譜術も使えるわけじゃないですし……」
「もちろん、最初から戦えとは言わない。まずはセレスタに付いて戦闘を学び自身の力を確かめるところから始めればいい。それにセレスタや勇人の傍にいれば記憶を取り戻す助けにもなるだろう。ああ、もちろん報酬も出させてもらうよ?」
何もない今の俺にとって良い話であることは間違いない。ただそれ以上に、セレスタの力になりたいと思っている自分がいた。震えながらゴーストと戦うセレスタをどうしても放っておけなかった。
「分かりました。やらせてください」
「それは良かった。ふふっ、安心したまえ。記憶はないかもしれないが、譜術士育成校での成績はかなり優秀だったそうだ」
「俺が?」
「そうだ。まあそう気負わずしばらくはセレスタと共に行動してくれ。諸々の手続きは私がしておく」
「あ、ありがとうございます」
「支援室について軽く説明しておくと、昨今の譜術士減少に加え、死灰の王による多くのオウルガード殉職に伴い発足された下部組織だ。オウルガードの支援をするという目的で近年設立され、人員確保のためオウルガードになるための条件を大幅に緩和している。和葉にはセレスタと同じ保安部の下にある支援室に入ってもらう」
話はそれで終わり、一台のスマホを渡された。これで情報共有や連絡を取り合うらしい。
「おっと、言い忘れていたが、かくゆう私も吟遊詩人でね。同じ境遇も持つ私なら君の力になれるだろう」
ヴィオラさんはそう言って優雅にコーヒーをすすり、美形を崩さずにうっすらと笑みを浮かべた。




