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第5話 終末の焚き火、交わる旅路

ワインの甘く熟成された香りが焚き火の熱で広がっていく。


夏希は手慣れた仕草でコルクを引き抜き、嬉しそうに鼻を近づける。

「んー、なかなかの当たりかも。これ、相当寝かせてたやつだね」


村井がコップを3つ並べると、夏希が慎重にワインを注いでいく。

深いルビー色の液体が、焚き火の明かりに照らされてゆらめいた。


「ほれ、乾杯しようぜ」

村井がコップを掲げると、夏希も軽く笑いながら応じる。


「何に乾杯する?」


村井は少し考えた後、力強く答えた。

「生き延びたことにだ!」


優馬は一瞬驚いたが、悪くないなと思い、静かにコップを持ち上げる。

「……じゃあ、それで」


3つのコップが軽くぶつかり合い、焚き火の音に溶け込むように小さな音を立てた。


ワインを一口含むと、優馬は思わず目を見開いた。


「……これ、結構うまい!」


終末世界で飲む酒といえば、粗悪な密造酒か、劣化したアルコールばかりだと思っていた。

しかし、このワインはしっかりとした深みがあり、渋みと甘みのバランスがちょうどいい。


「だよね!これはおいしい」

夏希が満足げに微笑む。


「昔は酒なんてただの嗜好品だったけど、今じゃ貴重なもんだよね。

 ワイン1本で命のやり取りが起こることもあるし」


「確かに、これを巡って争いが起こってもおかしくないですね」

優馬はそう言いながら、ワインをもう一口楽しんだ。


村井はすでにコップの中身を半分近く空けている。

「ふぅーっ、たまんねぇな……。こういう時間があるから、生きる意味ってのがあるんだよ」


焚き火の炎が揺らめく中、3人はしばしの間、何も言わずに酒を味わった。

生き延びるための食事とは違う、純粋に楽しむための時間——。


こんなひとときがあるからこそ、過酷な世界でも生き続けられるのかもしれない。

ワインをちびちびと味わいながら、優馬はふと、遠くを見つめた。


焚き火の温かな光がぼんやりと周囲を照らしている。

どこかで、風に乗って枝葉がこすれる音が聞こえた。


「……なあ、優馬」


不意に村井が口を開いた。


「こんなこと言うのわ酷だが、妹会ってもお前と分かんないんじゃないか?」


ワインを揺らしながら、村井は優馬をじっと見つめる。

焚き火の赤い光が、彼の無精髭を強く浮かび上がらせていた。


「……」


優馬は一瞬、どう答えるべきか迷った。


「確かに...僕も妹のことはうっすらとしか覚えてません」


そう呟いたあと、ワインを一口飲み、静かに言葉を続ける。


「生きているのかさえ……」


焚き火のパチパチと燃える音だけが、しばしの間、会話の代わりを務めた。



「妹?」


夏希が軽く眉を上げる。

村井も、興味深そうにワインを片手にしながら続きを促した。


優馬は静かに息を吐き、焚き火の揺れる炎を見つめる。


「……20年前、あの隕石が降って世界が変わった日。俺は6歳で、妹は4歳でした」


焚き火の温もりとは対照的に、思い出は冷たい現実として胸に蘇る。


「最初は、家族4人で避難しようとしてました。

 だけど、途中で瓦礫に押しつぶされて......両親は、そこで亡くなりました」


夏希の表情が少し険しくなる。


「妹は?」


「……俺と妹は、近くにいた大人に連れられてなんとか逃げました。だけど、避難民の混乱に巻き込まれて……」


記憶が鮮明に蘇る。


あの日、絶望の中、妹の小さな手を必死に握っていた。

けれど、押し寄せる人の波、逃げ惑う人々の叫びの中で、その手がふいに離れた。


「気がついたら……妹の姿は、もうどこにもなかった」


焚き火の音が静かに響く。


優馬は淡々と話しているつもりだったが、喉の奥がわずかに詰まるのを感じた。


「それ以来、ずっと探してるんです。生きてるかどうかもわからないけど……」


「……」


夏希はじっと優馬を見つめていた。

何か言いたげだったが、口を開くことなく、ゆっくりとワインを口に運ぶ。


「……ちゃんと探してる、のか?」


ふと、村井が低い声で問いかけた。


優馬は軽く瞬きをする。


「え?」


「妹を探してるって言ったが……お前、本当に探してるのか?」


村井の言葉は、どこか優しく、それでいて鋭かった。


「それとも、ただ諦めきれねぇだけじゃねぇのか?」


焚き火が弾ける音が響く。


優馬はコップの中のワインを見つめた。

ワインの深い赤が、焚き火の光を受けて鈍く輝いている。


「……」


確かに——自分は本当に探しているのか?

それとも、ただ「探している」という理由を持つことで、自分の存在を保っているだけなのか?


どこかで生きているかもしれない。

けれど、この世界で20年間も会えずにいる。


「……どっちなのか、自分でもよく分かりません」


優馬は静かにそう答えた。


「ただなんとなく、生きてる気がするんです。

 だから、旅を続けてるんだと思います」


その言葉を聞いた村井は、ふっと口元に笑みを浮かべ、ワインを飲み干した。


「……まあ、希望は捨てたくねぇよな」


そのまま村井は空を見上げる。


「俺も……探したい奴がいるんだよ」


「探したい奴?」


優馬が尋ねると、村井はコップの底を見つめながら、ふっと苦笑した。


「……まあな」


それ以上、多くを語るつもりはないらしい。


夏希がワインを口に運びながら、軽く身を乗り出す。

「へぇ、おじさんにもそんな人がいるんだ?」


「おっ……おじさんって!……40はもうおじさんか」


「……40年も生きてりゃ、一人や二人いるさ」


村井はそう呟き、焚き火をじっと見つめた。

しかし、その視線はどこか遠く、記憶の中に沈んでいるようだった。


夏希はさらに追及しようとしたが、村井は手をひらひらと振る。

「もういいって!詮索するな。今は語る気分じゃねぇんだよ」


「ふーん。まあ、いつか聞かせてもらうよ」


夏希は肩をすくめ、ワインを飲み干した。


優馬もそれ以上は聞かず、ただ焚き火をじっと見つめる。

それぞれに、過去があり、失ったものがある。

だが、それを簡単に語れるわけではない。


——そういうものなのだろう。


焚き火の火がゆっくりと燃え続け、小さな火の粉が舞い上がっていく。


「……あの、夏希さん」


優馬がふと、焚き火の向こう側の彼女を見た。


「あなたはどうして一人で?」


夏希はワインをくるくると回しながら、薄く笑う。


「どうしてって?」


「女性が一人で行動してるなんて危ないんじゃないかと...」


夏希は軽くワインを口に含み、コップを揺らしながら焚き火を見つめた。


「あ~……まぁね。確かに、女一人ってのは狙われやすいし、危ないことも多いよ」


村井が鼻を鳴らす。

「そりゃそうだろうよ。ゾンビよりもタチの悪い連中だっているしな」


「そう。でも、だからって誰かとずっと一緒にいるのも、それはそれで面倒なんだよ」


「面倒……ですか?」


優馬は少し意外に思った。

この世界で単独行動するのは相当な覚悟が必要だ。

安全のためなら、集落やグループに身を寄せたほうがずっと楽なはず。


「集団ってのはね、何かあったときに、誰かが責任を取らなきゃいけないの」


夏希の声がわずかに低くなった。


「それが嫌になったんですか?」


「……」


夏希は、ほんの少しだけ目を伏せる。

そして、焚き火の炎を見つめながら、小さく微笑んだ。


「私が関わったせいで、誰かが犠牲になるのは嫌だった。

 だから、一人でいるほうがマシだったんだよ」


その言葉の裏に何があるのか、優馬には分からなかった。


しかし、それ以上は聞かないほうがいいような気がして、黙ってワインを口に運んだ。


その横顔は、どこか寂しげだった。


「旅してるのも、単にそうしないと生きていけないから。

 それだけの話だよ」


そう言うと、夏希は軽くワインを口に運んだ。


「……まあ、いろいろあったんだよ」


夏希はそう言って、ふっと笑った。

だが、その笑顔にはどこか影が落ちているように見えた。


「夏希さん……昔、どこかの集落にいたんですよね?」


「大沢の集落に一時期ね」


村井がワインを飲みながら、眉をひそめる。

「一時期、ってことは、ずっといたわけじゃねぇのか?」


「そう。しばらく世話になってたけど、そこを離れた」


「どうして?」


「……そこにいると、私のせいで面倒が起こるかもしれなかったから」


優馬は夏希の言葉に疑問を抱いたが、それ以上は追及しなかった。

過去のことを簡単に話せないのは、自分も同じだからだ。


「……そろそろ薪を追加しないと、火が小さくなりますね」


優馬がそう言って立ち上がると、村井がコップを置いて伸びをした。


「おっと、今日はもうここで一泊だな。暗くなる前に、食料の確保をしておこうぜ」


「食料……ですか?」


「おう、またネズミでも鳥でも獲れりゃ今夜の飯が少し豪華になるだろ」


村井がそう言うと、夏希がスリングショットを取り出して軽く笑った。


「そういうことなら、ちょっと腕を見せてあげるよ」


優馬は夏希の手元を見て、一瞬目を見張った。


「……夏希さん、それって」


「スリングショット。意外と便利なんだよね、これ」


夏希は軽くゴムを引きながら、焚き火の向こう側に目を向ける。


「さ、まだ明るいうちに獲物を探しに行こうか」


優馬は頷きながらも、心のどこかで違和感を覚えていた。

終末の世界で、ここまでスリングショットを使い慣れている人間は、そう多くない。


夏希がなぜ、これほど手慣れているのか——

それを考えるのは、もう少し後になりそうだった。

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