聖香祭
いつもの、朝の掃除やお勤めが終わった。
大聖堂の祭壇の前に、大きな香炉が設えられた。
気の早い人たちが、すでに香炉を持って、門の前で待っている。
ナギやナダが祝福を与えながら、香木の燃えさしを人々の香炉に移していく。
聖堂から人々へ。
人々から、通りへ、家へ。
煙は、少しずつワーフの街へ広がっていった。
「おい、マシュア。もう店が並んでるぞ」
アリフは落ち着かず、外を覗きこんだ。
「ほんとだ。でもまだ準備してるだけだ。店が開くのは昼過ぎからだから」
落ち着いて答えながらも、マシュアも目を輝かせている。
ほかの子どもたちも浮足立っている。
今か今かと、その時を待った。
カンッ、カンッ、カンッ、…
合図の音だ。
子どもたちが、わっと正門に押し寄せた。
「では、今から門を開けます」
門の前に集まった子どもたちの前で、ナギが言った。
「夜を告げる9回の鐘が鳴ったら、大聖堂へ戻りましょう。
皆が無事に戻ってくることを祈っています」
門が開かれた。
わぁ……。
大聖堂前の広場には、すでに沢山の屋台が並んでいた。
(どれから食べよう……! )
ルガマットやナクラーブの香ばしい匂いと、糖蜜やミツヤシの甘い香り。
アリフは、とりあえずバスブスを食べることにした。
「おじさん。バスブスひとつ」
「はいよ。せっかくの聖香祭だ。たくさん食いな」
シロップが染み込んだバスブスを、紙にくるんで一切れくれた。
(……美味い!)
バスブスをぺろっと平らげた。
次はマームルだ。
中に入ったナッツとミツヤシペーストがたまらないんだよな。
ああ、ルガマットを揚げるいい匂いもする!
アリフは次々と食べ物を味わっていた。
「アリフ!」
「アリフー! 」
人混みから誰かが呼んでる。
「ん? …あっ、サリーフ! ムクワブも…」
アリフはふたりに駆け寄った。
「お前らも来てたのか。何食ってる? 」
アリフは二人が手に持っているものに目をやった。
「ここにいれば会えると思って、待ってたんだ」
「そっか。久しぶりだな。とりあえず食おうぜ」
「あ、うん……。ちょっと、こっち来いよ」
「ん? どうした? 待てよ、ルガマットももらってから……。
そうだ。サッドはどうしてる? サッドも来てるのか? 」
アリフはまわりを見回した。
「いいから、ちょっとこっち来いって」
サリーフとムクワブは、アリフをぐいぐいと押しながら、人が少ないほうへ連れて行った。
「おい、どうしたんだよ。俺はルガマットを…」
「サッドが…いなくなったんだ」
サリーフの言葉に、アリフは固まった。
「は…? 何…? 」
「サッドが何日も宿に帰ってこないんだ。キャラバンの人たちも、探してる」
アリフは立ちつくした。
——サッドがいない?
いない、って、何?
……どういうことだ?
「ここに座ろう」
サリーフとムクワブは、アリフを街路樹の根元に座らせ、代わる代わる話し始めた。
「サッドはここのところずっと、ワーフの近くで商売をしながら、あの質屋のことを探ってたんだ」
「あの店主、商売仲間や質屋同士のあいだでも、胡散臭いって言われてたらしい」
店主。あの質屋の。
……サッド、調べててくれたのか。
「2,3日前に、サッドのキャラバンの人たちがクワディームに来たんだ。
サッドが……宿に帰ってこないって……」
「……」
サッド……!
アリフはすくっと立ち上がった。
「待て! アリフ! 」
サリーフとムクワブが、アリフを押さえた。
「今、キャラバンの人たちがサッドを探してる。警吏にも知らせてある」
「俺たちが行っても役に立たない。
……それにサッドも言ってた。お前たちは関わるなって」
「でも……でもサッドが」
「お前が行ったところで、また大聖堂に放り込まれるだけだ」
アリフは崩れるように、その場に座りこんだ。
サッド、サッド……。
——ああ、俺のせいだ……。
「……まあ、食えよ。
ルガマット、取ってきてやる」
ムクワブはそう言って、屋台のほうへ走っていった。
その背中を、アリフはぼんやりと見ていた。
手の中に、まだ温かいままの甘い匂いが残っている。
——なのに、何も感じなかった。
……
その夜。
浄化の香に紛れて、異なる香が漂っていた。
気づく者のないまま、いくつかの人影が、ワーフの文書館へと、静かに入りこんでいった。




