第2話 罠
焚き火の残り火が、ほのかに赤く燻っている。
朝焼けの薄明るい空の下、優馬は静かに目を覚ました。
「……さて、行くか」
そう言いながらリュックに手を伸ばしたが、
すぐに腹の奥が軽く鳴るのを感じた。
「……その前に、朝飯を作りますか」
村井はナタを研ぎながら、ちらりと優馬を見た。
「お前、飯に関してはマメだな」
「食べなきゃ動けませんから」
「まぁ、正論だな」
村井はナタを置くと、リュックから干し肉を取り出した。
「昨夜のパスタの残りと干し肉でも食うか?」
「いや、アレンジしましょう!」
優馬は周囲を見渡しながら、昨夜のうちに摘んでおいた野草を取り出した。
「ノビル、タンポポの葉、カラスノエンドウ……この辺りなら使えそうですね」
「……食えるのか?」
「ええ、ちゃんと火を通せば大丈夫です」
優馬は小さな鍋を焚き火の上に置き、水を注ぐ。
貴重な水だが、これは料理のために使う価値のある水だ。
ジュワ……
そこへ、干し肉を小さくちぎって投入。
乾燥して固くなった肉も、水と火を加えればスープの出汁 になる。
「ほう、そんな手があったか」
村井が興味深そうに覗き込む。
「干し肉はそのままだと硬すぎますからね。こうやって戻せば、柔らかくなるし旨味も出る」
しばらく火にかけると、スープがじんわりと茶色く濁り、
肉の出汁がしみ出してきた。
「よし、スープの素と塩を加えます」
優馬はスープの素を一つまみ落とし、
昨夜の冷えたパスタを入れ、ゆっくりと温めながらほぐしていく。
ジュワ……クツクツ……
焚き火の熱で、乾燥しかけたパスタがスープを吸い、もちもちとした食感を取り戻す。
「さて、ここで野草を入れます」
優馬はまずタンポポの葉を細かく刻み、スープに加えた。
ほのかに漂う苦みが、スープに深みをもたらす。
次に、ノビルとカラスノエンドウ を刻み、仕上げに散らす。
フワッ……
ネギのような香ばしさと、ほのかに甘い豆の香りがスープ全体に広がった。
「……これ、本当に終末世界の料理かよ」
村井が驚いたように呟く。
「食べられるものは、全部活かせばいいんです」
優馬は鍋を下ろし、二人はそれを木のスプーンですくって口に運ぶ。
ズズ……ジュル……
優馬はスープの熱を舌で転がしながら、ゆっくりと味を確かめた。
干し肉の旨味、野草の香り、パスタのもちもち感が見事に調和している。
「……悪くねぇ」
村井はそう呟き、スプーンをもう一度口に運んだ。
「こんな世界で、こんなまともな朝食が食えるとはな……」
「食事を楽しむことは、まだ諦めませんよ」
優馬はスープをすすりながら、小さく笑った。
焚き火の炎が静かに揺れる。
「さて、まずは大沢の集落の方へ向かいましょう」
「そうしよう」
二人は焚き火の跡を消し、廃墟を後にした——。
朝の冷たい空気の中、優馬と村井は静かに歩を進めていた。
大沢の集落へ向かう道は、かつて舗装されていたはずの道路だが、
今は雑草が生い茂り、ひび割れたアスファルトが所々顔を覗かせている。
しばらく無言のまま歩いていたが、優馬はふと疑問を口にした。
「そういえば、村井さん……ちゃんと自己紹介してませんでしたね」
「……ああ、そうだったな」
村井は軽く肩をすくめ、前を向いたまま言った。
「村井涼。40歳だ。終末前は、大工の見習いをしてた」
「大工……?」
「まあ、見習いのうちにこのザマになったがな。
それでも、一応は家の補修や簡単な建築はできる」
「なるほど……だから集落にいたときは、そういう仕事を?」
「ああ。俺がいた矢坂って集落では、壁の補強やバリケード作りを手伝ってた。
この世界じゃ、壁が一枚あるかどうかで生存率が変わるからな」
優馬は納得した。
(確かに、終末世界で"建築技術がある"というのは、生存に直結するスキルだ)
「それで、村井さんは元々矢坂に?」
「いや……最初の頃は、一人で生きてた。
数年間、山の中で独り身のサバイバルよ。
でも、ある時、矢坂の集落を見つけてな」
「そこで人と暮らすようになったんですね」
「ああ。矢坂は少人数ながら、しっかり統制の取れた集落だった。
食料もそこそこ確保できていて、武装もある程度揃ってた。
"このままなら、もしかしたら生き延びられるかもしれねぇ"……
そんな風に思ったもんだ」
村井は、わずかに遠い目をした。
「……だけど、そんな考えは甘かったよ」
優馬は静かに問いかける。
「……何があったんですか?」
村井はナタの柄を握りしめた。
「"烈火"って名乗る連中がいた。
生存者の集落を狙い、略奪を繰り返す武装集団だ。」
「"烈火"……」
初めて聞く名前だったが、"武装した略奪者集団"というだけで、
優馬の警戒心が高まるには十分すぎた。
「矢坂の集落も、一週間前に"烈火"の襲撃を受けた」
村井は低く続ける。
「夜中、連中は集落を囲み、火を放った。
炎が上がって混乱しているところに、十数人の武装した男たちがなだれ込んできた。
食料を奪い、女や子どもを攫い、男たちは殺された」
「……そんな」
「俺は、そのとき集落の外で探索してた。
戻ったら、もう全てが灰になってたよ」
村井の目には、深い憎悪が滲んでいた。
「……生存者は?」
「ほとんどいねぇ。一部は逃げたらしいが、どこへ行ったのか分からねぇ。
俺は、矢坂の仲間を助けることも、守ることもできなかった」
村井の拳がわずかに震えた。
優馬は、その怒りがどこに向いているのか、理解した。
「……だから、"烈火"に復讐しようとしているんですね」
「ああ」
村井はナタの刃を撫でながら、静かに言った。
「でも、一人じゃどうにもならねぇ。
だから、大沢の集落の生存者を探して、"烈火"についての情報を集めようと思ってた」
「大沢の集落も、"烈火"の襲撃を受けたんですか?」
「そうだ。一週間前、矢坂を焼いた連中が、次に大沢を襲った」
「……そんな短期間で?」
「連中は"火"を使って支配を誇示する。
"次に燃やされるのはお前たちだ"ってな」
優馬は静かに息を吐いた。
「大沢の集落に、生き残りがいれば、何かわかるかもしれませんね」
「ああ……もし生き残りがいたら、もしかしたら"烈火"の本拠地も...」
優馬は村井の横顔を見つめた。
「……復讐のために?」
村井は黙って歩を進めた。
だが、その沈黙が、答えになっていた。
優馬は村井の横顔を見つめた。
「……村井さん、俺も何かできることがあれば……」
村井は少し驚いたように優馬を見た。
「……お前の目的は、妹を探すことだろ?無理すんなって」
「はい......。でも、もし"烈火"が妹のいた集落を襲っていたなら、
奴らの情報を追うことが、妹を探す手がかりになるかもしれない。
それに……こういう連中がのさばってたら、生存者はますます減る一方でしょう?」
村井は少しだけ表情を緩めた。
「……まぁな。でも、俺の目的は復讐だ。
お前に、そんなもんに関わる義理はねぇ」
「そうですね……でも、情報を集めるくらいなら、俺にもできます」
優馬は静かに答えた。
彼は戦う力を持っていない。
だが、それでも……このまま何もしないわけにはいかない。
「……大沢の集落に生存者がいたら、話を聞いてみましょう。
それが、俺にもできることです」
村井はしばらく黙っていたが、やがて短く頷いた。
「……ありがとよ」
優馬は静かに前を見据えた。
遠くに、森の切れ間が見える。
その先に、大沢の集落がある。
「……行きましょう。答えを探しに」
二人は歩を早め、静かに前進した。
森の切れ間へと続く道を歩きながら、優馬は周囲の様子を慎重に観察していた。
しばらく舗装道路が続いていたが、徐々に木々が増え、足元が土に変わっていく。
「この辺りは森が近い分、食えるもんもそれなりにありそうだな」
村井が周囲を見渡しながら言う。
「そうですね。野草や木の実、なにか動物がいるかもしれません」
優馬は道端の草むらを見ながら、ふと足を止めた。
「村井さん、このあたりに罠を仕掛けておきましょう」
「ここか?」
「ええ。大沢の集落で一泊するつもりなら、戻ってくる道沿い に罠を仕掛けておけば、
帰り道に回収できますし」
「……なるほど。たしかに、効率はいいな」
村井は納得し、リュックからロープを取り出した。
「お前、罠はどんなのを使う?」
「簡単な"くくり罠"でいいと思います。小動物を狙いましょう。ウサギかなんかいるといいけど。」
優馬は手際よく、細めの木の枝を選び、それを活かして輪の部分を作り始めた。
地面に仕掛け、動物が足を通した瞬間に締まるシンプルな仕掛けだ。
村井はその様子を見て、ふと目を細める。
「……お前、器用だな」
「基本は落ちてる本で学びました」
「いや、それもあるが……やることが妙に計画的だ」
「計画的……?」
「さっきの朝飯のときもそうだったが、
前は"あるもんをそのまま食う"んじゃなく、どう使えば効率がいいかを考えてた」
「ああ……まぁそうですね」
優馬は、昨日のパスタをアレンジして食べたことを思い返した。
そのまま口にするのではなく、スープで戻し、野草を加え、工夫して味を引き出した。
「そりゃ、食べるなら美味い方がいいですから」
「美味いもんを作るために、手間や工夫を惜しまねぇ。
それに、罠を仕掛ける場所も慎重に選ぶ……お前、やっぱり"頭を使うタイプ"だな」
村井はニヤリと笑った。
「俺みてぇな"とりあえず手を動かす大工気質"とは違うってこった」
優馬は苦笑しながら、罠の仕掛けを調整する。
「……村井さん、大工をやってたって言ってましたけど、罠は経験あるんですか?」
「ああ、あるにはある。
終末後、しばらく一人で生きてた頃にな……
ただ、俺のは"生きるための罠"って感じだったな」
「……?」
「俺は罠を"食料を獲るため"だけじゃなく、"生き延びるため"にも使った。
例えば、人間の襲撃を防ぐために、入り口の地面に穴を掘って落とし穴にしたり、
ゾンビが群れで襲ってきたときに"囮の仕掛け"を作ったりな」
「なるほど、それも……確かに罠ですね」
優馬は思った。
村井の「戦う力」 は、ナタや力任せの戦闘だけじゃない。
「生存するための知識や経験」 が、彼を生き延びさせているのだ。
「とりあえず、仕掛けはこれで大丈夫ですかね」
「いや、ここに置くなら少し泥をかぶせて目立たなくした方がいい」
「なるほど、じゃあそうしましょう」
二人は協力して、罠をさらに自然に馴染ませるように整えた。
「さて、これでひとまず準備完了ですね」
「帰り道に獲れてるか確認すればいい。
あとは、大沢の集落に向かう途中で、もう一か所仕掛けてもいいかもな」
「ですね。食料はあるに越したことはありませんから」
優馬は軽く頷き、再び歩き始める。
サバイバルは、戦うだけじゃない。生き延びるための手段を持っているかどうかが重要だ。
そして、優馬は知っている。
ゾンビ相手に無駄な戦闘をするより、効率的な方法を考える方が生き延びられる ことを。
だが、この旅の中で、そうも言っていられない状況はすぐにやってくるのだった——。