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創碧の吟遊詩人  作者: 奈取 葉
第一章
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夏の夢-1

 黄金の風が吹いた。


 眼前いっぱいに広がるひまわりが息ぴったりと踊り出す。それは空との境界線まで続いていて、陽炎に照らされ、ゆらゆらとキラキラと輝いている。


 なんて綺麗なんだろう。小さな丘に立ち、今までしていたことも忘れてその景色に見惚れてしまう。夏をいっぱいに含んだ風が大地を駆け抜け、やがて俺を巻き込んですべてのものをたなびかせていく。それを逃がすまいと反射的に深呼吸をすると、溌剌とした緑の匂いがいっぱいに広がってさらに胸を躍らせた。


 そうしているとはっと自分の使命を思いだし、ひまわり畑まで駆けていく。滲む汗を拭いながら、音を立てないようにゆっくりと自身の身長を優に超えるひまわりたちをかき分け進んでいった。


 やっとのことで探していた人物の背中を見つけ、鼓動が高鳴るのを感じた。呼吸が聞こえないように、込み上げる嬉しさが口から漏れないように、そっと口に手を当てた。そして音を立てないようにゆっくりと近づいて、飛びついた。


「お姉ちゃん、みーつけた!」

 姉さんはわっと小さく驚いた後、満面の笑みを浮かべた。それが嬉しくてじゃれつきながらそのまま体重を預けると、その勢いで姉さんは後ろに倒れながら俺を優しく抱き留めた。


「あはは! 見つかっちゃったかー。じゃあ次はお姉ちゃんが探す番。十数えたら、見つけにいくからねー」


 逸る気持ちを抑えられず、最後まで聞かないうちに走り出した。なるべく遠くに離れられるように、全力で駆け抜ける。ちょうどよくひまわりに囲まれている場所を見つけ、しゃがみ込んだ。上がった息を整えて息を潜める。


 やがて静寂が訪れた後、切り替わるように今まで気にも留めていなかった蝉の声が耳の中で反響し始めた。それが暑さを倍増させているのか途端に気温が上がった気がして、Tシャツを前後に扇いで風を送る。


 そうしているとガサガサとひまわりを揺らす音が聞こえ、このままでは見つかってしまうと思い、咄嗟にひまわり畑を飛び出した。


 その瞬間、横から迫ってくる薄い青色の車を目の端で捉えた。気づいた時にはもう遅かった。頭ではどうにか避けないとと思いつつも、すでに勢いづいた体はどうすることもできない。


 車のクラクションが響いた直後、後ろから何かに押し出されるように体が宙に浮き、鈍重な音がすると同時に地面にたたきつけられた。


 なにが起こったのか分からなかった。初めて死というものを覚悟し、それ相応の痛みがあってしかるべきだった。しかしそれにしては体にそれほどの痛みはなく、擦り傷がちらほらと確認できる程度だった。


 確かに車と衝突する音が耳に残っており、まさかと最悪の想像が脳裏をよぎった。恐る恐る後ろを振り返ると、そこには姉さんが力なく横たわっていた。全身におぞましい感覚が焼けるように広がり、呼吸が早く、浅くなる。今にも酸っぱいものを吐き出しそうになりながら姉さんに駆け寄った。


「どおして……、そんな……」

 ピクリとも動かなくなった姉さんを前に、俺は嘆くことしかできない。身を挺してかばってくれたことを悟ったところで、後悔の念が胸の中心部から無尽蔵に湧き出した。


「お姉ちゃん……、お姉ちゃん!!!!」

 俺はただただ姉さんの名前呼び続けることしかできない。そうすることしか、出来なかった……。


「さん……、えさん……、姉さん!!!」

 激しい心臓の鼓動が体の先端まで伝わってくる。噴き出した額の汗が頬を伝い、体に籠った熱にひどい不快感を覚えた。荒い息を振りまきながら周りを見渡すと、多数の視線が自分に向けられていることに気づいた。


「姉さんだって」

「シスコンなのかな?」

 クスクスと笑う声が聞こえる。

 大勢の注目を浴びているのは至極当然のことだった。それはここが教室の中で、今は授業中で、突然椅子から立ち上がり恥ずかしいセリフを叫んでいたからである。


 窓際の席に立つ俺を夏の太陽がギラギラと照らして、紅潮しているであろう自分の顔をさらにほてらせる。

 教室にこだまする蝉の声まで俺を嘲笑っているかのように聞こえてきて、穴があったら入りたいとはまさにこのことなんだなと痛感する。もはやこの言葉をつくった奴に同情の念すら湧いてくるほどだ。


「ったく梼原、また居眠りか。真面目に授業を受けなさい。みんなも静かにしろ、授業中だぞ」


 数学教師の山口先生が、厄介者をあしらうようにたるんだ声で注意する。


 生徒たちはつまらなそうにパラパラと前を向きなおし、授業を受ける体勢に戻った。俺は無遠慮に肌を焼きつける太陽を一瞥し、ため息をつきながら重力に任せて席へ座った。そして自分の失態を正当化するように、こんな何一つ面白みのない授業を居眠りせずに聞いてられるみんなの方がおかしいんだと心の中で悪態をつく。

 そうしてまた群衆の一部となった俺は教科書のページを進め、ノートを広げて、眠たくなる先生の声を浅い意識で聞く。


 高校に入学してからはや一年と半年程が経った。

 最初こそ多少のワクワク感があった高校生活も次第に退屈感に蝕まれ、一年生の半ば頃には何の変哲のない日常と化してしまっていた。


 これでも当初は高校生活は3年間あるのだから何か熱中できるものを探そうと、いくつかの部活の体験入部をしたのだ。けれど特に心惹かれるものがなく、部活は将来なんの役に立つのだろうかという疑問と、その時間でアルバイトでもした方が身になるのではという考えに到り、カラオケ店員としてアルバイトをするようになった。


 将来の役に立つといえば、この数学の授業だってそうだ。大人になった後、使う機会があるのか甚だ疑問だ。少なくとも俺が使っている可能性は限りなくゼロに近いだろう。つまり俺にとっては年に一回行くか行かないか分からない店のポイントカードよりも使い物にならないものなのだ。


 こんな考えだから、モチベーションなどあるわけもなく、テストは毎回赤点ぎりぎり、もっぱら卒業できればオッケースタイルだ。

 そうやって漫然とした日々を送ってきたわけだが、それが悪いことだとは思わなかった。いつからか退屈を愛する虫ともいえる存在が体の中に巣食っていて、浮かれそうになったときには体中で蠢いて、安定装置のように日常に引き戻してくれるのだ。


 つまりは可もなく不可もない平坦な道を好み、そこに安心感を見いだしている自分がいた。しかし最近になってその道を崩すように、誰かがそうはさせまいと画策しているように、ある悩みが頻繁に起こるようになっているのだ。


 それは夢を通して出る姉さんの死の記憶と過去の思い出。確かに封印したはずのそれは、なんの力が働いてか内側からこじ開けるように無慈悲に目の前に現れる。


 そんなことを考えていると頭の中が黒く塗りつぶされていくような気がして、思いに耽っていた意識を現世に戻す。


 黒板の文字が消されていくのを見て、慌ててノートをとろうとしたところでシャーペンを落としてしまう。授業も終わりかけだというのに未だに何一つ書かれていない純白のノートに嫌気がさし、拾ったシャーペンを捨てるように机に置いた。


 少しでも陰鬱な気持ちを晴らそうと机に頬杖をついて、外をぼんやり眺めた。ニ年生のクラスは三階にあるので普段より視点の高い景色が目に入る。


 太陽光を反射してギラつくビル群が忙しなく回る現代社会を映しているようで、視線は自然と遠くの方へと向く。どこまでも自由に広がる空や気ままに青を泳ぐ雲が純粋に羨ましいと思った。

 もっとなにか、俺にはやるべきこと、成すべきことがあるような気がする。ふと、そんなことを思った。それは思考の外、心の奥の方でポッと小さく沸き上がったものだった。


 どうしてこんな燻ぶった気持ちが空回っているのだろうか。

「――なんだ?」

 ふと何かに違和感を覚えて、外の風景に目を凝らす。運動場や体育館と食堂、それらと校舎を繋ぐ一番大きな通りの隅に灰色のもやのようなものが見えた。


 よく見るとそれは人型をしており、ゆらゆらと輪郭を揺らしながら不気味に佇んでいる。さらに気味が悪いのは、髪や服といった特徴が一切なく、シルエットだけがそこに浮かび上がっているようで、まるで燃え殻のように体からチラチラと灰のようなものが舞い落ちている。


 オカルト的なものは信じていないし、いわゆる霊感的なものは持ち合わせていないはずだが、明らかにこの世のものと思えない何かが確かにそこに見える。夏の暑さにやられて幻覚でも見ているのだろうと思った次の瞬間、その考えを否定するかのようにそいつの顔がぐるんッ!とこっちを向いた。

「ッ!」

 その瞬間、首と胸の中間あたり、その奥の方が鷲掴みにされたような感覚に陥り、同時に経験したことのないような鳥肌が全身に立った。それは本能で感じた体が発する危険信号に他ならない。


 その証拠にさっきから動悸がしていて、段々と激しくなっているのが分かる。目を合わせてはいけないと思いつつも蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまい、目を離すことができない。


 やばい! 咄嗟に目をつむり、頼むから消えてくれ!と心の中で何度も唱える。そうしている間にも体は警告を加速させ、ドクドクドクドクと心臓の音が意識を支配していった……。

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