第3話 静寂の集落
大沢の集落が見えてきたのは、昼の少し前だった。
森の切れ間から開けた視界に、廃れた建物が点在しているのが見える。
元々は小さな町だったのだろう。
木造の民家がいくつか並び、集落の中心には元商店らしき建物があった。
しかし——
「……おかしいですね」
優馬は立ち止まり、周囲を見回した。
「何がだ?」
村井が警戒するようにナタを握りしめる。
「ゾンビがいない……」
本来なら、これほどの規模の集落なら、最低でも数体のゾンビが徘徊していてもおかしくない。
しかし、辺りは妙に静まり返っている。
「……これは、良い兆候か?」
村井が低く呟く。
「分かりません。でも……」
優馬は足元に転がる乾いた血痕を見て、直感的に言った。
「何かが、ここで起こったのは間違いない」
村井は無言で頷くと、ナタを持ち直した。
「慎重に進むぞ」
二人は静かに集落へと足を踏み入れた——。
昼間だというのに、まるで時間が止まったかのように静まり返った集落。
風に揺れる看板が、”ギィ……ギィ……”と不気味な音を立てる。
優馬は、足元に散らばるガラスの破片を見つめた。
誰かが割ったような跡だ。
「……変ですね」
優馬が小さく呟いた。
「何がだ?」
村井がナタを構えながら周囲を警戒する。
「村井さんは、烈火がここを襲ったって言ってましたよね?」
「ああ、一週間前にな」
「でも、それにしては"争った形跡はあるのに、人の痕跡が少なすぎる"んです」
村井は目を細めた。
「……どういうことだ?」
優馬は周囲を見渡しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「烈火が襲撃したのは間違いないとして……
生き残った人間が"ここを捨てて避難した"ように見えます。」
「ほぉ?」
村井は興味深そうに腕を組む。
「例えば、烈火が食料を奪っただけなら、生活の痕跡は残るはずです。
でも、ここは衣類や鍋、道具類もごっそり消えてる。
烈火がそんなもんまで全部持ってくとは思えません」
村井は無言で頷き、少し歩いて地面を見つめた。
「……足跡もやけに多いな」
「そうなんです。しかも、一方方向じゃない。
複数の人間が別々の方向に散ったような形跡がある」
優馬が地面のわずかな土の乱れを指差す。
乾いた泥の上には、いくつもの足跡が残っていた。
明らかに、集落を襲撃された後、急いで逃げたような跡 だった。
「つまり、生き残った奴らが、自分たちの荷物を持ち出して、逃げたってことか」
「そう考えるのが自然ですね」
村井はナタの柄を握りしめた。
「……じゃあ、死体はどうした?」
「……え?」
「普通、襲撃があったんなら、どこかに死体が転がってるはずだろ?
烈火が皆殺しにしたんなら、それこそ道端に死体が転がっててもおかしくねぇ」
優馬はハッとした。
確かに、ここまで歩いてきた中で、一体の死体も見当たらない。
「……焼かれたのか?」
村井が焼け焦げた家の前で足を止める。
だが、周囲を見回しても、それらしい焦げた骨すら見当たらない。
「……死体がないということは、襲われた後に"誰かが回収した"か、"みんな逃げた"かのどっちかですね」
村井は眉をひそめた。
「……まずは中心部だな。
元の住人がいねぇなら、残された物資を探す。
もし誰かがまだいるなら、話を聞いてみるのが先決だ」
優馬も頷く。
「じゃあ、まずはあの商店を見てみましょう」
二人は、集落の中心にある小さな店舗跡へと向かった——。
優馬と村井は、慎重に商店の入り口へと近づいた。
木製の引き戸は半分開いたまま、錆びたベルが風に揺れてカラン…と虚しく鳴る。
中は暗く、奥まで見通せない。
村井がナタを構え、そっと中を覗き込む。
「……大丈夫そうだな」
優馬も続いて中へ入る。
棚はほとんど空っぽで、商品だったものはすでに持ち去られたあとだった。
だが、探せばまだ何か残っているかもしれない。
「……何かありそうですか?」
「まぁ、食料は期待できねぇな。
ただ、こういうとこって、誰も気づかねぇ場所に何か残ってることがある」
村井が壁の裏や棚の奥を手際よく探る。
優馬もカウンターの裏に回り、埃っぽい棚を開けてみた。
そして——
「……ありました」
優馬が取り出したのは、未開封の乾燥パック。
薄くひび割れたラベルには、「乾燥きのこミックス」の文字がかすかに読める。
「乾燥きのこ?」
「おお、それはありがてぇな」
村井が近づいてきて、パックを手に取る。
「食えるか?」
「未開封なら大丈夫でしょう。
乾燥保存されてるなら、湿気さえなければ長期保存が効くはずです」
「ほぉ……んじゃ、何かスープでも作るか?」
優馬は一瞬考え、それから微笑んだ。
「ちょうど罠も仕掛けましたし、動物が獲れてれば肉も使えます。
乾燥きのこと野草を合わせたスープ、作りましょうか」
「いいねぇ、こういうのは腹に優しくて助かる」
「あと、もう少し探索してみましょう。もしかしたら、スープに合うものが見つかるかもしれません」
二人は手分けして商店跡をさらに探索し、昼飯の準備を整えることにした。
優馬と村井は、森の入り口まで戻ってきた。
「さて……罠、見てみますか」
優馬は、仕掛けたくくり罠を慎重に確認した。
しかし、ロープの輪は閉じておらず、地面には何の痕跡もない。
「……ダメでしたね」
「まぁ、そんな簡単にはいかねぇか」
村井も肩をすくめる。
罠は単純な仕組みではあるが、動物の通り道に完璧に仕掛けなければ成功率は低い。
また、風で匂いが流れたり、動物が警戒して避けることもよくある。
「……ですが、実は別の罠も仕掛けてました」
優馬は少し離れた木の根元へと向かい、
草の影からペットボトルを使った即席のネズミ捕りを取り出した。
ペットボトルの中を覗くと、小さな森ネズミが一匹、動かなくなっている。
「ほぉ……お前、こんなもんまで作ってたのか」
村井が興味深そうに覗き込む。
「ええ。小型の動物なら、こういう罠が一番効率的ですから」
「……ネズミって、食えるのか?」
村井が眉を上げる。
「はい、野生のネズミは食べられます。ただし、寄生虫や病気のリスクがあるので、適切な処理が必要です」
「具体的にどうすりゃいい?」
「まずは、皮を剥いで内臓を取り除きます。
その後、血抜きをして、必ずしっかり加熱することが重要ですね」
優馬は森ネズミを取り出し、ナタで素早く解体し始めた。
皮を剥ぎ、内臓を処理し、可食部分のみを確保する。
「……こういう小動物って、どんな味なんだ?」
「鶏肉に近いですけど、少し鉄っぽい風味がありますね。
ただ、野生臭さがあるので、しっかり火を通して臭みを取るのがポイントです」
「ふむ……まぁ、肉があるだけマシか」
「はい。それに、乾燥きのこと一緒に煮込めば、出汁が出て美味しくなりますよ」
「よし、それならさっさと昼飯にしようぜ」
二人は焚き火の準備を始め、
「乾燥きのことネズミ肉のスープ」 を作ることにした。
優馬と村井は、小さな空き地に腰を下ろした。
周囲の木々が風に揺れ、サラサラと葉がこすれる音がする。
「さて、調理を始めましょうか」
優馬はナイフを取り出し、まず森ネズミの下処理に取り掛かった。
<ネズミの解体>
皮を剥ぐ
ナイフの刃を入れ、皮を慎重に剥ぐ。
野生の動物の皮は臭みの原因になるため、ここは丁寧に処理。
内臓を取り出す
腹部に切れ込みを入れ、素早く内臓を取り除く。
腸は破らないように注意! 腐敗臭が肉に移るため、即座に処分。
血抜きをする
湧き水を使って血を流し、肉の臭みを抑える。
村井は腕を組みながら、その様子をじっと見ていた。
「……お前、本当に手際がいいな」
「こういうのは慣れですよ。さて、次はスープの準備です」
<スープ作りの工程>
焚き火を起こす
枯れ木と小枝を組み、ライターで火をつける。
ゆっくりと炎を育て、安定した焚き火にする。
水を確保する
川の水を汲み、ろ過して使用。
石で簡易フィルターを作り、大きな不純物を取り除く。
食材の下準備
乾燥きのこを水に浸して戻す。
ネズミ肉を一口大にカットし、軽く火で炙って臭みを飛ばす。
香草を刻む
ノビルを細かく刻み、ネギのような香りを出す。
ヨモギを手でもみ、香りを立たせる。
シソは食べる直前に加え、爽やかな風味を引き立てる。
煮込む
ネズミ肉を鍋に入れ、水とともに火にかける。
乾燥きのこがじわじわと戻り、スープに旨味が広がる。
ノビルとヨモギを加え、風味を調える。
スープが沸騰し、肉が柔らかくなるまでコトコト煮込む。
村井はスープから立ち上る湯気を見つめながら、唾を飲み込んだ。
「……いい匂いがしてきたな」
「ええ。きのこの出汁とネズミ肉の旨味が混ざって、いいスープになってます」
優馬は味見をし、ほんの少しだけ持っていた塩を加えた。
「これで、完成ですね」
実食!
優馬はシソをスープに加え、器に注いで村井に渡した。
「さぁ、どうぞ」
村井は慎重にスプーンですくい、まずはスープを一口飲んだ。
「……おおっ?」
村井の目が驚きで見開かれる。
「思ったより……うまいぞ」
「でしょう? きのこからいい出汁が出てますし、香草の香りが肉のクセを抑えてます」
村井は次々とスプーンを運び、ネズミ肉をかじる。
しっかり煮込んだことで柔らかくなり、鶏肉に近い食感になっていた。
「……クセは少しあるが、きのこの風味が効いてるな」
「ネズミっていうと抵抗があるかもしれませんが、食用として考えれば普通のジビエと変わりませんよ」
優馬もゆっくりとスープを味わった。
ヨモギのわずかな苦味とシソの爽やかさが、肉ときのこの旨味を引き立てる。
「……こういう世界だからこそ、ちゃんと美味しいものを食べたいですからね」
「……お前のそういうとこ、悪くねぇな」
村井はスープを飲み干し、満足げに息を吐いた。
「さて、腹も満たしたし、そろそろ先に進むか」
優馬も頷き、空になった鍋を湯で洗い流した。
焚き火の炎が静かに揺れ、二人は食後の満足感に浸っていた。
森の中を吹き抜ける風の音が心地よく、しばしの休息を与えてくれる。
村井はナタを軽く振り回しながら、満足げに口を開いた。
「いやぁ、思ってたよりいい飯だったな。
……お前、よくこんなもん作ろうと思ったな」
「食材が限られてるからこそ、工夫次第で美味しくなるものですよ」
優馬もスープを飲み干し、ゆっくりと息を吐いた。
「さて、準備をして先へ進みましょうか」
優馬はそう言って、火を消そうとした——その時だった。
「……!」
全身に、嫌な寒気が走る。
そして、遠くから、かすかに聞こえる異音。
「……聞こえたか?」
村井が低く呟いた。
優馬も無言で頷く。
ギ…ギギ…ガァ…
風の音に混じって、不気味なうめき声がかすかに響く。
「……ゾンビ、か」
「……っ」
優馬は即座に身を屈め、音の方向を探った。
焚き火の灯りを消すべきか、迷う。
しかし——遅かった。
「……チッ。やべぇな」
村井が、鋭く息を吐いた。
そして——
木々の間から、黒ずんだ影がぞろぞろと現れる。
"群れ"だ。
少なくとも十数体はいる。
「……囲まれたか?」
優馬は冷静に周囲を見渡す。
距離を測りながら、脱出ルートを探るが——
ダメだ、もう逃げ道はない。
村井がナタを握りしめ、唇を歪めた。
「……優馬、選択肢は二つだ。
戦うか、ここで死ぬかだ」
焚き火の残り火が、ゾンビの影を不気味に揺らしている。
優馬は唾を飲み込み、ナイフを手に取った。
——次の瞬間、ゾンビの群れが一斉にこちらへ向かってきた。