襲来のゴースト
闇の中で幾度となく二つの光が交差する。一つは翠色に輝く長剣、一つは灰色の鈍い光を放つ洋刀。
ゴーストの刀は村人に憑依していた時とは比にならないほどのスピードと威力で振るわれ、セレスタは受け止め、弾き、時に身を翻えして反撃にでる。
強くなっているとはいえ、対人のような読み合いはなく、単調に繰り出されるだけのゴーストの攻撃は容易く見切られセレスタに届くことはなかった。有利はセレスタにあるはずだったが、ゴーストはその単純な身体能力の高さで翠色の剣を寄せ付けない。
総合的な力の差はなく、しばらくは互角の剣戟が続いた。
勝敗の行方は時の運とさえ思えるほどだったが、その均衡は徐々に崩れ始める。時間を経るごとに少しずつゴーストの刃がセレスタに肉薄するようになった。それは長い戦闘で起こる集中力の低下か身体の疲労なのか明らかにセレスタの動きが鈍化していた。
セレスタが受け止めそこねた相手の剣尖が腕や顔に切り傷をつくっていく。セレスタの表情は苦痛に歪み、いつしか反撃の手はパタリとなくなっていた。まるで戦意喪失したかのようにセレスタには覇気がなくなっており、ただ死を回避しようとする本能だけで攻撃を受けているようだった。
そんな戦いを続ければいつしかセレスタ側に隙が生まれることは当然のこと。ゴーストの一撃を防いだ直後の一瞬の気のゆるみ、強烈な蹴りが彼女の腹部へと命中し、吹き飛ばされて何度も地面を転がる。
砂まみれになり、無造作に垂れた銀髪の隙間から弱弱しくゴーストを見据える。
そいつに慈悲という概念は微塵もないようで、立ち上がる猶予もあたえないといった様子で少女へと向かって飛び掛かった。
それは渾身の力を込めた大振りの縦切り。セレスタは目を見開き、反射的に魔装の剣を構えて顔面に迫りくる一撃を間一髪のところで弾く。が、咄嗟の防御で衝撃を殺しきれず、剣は宙を舞って地面へと突き刺さり消滅した。
ゴーストはこれで終わりだと言わんばかりに洋刀をセレスタの額へと定める。
セレスタは苦渋の色を浮かべながらも、再び剣を手にするために譜術を発動させる。文字列の円環が現れ、それは顕現する――はずだった。しかしそれは形を成す前に弾け、霧散してしまう。
「どうして……」
何度試しても結果は同じ。輝く譜術の残滓がただ闇の中へ溶けていくだけだった。
「魔力はまだ残っているはずなのに……!」
セレスタはこの異常をもたらしている要因が他の誰でもない〝自分自身の問題〟なんだと気づいてしまい、思わず唇を噛む。そして打ちひしがれるセレスタに血戦の終止符を打つゴーストの斬撃が放たれた。
ギィィィン! と金属が摩耗するような音が空間に広がり灰の刀はセレスタの眼前でその動きを止めていた。
セレスタの瞳にはまだ微かな闘志の火が揺らいでいた。手にするのは水晶のように澄んだ淡い青色をした短剣。セレスタは帯剣していたそれを咄嗟に鞘から抜き出し、ゴーストの攻撃を受け止めたのだ。
二つの得物が鋭い音を立てながらせめぎ合う。しかし、すでにゴーストの力に競り勝つ程の力は残っておらず、セレスタは体ごと後方へと吹き飛ばされ、乾いた音を立てて短剣が転がり落ちた。そして勝利を確信したゴーストがおもむろにセレスタに近づき堂々と構えを取った。
一方のセレスタはもはや逃げるどころか次にくる攻撃を避けようとする動作すら見せなかった。代わりに何かを後悔するように拙く眉をひそめるだけだった。
今度こそ命を絶つ最後の灰刃が振り下ろされた。
「ごめんなさい――」
セレスタは空気に溶け入るような声でそう呟き、死を受け入れるかのように目を瞑った。
セレスタの元へ辿り着いた時、戦況は明らかに芳しくないように思えた。先の戦闘で見た長剣ではなく、短剣でゴーストの攻撃を受け止めているセレスタの表情は苦痛に満ちていた。
彼女の背を前にもどかしい気持ちがこみあげてくる。戻ってきたはいいものの、はたして俺にできることはあるのだろうか。先の戦闘を見る限り確かにセレスタは強かった。もしかしたらなにか策があるのかもしれない。それに例え俺が出ていったとしても惨めに切り伏せられて無駄死にするのは火を見るよりも明らかだ。そういった理性の糸が俺の足を固く地面に縫い留めていた。
しかし、そんな悠長な考えをしている場合ではなかった。ゴーストによってセレスタの得物が弾き飛ばされ、絶体絶命の状況に陥る。それでもセレスタは逃げる仕草すら見せず、微動だにしない。どうして? このままじゃやられてしまう。鼓動が速まり、脂汗が噴き出す。
ゴーストが大きく刀を構えた一瞬、セレスタの横顔が見えた。
自分の非力さを呪った。そして自分の考えの甘さと何もせずここにとどまっている不甲斐なさに吐き気がするような腹立たしさを覚えた。
心臓が跳ね、全身に熱がほとばしる。理性の糸は跡形もなく焼ききれ、俺はセレスタの元へ走り出していた。
どうしてそんな顔をしながら戦ってるんだよ。
セレスタの表情は気が緩めば今にも泣きだしてしまいそうで、まるで世の不条理に立ち向かう幼い子供のようだった。
俺は決意を固める。自分の命を懸けても文字通り数秒しか時間を稼げないかもしれない。無駄死にになるかもしれない。だがそれがどうした。セレスタを助けられるなら――。
「うおおおおおお!!」
不細工な咆哮を上げながら、力を入れ過ぎた足が絡まりそうになりながら駆けていく。ゴーストが刀を振り上げると共に体を飛ばし、セレスタに向かってダイブする。
俺はセレスタを押し倒し、体をかすめるように灰の一閃が空間を断った。それは鋭い痛みを幻覚するほどに間一髪の回避だった。
「あなたは!? どうして」
セレスタの問いに答えている暇はなかった。ゴーストの容赦ない追撃が襲いかかる。
「――ッ!」
咄嗟の判断だった。俺は手元に落ちていた短剣を拾い上げ、ゴーストの動きに合わせて振り上げる。火事場の馬鹿力というやつか。研ぎ澄まされた感覚は、斜めに振り下ろされた刀を的確に捉え、奇跡的に受け止めることに成功する。
神経が凍りつくような衝撃が腕から全身に伝い、押しつぶされそうになりながらも歯を食いしばり、死にものぐるいで抵抗する。
そしてゴーストは突然、何かを感じ取ったかように後ろに後退した。よく分からないが今がチャンスだ。
「セレスタ、今のうちに逃げろ。こいつは俺が引き付けておく」
「そんなことはできるはずない。あなたこそ逃げて」
「ダメだ。理由は知らないけど、もう戦えないんだろ? それにセレスタがやられれば本当におしまいだ」
「それでも、命に代えても私はあのニルゴートを倒さないといけない」
「そんなのダメだ! もう……嫌なんだよ。誰かが傷つくのを見るのは、あんな思いをするのはもうこりごりなんだよ!」
祭り会場でのセレスタの姿が目に浮かぶ。
そうだ。いつも傷つくのは周りの方ばかりで、俺はいつも助けてもらうってばかりだった。肝心なときには何もできずに後悔してばかりの大馬鹿野郎だ。
このわけの分からない理不尽な世界に放り出されたのが、そこでまたセレスタに出会ったのがこの瞬間のためだったとしたら。今までの後悔を挽回するチャンスなんだとしたら、命なんて惜しんでる場合じゃないだろうが!
その時、感情の昂ぶりに呼応するかのように手に持つ短剣が眩い青色の光を放った。
「これは!?」
セレスタは驚きの声をあげ、目を丸くする。その様子からこの現象がセレスタの仕業ではないことを察する。
そのとき、何かを警戒するように距離をとっていたゴーストが唐突に切り掛かってきた。俺は生を求める本能のままに短剣を振るい、得物同士が衝突する。
「「!?」」
何が起きたのか分からず、一瞬でその場が驚異に包まれた。
得物同士が触れ合った瞬間、ゴーストの刀が消滅したのだ。ゴーストはよろめき、動揺を見せる。
千載一遇のチャンスだった。全力で足を踏み出し突進するようにゴーストに切りかかる。ゴーストは右腕を前に出し防御の姿勢をとるが、構わず短剣を突き立てる。すると先と同様にゴーストの右腕が消滅した。ゴーストは得体の知れない脅威を目の前にしてか、後ろに跳躍して一旦距離をとる。
「あなた、いったいなにを?」
「わ、分からない。けど、この剣があれば!」
ゴーストは地面に膝をつき、弱っている様子を見せた。ここが絶好の勝機だと確信し、俺は再び短剣を構えて走り出す。と、その瞬間にどこからか地を響かせるような唸り声が聞こえ、灰色の塊が視界の隅に飛びこんできた。それに向かって反射的に短剣を薙ぐとギャン!と鳴いてそれは塵が吹かれるように消滅した。
その正体はサーヴァスだった。そして周囲から無数の殺気を感じ、気づかないうちに多数のサーヴァスに囲まれていたことを知る。
ゴーストは体勢を立て直し、残った左手に洋刀を顕現させる。状況は一転して劣勢。
だがゴーストは様子を窺っているようで攻撃をしてこない。恐らくこの短剣に触れればただでは済まないと学習したからだろう。ただ、俺自身もその力の正体が分かっていないため、過度に信頼することはできない。
林から出てきたサーヴァスが再び飛び掛かってきた。同じように短剣を振ると、やはり獣は塵となり消えていった。剣なんて握ったことはないが、触れただけで消滅するなら全くの素人でも関係ない。
これなら本当に勝機があるかもしれない。そして状況は好転の兆しを見せ始める。闇夜に翠色の光が浮かび上がり、一体、また一体と襲いかかるサーヴァスがなぎ倒されていく。
「和葉、だったっけ。あなたのおかげで魔力を安定させる時間ができた」
凄まじい剣技を見せる彼女はさっきまでのひ弱に見えた少女とは別人のようだった。力強い戦意の眼差しをニルゴートに向け、俺と背を合わせる。
「名前、覚えててくれたんだな。その……、昼は変なこと言って困らせてごめん」
「ううん、全く気にしてない」
「ははっ。この戦いが終わったら、今度はちゃんと話をさせてくれ」
「分かった。私もちゃんと知りたいから」
鋭い爪と牙をむき出しにしたサーヴァスが波状攻撃のように襲ってくるが、セレスタの魔装の長剣とこの短剣の力を前になすすべなく消えていく。
「いける、いけるぞ!」
懲りずにまた一匹のサーヴァスが正面から襲いかかり、短剣を振り下ろした瞬間、鋭利な衝撃とともに生温かいものが腹部を伝った。神経が焼けるような感覚が絶叫となり、痛いほど喉を震わせる。
見るとゴーストの灰刃が腹部を切り裂いていた。それはサーヴァスをおとりにした一撃。視界を阻み、反撃されないように攻撃をしかけたのだ。
気が狂いそうなほどの痛みで意識が飛びかけ、ぼやけた視界の奥でこちらに駆け寄るセレスタの姿を捉える。力が入らなくなった体はそのまま地面へと落ちていき、セレスタに抱えられた。
「そんな……!」
拙く顔を歪ませる表情が見え、俺は自分の弱さを嘆いた。ここで終わりなのか? また俺はセレスタを助けられなかったのか……。
徐々に視界が色褪せ、意識が朦朧としてくる。
「ダメ! 死なないで! お願いっ!」
悲痛の叫びは闇夜に虚しくこだましてゴーストの着実に死へと到達する一振りが無慈悲に襲いかかった。
命の灯が絶える寸前、セレスタの瞳に閃く雫を見た。その時、まだ死にたくないと本気で思った。その瞬間、凄まじい光が眼前いっぱいに溢れ、その光景を最後にぷつりと糸が切れるように意識を失った。




